オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

早や、月末・・・

2022-09-30 | 弁当

9/30(金)今日は金曜日で、かつ月末となった。朝夕の涼しさに秋の気配を実感する。海の向こうでは、大谷選手が15勝目を賭けた試合が始まる時刻だ。

今朝も弁当を作り終えてから朝食、慣例のビールを控えたのは昼過ぎに上野駅で清田さんと高橋君と会って昼飲みがあるから。それに、夕刻には人形町でナチュラル社時代のメンバー数人と飲むことになっており、Wヘッダーに備えて体力温存である。二刀流の大谷君には敵わぬが向こうは仕事、こっちは遊びだから致し方にない。

朝食の後は部屋掃除にシャワーと、外出に向けて万全である。外出前にここ数日のことをアップし振り返ることとしたい。

27日の火曜日、網代さんと人形町で会ったのは五時前。六時半「うまし」でスタートの、N社時代の後輩たちとの歓談に先立ってのことだった。二人で「高松」に向かった。高松に入ると、網代さんは二三度きていると云うが、こっちは覚えてなかった。近況を聞いてからは、お決まりの昔話になる。共に過ごした二年弱、その前の二年ほどの課は違えども同じ部で過ごした忙しかった頃のこと等。

一時間半ばかりの間に網代さんは酔いが回った様子。帰りしなに、見送りに出た女将と並んで座りご機嫌であった。「うまし」では、水島・須賀氏に遅れて関根さんが加わり五人での歓談。楽しい会であったが、網代さんがチャンと帰れたか心配した。

               

28日水曜日は横浜・桜木町駅にて岸本大兄と会い、野毛通りの飲み屋街を散策。カウンターだけで女将が独りで切り盛りする店で歓談。何時ものようにご馳走になりお土産まで頂戴した。暖かいご厚誼に深謝するばかり。

                

29日木曜日、ナイターはお休みで昼間にコーヒーを飲みながら岡崎氏と歓談。氏の会社が在る東高円寺まで遠征。タバコが吸える昔ながらの喫茶店で会長職となっている氏の心境、仕事への懸念など聞きながら一時間ばかりを過ごした。

             

夕方前に帰宅してから夕食の準備。この日は「タイカレー」がメイン。チキンソテーに野菜サラダとスープのメニュー。長女一家が食事来て賑やかであった。岸本田大兄からの「空ちゃんへ」のお土産をデザートに頂き孫のSORAが喜んでいた。

 

30日金曜日、今朝の弁当は昨夜のタイカレーがメインで、豚小間の中華風炒めに水餃子に卵焼きと、至ってシンプルなものになった。カレーは長女のリクエストで、そんなことも踏まえて多めに作っているのだ。

              

 

明日の土曜日、赤羽で千ベロ(千円で酔っぱらえると云うのが語源)会と云うことになっている。正午に赤羽駅集合し、界隈の酒場を歩くのだがこれが大いなる混雑ぶり。そんな人ごみの間を縫って、岩瀬さんの案内で店を渡り歩く。何軒回るのか?回れるのかだが、前回は四軒だったはず。

因みに今回の参加予定者は、ツアコンの岩瀬さん、高松夫妻、保谷兄貴に沼田さん、不詳私の予定である。

コロナが心配?そんな声も聞こえてきそうだが、今のところ誰も罹っていない。私なんぞは、二日前のPCR検査結果が昨夕に届いたが、またしても陰性であった。ボートレースも宝くじも当たらぬ輩に、コロナ金が当たろうはずなし?。

と云うことで、今日も元気に行ってまいります!。

 

 

 

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酒場

2022-09-27 | 弁当

9/27(火)東京に戻って堰を切ったかのように酒場、連夜の酒場通いが続いている。毎度のことと云え、草臥れるのは齢の所為か。夜毎夜毎由、体と財布の両方が草臥れるのも頷けよう。

働きもせぬ者がこんなことで良いのか?、なんてことはこれっぽっちも頭にないが・・・。そろそろ生き方を変えてもいいころかもしれぬと思いもする。要は人生のパターンを変える、何時もの通り道じゃない道を歩くと違った景色に出会えると同じにように・・・。

と云うことで、年内はこれまでと同様に酒場通いに勤しみ?、年が改まれば(そこまで生きてるか分らぬが)、心新たに違う道を歩みたいものだ。田舎で野菜作りを本格化するのも一つの道かな!。ならば、従兄が作っていた田圃も荒れないだろう。

 

こんなことを記しながら、今日も間もなく外出だ。今夕はサラリーマン時代、東京支社広報宣伝部に在籍した時のメンバー数人と歓談する。店は勿論、人形町で今宵は「うまし」さんに集合だが、実はその前にAJIROさんと五時に待ち合わせて先行飲みする。先日彼から、新生姜とシソの実を送っていただいた。生姜佃煮、シソ味噌にしたが、これが絶品、御礼を申し上げなくてはならない。TUGAWAさんから預かっている與邦国島の塩も忘れずに渡さねば・・・。

            

                弁当にも使ってますよ~!。

で、今夜も飲みます。多分「高松」で先行飲みしてから「うまし」さんに行くことになろう。「高松」と云えば、昨夜は中学の同級生OGAWA君と「高松」で飲み、HOYA兄いと店主のミッチャンが加わり二軒、三軒と流れた。帰宅は零時丁度だった。今宵はその轍は踏まぬ所存・・・。

 

酒場通いから歩くルート(人生道)を変える意味もあり、これまでの酒場通いでのあれこれを記してみようと思う。失敗から笑い話、はては恥じの上塗りをするようなことまでなるべく事実をね。始めて十数年になるBLOGには何度か記したこともあるので重複するであろうが、それはさておきだ。

 

今日の最後に記すのは「今月のPCR検査回数は五回」、昨夕にも前日の検査結果が陰性と届いた。中二日置いた明日も検査する予定。皆様の幸せのためにネ・・・。一寸記したいことがあったが時間だ、外出の。

では、今日も元気に飲んできま~す。

 

 

 

 

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ここ数日のこと・・・

2022-09-19 | 弁当

9/19(月・祝日)ここ数日のことと、今日のタイトルを入れたが、昨日の日曜日は雨で一日中部屋に垂れ込めて過ごした。今日も台風の影響で悪天候の様相。昨日同様に過ごすことになりそうだ。

先ほどAJIRO氏から電話があり、27日の懇談は人形町「うまし」ということにした。田舎の妹に電話をし、台風の様相を訊いたが大したことはないとのこと。ながら、停電が続いているとのことである。

熊本・佐賀や福岡、山口、広島の友人知人のことも気になるが・・・。安泰・無事を願うしかない。

で、ここ数日のこととは木曜・金曜・土曜日のことである。

木曜日の夕、五時過ぎから人形町「うまし」にてAOKI&NUMATA氏との懇談。AOKI氏は九月七日から高知に来たいとのことであったが、私が八日に帰京するので日を改めることになった。その際に「帰京したら一杯やりましょう」ということに。

歳も近く仕事の面でも交流を密した方が良かろうと、新規事業助成金申請の件で縁が出来ていたNUMATA君にスケジュール調整などを頼んだ次第。話好きのAOKI氏はよく喋り、私はほゞ聞き役に徹した。

TAKAHASHI氏の区長選が縁で結婚し、尻に敷かれている?と云う、奥さんの話になり「それじゃ呼んだら」とけし掛けて、愛妻も登場となった。「こいつ、猫被ってる」と愛妻をさしながらも、ひときわ元気になっていた。それを聞きながら、奥さんはニコニコと笑っている・・・。

焼酎・ハイボールとそれぞれに俺のボトルで賑わい、二次会は「中華・三浦」へとなった。以前に紹介してから馴染となった様子。ラストオーダーぎりぎりに三浦に着いた。三組ほど客が残っていたので、繁盛の様子!。

「三浦」では、人気の餃子・叉焼を摘まみながら焼酎ソーダ割、私は辛ラーメンを頼んだが、AOKI夫妻は普通のラーメン。前回の案内で青唐辛子ラーメンを進め、余りの辛さに参ったとのことである。此処でも賑やかさは変わらない・・・。飲めば飲むほど元気になる楽しい人である。

              

そんな時間を過ごし、客の姿も絶えたのでお開きにした。三浦の店主とハグをして店を離れ、AOKI夫妻ともサヨナラした。人形町駅に向かうが、NUMATA君の誘いでもう一軒となった。以前、NAKAMURAさんが階段で尻餅をついて、尾てい骨を痛めたマッスル系が集まると云う店に入り、席の後ろにぶら下がっていたサンドバッグにエンビを打ちながらハイボール。一時間弱で店を出たが・・・。

処が、目の前にあるスナックに入ろうと、「カラオケ」もあるからとNUMATA君が離さないのだ。確かに、話があるのは分かるが・・・。既に酔ってるからね・・・。とは云いながら、酔いにまかせてもう一軒となった次第である。

店のアルバイトの姉さん、と云うよりは小ネエさんにいい加減なことを喋りながら時間を過ごす。懐メロを二曲ばかり歌って(ガナって)、時間を見ると零時前だった。店を後にして、ようよう駅に辿り着き終電に間に合った。ここまでは良かった。

日比谷線中目黒行きの終電に乗って目が覚めると(起こされると)中目黒駅、ここで東急・東横線に乗り換えて二駅目が我が学芸大学駅。ホームにぞろぞろと終電客が降りる。が、ホーム反対側に入るはずの東横線を待つ気配なし?。一様に改札へと向かう階段を下りて行くではないか・・・。

ハタと思い出したのは、JRや私鉄の終電時間の切り上げをニュースで見た記憶である。メトロと東横線が連携してなかったのだ。最後の一人になって階段を下りた、痛む膝を気にしながら・・・。以前は、深夜の一時前が東横線の最終であったし、メトロの最終の後に入ってきたが・・・。田舎者になった俺、浦島太郎の俺様だった。

これじゃタクシーも捕まらない、路地を抜けて駒沢通りに出てから下り方面へとトボトボ、ヨタヨタと歩く。しかないのだ、膝の痛みに耐えながら・・・。空車の赤ランプ車はすべて上り、下りは青いランプの終列車ならぬ客を乗せた車ばかり!。

以前は朝晩の通勤時、学芸大学~中目黒間はスタスタと歩いた。行き帰り、どちらか必ず歩いた道だったのに。そんなことを思いながら、後ろを振り返り振り返りする。タクシー来ないかな?・・・。

僥倖には祐天寺近くまで(道程の半部くらい)来た処で遭遇した。なんと、すぐ目の前でタクシーが止まり、客が支払いを始めたのだ。助かったねぇ~、乗り込んでそう言うと、運転手も「私も助かりましたよ、すぐにお客さんがあって」と応じてくれた。と、云う次第で、帰宅は深夜一時半になっていた。

翌金曜日、弁当は作ったものの体調は今一つ、体が重い。この日の弁当、家人は忙しいのでオムスビ一個にしてと云う。長女の弁当は何時もと同じだが、一つ弁当じゃ力が入らないねぇ~。てなことで、味付き焼き肉、冷凍餃子を水餃子にし、インゲン・小松菜の煮浸し、卵焼きに銀鱈の粕漬焼き。残った菜を肴に、缶ビールを頂いて前夜の渇きを癒した。

                  

金曜日の夕は「高松」にJINパパ、HOYA兄、NAKAMURAの各氏との懇談。五時過ぎに店に入ったが、前夜が災いしてかお酒の引きが悪い。悪いながらも、何時もの金魚割に、兄いが頼んだ燗酒を頂く。「これから酒が旨くなるね~」などと云いながら。

一時間ほどしてNUMATA君が知人を連れて姿を見せた。処が席がない、空いてないのだ。高松は人気店だからネ。前夜に誰か(会わせたいと)連れ来ると言ってはいたが・・・。後ほど「こま吉」で合流することになった。

頃合いとなり、皆でこま吉へと流れて合流。NUMATA君の同業で今度一緒に仕事をする予定という方を紹介される。この人は明日からロンドンの展示会に仕事で出かけるとのことであった。ワイワイと話が飛び交うも酒を美味く感じない。そんなこともあり、九時前にお開きにした。HOYA兄いとNAKAさんはガレージ、NUMAちゃんたちはガタゴトへと流れ、私とJINパパはメトロ駅となった。

 

 ― 数年ぶり、渡邊一雄さんに会う ―

そして土曜日、都営大江戸線「勝どき駅」へと向かうため、十時半過ぎに外出。日比谷線六本木駅で大江戸線に乗り換えた。11時23分「勝どき駅」着。A1出口にあると云うドトールコーヒー店へと。

ドトールの前に着くと、向こうからTUGAWAさんが何時ものカートを引いてやってきた。間を置かずWATANABEさん(ナベさんと呼ばせて頂く)が、信号を渡って手を振りながら杖を片手にして見えた・・・。

以前より一回り以上小さくなっていたが、声と顔の艶は変わっていない。挨拶もそこそこに「何を召し上がりますか?焼肉と蕎麦の旨い店がありますが、どちらにしますか?」と訊き。話は店に入ってからゆっくりとしましょうという。

駅ビルとも云える二階の蕎麦店に向かうことになった。未だ準備中の札が出ていたが、馴染の店らしく「電話してありますから大丈夫」と店に入る。席に腰を落ち着け、改めて久しぶりです。お元気なご様子でなによりですと挨拶をした。

渡邊一雄氏(通称ナベさん)、1990年代の初頭に企業&人の社会貢献活動の大切さを説き始めたのはこの方が最初ではなかろか。バブルが弾け始めた頃、私は企業の社会貢献推進室に勤務した。そして、大手電機会社の企業人でありながら社会貢献活動の旗を先駆者として振っておられたナベさんにお会いした。

ナベさんの講演、セミナー、著書やビデオにも幾度となく触れ啓発された。あれから三十年となるが、そんな古いことと思えない。初めてお会いして以来、サラリーマンを辞めてからのナチュラル社時代も何かにと厚誼に与ってきたからであろう。

ナベさんは会社人から大学教授、福祉施設の理事・施設長、講演活動等々幅広く活躍されてきた。一緒に仕事ができればと思っていたが、その機会がないままであった。

ナベさんからのお誘いで幾度も酒席を同じくしてきたが、数年前に奥様を亡くされた。またご当人が二年前になるか、難病に侵されて長期の入院、リハビリを余儀なくされた。

元気になられたら一杯やりましょうと連絡をしてから半年が経過し、改めてメールをしたところ数日前に元気な声で連絡を頂き、ナベさんの地元でこの日の再会となった。

闘病生活のあれこれ、最近入居したという老健ホームでの暮らし、これからの講演予定、思い出話しと尽きない。声の大きさは変わらないが、酒量、一回り小さくなった体と杖、老い往く姿は否めない。我が行く末に重ねるばかりだが、斯様に強靭には生きられないな・・・。

                  

八十六歳の老人の逞しさに敬服するばかりの時間であった。

 

二人と別れ、近場に住むNUMAちゃんと合流して佃島を少し歩く。途中で終わっていた先日来の件、今後の仕事のことについて内容を詰めるように伝える。佃煮を少し買ってから、佃大橋を渡って築地駅へと向かう。蒸し暑い・・・汗が、酒の所為か?、膝が・・。

              

以上、取るに足らぬここ数日の出来事?でした。

 

 

 

 

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弁当作り&酒場

2022-09-15 | 弁当

9/15(木)帰京後一週間、先週の木曜日に東京に戻ったが、この間に友人を訪ねて岩国、そして歯科・眼科と行ってメンテナンス。順調な滑り出しか?。

平日の弁当作りも復活、併せて夜の散歩も何時ものように始まっている。コロナのPCR検査は二度受け、いずれも問題なし。今日は三回目を外出前に受けるつもりだ。検査は簡単だし、駅前なので便利。中二日置けば何度でも受けられる上に、都度500円の区内で使える商品券をくれるのだ!。

この500円商品券、自分が払う税金からと思えば「無駄なことをしやがって」と腹立たしいが…、精々税金の払い戻しに協力して区内商店の売上に貢献?するか。そんな心境と相俟って、夜の散歩も大手を振れると云うことだ。

今週は昨夕は家ご飯。在宅すると長女一家が食事に来るので、夕食は「春巻き」「トンカツ」などの揚げ物が中心。沢山作って、今日の弁当にも流用するという次第。何しろ、春巻き20個にヒレカツ・ナス・インゲンのフライと、サツマイモの天婦羅。鮎の塩焼きに味噌汁、野菜サラダであった。残りますよ!。

今週の夜の部は、月曜日は長女の誕生日祝いで地元の「キャベツ亭」なる店で、肉やお好み焼きでの食事会だったが、呼ばれていった素浪人の財布が軽くなると云う結果に・・・。

火曜日は、石原町(墨田区)の居酒屋で四半世紀以上前の職場のメンバーと17時~歓談。前回の帰京の折に時間が取れんかったお詫び方々である。

この「鳥義」なる酒場に呼ばれたのは二度目か?。御徒町からバスを使ったが、最寄りバス停まで車窓から見える街に新鮮な思いがした。バス停を下りて、家並みの上にスカイツリーがそそり立っていた。

           

「鳥義」を二時間半で失礼してから、人形町にてHOYA兄いと「高松」「こま吉」と散歩、NAKAMURAさんが見えたところでバトンタッチした。

今日は「うまし」にて17時スタートと、NUMATA氏から連絡があった。司法書士のAOKI氏を迎えての懇談。そして、明日は「高松」からだが、JINパパを迎えて何時ものメンバーとの懇談である。

火曜日から今日までの弁当は、次のとおりだが、代り映えしないね!。残り飯の炒飯、焼き肉・すき焼き風煮、魚は粕漬や、干物焼き。定番の卵焼きに蒲鉾、ナス味噌炒め、小松菜煮浸し&油炒めなどでした。

    

        

    

 

 

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帰京後・・・

2022-09-12 | 日々の暮らし

9/12(月)先週の木曜日、予定どおりに帰京。翌、金曜日の夕は歯科検診後「うまし」にて何時ものメンバーが揃って歓談。翌日から岩国に一緒する同級生のHOSOKAWA君もチケットを受領がてらに参加した。

「うまし」から「こま吉」へ、最後は「ちょっぷく」でお開きにした。翌朝が早いフライトのため、23時前に帰宅した。

                

そして土曜日、羽田空港9:05分発のANA便岩国行にHOSOKAWA君と搭乗した。着陸前のアナウンスで「軍事上から空港の写真・ビデオの撮影はできません」との注意が流れた。米軍との共同利用?と云うより、民間機が利用させてもらっているだね。米軍のオスプレイヘリが多数並んでいた。

岩国空港と云えば、先の大戦の折に亡父が所属したのが岩国が本隊の海軍航空隊だった。ここから敗戦濃厚な五月下旬、練習機も底を尽き、教官たちも教えるものがなくなったと串良航空基地(鹿屋の隣)に特攻隊として行ったと聞いた。当時の錦帯橋辺りでのセピア色した写真が数枚残っている。

そんなことも思い出さす中、岩国空港に着いた。

空港で同級生のHAMAOKA君が迎えてくれた。彼の車に同乗して、リクエストしてあった周防大島(屋代島)へと向かう。多分一時間ぐらいの行程であろうが、途中の道の駅でボリューム満点のランチを食した。

                 

               これに天婦羅、コーヒーがついて1300円

島へは大橋を渡る。この島へは十年ほど前になるが一度来ている。情報誌の取材と、島出身の民俗学者・宮本常一さんへの憧憬だった。

                    

宮本常一記念館、星野哲郎記念館、戦艦・陸奥記念館と巡り、おおよそ島を半周して、岩国市のホテルに入った時は夕刻であった。

町役場の支所の中にある宮本常一記念館は、以前訪ねた時より整理されて随分と綺麗に、かつ見やすくなっていた。

                

支所の隣に在る星野哲郎記念館は瀟洒な佇まいで、館内は簡潔に整理されており心地よかった。TV番組制作を生業としているHOSOKAWAは大喜び。週明けの番組収録にゲスト出演するチータ(水前寺清子)と、作詞家が一緒の写真を前にして「話のネタができたな」と!。

           

私は私で、前回訪問した折に島に帰っていたTUGAWAさんの元スタッフJUNKO女史や、島出身の先輩・後輩たちとの思い出が甦った。

友人の案内で夜の市内を歩き、予約したあった酒場にて地酒を飲み比べながらの歓談。半世紀以上も前からの友人である。話は尽きない・・・。

翌日の日曜日、もう一つの楽しみであった鉄砲隊の演習(練習)を見物させてもらった。朝のうちは生憎の雨模様であったが、十時ころから上がった。隊のメンバーであるHAMAOKA君から実施するとの連絡をもらい会場の錦橋下公園に向かった。

昨年の秋であったか?、我が田舎に参集した折にHAMAOKA君が古式の鉄砲隊に参加してるということを話した。それじゃ見なくちゃ!と、いうことになっていたのだ。

鉄砲足軽の姿で公園の一角に現れたのは十数名。隊長の指揮のもとで、戦場に倣った形式での試射(勿論空砲)が三十分ほど展開された。黒色火薬の臭いと、爆音が響き・煙が漂った。

          

岩岩国藩吉川家の鉄砲組は、四境戦(長州征伐)の折に出撃したと、令和の隊長は訓示していたが・・・。また、かつての組員は250人と云うが、令和の隊員は三十数名とのことで維新は遠くなりにけりだ。

鉄砲はすべて二百年以上も前のもので、美術工芸品としての登録がされているとのことです。

 鉄砲組の演習を見学後は、短い時間遊覧船に乗って舟遊びの気分に浸り、錦帯橋を渡って汗を掻く 。錦帯橋を渡るのはこれで三度目となるか・・・。    

そんな短い、旧交を温めた一泊二日の旅。日曜日の午後七時過ぎに羽田空港に戻った。妙に草臥れ感があった。

 

さて、弁当の方だが。帰京した翌日の金曜日と、月曜日の今日の二回だけである。テーマが弁当BLOGなので一応掲載します。

         

 

 

 

 

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帰京前日・・・

2022-09-07 | 弁当

9/7(水)早いもので、朝夕は秋の気配が濃厚になってきた。とは云え、日中はまだまだ夏そのもので暑い。台風の影響も少なくて、川は少し水嵩が増しただけである。

愈々、明日は帰京となる。二ヶ月足らずの田舎暮らしから東京に戻り、ひと月ばかり過ごせば舞い戻ることになるが・・・。東京に戻ったところで、やることと云えば馴染の酒場で友人たちと与太話で過ごすことが殆ど。後は家族の弁当作りくらいである。

そう思えば、この田舎に居ればやることが多々ある。いずれも大したことではないが、それでも田舎ならではの労働、草引きに草刈り、野菜の手入れに花木の剪定にミカンの摘果など・・・。部屋掃除の方は、ルンバ君がそれなりに動くので手抜きできるという次第。

帰郷前の仕上げに、お墓掃除、花壇と中庭の草引きを済ませ、畑を少し耕して野菜の種を少々播いた。この種が芽を出し始めたので、これの間引きや水遣り、或いは防虫ネットを被せるとか心残りだ。一月も空けると、悲惨なことになりそうだが・・・。葉は虫に食われ、その無残な葉っぱが伸び放題と想像に難くない。心は残れど、身は行かねばならぬ!。歯科と眼科検診が、否、友人たちが待っている?。

            

と、いう次第で明日の午後便で帰京する。帰京前日と云うことで、町に出た帰り「豆電球」でコーヒーを飲んできた。姪の店「いなかじかん」は、夏の終わりからコロナを気にしてかデリバリーだけになっている。

豆電球の葦簀の下にいると、爽やかな川風が吹き抜けて初秋の気配を実感する。

                 

そんな日々とも暫くお別れ、今週は週初めから鮎開、カボチャ・ナス煮、鮎飯と田舎ならではの食事を満喫した。些か過食とも云えようが・・・。

           

昨日の台風の影響で、洪水になるとまずいと川に仕掛けておいた鰻箱を回収に一昨日川に入った。脛くらいで深い場所に仕掛けたわけじゃないが、引き揚げて戻る途中、見事に滑って転んだ。不様にも水まで飲んでしまった。水浸し、水も滴る良い男!、を演じてしまった。誰にも見られてないことを願う・・・。

我が田舎暮らしとは、こんなものですよ!。次回は、江戸から!。

 

 

 

 

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帰京に備え・・・

2022-09-04 | 弁当

9/4(日)朝夕、秋の気配が濃くなってきた。カエルたちの姿はなく、虫のすざく声が大きくなつている。昨夜などは、部屋の中で鳴いていたのをTVからかと思い音を消したら、部屋の隅からリンリンと響いてきたほど。

愈々、帰京の日が迫り、やり残したことに気が急く。ながら、今日で一段落と云うところか?。花壇と中庭の草引き、池の掃除を済ますことができたのだから。

         

それに畑の手入れも済んで、種蒔きまでしたが・・・。種は撒けども収穫できずが、前回の帰京&帰郷であった。一月も不在にすると、撒いた野菜は成長するし、間引きもできなければ害虫対応もできないのだから。

そんなことは承知の上で、空いた畑に何かをしないと気が済まない。蕪・ほうれん草・チンゲン菜の種を播いたのが三日ばかり前のこと。雨の予報だったので撒いたが、その深夜、雨は想定以上に激しく降り。撒いたばかりの種が流されたかと心配した。今朝、畝を点検すると、ところどころながら芽が出ていた。帰京まで三日あるので、少し間引けるか・・・。

         

今年はよくスイカを食べたねぇ~、これほどスイカを食した年は初めてだ!。十四本植えたスカは次々と実がついた。最初のものが一番大きくて良かったのは云うまでもないが、後のスイカは小ぶりながらも完熟して甘かった。多分今日採った小さなものが最後になろうが、こぶし大の大きさながら割ると完熟だった。合計で五十個はできたはずだ。

          

蔓が枯れて成長できない小さな実は、糠漬けにして食している。先月末で手長エビ漁が禁漁となった。最後の日に捕った十数匹は、夕餉の食卓に煮付けとなって楽しませてくれた。自然からの贈り物?を楽しめるは山里ならではである。

            

一月余、里を離れるが、次の帰郷では季節は様変わりし秋の深まり、柿やミカンが色づき始める。然し、まだまだ草引きに草刈りからは解放されない。

こんなことを繰り返しながら時は過ぎ、老いていくのであろうな・・・。ヤダといって詮無いが。

  

 

 

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