オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

今週の弁当・・・

2022-01-22 | 弁当

1/22(土)帰京して一週間が経過したが日々変化なし!。帰京した金曜日と昨夜に人形町にて酒場仲間との懇談、その他の日は引き籠り状態である。コロナ蔓延の所為もあるが・・・。君子?危うきに近寄らずと云いたいが寄る辺なき身である。

一昨日の朝、二十年近くも我が家に居た猫の「ミーコ」が昇天した。猫としては長命であったか。末娘が慢性の腎臓病に罹り暫く家に居たのでお相手に飼い始めた猫であった。花をた向かれて出棺を待つの図か。

                    

数年前に死んだ犬「ミックス」に比べると大人しく、静かに死んでいった。犬の時はボケて散歩もできなくなって垂れ流しだったが。

今週の変わったことと言えばそれくらいである。生き物はもう飼わない・・・。

 

さて、暇なOJIがすることは弁当作りと晩飯作りだけの日々。今週の弁当を順不同ながら掲載します。

何時もと同じ内容で面白くもないが・・・。

              

           

               

残りご飯の焼き飯、ロールキャベツに焼肉、焼き魚などと代り映えなし!。

 

 

 

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参勤交代?

2022-01-15 | 弁当

1/15(土)昨日の午後便で帰京。早い時間に空港に着き、搭乗手続きを経てロビーに入った。未だ閑散としていたが、搭乗開始で席に着いた頃には三分の二程度座席は埋まっていた。

              

定刻に高知空港を離陸し、順調な飛行を続けて窓の向こうに富士山が霞んで見えた。あの麓に友人のMIWAが暮らしているなとか思いながら眺める。

暫くすると三浦半島が、城ケ崎や三浦市から横須賀の風景が眼下に見えた。風が強く黄砂か?折角の景色ぼやけているが懐かしい(かつて横須賀の丘の上にある研究所に勤務した)地をみつめた。早いもので、あれから二十年以上になるが記憶は鮮明である。

                

定刻に羽田空港に着き、京浜急行~JR~メトロ~東横線と乗り継ぎ学芸大学駅に16時前に着いた。これまでの所要時間では一番の最短かな。

部屋の掃除を済ませてから人形町へ・・・。 

「高松」でHOYA兄い、NAKAMURAさんと今年初の懇談飲み会が予定されていた。17時半、店に入ると油屋(通称)が一人で飲んでいる。同席して新年の会話を・・・。年末に出身の札幌に帰ったそうだが暴雪で帰京が遅れたとか。そうこうするうちにメンバーが揃い賑やかに新年の宴が・・・。

二軒目は「こま吉」、次いで「ちょっぷく」と馴染の店を廻り新年の挨拶方々の飲み会。NUMATA氏も加わり四人の会となる。

最後に「うまし」のカウンター席で馴染のYAMADA氏も加わっての酒場談義。勘定を済ませてそろそろお開きかと思っていると「高松」の店主ミッチャンがバイトのMIKIちゃんを伴って出現。これで滞在時間が長くなった。

ようよう重い腰を上げてお開きとなり「うまし」の店前で解散。HOYA兄いと駅に向かう。が、鬼門があった。最後の客を送り出している「ちょっぷく」の店主YMAちゃんに捕まったのだ。

従業員が帰った店で、日本酒の冷酒を注がれて飲むことになった。YAMAちゃんは店泊まりするとかですっかり出来上がっている。三度も脳梗塞などで入院しているから「飲みすぎるなよ!また入院になるぜ」と、忠告だけはする。

そんなことで、参勤交代の初日の夜は馴染の店回りで終わった。学芸大学駅に着くと零時になるところであった。

家人から指令があった「外出時はマスク二枚重ねを」だけは電車の中で守ったが、マスクを外した店の中にいる方が長いからねぇ~。

これから二か月、江戸表での暮らしとなります。三月半ば予定の国元へ帰る頃にはコロナも峠を越えていることであろう。コロナと云えば、ここ二日で我が田舎町で三人(家族らしい)出たと新聞報道があったが・・・。

 

 

 

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初薬師

2022-01-12 | 弁当

1/12(水) 今日は旦那寺「北寺」さんでの初薬師であった。残念なことにコロナの影響で昨年に続いて静かな初薬師であった。

道路工事の関係で通行止めがあったので北寺に出向いたのは正午。寺に参拝人の姿はなく、祈祷料を預けてから住職に挨拶をしてすぐに帰った。尤も、厄除けの祈祷を願う人たちは早朝から訪れていたろうが・・・。

お寺からの帰りにミカン畑に寄って採っていなかった八朔を一ケース程収穫した。今年は柿もミカンも不作、不作で結構だがせめて味が良ければいいのだが?。文旦と八朔は、これから!~2ヵ月ほど熟成期間を置く必要がある。

初薬師の参拝も済んだ、ミカンも採った。庭の草取りも昨日で終わった。これでつつがなく帰京できると云うものだ。畑の野菜はいずれ妹や従姉が食するであろう。

昨日は入院中の従姉が「イタドリ」の煮物を食べたいというので、前夜から塩抜きをしておいたイタドリを痛め煮にして病院に届けた。夕になって「美味しかった」感激の体の電話があった。上手くできていたようで良かった。

                     

今夕は斜向かいに独居する従姉と今回の帰郷での最後の食事を摂った。ぬる燗のお酒を飲みながら鍋(うどん・豚バラ・野菜)に昨夜の残り菜であった。

                  

そんなことで予定とおりに14日に帰京する。次の帰郷は三月中旬を予定している。その時には畑も庭も草が伸び始めているであろうし、山菜のシーズンでもある。今回とは大違いに忙しくなるはずだ!。その分、長期滞在予定でいる。

今回の帰郷で撮った、庭に僅かに咲いている花などの写真を載せます。

        

                          

 

 

 

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里山の日々

2022-01-10 | 弁当

1/10(月・祝日)三連休の最後となる今日、この山里に暮らす身には365日連休なので有難みがない。日夜お仕事に勤しむ皆様には申し訳ない。

その暇人のここ数日について近況を記しますがご容赦頂きたい。

今回の帰郷で予定していたことは、干柿の処理、ミカン畑の文旦の収穫、野菜の状況、庭の草取り。それと、入院中の従姉や従兄の次男坊の快癒を祈願するために地元の27番札所「神峰寺」への参拝。以上であった。

今年のミカンは少しなので手間は掛らずに土曜日に収穫し終えた。二か月ほど熟成さしたら食べ頃になろうか・・・。日曜日、妹夫妻と一緒に「神峯寺」に参拝した。

         

畑の野菜は順調に成長して大きくなったが、とても食べきれない。帰京したら妹や従姉たちが採ってくれるであろう。白菜・キャベツ・ブロッコリ・チンゲン菜・ほうれん草・白首大根・聖護院大根が真っ盛り。

               

そして今日、庭の草取りをしたが冬場なので楽なものであった。明日、中庭の草取りをしたら予定していたことは完了する。

日々野菜を食し、ぬる燗の酒を飲み、過食の日々である。

             

これで予定とおりに14日の帰京であるが・・・。難題が!、ここにきてコロナ患者が急増してきたので家人が我が帰京に難色を示し始めたのだ。

東京に居れば大人の作法として人に会い、酒場を歩く。訪問看護事業を営む家人にすればそれが心配なようだ。が、これをしなければ何の人生ぞ!。

俺は罹らないよ!と、常々宣言しているのだが・・・。帰京して酒場巡りだけじゃなく、詰めなくてはいけない案件もあるのよ!。

斯様な近況、田舎暮らしの日々であります。

 

 

 

 

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帰郷三日目・・・

2022-01-06 | 弁当

1/6(木) 四日の朝、初の弁当を作り、午後13:50発のANA便で帰郷。妹夫妻の迎えで夕に実家に着いた。

仕事始めの所為か羽田空港はさほどの混雑はなかった。出発まで余裕があったのでロビーに入ってから、私好みのコーヒーを提供してくれるTuLLYsがあったのでカフェラテを飲んでからゲートに向かった。

             

定刻に搭乗したが、滑走路で随分と待たされて高知空港には20分程遅れての着陸。故郷は風が強かった。

                

帰宅してから、先ずは隣の野菜の状態をチェックしたが、立派に育っていた。夕食用にホウレン草・大根(二種)・チンゲン菜を採った。

そして、一番気になっていた干柿の様子をチェックして取り込んだ。二階のベランダと室内に干した柿はすっかり固くなり小さくなっていた。想定通りだが長い不在の結果だ。致しかない。

野菜中心の遅い独り夕食を終えてから、冷蔵庫に仕舞っておいた干柿、干したままの柿を並べて試食。少しづつ切って何度か味わったが・・・。

         

干しっぱなしにした柿は、固い分甘みを感じない。が、これは砂糖水に漬けたり、レンジで温めると柔らかくなるそうだ。少し早めに取り込んで冷蔵庫に入れたのは柔らかいが、これも甘未に欠けるようだ。改めて干してもいいが・・・。一番最初に仕上がって冷蔵庫に仕舞ってあった小さな柿は粉吹きになっていた。

そんなことをしているうちに帰郷初日が終わった。昨日の二日目は、届いている書類、手紙。請求書類のチェックと振り込み。姪の店でコーヒーを飲んでから墓参。ミカンを三種類、少しながら収穫。

津川さんに野菜を食べてもらうために白菜・大根二種・チンゲン菜・ほうれん草を少々抜いた。姪が使うか、従姉が使わなければ消費できない。押しつけで送ることにした次第。

この日の深夜、雨音が聞こえてきた。ポッリポッリであったが・・・、その雨は今日の昼まで続いたが、恵みの雨と云うべきか。

帰郷三日目の今日、雨が上がった午後に安芸市まで食材などの買い出しに出た。取りたてての物は買わないが、帰京までの一週間ばかりで消費するであろう食品とタバコだ。

買い物を終えてから、隣町の病院に入院中の従姉をこっそりと見舞う。裏手の出入り口で理学療法士に付き添われて待っていた。正式な見舞いはコロナの所為で未だ解禁されてないのだ。今月一杯ぐらいはリハビリとのこと。

帰路、冬の西日が穏やかに射す中「豆電球」に立ち寄りコーヒーを飲んでからの帰宅。

              

夕食は斜向かいに住む従姉を呼び、昨夕に続いて一緒だった。一人なら何でもいいのだが、誰かと一緒だと、食材・品数ともそれなりに気を遣うのは致し方ない。

さて、明日からどう暮らすのか・・・・。

 

 

 

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大晦日~元旦、ご挨拶!

2022-01-02 | 弁当

令和四年、正月二日ながら先ずは新年のご挨拶から

 開けましておめでとうございます。皆様、ご多幸の年でありますよう祈念申しあげます。

常套句ではありますが、謹んで新年を寿ぎお祝いを申し上げます。

日頃の不摂生と悪行の報いか、令和三年を締めくくる大晦日の夜から酷い鼻水が・・・。

大晦日は雪雲を思わすような天気で、風もあって寒かった。が、四日から帰郷するので、従兄達への年賀用の品を送るために日本橋三越デパートへ。

デパートの混雑ぶりは半端じゃなかったが、それに耐えて年賀用の菓子の手配を済ませた。

年越し蕎麦をお願いしてある「高松」は、三越からはすぐだが、その僅か十分足らずの距離が寒かった。

この日の「高松」は、注文の年越し蕎麦の受け渡しをしており通常の営業はしていない。にもかかわらず、店主のミッチャンを相手にお湯割りの金魚(唐辛子入りの焼酎)を頂いた。いつの間にか一杯が二杯に・・・三杯になっていた。

いい気分で蕎麦と揚げたての天婦羅を提げてのご帰還。

大晦日で店はやっていないが、今年もお世話になった酒場の写真を撮ることに・・・。灯りもない寒々とした入口ながら感謝の意を込めて。残念なことに「セイジュ」は一年以上も閉まったままなので省略した。

「高松」「こま吉」「うまし」「ちょっぷく」と、駅に向かう順路である。

               

 

日暮れてから末娘夫妻が来たので一緒にすき焼きを食し、ワインなどを飲んで部屋に引っ込んだはよかったが、うたた寝をしてしまい体が冷えた。

寒さに耐えきれず起きてからが大変なことに・・・。クシャミと鼻水が止まらなくなったのだ。

斯様な次第で元旦はほゞ一日、寝て過ごした。が、夕方になってチッシュを鼻に詰めて新巻鮭を捌き、頭と粗で石狩鍋を作り、氷頭を漬けた。

大晦日に神パパから届いた新巻鮭を捌きながら・・・。丸一匹、これをどう処理するかパパとみよ子先生の目論見を予見した。

殆ど捨てるところはないが、これをどう使ったか試されているに違いないと。と云う次第で、前記になった。

そんなことをし、暖かい石狩鍋を食したら鼻水が劇的に改善したのである。流石、不死身の男である。

と云うことで正月二日の今日は、近所の神仏さんに初詣した。

先ずは、すぐ裏手になる碑文谷池に鎮座する「厳島神社」さんへ。そして「碑文谷八幡神社」へと散歩がてらに回ったが、ここが長蛇の列。神社は一つ参拝しているのでパスして「円融寺」さんにお参りした。

             

約一時間の参拝&散歩をしてきた。

                

 

一月四日から十四日まで、わずか十日ですが帰郷します。次回のBLOGは、田舎からの便りを載せます。

 

 

 

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