オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

素浪人の日々は・・・

2020-01-31 | 弁当

1/31(金) 正月、晦日の今朝は今年一番の冷え込みでなかったろうか。そんな寒い朝に目覚めたのはなんと五時!。ちょうど五時のサイレンが鳴る直前であった。

夜明け前に目覚めながらも布団から出れたのは七時半を過ぎた時刻であった。何時ものように朝の日課をこなして洗濯物を干した。今日も快晴のようで、風もあるので洗濯物は乾くだろうと。

昼、老が風邪薬を買いたいと云うので隣町の田野町まで出掛けた。私は食材の買い出しである。2~3日分の食材を贖って帰宅。三十分程夕食用の仕込みをしてから老を誘って短い距離の散歩に・・・。

長い散歩の所為で昨日は足腰が痛むと言っていた老だが、今日は足が軽いとのたまう。散歩の途中で、今日買った鯵を開いた残りの粗と骨をカニの生簀に入れる。

散歩の道すがら見る山里は、穏やかそのものでただただ長閑である。

             

日陰に入ると寒い、日向でも風が冷たいのだから。短い散歩の帰りに畑に寄ってミカンを二つ食す。清美とネーブルである。清美は酸味がありながらも思ったより美味しい、ネーブルは更に美味しかった。老は美味い美味いとしゃぶりついていた。

         

散歩から帰宅して一服した後は、夕食の用意である。牛筋と大根を煮る。茄子と豚小間煮の中華風炒め。野菜鍋に大根おろし。鍋の仕上げはウドンであった。従姉も来て三人での食事。土佐鶴の新酒をぬる燗で飲む!美味い!。一合半入りのお銚子を四本であった。

           

三人での食事が済むと、主夫は洗い物だ。これが結構手間である。皿が多いのだ!。

         

素浪人の日々はかくの如し!。暇なひまな、日々であります。日々忙しく暮らしている皆の衆に申し訳ない。

小さな中庭の梅も蕾を膨らまし、青桐の赤い実をヒヨドリが啄みに飛んできます。

              

 

明け方、仕事の夢を見ていた・・・。未だ現役への未練があるのであろうか・・・。

 

 

 

 

        

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川沿いのバナナの樹

2020-01-30 | 弁当

1/30(木)今朝は少し冷え込んだ朝であった。田舎に居ると弁当作りがないので朝が遅いが、今日は六時前に目覚めて起床は七時といつもより早い。

仏壇に水と茶を供えた後は、USUI老が起きだしてくる八時すぎまでに朝食の準備をするだけである。今朝はトースト、ベーコン&キャベツのソテー、目玉焼き、ウインナーと野菜の温スープ、ホットミルク、デザートはリンゴ、以上であった。

僕たちは朝と夕しか食事は摂らない。朝食が終わると老は部屋へ、私は洗い物を済ませた後は気が向くままに行動する。今朝は外庭の落ち葉を拾い、ホウレン草を間引き(夕食用にする)、従姉の植えている蕪を三本抜いてきた。

蕪葉は煮物か塩揉みして漬物に、蕪は二本をスライスして千枚漬けに、あと一つは夕食で蕪の吸い物にする。と云う計画であった。

昼過ぎに間引きホウレン草を茹でて白和えにてした。蕪二本をスラスして千枚漬け用に下拵えをした。そして、冷凍しておいた猪肉を取り出して解凍のために流しにおいた。

 

頃合いがよくなったので老を誘って散歩に出る。今日は快晴!天気がいいので安田川沿いを上流に向かうことにした。日本遺産になっている森林鉄道跡の狭いながらも舗装されている道を歩く。

自宅のすぐそばの正弘橋を出たのが二時過ぎ、見慣れた風景ながらも天気良し、空気良しで快晴の下を川沿いを歩んだ。

2kmほどの上流にバナナの樹があり小さな実を付けているのを前回の散歩で見ている。その場所に着くと、実を付けた樹が倒れていた。月曜日の強風で倒れたようだ。残念!。

           

ここから更に上流に橋があり、この橋を渡って県道を下ると道路沿いにもう一本バナナの樹がある。ここの樹は倒れず、小さな実を付けて立っていた。されど冬の寒さで大きな葉は枯れそうだ。

正弘橋の直ぐそばにもバナナの樹があるが、最近切り倒されてしまった。余計なことをする、夢のない奴が居るものだぜ!。夏にまた芽を出して大きくなるのを楽しみにしたい。

こんな景色を見ながらノンビリと散歩できるのは田舎暮らし故であろう。

 

二時間近くの散歩を終えると、老はくたびれ果てていた。風呂に湯を張り、入って貰った。その間、私は夕食の準備に入る。

猪肉を煮て灰汁をとり、里芋を剥いて下茹でし、大根を切る。今日の猪鍋は猪汁との中間的な仕上げにした。単に汁を多くしただけのことだが。

                

蕪の葉を塩もみして漬物にし、葉も煮物に。蕪の吸い物にはベーコンと葉も刻んで入れた。準備しておいたホウレン草の白和え、と猪肉は別にしても野菜メインの夕食である。

 今夜の食事の友は、薩摩焼酎「熟柿」の湯割りだった。          

 

 

 

 

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主夫稼業

2020-01-29 | 弁当

1/29(水)昨日は結局、天気が回復しないままに一日が終わった。ではあるが、従姉を町まで送った後の昼過ぎ、老を誘って傘を手にして散歩へ。

前夜に雷鳴と強風、室戸地方は一時間に120mmの豪雨があり崖崩れ注意予報まであった。川は増水して洪水かと思ったが、増水はしていたがさほどのことはなかった。

この日の散歩は川下へと森林軌道跡の柚子ロード歩く。途中に従兄が川カニ(藻くずカニ)を生簀に飼っているので、それに餌のキビナゴを十匹ばかり入れた。春まで生きていたらいいのだが・・・。

                  

柚子ロードは前日の強風を物語るように木の枝が散乱していた。車の邪魔になりそな枝を道の端にどかしながらの散歩となった。2㎞ほど下流に間内橋(間下地区と内京坊地区を繋ぐ橋)を渡り、橋の袂にある公園「ほたる公園」に寄り、足元の悪いなかを一周した。

既に梅の花は満開、この河原の公園にフキノトウが出ていないかと探したがなかった。速歩でもないに、老は既に汗ビッショリとのこと。汗をかくのは構わぬが、後の洗濯はこっちだからねぇ~・・・。

         

同じルートを戻り、お墓に寄るとお供えの「しきび」が飛んで散乱していた。畑の方に回ると、なんと!小夏の小さな木が倒れていた。根元を確認すると紙切り虫が穴を開けていたのだ。起こして紐で固定したが・・・ダメだろうな。

畑の梅の小枝を幾本か切り、活けてある蝋梅と取り換えることにした。そんなことで、一時間ほどの予定で出た散歩から戻ると、二時間になっていた。

ひと休みしてから夕食の準備に掛かった。この日は「炊き込みご飯」にすることにしたが「いちご煮」の缶詰を使った。

いちご煮は青森の郷土食、初めてこの缶詰を見たときはイチゴ煮?と驚いたが、よくよく見るとウニと貝の潮汁の缶詰であった。決して安いものじゃない。先日、末娘夫妻が来た折に津軽地方出身の旦那が持ってきたものだ。

昨日から食事は軽めにと云うことになっていた。いちご煮の炊き込むご飯、大根と蒟蒻のおでん風煮、茄子とインゲンの煮物、チンジャオロース、大根おろしで夕食となった。

             

予定外の飛び入りで従姉二人が来たが、菜もご飯も飲み物もたっぷりとあり、賑やかな食事となった。日本酒の原酒を飲んだが、流石に美味しかった!。

 

一夜明けた今朝は快晴、朝食後は前日に切ってきた梅を活け、家廻の強風で散った木の葉を掃除。洗濯物を干して昼を迎えたのである。

ホウレン草の間引き、小屋の屋根の修理とやることがあるが、周囲がもうすこし乾いてからに・・・。

買い物や食事のリスト、掃除に洗濯、食事の用意に洗い物と主夫そのもの日々。何時まで続くやら・・・。

 

 

 

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穏やかな夜明け・・・

2020-01-28 | 弁当

1/28(火)昨日は朝から雨。天気予報では大荒れになるとのことであった!。

こんな日は部屋に籠り一日を過ごすに如かずだが、昼頃から風雨が強まり、外に置いた除草のバケツが転がりはじめた。道具を少しばかり置いてある小屋のトタン屋根がバタバタと音を立て飛ばされそうになっていた・・・。今更手の打ちようがないので窓から眺めるだけであった。

こんな日でも部屋掃除はできると、午後から暇つぶしに掃除をする。掃除機をかけた後は、KISHIMOTO大兄から頂いた電動ブラシで廊下などを流す。

部屋で本を読んでいると妹が来たのでコーヒーを淹れる。従姉の勝っちゃんも呼んで茶菓子を摘みながらの談笑。風雨は強弱を繰り返しているが、これ以上のことはないだろうと高を括っていた。

夕となり風呂を沸かして老に入ってもらう。その間に夕食の準備を始める。この夕は、賞味期限がきた「ウドン鍋」を主食にして「クリームシチュー」「鶏の親子煮」に味噌汁・サラダを並べた。

ウドン鍋は煮込みうどん風にして、豚バラ・大根・白菜などの野菜をたっぷりと加えた。

風呂上がりの老は焼酎炭酸割、私はハイボールを飲みながら・・・。おかずも、ウドン鍋も余った!。カロリー過多だと、明日から量と品数を減らすことで一致。

食事を終え、洗い物も済んだ時刻は七時半であった。早いねぇ~。ローカルニュースでは風雨と雷の警報が・・・。

高を括っていたが、日付が変わる頃から雷鳴が轟き始めた。低い位置で稲妻が走りお腹に響く雷鳴がつづいた・・・。予報どおりかと思いながら、布団の中でCDを聴き、文庫本を捲るうちに眠っていた。

 

一夜明けた今朝、曇り空ながらも穏やかな朝を迎えた。ニュースは関東地方の悪天候を流している。通勤に向かう友人たちの苦労がしのばれる朝であった。

素浪人のスローな朝、そしてスローに時が流れゆく・・・。こんなことで良いのか!。

 

 

 

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中村医師お別れ会・・・

2020-01-26 | 弁当

1/26(日)今朝の便で福岡から高知に戻った。昨日の午後に福岡・西南大学チャペルで挙行された故・中村 哲医師のお別れ会に行ってきた。僅かなご縁でしかなかったが、数年前にここ西南大学で師のインタビューに立ち会った思い出がある。

晩夏であったか初秋であったのか。陽ざしの強い日であった。インタビューの合間、学生食堂脇の休憩コーナーで一緒にタバコを吸った。その場所でタバコを吸おうと、お別れ会の前に行ったが、そこは禁煙の張り紙があった。

見事な松林を抜けるとチャペルが、ここもインタビュー後に中村さんの講演会があり入ったところである。そこの入り口には「中村 哲 医師お別れ会」の看板が立っていた。亡くなれたことを改めて実感させた。

会場には開会の一時間半前に着いたのだが、大きなチャペル席は既に満席で、会場のモニターが用意された大学の教室に入って見守ることになった。

早い時間に関わらず、地下鉄の駅から大学に向かう途中でお別れ会に向かであろうと思われる方々が大勢いたのだ。それにしても数多の人がお別れに来ており、師の人柄、功績の凄さに圧倒される。現代の偉人と云うしかない。惜しい方を亡くした無念の思いが人々を駆り立てるのであろう・・・。

百人以上入る教室が沢山用意されていたが、教室に入れきれない人々は外で待つしかない。途中から雨になっていた。

定刻の二時、会が始まり黙祷する。そしてペシャワール会村上会長、アフガニスタン特命全権大使、JICA会長。師のご長男とご長女から挨拶と報告があったが、無念と痛哭の思ひがひしひしと伝わってきた。私の隣の席に居る女性はハンカチを握りつづけていた。

献花が始まったのは会が始まってから一時間半を経過していた。我々が献花のチャペルに入ったのはそれから一時間後なっていた。後に未だ大勢の人が列をなしていた。

          

降り出していた雨に濡れながら会場を後にした。

本降りになった中、博多駅から久留米市に向かった。ボランティア活動の表彰や取材で縁ができて以来、長い交流がつづくJOJIMA女史のお見舞いと旧交を温めるために。

女史は子供の頃にポリオに患い、それ以来症状は徐々に悪くなっている。初めて会ったボランティア活動表彰の折は杖もなく歩けていたが・・・。今は部屋の中を車椅子で動くことしかできなくなっていた。

中村医師の取材前にTUGAWAさんと一緒に会った折は、車椅子ながらも久留米市内の焼鳥店を予約してくれて一杯やれたのだが。今回は外出が叶わぬので女史の宅に伺った。

相当悪かったそうだが、若干改善したと笑顔で車椅子姿で迎えてくれた。筑紫の銘酒を用意してくれていた。それを頂きながら、日々の暮らしや障害者支援の制度などと会話がつづいた。

まさに五体不満足ながらも、TOMOKOちゃんは明るく前向きに生きている。これから更に苦難があるだろうが、その心と大勢の友達に囲まれている。大丈夫だよ!。

福岡市内に予約したホテルのチェックイン時間が迫り、車を呼んでもらって大雨の中を駅に向かった。中村医師のお別れ会、妹分の女史との再会、福岡への短い旅は意義深いものであった。

今朝の福岡曇り空、八時半前に空港に入り、搭乗する頃には薄日が射してきた。来る時とは大違いに、朝の便はガラガラであった。途中雲の上を飛んでいたが、高知空港に降下を始めたころに仁淀川、そして桂浜・浦戸湾が望めた。東の方向に大きく旋回し、定刻に高知空港に舞い降りた。

           

安芸市内のスーパーに立ち寄り若干の食材を贖った。帰宅すると、USUI老は風邪だとのことで、声がおかしい。散歩は無理だねとなった。つい先日も風邪薬を飲み、よくなったと言ったばかりなのだが。少し動くだけで汗をかく、それが冷えて風邪の症状になるのか?。

洗濯機を回してから、従兄のカニの生簀まで散歩して餌(小魚)をやってきた。都会から来る友人には珍しかろうから、暫く生かしておきたいので。未だ十匹ほどが蠢いていた。然し、何時まで生きているやら・・・。 

今夜の夕食は「雑炊」に牛小間とチンゲン菜の炒め物。残っていた牛筋煮、肉ジャガ、ダイコンおろし、キビナゴの酢物&煮付けとなった。

            

 

 

 

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日々、野菜&野菜

2020-01-24 | 弁当

1/24(金)早や週末の金曜日、のようだ。が、生憎こっちは曜日に捕らわれない日々ながら明日の土曜日に福岡市まで出掛ける。一日二便、朝と夕に高知~福岡間をJAL便が飛ぶのでそれに搭乗する。

先月、アフガンで無念・非情の最後を迎えた中村 哲先生のお別れ会が開かれる。取材でお会いして以来の一会員に過ぎないが、真の勁い人間であった先生の御霊に「ご苦労様でした」と頭を垂れたいので。その後、久留米市に居る城島女史のお見舞いが出来れば幸いである。

田舎暮らしの中でも、時折に浮世の義理と云うかやむを得ないことで遠出しなければならない。山里での仙人暮らしは何時のことになるやら・・・。

 

USUI老が同居しているので主夫のようなものだ!、掃除に洗濯、飯つくりと怠りなく務めている、心算であるが・・・。こんな日々も一向に苦にせず、楽しんでいる。

今日は、曇り空の下を老と一時間半以上の散歩。二十分も歩くと老は汗ビッショリに・・・早歩きでもないのに!。散歩と野菜中心の食事で老のデッ腹も少しはへっこんだかな?。

毎日のように野菜、野菜である。それも大根・白菜が中心なのだ。因みに今夜は、大根&厚揚げ煮、牛筋の大根煮、肉じゃが、鍋には白菜とホウレン草・イベリコ豚バラを少々に大根下ろしと云う塩梅。

            

ご飯を炊いて、鍋用にウドンも用意したが老も従姉も、お腹が一杯と食べなかった。これなら、体調も良くなろう?。

今朝はトーストだった。副菜は野菜(キャベツ・ホウレンソウ・タマネギ)にベーコンを味付けにした温スープ、湯豆腐、目玉焼き&ウインナー&キャベツソテー、デザートである。全て小鉢!。

               

大根も白菜も従姉や妹からの頂きもの。流石に肉は来ないねぇ~。明日は朝早く出掛けるので、朝食はどうなることやら・・・。

 

 

 

 

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田舎ならでは・・・

2020-01-23 | 弁当

1/23(木)月曜日から来ていた末娘夫妻が午後便で帰京した。昨日の午後から降り始めた雨も昼前に上がり、空港に向かう途中から陽が射しはじめて車内は暑くなった。

今日は朝から気温が高くて朝の日課(飯作り)も楽であった。

昨夜は妹夫妻、姪夫妻に従姉も来て賑やかな食事会であった。田舎ならではの料理と云うことで、川カニ(藻くずカニ)の味噌汁、鮎焼(冷凍)、皿鉢、鹿の背身のルイベに、山葵葉の酒粕漬けなどであった。

        

末娘の旦那は高知は初めて、ましてやこんな山里も初めてと喜んでいた?。変な奴だぜ!。

鹿のルイベも藻くずカニも始めてであろうし、一昨日の猪汁と猪肉スキ焼も初めてながら「美味しい」を連発した。田舎ならではの食材と料理だが、物珍しさもあって喜んでくれた。

デザートに姪からFBでリクエストされていた「干し柿のクリームチーズ詰め」を出した。

               

慌ただしい来高であったが、それなりに楽しんでいたようだ。今度は夏に来ると云うので「無理して来なくていいからネ」と、云った。

 

 

 

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室戸岬へ・・・

2020-01-21 | 弁当

1/21(火) 昨日の午後、東京から遊びに来た末娘夫妻を案内して室戸岬へと・・・・。昨年末に入籍した二人である。相方は高知は初めてだそうだが、生まれた青森県以外に行ったことがあるのは関東周辺だろう?。

歴史にはさしたる興味もなさそうだが、地元の者として義務的に途中途中の歴史や見どころを説明した。岬では、半島の上に立つ灯台と88カ所霊場の24番「最御崎寺」に参拝し、空海大師が修行したと伝えられる「みくろ洞」へ。

        

灯台はお化粧工事中であったが、訪れるたびに感じ入る海と空の青であった。

帰路、隣町の田野温泉に二人を入れてから帰宅した。きしくもこのコースと時間が、一昨年に来高した友人を案内したコースと同じであった。

帰宅後は夕食の準備だが、出掛け前に「猪汁」の仕込みだけ済ませておいた。昨夕の残り鍋でフグとクエに白菜を。薄くスライスしておいた猪肉を「スキ焼」にした。海苔巻寿司・玉子寿司・鯖姿寿司の田舎寿司がご飯代わりになった。ご飯は炊いたのだが、誰も食べないので私が軽く一膳だけ頂く。

            

斯様なことで夕食を終えたが、今日も従姉二人に老、娘夫妻の六人で賑やかであった。

 

室戸岬に出掛ける前、川向こうのお墓に参った。橋を渡る頃、山里に漸く陽が射し始めた時刻であった。故郷の川は今日も、何事もないように流れていた。

 

 

余談だが、室戸岬の手前にある港町室津港の直ぐ上にある某化粧品店に寄った。両親が親戚同様に付き合って来た方の店である。二代目で一級先輩の正人さんが後を継いでおり、学生時代から懇意にしてきた。

その正人さんが過日、室戸市市民栄誉書賞に選ばれたことを新聞で知った。新聞報道が落ち着いた頃にお祝いを云いたいと思っていた。店を訪ねてお祝いを述べたところ、来月のそのお祝い会が予定されたとのこと。私もその一員に加えて頂くことにした次第。

 

 

 

 

               

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墳墓の地

2020-01-19 | 弁当

1/19(日) 亡父が生まれ育ったところは、現在の安芸市入河内(にゅうがうち)と云う山里である。三人の姉、二人の兄に弟が一人であった。現在の入河内は柚子やお茶づくりの山村でご多分に漏れず過疎である。

その墳墓の地で実家を守ってきた長兄の長男に母となる伯母の七回忌法要があった。長男の直宏は野球選手として甲子園に出場した名手であったが、地元の銀行を退職後再就職をして間もなく急逝した。伯母は息子を見送った後、96歳で大往生とも云える人生を閉じた。我が父が亡くなった翌年のことである。

子供頃には大勢の従兄達が集った入河内にはここしばらくご無沙汰をしていた。田舎暮らしを始めたので、正月内に墓参りをしたいと思っていた矢先、法事とのことで今日の訪問となった次第である。

子供時代のことを思い出しながら、北寺の宗円住職の読経を聞いていた。

その実家は次姉のミッチャンが孤塁を守っているが、直宏の奥さんと東京住まいの娘夫妻、高知市内に居る長女一家が集まっての法事であった。こんな時でもなければ、親戚縁者がゆっくりと話す機会が無くなっている。法要後の宴席では冗談を交えてお喋りのしどおしであった。

            

長姉一家の送迎に甘えて、墳墓の地を訪れていい一日を過ごした。

ミッチャンが抱えているのは、特産の入河内大根という大きな大根で、実が固くて長持ちする大根である。お土産に所望していただいて帰った。それと、干し柿に甘い柚子煮を詰めたミッチャン作の干し柿菓子も!。

              

 

帰宅後、三人での夕食を終え、メールをチェックするとKISHIMOTO大兄から届いていた。池袋の居酒屋「野武士」が、四十五年の歴史に終止符を打つとのことであった。この店には大兄に連れられて随分と世話になった。女将さんの出身らしく「信濃の国」の詩が大きな文字で壁に掛かっていた。

大兄の友人・知人にも沢山紹介いただき、カラオケを熱唱した。お世話になった行きつけの店が店仕舞いし、集う場がなくなるのも淋しいものである。人も、店も、歴史を閉じるときが来るは必然ではあるが。

我が人生に幕が降りるのは何時か?こればかりは計りようがないが、いつでもいいと思う生き方をしたいものである。

 

 

 

 

 

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27番札所「神峯寺」へ

2020-01-18 | 弁当

1/18(土) 田舎暮らしを始めて随分たったような気がするが・・・、カレンダーを見て未だ十日しか経っていないことに気付いた。

老と従姉の三人での夕食が六時半に済み、洗い物を済ませてから鯖と小鯵の開きを作り、やり残した掃除のつづきで電動ブラシを廊下に掛ける。コーヒーを淹れて部屋に籠った時は九時になっていた。

昨日とは打って変わり朝からいい天気になった。朝風呂に入る前に朝食の準備を整え、老の出現を待った。朝食を摂りながら部屋掃除をする気分になった。洗濯機を回してから掃除に取り掛かった次第。六部屋に掃除機をかけ、洗濯物を干すと外出の時間になった。

13時、病院に行く従姉と老を乗せて隣町へ。従妹を病院で下ろし、室戸岬方面に在る道の駅「キラメッセ室戸」までドライブがてらに行くことになった。

当初の予定は我が町にある八十八カ所巡礼寺で27番札所となる「神峯寺」(こうのみね)に老を案内すると話していたが。上天気につられて遠出する気分になった次第。三十分ほどの道のりである。

キラメッセ室戸には野菜や季節の果物が並び、種類や量は少ないながら漁師さんが持ち込む魚も並ぶ。今の時期の果物は柑橘で、数種があったがメインはポンカンであった。狭い魚売り場にゴマ鯖と鯵、ネイリが残っていた。

鯖が美味そうだったので一本と、小鯵を贖った。鯖は330円、小鯵九匹は150円であった。老は鯖の塩焼きが好きなのだが、今日は開きにしろと我儘を云う。小鯵の方ははなっから開きにするつもりでいたのだが・・・。

小春日のような陽光の中、車を走らせて当初の目的地「神峯寺」に着いたとき、町内一斉に流れるラジオ体操が始まった。海岸線の国道から山上に在るこの寺まで歩くと一時間は要するだろう。寺の駐車場から山門まで坂道を200mほどか。山門から寺の納経所までも同じくらいか。そこから本堂まで急な階段を上がる。

        

           

老は山門の段階で汗を垂らし「きっ~い」と泣き言を。更に本堂までの階段を見ると「えっ!行くの?」と嘆いたのである。ほんまに体力なくなってるぜ!。それでも、文句垂れながらも上がった本堂、大師堂では真剣にお祈りをしていた。ピンコロ(ぴんぴんころり)の願掛けでもしたか?。

         

青空の下、傾きかけた太陽が海原を黄金色に染めて輝いていた。この景色を見るだけも価値があるが、私にとっては、子供の頃の長患いで願掛けをしてご利益を頂いたと刷り込まれている。格別な思いで、この寺に詣でている。

        

帰宅すると、我が山里は陽が陰り夕の気配に満ちていた。さあ~夕食の準備・・・・・。だが、先ずはキラメッセで買った花を活けなくちゃ、備前焼の大ぶりの花瓶を探すも?程よい花瓶を探すのに手間取った。

今夜も三人で食事。野菜鍋に雑炊、豚バラとチンゲン菜炒め、軽い摘み程度の品と軽めであった。

 

明日は伯母と従弟の法事があり、亡父の実家がある山里に行く。久しぶりである。

 

 

 

 

 

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