オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

令和二年、愈々始動!

2020-01-05 | 弁当

1/5(日) 殊のほか長かった年末始休暇も今日で終わる。明日から、いよいよ令和二年の始動となる。とは云え、こちとらは永の休暇、覚めることのない冬眠に入って早や一年!。世間とは完全にずれているのだからなにおか言わんである。

今日は「奈加野」のオヤジが久々にボートレースに行くと云うので付き合った。オヤジは明日から日赤に入院して胆嚢の手術を受ける。私は今月8日から田舎に戻るので、最後の挨拶とお大事にと言う気持ちである。

然しながら最終レースまで付き合うことなく、途中で失礼した。と云うのも、三時に横浜でKISHIMOTO大兄とお会いする約束ができたのだ。東京での滞在が限られてきたので朝に連絡して、時間を頂いた次第である。

ボーロレースの方は相変わらずの「当たるも八卦、当たらぬも八卦」のようなものであった。寒風が吹き抜ける京急電鉄・平和島駅から横浜に向かった。待ち合わせた横浜駅西口の交番前も寒風が吹き抜けていた。

地下街の蕎麦店に入り、燗酒をやりながら久々の歓談。近況や家族のこと、ゴルフのことなどを聞きながらひと時を過ごした。何時ものことながらお世話になるばかりである。

横浜駅で崎陽軒のシューマイを買って、五時過ぎに学芸大学駅に帰り着いた。今夜は息子夫妻が食事に来ると連絡があったので、早めに切りあげての帰宅である。家人の帰りが珍しく早くて、食事の用意に取り掛かったところであった。

義母を交えた五人で食事を摂るも、話すことはあまりない。オヤジ以上にノー天気な愚息との間では話が通じることはないのだ・・・。疲れるぜ!全く。

年末始のお休みの終りは、かくの如しであった。

 

昨日記した黒田君の終末の様子を確認するために古い「日々の綴り」なる簡潔な日記を取り出してみた。肝心の平成27年1月4日~8日までの分が欠落していたが・・。

1月3日の綴りには「今日から終末医療に入りました」と、黒田君からメールが届いたと記してあった。それを受けて翌日の4日には、津川さんを誘って病院に行った記憶がある。

そして、9日には[14時からWEBチームとの打ち合わせを一時間。黒田家から弔辞と火葬場への同行依頼があった。弔辞の文章を急いで作り筆耕先を探した」とある。金曜日の夜になり、筆耕先を探すのに難儀した覚えが甦る。

通夜は12日の月曜日、13日が告別誌で両日とも寒かった。会社からお手伝いに九人をだした記してある。高齢の上に病気の父親が痛々しかった。

通夜、告別式ともクライアントや仕事先の方々が参列し、黒田君を見送ってくれたことは昨日記したとおりである。

サラリーマンを辞めて以来「日々の綴りと手帳「」に過ごしてきた経過を記してきた。大まかではあるが、二十年弱の経過ではあるが分る。大ボケの年齢になったが・・・記憶辿る旅ができるようになっている。意味があるかどうか?ながら、自分の為に。

幸いにして明日もまた、予定がある。

 

 

 

 

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