オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

命日

2023-08-30 | 弁当

8/30(水)八月も明日の一日を残すのみとなった。季節は廻り、池のカエルたちは名残の夏を惜しむかのように鳴き、秋虫の声は一段と高くなった夜。一人、PCに向かう!、久々にBLOGを記すため。

今日、八月三十日は母の命日。亡くなって五年の月日が流れた。以前にも記したが、五年前の八月一日、会社を離れた。入院生活となった母の側で、長くはなかろうが暫く暮らすつもりであった。が、その月末に母は逝った。私の予想より早くに・・・。

母のことを従姉の子供たち(もう、四十代から五十代だが)が覚えていて、異口同音に「おばちゃんに、いろんなことを教えてもらってそれが役だっている」と、ことあるごとに言ってくれる。口うるさい叔母さんであったろうが、「今になってわかる、有難い」と云う。

そんな母は、田舎育ちの従姉の子供たちに伝えたいことが沢山あったに違いない。親の意見と茄の花は千に一つの無駄がないと云うが、亡母の言葉を無駄なく覚えていてくれている皆に感謝である。

 

田舎暮らしの日々は、町に飲みにも出ずに野菜と戯れることばかり。お陰でインド人もビックリ(古いダジャレだが)と云うほどに焦げた。その焼けようには、我ながら感心している。「焼けちゅうね!」と云われると、専ら「ハワイに暫く行ってたから」と、愚にもつかぬことを言っているが。

そんな畑暮らしの成果は、日々採れるナスやキュウリ、ジャンボシシトウなどの収穫(何処へ持っていくか、誰に貰って頂くかと、悩みは尽きぬが)。里芋に発生したヨトウムシ退治、加えて秋採れのトウモロコシに飛来した「アワノメイガ」なる害虫退治で二時間も潰している。

         

 

九月半ば、義母の納骨をすると云うので三日ほど帰京する。三連休を挟んでの帰京だ。生産的なことを何もしない東京に居るより、少しでも体を動かして野菜を愛でる日々の方が健全?、そんな思いである。

為さざる者は食うべからず!を、この頃は座右の銘としているが、さりとて我も為していない。恥じるばかりである・・・。

 

 

 

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猛暑続く・・・

2023-08-22 | 日々の暮らし

八月二十二日(火)未だ明けやらぬ深夜、微かに聞こえるカエルと虫の声を聴きながらひと時を過ごしている。考えることとてないが、明日の野菜畑での段取りなど取り留めもなく浮かべながら・・・。

                 

こうも暑いと畑仕事も嫌になるが、どうしてもやらざるを得ないこともある。追肥や雑草/害虫対策、収穫をしてやらないといけないジャンボシシトウ・甘唐辛子・ナス、最盛期を過ぎたとはいえ肥大化するキュウリの収穫など・・・。

今朝も七時過ぎから畑に出たが、三時間もいると汗だくになり切り上げた。問題であるスイカは未だ7~8個残っているが、これ以上おいても完熟し実が駄目になるだろう。大きくならない、甘くないと失敗作ばかりながらも、蔓枯れや割れそうな実を採ってバケツに放りこんで冷やし、作業を切り上げると水代わり、朝飯かわりに庭先で食している。

第二弾に植えたズッキーニはウリハムシの食害にあいながらも大きくなっている。が、上手く受粉しないで実が成長しない。原因は、種起こしの時期が一月も遅かったことじゃないか?覚悟の上で育苗したんだが。

      

      

周りの畝に種蒔きしたトウモロコシ、雄穂が出てきたが実をつけるメシベの成長が悪い上に軸が伸びない。これも失敗か・・・。取り敢えず、ヤングコーンを採っては天婦羅やサラダにしているが。

畑に出るのは朝夕にして、昼間は部屋ですごす。これが一番いいが、あれもこれもと気掛かりなことが多くて落ち着かぬ。借りてきた分厚い「街とその不確かな壁」(村上春樹)も読まなくちゃと開くが進まない。

時折の早い時間からの夕食には、やたらと品数を並べることがある。当然、食しきれずに残してしまうのが落ちだが。夕食に一番多いのはソーメン!、三輪ソーメンと半田ソーメンが交互になる。そしてパスタ!。何れにせよ、日々採れる野菜との組み合わせ次第である。

食事の友はビールが多いが、時折ワイン、冷酒などを飲むこともある。いずれにせよ気分次第、流した汗と暑さで決める。

           

送り火の写真を見て思い出した。お墓に行ってお盆に供えた花を撤去しなきゃ・・・。

そういえば、九月半ばに急遽帰京することにした。義母の四十九日と納骨の日程が決まったので。数日の短い滞在であるが・・・。

夜明けまで一時間ほどある、少し眠ることにしよう・・・。明日も暑いだろう!。

 

 

 

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連鎖・・・

2023-08-16 | 弁当

8/15(火)時計の針は既に午前零時を回った深夜であるが、気分は八月十五日のままである。

心配した台風七号の影響は軽微であった。九州方面に回った六号の時よりも風雨は弱く、七号のルートが我が田舎より東であったことによるであろう・・・。心配していた野菜達が風に倒れることも、畑が池状態になることもなく台風は去った。

台風六、七号とつづいたが、我が一家の連鎖は別の形で出現していた・・・。

7月26日微熱があり風邪かと思っていたが、近隣でコロナ患者多発の情報があり、念のために平熱となった翌日受診したところコロナ感染と云われる。

30日義母が亡くなったとの連絡があり、待機期間開けの8月1日に帰京することにしたら・・・。31日、なんと家人コロナに感染したとの電話が入った。葬儀の段取りは済んだ後とのことで良かったが。

そんなことで、自宅に泊まらず近所の長女の家に厄介になることにした。葬儀が済んだ3日の最終便で帰郷した。

家人のコロナ待機期間が明けるその週末、今度は長女がコロナに感染(二度目)したとの連絡があった。葬儀で家族二十人ばかりが顔を合せていたが、長女だけ感染したようだ。家人が仕事を休んだ一週間、同じ看護ステーションで働く長女が頑張っていたようだが・・・。症状は軽微とのことであった。

その長女も回復して仕事に復帰したようだが・・・、なんとなんと今度は長男が感染したとLINEで情報が回ってきたのが二日前のことである。

コロナの連鎖、ドミノ倒し?。私が感染する一週間ほど前に、義妹の亭主KAZUOが罹ったとのことで、義妹は葬儀の前まで我が家に避難していた。その義妹も、長女の家族も感染していないようだが、コロナ患者は爆発的に増加しているようだ。

 私の症状は軽微、一日だけの微熱と数日間はすこし体が怠かった。咳はあるが、それだけあった。食欲も変わらず、体力も衰えなく?昨日はミカン畑の草刈りも済ませた。

 

仲がいいと云うのか、性懲りもないと云うべきか、そんな状況の我が一家である。私だけは遠く離れて野菜と遊ぶ健康生活。昨日、血圧を測る機会があったので腕を差し込んでみると、上は120以下、下は60以下と云う結果であった。野菜生活の成果?結果かな!。

 

野菜の方は、キュウリが終りかけているので、次のキュウリ苗を少し植える。秋ジャガイモと葉物の種播きをする予定。

甘唐辛子とジャンボシシトウは収穫の最盛、ウリハムシの食害にあっているズッキー二はこれから採れるはずだが、オクラ・スイカ・トマトは終わりだね・・・。秋採れのトウモロコシは順調?に生育しているが、果たして実成はどうなるか?。カボチャと茄子の収穫は、まあまあかな。

 

我が野菜生活はまだまだ続きます。コロナならぬ、野菜の連鎖、じゃなくて連作となります。

 

 

 

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その後・・・

2023-08-05 | 弁当

8/5(土)7月25日に新型コロナが発症して微熱が、翌日の検診でコロナと診断された。が、この日から既に熱も下がりどうってことはなかった。

日課の野菜畑の水遣りは継続するも少しけだるさがあり、体に力が入らないようであった。それでも一日3時間ばかりは畑遊びをしていた。

そんな日々の中、30日の午後に義母が亡くなったと連絡が入る。十日ほど前から危ないとのことであったので驚きはしないが、私のコロナ謹慎明けに合わせてタイミングよく葬儀かと・・・。

帰京スケジュールを翌日に決めることにし、帰郷はいつになるかと飛行機便をチェックすると・・・。なんと、東京に一週間もいると飛行機が取れないと判明した。夏季の超繁忙期に突入するのだ。困ったな~・・・。

葬儀日程が3日午後となり、取り敢えず帰京は1日の午後便を押さえた。ここで問題が発生!。なんと、今度は喪主である家人がコロナに罹患したと連絡が・・・。

私が罹る一週間前に義弟が罹り、義妹は我が家に避難していたのだ。続くものだな・・・・。幸いにも葬儀の段取りは全て済んだとのことで、私が格別に出っ張ることはなさそうであった。ただ、自宅で過ごせなくなり長女の家に行くことになった次第。

そんなことで、東京での滞在を短くし、三日の葬儀が終り次第この日の最終便で帰郷することにした。

葬儀は家族(三姉妹にその家族)、二十数人で雪谷斎場にてしめやかに行われた。その後、桐ケ谷斎場にて荼毘に付された。火葬を待つ間、義妹を相手に「施設に入ると早いな・・・」そんなことを話しながら、ビールを飲んでいた。

           

一日の15:55分、高知空港発便は、羽田の悪天候の影響で出発が三時間も遅れた。三日の最終便19時発は、満席ながらも定刻に離陸した。

 

昨日は帰郷後の野菜収穫、前日から雨が降りだしており水遣りの必要がなくなったのは幸いである。台風の影響であろが、向こう一週間は雨の予報が続く・・・。

                  

それにして慌ただしい東京滞在であった。帰郷してからの朝のお供えに、義母の安らかな眠りを祈る言葉が加わった。

 

 

 

 

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