オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

雨と雛人形とコロナ

2020-02-29 | 弁当

2/29(土)昨夜からの雨が降りつづく小寒い朝。昨夜の鍋の汁を使った雑炊の朝食を済ますと、後の予定はなし。雨で庭仕事もできない・・・。

八時半の町内放送で「町屋雛飾り」への案内放送があったことを思い出し、USUI老を誘って行ってみることにした。雛人形にはさしたる興味はないが、イベントの一環で軍鶏鍋があるというのだ。

老と軍鶏鍋で一杯やろうとの魂胆である。となれば車の運転はご法度だ。昼に下りのバスがあるのでそれで出掛けることにした。そぼ降る雨の下で十分ほどバスを待った。

小型の運行バスの乗客は高校生と初老の男の二人だけ。バスから見える景色はどう?なんて老に話しかけながら雨に煙る川沿いを7~8分で町に着いた。料金は330円と都会に比べると高い。ここのバスに乗ったのは何十年ぶりであろうか・・・。

会場の町並み交流館に行くと、雨の所為か人の姿はなく閑散としている。運営の小母さんたちがテント張りの中で寒そうにしていた。「軍鶏鍋はあるの?」と訊くと、なんと新型コロナの影響で持ち帰り用にした小さなパックになっていた。

なんと、高知にもコロナウイルス患者が出たとのこと!。新しものスキの土佐人ゆえに何時かはと思っていたが・・・。高知市内の看護師らしいが、感染ルートは大阪から持ち帰ったようだ。古い話になるが、エイズの国内第一号も高知であったように記憶する。

これじゃ目当てにした軍鶏鍋で一杯と云うわけにいかない。わざわざバスで来る必要はなかった。交流館になっている旧市川医院跡の町屋に入り、飾られている雛人形を見るも数が少ないので直ぐに見終わった。幼稚園児が色紙で作った雛飾りも展示され、長閑である。

              

以前、長女が生まれた時に家人が作つた木目込み人形の七段飾りも数年飾られていたようだが、今は東京の長女宅に行った。孫娘のSORAが誕生したので実家から引き上げたのだ。

子供の頃、ここが医院であった時代に何度か診察を受けている。厳めしい先生であったことを思い出す。

        

夕食用にと軍鶏鍋のパックを贖って会場を後にしたが・・・。この町に昼から酒を出すような店は皆無。後から聞くと喫茶店らしきものがあるようだが?分からなかった。帰りのバス時間まで一時間以上もある。

時間を潰す場所がないのが田舎町の悲しさだ。輝ポートなる小さな販売所で夕食用にウドン ー今夜もウドンになるが、軍鶏鍋にウドンが合うと言われたのでーと、ニロギ(柊魚)、茗荷&胡瓜に田舎寿司を買い中野ハイヤーでの帰宅となった。帰りの車代は1800円也。

中野ハイヤーと云うのは、彼の渋谷の名店「奈加野」オヤジの実家。オヤジの兄は引退でその息子が後を継いでいる。明日の夜、隣町でオヤジの同級生の先輩と一杯やることになったので、その迎えも予約した。

そんな閑な雨の土曜日、帰宅後は何をするでもなく過ごしている。夕食は軍鶏鍋を煮なおすが、ニロギは南蛮漬けか?胡瓜と茗荷の酢物、老が好みと云う茄子とミョウガの酢物も作ってやるか!。

今朝の段階では、今夕はホイコーロに鯵の開きを予定していたが、我が人生と同じように目論見外の繰り返しである。飯ぐらい、どうでもいいか・・・。

 

 

 

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帰京断念!

2020-02-28 | 弁当

2/28(金) 今日の山里は昼まで陽ざしがあったが、午後から曇り空となった。天気予報は夕方には雨とのこと。日付が変わり月末を迎える時刻の今、外を見ると雨に・・・。

後、三十分も経つと月末の29日を迎え、明日は一日雨との予報。こんな日をどう過ごすか決まっていない、明日は従姉を病院に送る予定もなし。

3月3日からの帰京を取りやめることにした。家人からの勧めによるが、もともと確定申告のために短期帰京の予定だった。申告来期間が延伸されたので四月の帰京予定に合わせて申告することにした。

四月の帰京予定は、OB会の監査と監査結果を翌週の理事会に報告をするためのもので十日ほど滞在する。これだけの期間があれば確定申告はもとより、友人たちと会う時間が取れる。

東京滞在の次期に新型コロナウイルスの状況が安定し、家人の仕事への懸念がなければのことだが。今回の上京予定を断念したのも家人が仕事への影響を心配した故であるからだ。

 

それにしても学校を全国的に休校する、それも長期に渡り。どれだけの意味があるか?釈然としないのは私だけであろうか。それとも、私が危機感がなさすぎるのか?。

インフルエンザの予防注射なるものも一度もしたことがないし、罹ったこともない身ゆえに暢気すぎるのか。

これまでの人生、己の不注意の結果、幾多の心身への危機があったが凌いできた。凌げてきた故に甘さがあるのかもしれないが、この腋の甘さゆえに面白い道を歩めたのだから、今更なにをと云う傲慢があることは自覚しているが・・・。何はともあれ、衆生の安寧を願っている。

 

閑話休題・・・。今日も朝食後のひと時、庭の花壇の草取りをした。未だ陽が射している時間であり動いていると汗ばんだ。漸く三分の二が済んだ。全部が終われば、花の種を播こうと思っている。どんな花か決めていないが、コスモスの種だけは間違いなく播く!。

桜と秋桜は甲乙つけがたく好きな花。いつ時、庭には秋桜が咲き乱れていたのだが庭の改修でなくなった。亡父の最後の晩秋も秋桜が咲き誇っていた。

ある年の秋、大刀洗の施設で音楽ボランティアをするJOJIMA女史の取材で訪れた時に路傍咲いていた僅かな秋桜の群れの美しさ。また、秋空の田舎館村(青森県)の秋桜街道の景色と、秋風に揺らぐこの花のことを思う。

秋の桜は先になるが、春の桜の次期はもうすぐやってくる。今年の桜の下、人々が行き交うことができるのであろうか。行きかう人みなマスク姿なら興ざめであるが・・・。

 

最後に今日の晩飯を・・・。今夜は鍋、白菜・ホウレンソウ・エノキ・大根に豚バラの鍋にウドン。菜は「カボチャ煮」と「茄子&厚揚げ煮」にドロメと呼ぶ生シラスを土佐鶴の摘まみに。

ドロメは勝っちゃんを安芸市の病院まで送迎した際に、海岸通りのジャコの製造販売所に寄ったら有った。生シラスは足が早いので滅多に入手できない。これに柚子酢と醤油を垂らして口に運ぶと絶品なのだ。今宵も三人での食事であった。

         

 

 

 

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かくも安穏に・・・

2020-02-27 | 弁当

2/27(木) 漸く眠ろうとした明け方五時、家電が鳴った。手を伸ばした切れた。ワン切りだったが、従姉の旦那が転院したばかりもあり、急変でもしたかと気になったが、つづいて電話はならなかった。

若しかして病院まで送ってもらいたいと、従姉が来たら困るだろうと玄関の鍵を開けて電気を点けた。そして改めて布団に入ったが・・・。眠たくなった六時前、またしても家電が鳴ったが!。今度もワン切りであった。結局、眠んれぬままに起床の時を迎えた。

朝食後、散歩と映画を観に行くまでの一時間半、庭の草取りをした。漸く半分弱の花壇の草を取ったが先は長い。草と花の区別がつかなに花壇だが、今の時期から草取りをしておくと後々が楽なのだ。

今日は、大心劇場の昼の部の映画「カスリコ」を観に行く。劇場まで2Km強の距離と思うが、老は早々と一時間前に出発した。私は草引きの後始末に、切干大根の始末をしてからの外出。

大心劇場まで30分と想定して早足で進む。二十分前に出た老の姿を捉えることなく劇場に着くと、所用は26分であった。劇場の入り口で待っていた老は、45分を要したとのこと。歩みの遅い亀さんのようだ!。

映画の方は「カスリコ」といい、昭和四十年初頭の高知の賭場と、博打に沈む男の話であるが中々よかった。男の情と悲哀がモノクロの画面に展開されて身につまされる思ひ。オール高知ロケで脚本家も高知在住とか。                 

                 

上映後、館主の周吉君と少し話をした。「ガイヤシンフォニー(地球交響曲)と云う映画があるんだけど、上映したら」「龍村仁という監督の映画で、シリーズもので根強いファンもいる」と。

帰りは老の歩みに合わせてゆっくりと・・・。ミカン畑に寄って三十分ばかりゴミを燃やしてから帰宅。

                      

 

夕食は従姉の勝っちゃん来て、三人での食事。「掻揚」に「白菜と豚バラ煮」「焼鯖」「焼肉」に大根おろしとホウレン草のサラダである。飲み物は今夜もハイボールながら濃いジョウニ黒をジョッキで二杯。お開きは八時半であった。

             

 

かくも安穏な日々を過ごす山里、都会では新型コロナウイルスとか大騒ぎなのに。確定申告で来月初旬に短い帰京の予定だが、医療系の仕事に携わる家人から危ないから暫くは帰るなと言われた。何が危ないか?飲み歩く私がいると感染の確立が高い、故に自分の仕事に差し障るという尤もな応え・・・。

 

 

 

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山里の一日!

2020-02-25 | 弁当

2/25(火) 曇り空ながら薄日も射した一日で、部屋の中より外にいる方が暖かった。そんな朝の食事は、昨夜の残り物もあるボリューム満点の朝食。

鮭焼きに卵焼き、冷奴に肉じゃが・茄子味噌炒め・サラダにパッションフルーツに金柑の甘煮&バナナにヨーグルトが掛かったデザートとなった。

遅めに斯様な朝食後、庭の草引きを少しばかりしたら従兄&従姉を病院まで送る時間がきた。草は今の次期から取っていくと後々が楽なのだ。

病院に送り届けてから、USUI老と畑で焚火と散歩をした。今日の散歩コースは、川沿いを上流に向かい2kmほど先に在るバナナの様子を見ることにした。

             

バナナの樹は枯れそうになりながらも青くて小さな房を付けたままであった。これから先どうなるのか?。

滅茶暖かくて老は十分も歩くと汗を掻いたと言い出す。10cmだけ足を伸ばすつもりで歩きなさい!なんて言いながらヨタヨタと歩く。私の背なも汗ばんでくるような陽気になっていた。

もう少し上流まで足を伸ばしたかったが、老のギブアップで与床橋を渡って県道沿いに畑へと戻った。焼き芋の焼け具合みると、未だ焼けていない・・・。枯れ枝足して火力を上げた。 

焼きあがった小さな芋を食し「うまいねぇ~」と、目を見合わせた。久々の一時間半弱の散歩で疲れた所為もあろうが美味かった。

               

汗か掻きの老を先に風呂を使わせ、こっちは夕食の準備だ。散歩しながら今夜の夕食は「野菜中心でいくよ」と宣言していた。

その通りに、大根煮、ホウレンソウのお浸し、里芋煮、竹輪胡瓜のミニトマト添え、胡瓜と茗荷の酢物、大根下ろしと、野菜料理?のオンパレードである。

         

今夜も濃いハーボールを飲みながら野菜尽くしを楽しんだ次第。

 

 

 

 

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穏やかな一日

2020-02-23 | 弁当

2/23(日) 今日も朝からいい天気になっていた。八時ごろから朝食の用意をする。朝食はパン、食パンではなく塩パンというロールパンの大きなようなもの。ホットドッグのような仕様にした。野菜のスープにホットミルクとサラダ、デザートの朝食であった。

天気良し、切干大根を日向にだしてから畝を耕しなおしてジャガイモを少し植えた。それからホウレン草を間引きし茹でる。冬とは思えぬ陽気に誘われてミカン畑で「はるか&ネーブル」を少しばかりだが収穫。

山里の空気は澄み渡り、川の流れも清冽で春の足音が聞こえるような穏やかな一日であった。

            

今夜の夕食は「ハンバーグ」に「子イカと野菜のソテー」、小鉢は「大根おろし」と「ホウレン草のお浸し」、買ってきた焼鳥にホンマ物の焼き鳥を添えた。漬物や昨夜の残り物などが並び、ご飯は頂きものの「赤飯」。

               

土佐鶴の新酒をぬる燗でいただきながら、穏やかな一日が過ぎていく・・・。

 

 

 

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田舎なればこそ!

2020-02-20 | 弁当

2/20(木) 今宵も酒を飲み、愉しい歓談の時を過ごした。ひと休みして風呂に浸かり、CDを聴きながらBLOGを記す時間となった。

CDは同じものをここ二週間も聴き、そして眠る。懐かしい歌い手が、懐かしの歌を唄う。冒頭の曲は菅原洋一の「今日でお別れ」、西田佐知子の「女の意地」につづく。今流れているのは日野てる子の唄う「夏の日の想い出」・・・。

かくも、のんびりとした時を過ごす日々である。漸く酔いが覚めてきたようだ。

朝の日常を済ませてから、昼前に安芸市まで買い物に出ようと老に言った直後、従姉のサッチャンからの電話。何かと思いきや、従弟のISAOが飲みたいと言っているがいいか?とのこと。否応はないさと応える。更に、従兄が大根を引けと言っているとのこと。

冬大根も収穫期を過ぎようとしている。全部抜いて切干にしろと云うことらしいが、そんなには要らない。始末に困るので、従兄の畑から六本ばかり抜いてきた。

買い物に出るのを遅らせて、先ずは大根の始末と切干用に大根を切ったが、どの程度に切ればいいか?。適当に切り、箙(エビラ)に広げた。上手く出来るかは神のみぞしるだ!。

               

そんなことをしているうち、ISAOが猪鍋用の一式、猪肉に豆腐・ネギ・蒟蒻を持ってきた。ISAOは猪の罠猟をしており、猪肉を地場産店に出している。持参した猪肉をスキ焼にしてくれとのこと。

そんな一幕があってから買い物に出掛けた。すっかり遅くなってしまったが。先ずは、安芸市の地場産店にて野菜(ニラ葉・チンゲン菜・漬物)を買い、スーパーにて肉類を。そこから何時もの寺尾鮮魚店で、今夜のために刺身とウルメイワシを仕込んだ次第。

帰宅してから早速に夕餉の準備に入った。大根のオデン煮、ウルメイワシの酢締め、鮎の甘露煮。メインの猪肉のスキ焼を仕込んだ。

すっかり準備を整え、ISAO夫妻を待つが遅い!。老と先に始めようと、今日買ってきたウイスキーをソーダ割にしてやり始めたのである。

テーブルの上に前記に加えて白菜の甘酢漬け、鯵の南蛮漬けも並べて待った。

                 

やがてISAO夫妻が来て、従姉も姿を見せて賑やかに食事となった。ビールに燗酒と進み、猪猟のことなど訊くと、今年は13頭とのこと。数年前には36頭も獲ったことがあるが、最近は猪が減っているとか。

車の運転手役となるISAOの奥さんには、炊き立ての「ウニ飯」を出した。札幌のTAKASHIMA女史から先日届いたウニ飯の素で炊いた代物だ。

ほろ酔いのISAOから本業の茄子の値段や、鹿の捕獲など聞いているうちに、昨年の今時分に来高して罠猟に同行したTUGAWAさんの話になり、電話をした。早くおいでよと!。

 

こんな夜を過ごせるのも田舎なればこそである。長い間留守にしていた郷里であるが、従兄・従姉・従弟や妹夫妻があればこそ、こうした時が過ごせる。感謝するしかない。

切干大根を干しに出た庭先の池に、アヤメが一輪咲いている。一月に咲いた一輪のアヤメが枯れ、その後に咲いた一輪が紫の花弁が綺麗だ。母が好きだったアヤメの花だ。

                 

冬の庭に咲き続けるのは母の魂魄か。思いを残して至らぬ息子を見守りつづけようとしているのか。嬉しい限り。今夜も貴女が大好きだった兄の息子が来てくれたよ・・・。

 

 

 

 

 

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笑うしかない日々

2020-02-19 | 弁当

2/19(水)今日も朝からの青空ながら、風が吹く寒い一日であった。何時もとおりの朝の日課を済ませると暇になる。昨日は月曜日に出来なかった掃除をしたが、今日は予定なし。

実家の整理は未だ手付かずのままだ。暖かくなってから掛かればいいと、高を括っているのでそれまでは呑気な日々。

然し、こうも同じことの繰り返し。天気が良ければ畑で焚火、焼芋などをして過ごしてから散歩。そして、車で45分程度かかるボートレースチケットショップ土佐に時折遊ぶ。

他には日々の飯作りだけである。こうも単調でだらけた日々の繰り返し、笑ってしまうしかない。飯作りも、今のところはたっぷりとある野菜尽くしである。

大根・白菜・キャベツに茄子と、従姉や地物のハウス栽培の野菜に事欠かない。が、数週間もすれば旬が終わる。それまでのことだろうが、自分が蒔いたホウレン草が生育するので、早晩ポパイになってしまうかも?

飯の方は、朝はトーストにすることもあるが、菜は三種類以上で暖かいスープか味噌汁、デザートが付く。夜は野菜の煮物を中心に、鍋物や小魚など数種類。晩酌は燗酒や焼酎、ハイボール。寒いのでビールはまれである。

今夜のメニューは「鶏スキ焼」「キャベツ煮」「豚バラ&野菜の鍋」「春雨の胡麻和え」、定番ともいえる「大根おろし」。それに、ローカーボの濃いハーボールが顔負けするくらい濃~いいハイボールをジョッキで頂いた次第。

            

上の写真は、今夜と前夜のメニューだが似たようなものだ。

 

斯様な次第の日々を過ごしている。笑ってしまうしかなかろう、バカなオヤジだと。

余談ながらバカ話を一つ。月曜日の夜に奈加野のおやじから電話があった。「おーい、どうしよりゃ」は土佐弁。なんにもしてないよ、畑で焚火に焼芋の日々だよと、応じた。

時折こんな電話を寄こす。私からの応えは「店はどうなの?もうかりゆうかよ」である。月曜日の電話は、平和島のボートレースで十万ばかり取ったとの自慢。これまで散々負けていたが、漸く賽の目が変わったかと、お祝いを申し上げた。

そんな電話を貰った昨日、暇なので買い物ついでに老と二人してボートレースの舟券を買いに出かけた。結果は・・・、一勝四敗!。ながら、この一勝でガソリン代と買い物代金が出た。これで三連勝、私の賽の目にも春の兆しか?。

と、まあ、笑うしかないおバカな日々であります。

 

 

 

 

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主夫業

2020-02-17 | 弁当

2/17(月)昨日とは変わり、朝日の当たる朝であったが、強風が午後までつづいた。月曜日なので掃除の日なのだが・・・。

洗濯と朝食を終えてから、昨夜から膝の痛みで動けなくなったという斜向かいに住む従姉の様子を伺うと、痛みは和らいだがと言いながらも臥せっていた。

従姉の次女が来て畑の大根や白菜・キャベツを抜いていた。育ち過ぎて花が咲くまでになっていた。つられて私は、隣の畝の自分が植えたタマネギやネギに化成肥料を追肥した。

育ち過ぎの大根と蕪を幾つかと、キャベツ&白菜も頂いてきた。掃除は後回しにして、大根を三本、初めて切干にした。蕪は千枚漬けにした。そして、老が美味しかったと云う白菜の芯を中華風甘酢漬けに。

従姉の昼のおかずも兼ねて茄子と油揚げの煮物を作る。そんなことをしているうちに昼になり、掃除をする気分は失せてしまった。

風が弱まった午後、老を誘ってカニに餌をやりがてらに歩く。天ぷらにすべくフキノトウを探すが、薹が立ったものばかりで少ししか採取できず。

夕食のおかずも届けると従姉に言ってあったので、早めに台所に入り夕食の準備に入った。

献立はスキ焼に天婦羅、里芋の煮っころがし、朝に用意した茄子煮に、昨夜仕込んだ鯵の南蛮漬け。番外は大根おろしとサラダ。

スキ焼は土佐風にニンニク葉をタップリと、春菊に糸コン、豆腐を加える。天ぷらは、掻揚にフキノトウ・サツマイモと茄子を揚げた。少々作りすぎの感あり!。             

従姉に届け、後は老と二人の夕食タイム・・・。寒い夜は燗酒と、土佐鶴をぬる燗にして頂きながらの夕食。

老の食が細くなり、余り食べない。こんなに残ってどうすんだ!。

               

 

食事テーブルの隅に花瓶を置いている。花が散った梅の小枝にボケが一枝。午後の散歩で切ってきた菜の花の黄が鮮やかである。 

                

花のある暮らしはいいね。仏壇と床の間には花を欠かさないようにしている。暖かくなったら庭に花の種を播こう!。

               

         

 

 

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お祝い会へ・・・

2020-02-16 | 弁当

2/16(日) 昨夜から降り出したであろう雨が、今朝も降りつづいていた。そして、その雨は一日中降りつづき、午後には風も強くなった。

そんな一日の夕、室戸まで出掛ける用があった。室戸港の直ぐ上で化粧品など扱う店を親の代からやっているYAGI先輩が市の市民賞を受賞し、そのお祝い会に出席するため。

五時、妹と出掛けた。行は私が運転をし、帰りは妹の運転である。妹を同伴するのは、お酒を飲んだあとの運転手としてだけではない。YAGIさん一家とは、親同士が親友で親戚同様の付き合いであった。そんな関係から妹も一緒に行くことになった次第。

室戸市の老舗料亭「花月」がお祝い会の会場。室戸も他の地方都市と同様に昔の面影はないが、それでも老舗の料亭が残っている。

料亭の二階、大広間に大勢祝い客が集まつていた、。座敷のテーブルには室戸らしく大鯛の生け作りや、大金目の煮付け、握り寿司やクジラの煮物、大ぶりに切ったカツオ叩きなどが並んで豪勢である。

会の発起人の挨拶で功績の紹介に始まり、市長や商工会長の祝辞、地元選出の県会議員による乾杯の発声とつづき宴となった。

          

YAGIさんは商工会長や観光協会副会長と長年にわたり市の繁栄に寄与されての受賞。ご両親が存命であればどんなに喜ばれたことであろうか・・・。

YAGIさんは大学では一級上で、学生時代の東京でも行き来をした仲である。ご両親が上京すると、いつもご馳走になっていた。室戸に行けば地元の海産物を馳走になりと、感謝するばかり。その一人息子のお祝い会、なにがあろうと出席をさせて頂く。

             

上座の諸兄に酒を注いで挨拶をし、改めて伺う旨を伝えて、ちょっと早めに失礼をさせて頂いた。祝宴は佳境に向かっていた。

 

 

 

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今夜はキーマカレー・・・

2020-02-16 | 弁当

2/15(土) 父親の介護に帰省していた従姉の長女が明日、埼玉に帰るというので晩飯を一緒に摂ることにした。一時危惧された父親の容態が安定しているので、仕事のこともあり帰るとのこと。

そんな今夜の夕食は「キーマカレー」。老からカレーを食べたいとのリクエストがありキーマカレーにしたのだが。一言加えると、私はカレーを好まない。それを敢えて作ることにした。

とは言いながら、これまでタイカレーを始め種々カレーらしきものは作っており手順やレシピは記憶に在るのだ。

もう一人の従姉が昼前に姿を見せて「私も来るきに、旨い猪肉を貰たったのでそれも煮て頂戴」と云う。結果、今夜の夕食は五人で摂ることになった。

何人来ようが大したことはないが、人数が増えたことや猪が加わることでメニュー構成を変えることにした。当初は、妹から「甘露煮にでもしたら」と貰った冷凍鮎の甘露煮、フキノトウの天婦羅などを考えていた。

午後、老と「キラメッセ室戸」までドライブがてらに出掛けた。夕食用の食材を見繕ったら、鯖・鯵・が安かったのと、鰆の切り身をヌタで食すべく買った。鯵は南蛮漬け、鯖は塩をして干し、後日のおかずにすべく。他に仏壇用の花木、鍋用の葉ニンニク、焼芋用に小さなサツマイモなども贖った。

朝からの曇天が、何時のまにか薄日が差して暖かくなり、車内は暑くなった。帰路、奈半利駅の物産店、田野町のスーパーにも寄り諸々を買い、三時前に帰宅。

仏壇の花を取り換えてから、畑で買ってきた少しばかりのネギの苗を植え、ホウレン草を間引いた。そうこうするうち、五時前となり夕食の準備をする時間になっていた。

従姉が持ってきた脂身がたっぷりの猪肉を茹でてあく抜きしながら、一緒に煮る大根を切る。キーマカレー用の人参・タマネギ・茄子を刻む。ホウレン草を茹でて胡麻和えに、魚の処理は最後に・・・。

夕食の準備が整い、四人が揃ってグラスを上げてからも魚(鯵・鯖)の処理が未だであった。勝手に喰ってくれと、鯵の南蛮漬けを作り鯖を三枚におろして塩を振った。

鯖を下ろすと、腹の中から小魚が出てきた。可哀そうに、捕食した餌がこなれないうちに獲られてしまうとは!であった。鰺の頭やサバの骨は藻くずカニの餌にする。喰い喰われ、諸行無常と云うところか。吾もまた然り。

               

ともあれ、皆が美味しいと食してくれたのは何よりである・・・。

            

 

 

 

 

 

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