オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

久々の投稿

2023-04-30 | 弁当

4/30(日)四月末日の投稿となったが、未だ29日の零時を数十分回ったばかりの時刻だ。

二時間程前にJINパパから電話を貰った。「今朝方弘前に着いて、引っ越し荷物が届きおろした。最後はドタバタでトラックに積み込み、積みきれない荷物をワゴン車に載せてきた。草臥れ果てた。」ということと、またお会いしましょう。と、云うような会話をした。

神先生夫妻は、昨日にパパの故郷・弘前に転居。いわゆるUターンをしたのだ。ご高齢で独居の母の世話をするために・・・。このことの経緯は前にも記したと思う。

ここ数日、神さん夫妻が転居する日が近いと脳裏浮かんでいた。様子を窺うために電話かメールでもと思いつつ、逸したていたのだ。先方から連絡を頂き驚きであった。

長年住み暮らした家を処分すると云うことは大変なことである。神パパが三月末で仕事を終えてからの一ヶ月ばかりのドタバタが浮かぶ。ご夫妻には、ただただお疲れ様と云うしかない。

然し、これからも大変は続く・・・。実家の建て替えがあり、その整理に追われることであろうし、最後に新居への引っ越しがあるのだから。

「オヤジ達の料理教室」と称して、神さん宅でお世話になった。個人的にも、会社の仕事としてもお世話になった。遠く離れていても、神さん宅の在った白金台のあの辺りの景色は、神家とともに深く刻み込まれている。

 

窓越しに聞こえる雨音が強くなってきた。朝、十時前からのこの雨で、明日の畑仕事はお休みするしかない。田圃畑はぬかるんで入れないのだから・・・。

今植わっているのは、赤玉ネギ・晩生玉ネギ、ジャガイモ、ニンニク、ニンジン、キヌサヤ&グリンピースは収穫中。植えて間もないのがスイカ・キュウリ・ナス・カボチャ、インゲン、トウモロコシ。育苗中で今後植え付け予定が、トウモロコシ、スイカ、カボチャ、しし唐、キュウリ、オクラであったか。

畝を全部使っても植えきれそうにない。特に、カボチャやスイカの蔓物があるから厄介なのだ。ジャガイモ・タマネギの収穫が早く済めばいいが、そうはイカンザキだろう・・・。

スイカは夏の代名詞、それにトウモロコシは子供たちが喜ぶであろう。いずれにせよ、上手く育ってくれるか、それが問題であるが。百姓の真似事一年生としては、失敗=勘違い=記憶違いの連続である。

何事も失敗から学ぶに如かず?、専らYouTubeで学んでいるが、似たような処理が多くて縺れた糸のように私の頭はこんがらかっている。百姓道の道は険しく、そして厳しいのであります。

                 

             一週間前に植えたスイカ畝

疲れた身体は食で癒そうと?、種類&量ともに多めの食事。畑仕事の手を休め、一服しながら庭の花を眺める、長~い休憩。

        

 

斯様な日々を繰り返し、これからも山里の暮らしはつづきます。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰京~旅行~帰郷

2023-04-14 | 弁当

4/13(木)八日に帰京してから東京経由で沖縄・西表島へと短い旅行。そして、東京に戻り今日、黄砂の舞う空を帰郷した。

                   

東京での滞在は短く、友人知人がいる人形町の酒場巡りは一夜だけにし、習慣である家族の弁当を作っただけで西表島に旅立った。

               

西表島への旅は盟友としかいいようのない、津川&花岡さんからのお誘いによる。どうやら、津川さんからの今生の別れとも云うべき旅への誘いであったと、旅のすがらに判明した。

羽田~石垣空港~石垣離島港~西表島大原港、そしてホテル迎えのバスで約一時間後に月ヶ浜に面した星野リゾート西表島ホテルに着いた。羽田空港を11:25に発ち、着いたのは18:40頃であったか。

               

幸いにも天候に恵まれ、ホテルスタッフの対応もビュッフェスタイルの食事もよく行き届いた快適なホテルであった。三泊四日の滞在中、食事以外で行動を共にしたのは蛍を見に行くイベントに参加した時だけで、各自気儘に過ごした。

カラスが遊びに来るベランダの長椅子に寝転んで読書に居眠り、綺麗な砂浜の散歩、夕食前のひと時浜辺に椅子を並べてワイン片手に夕日を眺めたり・・・。あっという間に三泊が過ぎた。

            

唯一の遠出とも云えるのは、ホテルのレンタルチャリで出かけた浦内川(沖縄県最大の川とか)遊覧&滝を見る山歩きと、それからの周辺走行だった。

            

蛍を見に行くイベントでは日暮れ前にホテルを出発、夕闇迫る中を案内されてグループで山道を十五分程歩いた。水辺と思っていたら、山の端に三々五々と光っていた。八重山姫蛍と云う陸生の小さな蛍とのことである。餌はカタツムリだそうだ。

蛍の小さな輝きを見て過ぎったのは映画「ホタル」と、先の大戦での沖縄の惨禍、数多の戦死者のことだった。映画のホタルは簡潔に云うと、特攻隊として散華した半島出身の士官の御霊が季節違いのホタルとなって現れる。そんな内容であったので、数多のホタルの輝きに沖縄戦で散華した数多の御霊と重なったのだ。

幸いにも西表島は戦禍に合わなかったと、帰りにガイドさんから聞いた。

ホテルを発つ朝、バスが出る前の束の間、浜辺に出て海に名残を告げた、津川さんの後ろ姿が何故か「老人と海」を彷彿させた。チェックアウトをフロントに告げると、支払いが済んでいた・・・。手配をした花岡さんに訊くと、予約時に振り込むシステムとかで津川さんからの気持ちだとのこと。

                  

大原港から出る船で小浜島に向かう二人を先に見送り、この日は石垣島に向かう船がすぐ近くの港、上原港から出ると云うので、これに乗船する私は二人と別れて出ることになった次第である。

南の島の風は、昔に行ったことがある二月のハワイの風と同じように感じた・・・。ハワイより砂浜も海も美しく思う。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山里の桜も終わり・・

2023-04-06 | 弁当

4/5(水)山里の桜もつかの間、漸く咲いたかと思へば早くも葉桜に・・・。かくして季節は廻り、我は年老いてゆくは世の習いか・・・。畑仕事をしてもすぐに草臥れ、作業は捗らず時間だけが経つのだ。

そんなことだが、今日の昼過ぎにミカン畑の草刈りを済ますことができた。野菜畑の準備や育苗などにかまけ、気になりながらも手付かずになっていたのだ。帰京を翌日(もう日付が変わり今日)に控えて、ギリギリでセーフと云うところ。

土曜日には西表島に発ち、帰りも東京を経由してから帰郷。丁度一週間、山里を離れることになる。東京での滞在は短く、歯科に行って一杯飲むのが精々だが、SORAの小学卒業&中学入学のお祝いだけは外せない・・・。

 

今、一番手間暇をかけている畑遊びの方は、育苗したトウモロコシとインゲンの植え付けが済んだ。ジャガイモの方は葉が成長したので一回目の芽欠きをしたところ。早生玉ネギとキヌサヤは少しづつながら収穫が始まった。

                 

畝作りはほぼ粗出来上がり、ひと畝だけ残っているホウレン草畝の整備は帰郷後の仕事になる。これからの春・夏野菜をどんな具合に配置して植えるか?楽しみでもあり悩みどころである。

育苗中の茄子・スイカ・しし唐類・カボチャ・ズッキーニなどは、まだまだ時間を要す。先行して野菜苗を買ってきて植え付け、育苗したものと比較するのも楽しみである。が、課題は田圃跡の畑は土壌が悪く、土が固くなるので適した野菜の植え付けが肝要か。

畑遊び一年生の先行きは、我が人生と同様に不透明?お先真っ暗?かな!。それを楽しんで行くのみであるが。

 

では、また・・・。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする