オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

蕎麦打ち会

2019-12-30 | 弁当

12/30(月) 今年も明日を残すのみとなった今日、浜町コミュニティルームで開かれた蕎麦打ち会に二ヶ月振りに参加した。日本橋粉の会が主催する会であるが、月例会とは別に年越しそばを打つと云う会である。

参加者は十名ほどで少なかった。その所為で昼前に打ち終えて失礼した。写真の笑顔は、会を切り盛りしてくれるNAKAJIMAさんであるが、来年は高知に遊びに来ると仰ったが・・・。

            

蕎麦打ちの方は、何故だか水が多くなり延ばしに入ってから失敗し、改めて捏ね直した次第。なんとか蕎麦らしくなり我が家の夕食にした。掻揚を揚げ、薬味を刻み、暖かい蕎麦が好いという義母のために汁を仕込んだ。

家人に義母、三人での夕食ですっかり過食!食べ過ぎとなってしまった。

夕食を終え、遅まきながら年賀状の準備をした。年賀状が宛先に届くのは早くても正月三~四日になろうか。

賀状には田舎暮らしを始めたことと、暫くは賀状を控えさせてもらう旨を記した。田舎暮らしの間は、これまでの習慣を変えてみようと思う次第で・・・。

 明日は大晦日、午後から人形町に出掛け「高松」で年越しを頂いて今年の締めとする。夜には、入籍したばかりの末娘夫妻が来宅して焼肉と年越しそばを所望されている。そのために、蕎麦打ち会の帰りに「日山」に寄り、長い行列の末に肉を贖ったのである。正月用の肉も贖ったが。

帰宅のメトロ車中は銀座までは混んでいたが、そこからはガラガラになった。東横線も空いていた。愈々年末、と実感する時間であった。

 

 

   

 

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今年の最後は「牛丼」弁当・・・

2019-12-28 | 弁当

12/18(土) 昨日の金曜日、今年最後の弁当を作る。弁当納のメニューは、家人が買い置いた牛小間を使い牛煮。タマネギと蒟蒻、最後に豆腐を加えた。これを弁当ご飯に載せて「牛丼」にした。

             

他には「味付きの焼肉」プルコギタレで味を調える。小松菜と油揚げの煮浸し、ホウレン草の胡麻和え、冷凍秋刀魚焼きと定番の卵焼き、竹輪を加えたが・・・、とても全部は収まらない!。

             

斯様な弁当を作り、午後からは外出。SORA通うリトミックの発表会が中目黒駅前のホールであり、ピアノ演奏などを見てから人形町へ。

明け方の雨は上がり陽が射していたが、風強し!。肌を刺すように風が舞い吹き付けてくる・・・。

人形町駅から「ちょっぷく」に向かうと、なんとHOYA兄い達が目の前を歩いている。仕事納めの納会を「日山」でやると聞いていたが、その帰りのようだった。

「日山」で納会とは豪勢なことだ。今年も上々の業績だったろうと推察する。肩を叩くと振り返り、奇遇に驚く!。そのまま二人で、酒場を探す。「ちょっぷく」も「高松」も「うまし」も店を開けるには早い時間・・・。

鉄ちゃんファンが集う「キハ」の看板に赤い灯りが・・・。狭い立ち飲みの店に入り、湯割り焼酎とぬる燗のワンカップを飲みながら「ちょぅぷく」が店を開ける四時を待った。

 

この日、HOYA兄いと「キハ「」から「ちょっぷく」「うまし」と足早に回り」、「高松」で碓氷老と合流した。老が大事そうに地元の千葉産落花生をわたしてくれた。HOYA兄いからは魚久の粕漬をその前に頂く。送った干し柿が美味いとのことだが、今朝最後の一つを食したとのこと・・・。

高松から「ちょっぷく」に舞い戻り、会社のスタッフと合流するも、店が大混雑でばらけてしまう。チケットを十枚ばかり渡して別席で飲む。この時点で既に酔いが回っていたか・・・。最後に、兄いと「こま吉」に顔をだして一杯やり帰路に着いた。RIE嬢からワインを貰ったのだ!頂きものばかりだ・・・。

スタッフともう少し話ができればよかったが・・・。あの混雑する店では・・・。世間の納会の夜はかくして幕を下ろしたのである。

今夜はTUGAWA&HANAOKA女史との納会を「奈加野」で挙行?!。30日の蕎麦打ち会、31日は「高松」で一杯やり、年越し蕎麦を贖う。入籍したばかりの三女夫妻(と呼べるか)が来ると云うので蕎麦を予約した次第。かくして、年の瀬は足早に過ぎて行く・・・。

 

 

 

 

 

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会報誌・・・

2019-12-26 | 弁当

12/26(木) 先日、ペシャワール会の会報誌が届いた。会の現地代表としてアフガンの地に殉じた中村 哲さんからの現地報告が載っているのは何時もどおりだが、別用紙で師が無念の最後を遂げたことへの痛哭の思ひと、活動継続への報告が記されていた。

会報誌NO.142号は中村さんが倒れる前に発送の用意がされていたものである。その中でアフガンでの「緑の大地計画」のさらなる拡大・・・最後に「この仕事が新たな世界に通づることを祈り、真っ白に砕け散るクナール河の、はつらるたる清流を胸に、来る年も力を尽くしたい思います。」 良いクリスマスとお正月をお迎えください。 二〇一九年十二月 ジャララバードにて

と、記さされています。今更ながらに、中村 哲 師を失ったことの重さ、非情に胸が痛みます。年が明けた1月25日、福岡市の西南学園教会で師のお別れ会が行われるとのことです。私ごときがお別れに参ると云うのもおこがましい限りですが・・・。遺徳を偲び、一人の人間として御礼を申しあげたく思います。

西南学園講堂で中村さんの講演が開かれる日、その前の時間を頂いて取材をさせて頂いてから何年が経つか定かでないが。二年越しのアプローチで漸く実現した企画であった。大学の部屋をお借りして津川さんと二人で待ったのは暑い季節だったはず。撮影にでた校庭の樟の葉陰が心地よかったのが記憶にある。

小柄な中村さんは紺のスーツに白いワイシャツ、ノーネクタイ姿で、ペシャワールで長年医療活動を共にされてきた秘書役とも云える女史と一緒に現れた。女史から「食事が未だなので申し訳ありませんが」と言われて持参した幕の内弁当を使われた。

取材の合間、校舎の端にある喫煙所で三人でタバコを吸った。取材後、講堂での講演を聴かせて頂いた。そして、窓口として労を頂いたFUKUMOTOさん(石風社代表)の時間を頂き、TUGAWAさんと居酒屋での周辺取材をしたのだ。

TUGAWAさんはアフガンでの同行取材を熱望したが、残念ながら許される環境ではなかった。その後、関東周辺で講演会が開かれた機会に伺うことができた。

会報誌には毎号、中村さんからの現地情報・進捗、今後の計画が掲載されており状況が手に取るようであった。そして現地の仕事を共にされるメンバーからのメッセージが載り人材の育成が進む様子も知れた。これからは、この人たちが中心となって活動が継続されるか・・・。

福岡市の隣とも云える久留米市にはJOUJIMA女史が居る。ポリオの症状が悪化して外出もままならぬ状態のようだが、この機会に会ってきたい。

TUGAWAさんとタッグを組み、フィランスロピーワールド、フュージョン、ライフアシスト誌と広報誌の企画・制作で二十年余になろうか。この間、数多の方々に会い、話が聴けたが。その中で、佐藤初女さん、田部井淳子さんが故人となられ、、この度の悲報である。

命あるもの何時かは消える運命であろうが、何時までも残ってほしい、生きてほしいと思うのは儚い願いか。せめて我が生があるうちは、我が胸に生きる儚さと云うべきか。

 

そんな儚いOYAJIのリアルは弁当作りだ。明日で仕事仕舞いとなる今日は、ド~ンと張り込んでステーキをメインにした。一年間のご苦労に報いようと、昨日人形町にj出掛けたついでに「日山」で肉を贖ったのである。

一枚でコンビニ弁当なら7~8個は買えようと云う値段であったが、ここは男を見せなくちゃならぬと清水の舞台ならぬ、スカイツリーから飛ぶつもりで(パラシュート付きさ)買った。

このステーキに、豚シャブ肉と野菜のスープ和え、卵焼きやらポテトフライ、竹輪胡瓜などである。

           

学童保育所に通う孫のSORAの弁当まで作ることになり、茹で卵や塩揉み胡瓜、ザーサイサラダ、塩ムスビを用意した。肉とゆで卵は要らないとのことだったが、リンゴをデザートに持って行った。

            

 

  

 

 

 

 

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年の瀬の慶事

2019-12-25 | 弁当

12/25(水)私事ながら、クリスマス・イブの前夜遅く、末娘が婚姻届けを出してきたとのことである。我が家の三女で唯一の未婚だったが、一応はこれで全て片付いたと云うことか。古い言い方だが。

何時までつづくか、持つか判らぬが継続するための努力はした方がいいよ!と、だけは云いたい。親心か?そんなものがあればだが。

婚姻届けはいいが、笑ってしまうのが、なんと娘の姓(由緒ある?俺の姓じゃないか)にしたとのことだ。事前にそんな話が出ていたが、関知しないと言ってあった。その理由すら訊いていないが・・・。三男坊の気楽さ由か?。

SATOやSUZUKI、ISHIなんてのありふれた姓よりはARISAWAの方が希少価値がありそうだが?。とはいえ「名こそ惜しけれ」などという、一族や家を守るという気概や存念は最早絶えたか。

ともあれ「メデタイ「」ことであろう。祝うしかない!

末娘はバレーボールの選手だった中学二年の時、腎臓病で選手生活を断念してボール拾いをしてきた。そんなギャップを経験して高校を終えるまでつづけてきた。その姿を見てきただけに、自分の人生をしっかりと歩んで欲しいと思ってきたが・・・。さて、どうなることか。

 

昨夜は久しぶりに渋谷・宇田川町に店を出している郷里の先輩の店「奈加野」に顔出して話をしてきた。胆嚢が痛くなって十日ばかり入院したとのことで、酒と脂物を断ったとのことで顔と体がスッキリしていた。が、生気も失せていた。正月明けには手術をするとのことであった。オヤジも愈々先行きを心配する歳になっている。

 

さて、今朝の弁当だが久々の揚げ物!。郷里では野菜煮物を中心にしていたので揚げ物を作るのは二月振りか。現役で過酷な労働に勤しむ弁当持ち二人なので、勝手にカロリーの高いものを作ることに。

豚肩ロースにチーズを挟んだトンカツ、椎茸&ホタテのフライをメインに、鮭&タラコ焼き、蒲鉾と厚焼き玉子にした。

             

キャベツと茗荷を千切りにして、揚げ物の下に敷きブロッコリを添えた。果たしてその味や如何に?。

              

 

今日午後は人形町に向かい、グッチでYOSHIOとコーヒータイム。その後、きんざ通り歯科で定期健診をする。、歯科が済むとドトールでコーヒーを飲み、日山で明日の弁当用の肉を買って帰宅予定。

七時までに帰るよう孫のSORAから言われているのだ。人形町酒場は、週末の金曜日までお預けだが帰りに「ちょっぷく」に顔をだすくらいは・・・。

 

 

 

 

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イブの渋谷・・・

2019-12-24 | 弁当

12/24(火) 休日でなくなったイブ、21時過ぎに渋谷センター街を抜けて宇田川町の「奈加野」に向かった。センター街の日tの群れは意外と静かで、足早に行き交う人の群れも少ないように感じた。

「奈加野」に行ったのは従弟が送っている米代金を受領する目的、ながら郷里の先輩でもある店主のオヤジとも話がしたかった。胆嚢で十日ばかり入院し、年明けには手術をするとの話を聞いたこともある。

                 

店に行く前、既に濃~いハイボールを飲んでの出動であった。イブと云うのに店は静かで客の姿もまばらであった。私が来たと、ベテランの従業員がペントハウスに引き上げていた店主に連絡を入れると、直ぐに降りてきた。

入院後アルコールと脂物を断っていると云うオヤジは、体重も落ちて以前よりスッキリしていた。代金を頂き、暫し歓談するも、話題と云えば老後のことである。行く末、何処で暮らし、オサラバするかと老人の会話であった。

今日の昼間、暇にあかせて古い写真の束を眺めた。その中にNAKANOオヤジを撮った写真が十枚ばかりあった。その写真を土産代わりに持参した。タイのゴルフ場や、昔渋谷に在った芸BARでのショットを見て、懐かしむオヤジ。 

三十年も前の古い写真を見ると、今がいかに衰えたかを実感する・・・。そんなイブの夜をひと時過ごしてから帰宅。

今日の弁当は「ハンバーグ&ピーマンの肉詰め」「メカジキの照り焼き」「ホウレン草の胡麻和え」と、卵焼き、竹輪胡瓜であった。竹輪と云えば安いと思うだろうが、これが大間違い。一本900円もするのだ。土佐の物は総じて高いように思える。

          

            

 



 

 

 

 

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閑居

2019-12-23 | 弁当

12/23(月)帰京しての初日、久々の弁当作りを終えると予定なし。と云うか、なんの予定も立てない一日を過ごした。

自室に落ち着き本を読むことにした。後輩の斎藤光顕氏から上梓したばかりの新刊「水無月の雨 -細川家騒動ー」が届いていた。戦国大名細川家が豊前所領から夏の陣にいたる、お家安泰と一族の葛藤を時代背景を交えた時代小説である。

斎藤氏には四冊目となる著書であったが、物語としての展開、時代考証を踏まえた背景の確かさやストーリー展開のテンポ、歯切れの良さは前三冊とは格段であった。

物語に引き込まれて、次のページをめくるのももどかしく感じるほどに一気に読んだのである。

                  

斎藤君とは、彼が入社して間もなくからの付き合いで、会社の道場や彼が通った東中野の町道場で竹刀を合わせてきた仲である。私のサラリーマン最後の会社で、彼は直系下部組織で管理職をしており、仕事、剣道部員として最後まで縁が深かった。

前島七郎先生の葬儀で会った折に、出版予定のことを聞いていたがすっかり失念していたが、読み応えのある時代小説としてお奨めできる一冊である。

 

さて、今朝は久々の弁当作り!。牛小間とタマネギの炒め物、ホタテ&椎茸のバターソテー、卵焼きに蒲鉾、ブロッコリーを添えた。

            

 

暇なので夕食も用意したが、煮物中心である。カボチャ煮、白菜の豚小間挟み煮などを用意した次第。

 

 

 

 

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六週間ぶりに帰京

2019-12-22 | 弁当

12/22(日) 午後便のANAで雨の高知空港を発ち、雨の東京に戻った。帰宅後、久々のスーツに着かえて偲ぶ会がある市ヶ谷のホテルに向かった。雨が少し強くなっていた。

去る11月25日に逝去された「横田洋文氏を偲ぶ会」であった。サラリーマン時代の広報宣伝部やグループ会社で広告宣伝を友にした方々などが集い、早かった氏を偲び、かつ久々に顔を合わした皆様と話ができた。

予定を早めての帰京であったが、よかった。いみじくも、挨拶のなかでも話がでたが、こんな機会でしか一同で顔合わすことがない。そんなことを思い返しながら雨の中を帰宅。

 

帰京の今朝も「柚子湯」に入ってきた。今日の冬至前から柚子に浸かり、これで四度目の柚子湯であった。なにしろ柚子湯のために畑の柚子を残してあったのだ。微かに薫、柚子の匂いを楽しみながらゆっくりと湯に浸る・・・・。極上のひと時である。

そんな時間を過ごしていると、今更現世に戻る気も失せるのだ。今宵久々に顔を合わせたかつての上司から、仕事の話をしたいと云われたが・・・。先ずは実家の整理である。そして静かにしずかに消えて行くのだ。

 

明日から週末まで弁当を作る。東京に居る間に出来ることは、それくらいのものなのだ。既に明日の弁当メニューは浮かんでいる。久々に弁当オヤジ復活!。では、明日に。

 

 

 

 

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久々に

2019-12-20 | 弁当

12/19(木) 四日ぶりにBLOGをアップできるが、日々変わったことがあるわけじゃない。目覚めて起きて、神仏に水とお茶を供え、トーストを焼き朝食を摂る。夕は、早々と野菜の煮物や干物を菜に焼酎の湯割りか燗酒を飲りながら夕食。

斯様にも救いようのない日々の楽しみは、干し柿の熟成と野菜の芽が出るのを待つこと。そして天気が良ければ、焚火をして畑に遊ぶ。肝心の実家の整理は遅々として進まず、と云うか手付かず。精々が掃除、それも日常に出入りする幾部屋かだ。

そんな日々の中で、出来上がった「干し柿」を友人・知人に味見のために少しばかり送っているが・・・。届いた方は、迷惑をしているかもしれない。今年の出来栄えが良くない、色が黒い!。柿の所為か天候の所為か?。

                  

地元で入手した柿の中で、一番いい柿だと思ったやつの出来が良くないのだ。最後に取り寄せて吊るした「愛宕柿」の出来に期待しているが。この柿は大きかった、平均で330gほどの大きさだったから。出来上がるのは年明けになろう。

 

そんな日々の今日、安芸市の海岸にある何時ものシラス干しの製造販売店に寄った。22日の帰京前にシラス干しを送ろうと思ってのこと。店の小母さんが「ドロメがあるけど要らない?」と云う。貰うよと保冷箱から一つ買った。

「ドロメ」とは生のシラスのことで、これを茹でて干すと縮緬ジャコになる。ドロメは獲りたてでないと美味くないし、足が早い。ドロメに柚子を絞って食す!これが酒肴にいいのだ。

今夜はドロメを肴に肴して、土佐鶴の新酒をぬる燗と云うことになった。なんと平穏なる日々であろうか・・・。

  

夕食は品数が多くなる!。と云うのも、前夜の菜が残ってしまうので、それもテーブルに並ぶからである。多めに作り、体調がよくない従姉にお裾分けするようにしているが・・・。

今週は月~水まで鍋、それも野菜中心の鍋がつづいた。一夜で食べきれずに続くことになった。流石に四日目となる今夕は止めたが。

何れにせよ、田舎暮らしは野菜中心の献立である。色を添えるために、干し魚や肉類が少々並ぶこともある。ここ数日、テーブルに並んだものを掲載すると・・・。

          

       

今夕は、酒肴のドロメ、シラス、ホウレン草のお浸し、鯵開き、牛焼肉に前夜の残り菜が四品であった。ご飯は冷凍の小さなオムスビを一つ温めた。

何の生産性もないオヤジが、こんなに豊かな食事をしていいのだろうか?安い食材ばかりとは云え!。

 

 

 

 

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無為なる日々

2019-12-15 | 弁当

12/15(日) 師走も半ばとなった日曜日。とは言っても、こちらは毎日が日曜日の気楽な身である。そんな気楽さ故か、深夜の四時前に目を覚まして流星群を探した後は、眠りもせずに今日が始まった。

かといって、何をするでもなく朝食を摂った後は、ホウレン草の畝に水遣りし、午後に短い散歩。それだけの一日であった。朝食は、前夜の残り物と雑炊。

                 

暇にあかせて早々と夕食の用意に入ったが、昨夜の菜もあり、新たには自然薯を擂った味噌汁、牛カルビとチンゲン菜の炒め物、味醂干し焼き、ホウレン草の胡麻和え、サラダを用意しただけである。残り物の菜は「蕪葉の煮物」「おでん」「蒲鉾」であった。ご飯は抜いた。

                 

早々と六時頃から食事をスタートし、薩摩焼酎「熟柿」のお湯割りを飲みながら独り飯!。そうそう、猪汁を貰って食したのだ。

本格的な実家の整理は、年が明けて桜が咲くころになりそうだ・・・。

 

 

 

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未明、夜空を・・・

2019-12-15 | 弁当

12/15(日) 前日の朝のニュースで「未明にふたご座流星群が見れるかも」との話題があったのを思い出し、未明のベランダに出たが・・・。

寒気に満ちたベランダから未明(午前四時)の夜空を見上げる!。薄くもを掃いたような空には朧月のように月があった。星々はわずかに望めるばかり。小さな池に月が映るばかり。

暫く目を凝らしたが、残念ながら朧な眼には流星を捉えることは叶わなかった。

昨日は最後の渋柿を剥いた。お取り寄せの愛宕柿であるが、これが大きいのは450ℊもあり、小さいので310g、都合46個を剥き熱湯に浸してから吊るした。ベランダの物干し竿が大きくしなっている。これだけ大きいと仕上がるまで時間を要すであろうから、年が変わって帰郷する頃か。

愛宕柿は合計96個、35㎏だった。前に吊るした柿は半分近い大きさになっているが、未だ未だで三分の一になるはず。吊るすスペースがないので、前に干した柿を採りこんで場所を確保した次第。

柿を剥いていると従姉が姿を見せたので、途中でやめて前日と同様に一緒に散歩することにした。妹も誘ったようで、三人で柚子ロードと名付けた森林軌道跡を、陽光を浴びながら三十分ほど歩いた。

                

従姉が作っている蕪を間引いた菜を貰った。夕食用に「煮物」と「胡麻炒め」にした。この日の夕食は「おでん風煮物」に、干物を焼き、大根おろしに冷奴、蒲鉾、サラダに大根の漬物二種、茄子と豚小間の味噌炒め。加えて前夜の残り物の「ハンバーグ&ピーマン肉詰め」。ちょっと多いね!。

              

食材のうち、大根・蕪菜・カマボコ・アジ開き・漬物は頂きものである。安く上げていると云うことだ。

             

燗酒が飲みたくなり、手酌酒をやりながらの夕食であった。

 

こんなことを記しながら、夜明けが近づいてきた。今一度、デッキにでて夜空を見上げることにしょう!。

 

 

 

 

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