オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

酔っ払い・・・

2018-04-25 | Weblog

4/25(水) 今日の雨は激しかった、昨夜の酒の酔いを流すほど降ったが、酔いは流れ切らなかった。

二日酔の体ながら、目覚めは六時前であった。早速、弁当の準備に入ったが、今日の弁当はオムスビと箱弁の二種である。オムスビは、長女が研修に参加するとのことだったので手軽に食せるようにであった。

菜の方は「鯛切り身のソテー」と「茄子・ピーマンと豚肉の炒め物」「豚肉とタマネギ・エノキ炒め」「蕪の甘酢和え」、定番の卵焼きだが、オムスビのこともあるので鮭・タラコ・サバ文化干しも焼く。

                

結構な品数と量であるが、年寄りが居るので朝・昼と少しづつ食すであろう。そうだ、老人の為に味噌汁も作ったのだ。

                        

昨日の朝、ドジなことにスマホを置いたまま家を出ていた。会社に着いて、スマホの操作でドアの開錠をしようと内ポケットに手をやると、無かったのだ。

昼前に家まで採りに戻った。明日から帰省するので、その前に処理を済ませる大事な案件があった。携帯でのやり取りが多いので、如何ともし難いのだ。タイの切り身は、スマホを取に戻る際に魚屋で買ったと云う次第。スマホは忘れても、弁当のことだけは頭から離れない・・・・。

オムスビは三個作った、そしたら三個とも長女が持って行った。それやぁ~喰い過ぎだろう

                                      

 

昨夜の退社は八時を過ぎていたか。私的な案件をスタッフのAOKIに手伝って貰ったので、一杯馳走することにした。店は「ローカーボ」である。

店に着くと先行のAOKIにIMAEの兄さん、そして本物HOYA兄いが居た。IMAEの兄さんが居た角の席を横取りして、兄いと並びに座った。ことの発端はここから・・・・・。

皆で盛り上がったが、例によって兄いと二人で先に失礼し、先ずは「ちょっぷく」に顔出し。そこで安ワインを飲んでいると、YAMAちゃん店長が日本酒が美味いからと…。暫くして外人のカップルが来た。

前夜に男の方が一人で来たとのことだった。店長の情報によると、新婚旅行で来たが妻の方は体調が良くないと、男だけが来たそうだ。そして、この夜は二人してご来店となったようだ。

                      

店長が新婚さんの席に行ったり、こっちに来たりとサービスに努めているうち、合流して飲むことになっていた。シカゴから来たそうだが、「ちょっぷく」で喜んでいるのだから貧乏旅?それとも彼等らしい合理主義か。

男の方は二十二歳で、スポーツのンインストラクターと云うだけあっていい体をしている。どうみても妻の方が年上?。すっかり意気投合?というよりは酒の力か。ここで終わればいいものを・・・。

                  

兄いと二人で「セイジュ」まで散歩をしちまったのだ。客はいなかったので、カラオケ三昧だが何しろ酔っていた。店仕舞いを告げれるまで居て、帰ろうと「ちょっぷく」の前を通ると、外人部隊が未だ居たのだ。

他の客は居ないのに店長とヨッチャン、もう一人、年増の姐さんが一緒だった。が、この姐さんの記憶がない、途切れているのだが。

                       

店長に拉致されて、再び店に入り飲む破目になっていた。帰宅は当然、午前さまであった。二日酔にもなるわな・・・・・。

昼過ぎに「ちょっぷく」を覗くと、ヨッチャンが「店長は酔って、あれから帰りが大変だったのよ。あの外人さんは、今夜も来るって。ARIさんも来るわよね」なんて言われちまった。イヤイヤ、無理だね、と返したが。さて、どうなることやら・・・・・。

 

明日から、五月四日まで帰省する。今夜は、四月に東京で飲む最後の酒となるか・・・・。飛行機の中でゲロ吐かない程度にしなきゃ・・・・。

それでは、暫くの間、ご無沙汰をします。

 

 

 

 

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プルコギ

2018-04-23 | Weblog

4/23(月) 日曜日は19時頃に帰宅。酒と食い物で、あれほど丈夫な胃もへばっていた。こんな夜は早目に休むに如かず、と十一時前には蒲団にもぐり込んだ。

枕元に読み止しの文庫本を置いたが・・・・。目覚めたのは午前三時、妙に汗ばんでいた。眠れぬままに、枕元にあった文庫本を手にした。五時半まで読みつづけたら眠気がやってきた。一時間ほど眠った。

そして弁当の準備に・・・、その前に思いつくままにメニューをメモした。在庫の食材を思い浮かべながら・・・・。鶏肉・蒟蒻・椎茸の旨煮、アスパラの豚巻、キンキ開き焼、小松菜の煮浸し、ホウレン草の卵巻・・・・、そして漸く、「牛小間漬け」と「ブリ切り身」があったことを思い出す。

書き並べた中から、「牛小間」と「ブリ照り焼き」を、先ずはセレクトした。後の菜は台所に入ってからだ・・・・。

冷蔵庫から食材を取りだして並べてみる、メインと添え物のを組み合わせる。牛小間はプルコギ味のタレ漬けであった。ブリは照り焼き用に、酒・醤油で漬けにした。プルコギの添え物に、ピーマン・シメジ・甘パプリカをソテー。

卵焼きはホウレンソウを茹でて卵巻にする。小松菜は小さな厚揚げと一緒に煮た。プルコギにキャベツ&タマネギを一緒に煮炒めする。タレにプルコギャンを加えた。

                           

そんなことで今朝のメニューが完成した。プルコギはご飯に掛けて食べると美味い。が、家人は嫌がるので、ご飯の上に載せるのは長女の弁当だけにした。小さな弁当箱なのでこうでもしないと菜が納まりきれないと云うこともあるが。

                       

かくして二人分の弁当が出来上がった。菜はいっぱい残った、義母も食べきれぬであろう・・・・。

                     

 

余談だが、昨日の秩父詣でのご一向を改めて紹介する。打ち上げのアイリッシュパブでの一コマだが。

                         

左から時計回りに・・・、お手数をかけた幹事長MATUOKA(マッチャン)、ストローハットはNAKAMURA大将、HOYA兄貴、センターの囚人服がJINパパ、競艇場スタイルの小生、うましの女将とご亭主、最後の右端が高松の店主ミッチャンである。

嗚呼! 楽しきかな人形町メンバー、の一コマである。

 

 

 

 

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パトロール隊・秩父散歩

2018-04-23 | Weblog

4/23(月) 昨日の日曜日、好天と高気温に恵まれた中を西武池袋駅に秩父に向かう八人が参集した。何れも人形町に巣食う面々である。

一番の若手は「宵のひととき うまし」のオーナー夫妻。これに高松の主人ミッチャンに、白金台の料理研究家JIN先生のご主人で通称JINパパ、そしてパトロール隊のマッチャン、HOYA兄い、NAKAMURA大将に小生と云うメンバーである。

パトロール隊の日帰り旅は、当初は熱海の梅園とか小田原城址とか諸説あったが、時期を逸したりで秩父に落ち着いたのは一月ほど前か。マッチャンが暇にあかせて?、諸般を整えてくれた。

バッグにビールや焼酎に摘みなど詰め込んできたマッチャンは、レッドアロー号の席に座すなり、皆に配った。何が何でも秩父に着くまでにバッグを空にして軽くすべくやっきであった。

と云う分けで、発車時刻の八時半から池袋に帰着し、反省会で会費を使い切るまでアルコール漬けとなった次第。

お酒を飲む以外には電車内か、二十分ばかりの船上、少しの歩きと食事であった。十時前に西武秩父駅に着き、直ぐに秩父鉄道・御花畑駅へと向かう。西武秩父駅から五分と離れていない。この駅から長瀞駅に行き、ライン下りの船に乗ることになっている。

御花畑なんて名の駅だ、花も団子もないと思いきや、花の代わりに味噌団子を小さな駅の脇にある小さな店売っていた。花は何処にも見当たらなかったが。団子一つに不味い蕎麦を喰って電車の到着を待ったのである。

御花畑から長瀞駅まで20分ぐらいか、鄙びた田園の中を電車は進む。途中の右手に、バイキングランチを摂る「農園ホテル」が見えた。『あれが、今日のランチをとるホテルだぜ』と教えてやるが、誰も聴いちゃいねぇ。

                  

長瀞駅から荒川の遊覧船乗船場までも直ぐであった。残念なことに、水量不足で長瀞のライン下りは出来ないとのこと。岩畳みのトロ場を廻る900円のコースとなった。

                       

秩父音頭に唄われた岩畳みだが、来てみりゃどうってことのない岩が・・・・。岸辺から200mばかりの上流まで一週するだけのことだが、ゆっくりゆっくりと舟の櫓を漕いでゆくのである。新緑の岸壁から川岸に垂れる藤の花だけが目を和ませてくれる・・・・。

                          

この舟遊び、酒も飲めなきゃ歌も出ない。なんとも味気ない、あっと云う間の二十分であった。ここからは、再び電車で戻り農園ホテルに向かう。そしてビールや酒を飲みながらのバイキング。

段丘の上に建つホテルなので、秩父の市内から遥かな先の山並みまで一望できる。春霞で山並みは霞んでいたが・・・・。

                          

秩父滞在時間は、十時前から十五時半までの実質五時間なので、お寺巡りとか三峰神社参拝とかは端から諦めていたが、酒を飲んでるだけで帰りの電車の時間。またしても飲み飲みの車中・・・。             

五時前に池袋に帰着。そこから振り返りと称するお酒タイムが・・・。前に一度、KIYOTAさんTAKAHASHI君と飲んだアイリッシュパブにはいった。タイム割引のジントニックとギネスを飲んで、一同、大いなる反省?をしたのであった。

                  

                  旅を終えた池袋駅前       反省してるふうじゃねぇな

と云う訳で、取り敢えず秩父に行ってきました。人形町パトロール隊三度目の、日帰りの行楽であった。

 

 

 

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オムスビころり

2018-04-20 | Weblog

4/20(金) 早や週末の金曜日となった。昨夜の酒は「高松」から「ローカーボ」で、HOYA兄いと二人で始まったが、最後は何時もの四人組になっていた。文化革命ならぬ、人形町四人組の揃い踏みと云う処だが、私は早目に切り上げた。

帰宅は十一時過ぎでなかったろうか。東急ストアに寄るか寄らぬか、迷ったが寄らずに帰った。と云うのも、今日は「オムスビ」にしようと思ったので食材に不安がなかったのだ。

六時過ぎに目覚め、弁当の準備に入る。オムスビなら、菜の方は卵焼きぐらいかと・・・。思いながらも、暇なオヤジはそうはイカンザキだとのこと。小エビの冷凍が有ったので、オムスビに天ムスを加えることにしたのだ。

                       

鮭にタラコ、そして天ムスを加えた三種である。前日の残りご飯があったので、これは鮭まぶしのオムビにした。新たに炊いたご飯で、三種のオムスビを三個づつ作ることにした。

菜の方は、卵焼きに飽き足らず「鶏唐揚げ」「茄子味噌炒め」にスナップとウインナ―を素揚げし、胡瓜のごま油和え、板カマも加える。あれもこれもと作り過ぎの感もあるが、義母もいるので昼の菜になるだろう。

                   

弁当を取りに寄った長女に『さあ~好きなだけ持ってけ!』と云うと、早速オムスビをひとつ食して行った。それに、オムスビは各種持参したのだから…痩せねぇな

                          

と云うような分けで、弁当箱には菜だけが納まっている。フルーツでも加えれば、ピクニックのお弁当だね・・・・・。

                      

 

今度の日曜、気温は28度にもなるとの予報だが、人形町パトロール隊は三度目の日帰り小旅行を決行する日なのだ。

行先は秩父である。八時半の西武鉄道レッドアロー号で秩父駅へ。そこから、先ずは秩父・長瀞下りで短時間ながら船上の人となる。荒川の清流を下る舟に乗船し、農園ホテルでランチだそうな。

農園ホテルは、随分の昔に労組の会議で泊まったはずだ。レッドアロー号はゴルフをやっていた時代に、十回以上は乗っている。然し、秩父で知っているのはゴルフ場に駅前の飲み屋と駅の売店ぐらいである。シャクシナの漬物と、酒饅頭が懐かしい。

秩父音頭は赤坂にあった店「くり丸」で、くり丸姐さんの唄う歌で知っているが、秩父の夜祭は、ついぞ機会を得なかった。何時かは行ってみたい、そんんな祭りの一つだったが・・・・。

もう一つ、秩父に関連するのは学生時代にさかのぼる。神田・三崎町に在った喫茶店[スポット」のオーナー夫人が秩父の出であった。その頃に秩父夜祭の賑わいを聞かされていた。

オーナー夫妻は落合に自宅が在り、何度か寄せてもらった。偶然にも、同郷の友人M&Kが落合に住んでいたが、その住み家と云うのが、廃屋に近いボロ家で「お化け屋敷」なんて言われたことを思い出す。

秩父で料理旅館だったと云う、くり丸姐さんの舞台があった大きな店は潰れた。その後、乃木坂でスナック「マロン」を始めた。一年程経ってからそれを知り、若干のツケを払いに行ったのがきっかけで、何度か通ったが何時の間にや音信が途絶えた。それから、三十年が経つ。

くり丸姐さんの店に連れて行ったのは、TV屋だった悪友のHOSOKAWAだった。彼も取材か、出演なのかで知ったのだろう。馴染なってからは、くり丸姐さんから「おさむちゃん」と呼ばれたが、なんのことはない、ピンからの宮路おさむからきている。

[スポット」のマスター野添さんは、毎日の記者だったが、地方転勤を断って退社。実家の印刷家業の傍ら、そこの二階で喫茶店を始めて間もない頃だった。

学生運動が盛んな時代で、暇な私はいつの間にか、客からアルバイトのバーテンになっていた。徹ちゃんと云う、東京出身で顔はごついが優しいバーテンがいた。彼と交替で小さな店の狭いカウンターに入っていたのだ。

野添さんとの年賀状だけは三十年以上もつづいていた。奥さんと別れ、海外の海に山にと優雅に暮らす様子は知っていたが、体も衰えたか亡くなったはずだ。その後の、秩父出身の奥さんのことは分らない。

 

ふり返れば、振り返るだけの思い出というか、トボトボと歩んできた自責がある。これが事績であれば顔の上げようもあるが、ただただ他人様の情けに縋って生きてきた身である。さりとて、こうして縁のある地に赴くとなれば、そのご縁について顧みることを許されよ。

パトロール隊三度目の日帰り旅も水に、舟に縁がある。水郷佐原では当然だし、柴又帝釈天と矢切の渡しも然り、そして今回の秩父と云えば長瀞の舟遊びである。三度目の正直、舟から落ちるなよ…諸君。総勢八人での秩父行である。

 

 

 

 

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ロールキャベツ

2018-04-19 | Weblog

4/19(木) すっかりいい天気なった。昨日の朝とは大違いであるが、体の方がシャッキとしないのは昨夜の冷酒とハイボールの濃さの所為か?。要は、無理が利かない体ということだ・・・・。情けないねぇ~。

昨夜は、OB会理事会後の恒例の懇談会では冷酒をがメイインだった。そして気の合った面々での二次会では自分で作る濃い~ハイボール。帰宅は十時前と早かったが、酔っていたようだ。されど、酩酊と云うほどの酔いではなかったはずだ。駅前の東急ストアで弁当食材を贖ったぐらいだから・・・・。

今朝の弁当は「ロールキャベツ」と、残った挽肉をハンバーグにした。魚はカツオの漬け焼とタラコを一切れ。ホウレンソウをソテーし、卵焼きでお仕舞である。手間がかからないようで、手間がいった。

                    

昨夜の段階では、今日はオムスビにしようなんて言ってたが・・・。今朝、台所にはいったら気が変った。春先の天候のように転変が早いのだ。今日は通常通りで弁当は二つである。

                        

 

古賀武夫 伝記本「地球を翔けた異風者」の三校と、表紙デザインの段階に入っている。校正は佐賀弁のチェックになるので佐賀に任せたが、表紙のデザインがイージーすぎるように感じている・・・・。他人の意見なんぞに耳を貸さない主義だが、こればかりは誰ぞの意見が欲しい・・・・。我儘なやつである。

 

 

 

 

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サイコロステーキ

2018-04-18 | Weblog

4/18(水) 今日の弁当も三つになった。昨日、家人の事務所の若いこに持っていった弁当を見て、ステーションを手伝ってくれている家人の同級生が「私も食べたい」と言ったそうだ。この同級生と云うのは、結婚前から知っているSASAYAという小姑如きの姐さんで、家人の弁当を覗いては何時も一言二言、言うらしい・・・・。

如何にもSASAYAらしくて面白いのだが、「食べてみたい」そんなことは想定済みであった。食べたければ作る、持っててやれよと、今朝も弁当を三っ作った次第である。余談だが、この前、HIROさんと取材に行った心臓外科の大家AMANO先生は若い頃に関東逓信病院に勤務したことがある。同じ時期にSASAYAも手術室に勤務していたそうだ。その当時の話は・・・・・、訊かなかったが・・・・。

家人の同級生で、私もよく知っているSASAYA小母さんだ。心して弁当を作らして頂いたのは云うまでもない。

今日は「サイコロステーキ」がメインだが、この鹿児島産黒毛和牛は桜木町駅前のビルの地下にあるスパーで買ったものだ。後輩のSATOU・KIMINORIと一杯やることになり、約束の時間より十五分程早く着いた。時間潰しに、目についたスパーに入って食品売り場をぶらついた。大根は安くなったが、ホウレンソウは高いな・・・などと弁当オヤジは野菜売り場から狭い肉売り場へ。

パック詰めの肉が並んでいた。どの肉も安い、その安い肉がどれも美味そうで、更に国産和牛のシールが。それを見て、弁当オヤジの血が騒いだ。ステーキ肉にするか?黒毛和牛のシールが貼ってある「サイコロステーキ」にするか、其々を手に取って吟味した。

これから酒を飲もうというオヤジがすることじゃない。分っちゃいるが、弁当食材を見ちゃあ、それも最適なのを見たとあっては、ど~うにもとまらない・・・。鞄に納まりそうなやつをワンパック買ってしまったのだ。

程なく現れたKIMINORIとは、彼の案内で桜木町・野毛の片隅にある焼き鳥店「満州焼」なんて看板が掛かった店だったが。ここでチューハイを飲み、元気がついた処で馬車道の「Me gusta」へと移動。ハイボールを飲りながら古き良き時代のことや、最近の状況などを聞いて過ごした。勿論、過日の手数をかけた礼を伝えた。

                        

この店での出演は縁の長い葉子さんとダーナであった。葉子さんは相変わらず上手だし、ダーナも味が出てきた・・・。こんなこと言うと、二人から殴られそうだが・・・・。

学芸大学に着いたのは十時半頃であったろう。駅前のスーパーには入らなかった。カバンの中に「黒毛和牛サイコロステーキ」の肉が入っているのだから。この肉を冷蔵庫に仕舞い、それから翌日の弁当メニューを考えたのであります。

サイコロステーキは勿論だが、他に・・・・。この時点で家人から、SASAYAが弁当を・・と聞いたのだ。即答で『それは想定済みだ、明日持っててやれよ』と。然し他の菜は・・・、と出た答は「大根・人参・蒟蒻と鶏肉の旨煮」「オムレツ風卵焼き」「小松菜の煮浸し」であった。

自室に戻りこのメニューをメモ、そしてお休みなさいであった。文庫本を読んでいたが・・・・いつの間にか寝入りこんでいた。目覚めたら朝、六時半になっていた。

台所に向かう・・・・食材を取りだす。処が卵が売り切れ、おまけに小松菜もなかった。一切れ残っていた鮭を焼くことにする。野菜は一本だけあったアスパラとインゲンをソテーしサイコロステーキのお供に。

米を磨ぎ、炊く。この米とぎも、しっかり磨がないと嫌なのだ。蒟蒻・大根・人参に鶏肉を鍋に掛ける。サイコロステーキを焼く、塩胡椒に醤油をひと垂らしする。家で食するなら山葵醤油がいいな…そんなことを思いながら。

                        

これだけじゃ何だか物足りない、卵がないのが致命傷だ。冷凍庫を物色し、小さな笹カレイを発見した。これをニンニクのオリーブオイル揚げにする。

                           

以上、本日の弁当が完成した。肉の味は上々、あのお値段でこの味ならGood! 。横浜に引っ越したいね~。

 

今日の夕方は、東京地区のOB会理事会。理事会の後は懇談会とつづくが、今日で理事会に出るのは最後となる。六月の総会で退任し、今度は監事をやってくれと頼まれているが・・・。断れるものなら断りたい、それが本音だ。年に一度、監査の時に出番が有るだけとは云え・・・。

 

 

 

 

 

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来し方行く末・・・

2018-04-17 | Weblog

4/17(火) 昨日の午後、武蔵小金井に住まうHIRO&HANAOKAさん宅を久々に訪問した。手土産は「山女魚の姿寿し」と、復興支援の酒「絆伝心」であった。駅から6~7分の距離で何度か訪ねており、簡単に着くはずであった。

店が閉まっていたが、和菓子屋の前を左折して真直ぐに行けばいいと思い込んでいた。あの辺りであろうと進むが・・・・。処が暫らく行けども描いていた塀と入り口が見当たらない。もう一つ左折かと住宅街の横道を左に曲がった。直ぐに行き止まりになり、もう一本戻ったがそれでも見つからない。可笑しいなと、一番最初の横道まで戻った。漸く目指す宅があった。暫くこないと、これほどまでに道が分からなくなるとは・・・・。

すっかり料理の腕を上げ、レパートリーも広げたHANAOKA女史の手料理がテーブルに並び、ワインやウイスキー・・焼酎が、さあ飲めとばかりに林立していた。先ずは、先般の愚息の披露宴出席の礼を云った。今回、招き頂いた訳が面白かった。「子供たちを立派に育て、ご苦労様でした。ご慰労申したく」だったのだ。

子育てなど放棄していた私ゆえ、真逆な言葉を頂いた次第だが、その言葉の真意は「今年の花見が一緒にできなかった。時期を逸したが、恒例で一献交わしましょう」であろうと推察し、お邪魔した。東京の桜が満開の頃、女史は郷里の母親の介護で帰省していたそうだから。

三人での花見は十五年程になろうか、恒例であった。お互い元気であればこれからもつづくであろう・・・・。女史が漬けた云う花梨酒が、乾杯酒であった。仄かに香る花梨と甘いリキュールが心地いい。

BGMを聴きながら手料理を堪能し、お酒を頂戴した。この家は何度訪れても落ち着く。何時ものテーブルとイス、窓ガラス越しに見える小さな庭の緑。懐かしい古き良き時代の造作と、和ませてくれる室内に簡素ながらも収まるところに納まった調度品。何よりも二人の心遣いが身に沁みる。

結局、居心地の良さに三時半から十時まで居座ってしまった。僕たちの話しは、来し方から行く末へと尽きることがない・・・・。最後は、何時ものように演歌の世界に浸ってしまったが。愉しい一夜であったと、云うしかない。

 

今朝の弁当を準備していると、家人が「スタッフの若い子が、あんたの弁当を食べてみたいそうよ。五百円でどうでしょうかって言ってたわ」と云う。バカヤロ~、俺の弁当が五百円で喰えるか、食材にもなりゃしねよ。と、応えた。

そうは言ってはみたが、あの色黒で南の国から来たような娘が俺の弁当を喰ってみたいのか?。弁当オヤジ冥利に尽きるか・・・・。

『今日の菜は沢山あるから、じゃあ弁当持って行ってやれ』と、OYAJIは優しさを発揮したのである。弁当を食べてみたい言う、その色黒の娘には一度顔を合わせている。睡眠セミナーに駆り出されたときのことだ。後で家人に、あのこの出身は南の国だろうと訊いたほどだ。さに非ず、横浜生まれで優秀な看護大だかを出ていると言われた。

そんなことがあった今朝、弁当は「チンジャオロース」に「カボチャ煮」、「トンカツ」「塩揉み胡瓜の胡麻掛け」最後は定番の「卵焼き」であった。キャベツの千切りを包丁使いも軽やかに・・・・。と云う次第であった。

これだけ菜があると、小さな弁当箱には大変だ。南瓜煮は、一つを半分にしてようやくおさめた。

                     

今日は久々に弁当を三っだ、作り甲斐があろうというものだ・・・・・。

                    

 

今夕は横浜で一献交わすことになっている。一月ほど前になるが、或る案件で手数をかけた後輩のS氏と、御礼方々の一杯である。四半世紀も前に部下であったが、彼が前に在席した会社の案件で、彼にもサポートを頼んだ。その折に、久々に一杯やろうと伝えてあった。その言葉の実現である。

 

 

 

 

 

 

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週末から週明け・・・

2018-04-16 | Weblog

4/16(月) さて、先週末の金曜日は夕方から上野の居酒屋でサラリーマン時代の剣道部OB会であった。参加したのは二十名ほどで少なかった。ここ二年、欠席したので最近の状況は不明だが低調なのか?。

OB会は、私が未だサラリーマン現役だった時に発足した。故・高田師範と、前島師範からの「現役部員を物心両面から支援する為に協力せよ」とのお仰せを受け、剣道に大いに助けられた私が発足の音頭を取り、初代の会長と云うことになった。然しこの数年は大会へすら顔を出していない。防具を付けない者が差し出がましいことを控える。ただそれだけのことであるが・・・・。

そんな次第で、このOB会にも遠慮したかったが、事務局長からの「スケジュールを四月に変えましたので是非に」とのこと。これまで三月開催であった所以に、彼岸を理由に欠席をしてきたが・・・。そこまでされては申し訳ないと出席することにしたのだ。

この会ではすっかり長老になってしまった。前島師範はご高齢で夜の会には顔を出されなくなった。揃いも揃って後輩ばかり、挨拶をされる側に成り果てた。どうもこう云う場は落ち着かない。が。酒が入れば…お構いない。とはいいながらも、お開きになる前に「次が有るので失礼する」と、座を立った。

次と云っても人形町パトロールに過ぎぬが。九時過ぎに人形町に戻り、HOYA兄いとマッチャンに合流した。合流した店は「セイジュ」であった。店に着くと、マイクを握って相客と歌合戦の最中。その相客といえば、「高松」の常連で旧知の某鉄鋼販社の面々であった。更に、「ちょっぷく」のお助け隊のフナッシーが客八人を連れてくると言う。今夜のセイジュは大繁盛、目出度いねぇ~。

頃合いを計って「ちょっぷく」へと移動。ここも大繁盛ぶりで、相席をさせてもらったところにNAKAMURA大将が上機嫌でRYOKO姫を連れて姿をみせる。いみじくも、翌日の料理教室参加メンバーが揃ったことになった。こうしてオヤジ達の夜は更け行くのであった。

明けた土曜日、午後からの料理教室に向けてお土産に「山女魚の姿寿司」を何本か作ることにした。ついでに、蕪の肉詰め煮も義母用に煮ることにした。蕪の葉は塩揉みして漬物風にする。余談ながら、義母は蕪の葉食したが、肝心の煮物には手を付けなかった。

                          

この日の料理教室は「チンジャオロース」と「エビチリ」を作る。本日のレシピを受け取り、手順の説明を受けてから手洗いをして調理となる。調味料は先生と助手のJINNOさんが全て整えてある。

本日の参加者は、初参加のMAMIYA老 ―この方はHOYA兄いの会社の長老でご意見番かな・・・― 、久々参加のIMAEアンちゃん、HOYA,NAKAMURA、MATUOKA、AOKIに小生、以上七名である。左利きの腰使い包丁さばきをみせるFUJIKURAは腰の治療に、女流カメラマンのハナちゃんはお仕事でお休みであった。

調理の方は手を動かすより口を動かしている方が多い一言居士揃いだが、一番喧しいのはJINパパであろうか。このJIN城の城主であらせられるので疎かにはできない。ご高説を賜りながら我等は手・口を動かし勤しむのが常である。そして、ベランダで合間の一服をしながら、眼前のSON・MASAYOHI城を眺めながら一言二言戯れ事言う・・・・毎度ながら。

                             

一時間半の料理時間に、振り返りと称するお味見&懇談の時間がこの日は二時間と短かく参会した。処が、後に残った三人組は十時頃まで飲んでいたそうだ・・・・。いい大人が、潮時というものをわきまえない、イカンザキだね~。誰だ、そんな三人は

雨が降りだしたが、うまいぐあいに雨の間隙を縫って帰れた。

そして我が家での日曜日の夕食、当然前日に習った料理のおさらいである。チンジャオロースとエビチリが並んだことは言うまでもない。家人曰く「ちょっと味が濃いわねぇ~」と。それにや訳があるのよ・・・前日のチンジャオロースが薄味だったから・・・・。

で今朝の弁当にも「エビチリ」を作った。ここで使用した海老は、弁当に合わせた小エビであるが。五目チラシと鮭焼き、タケノコ煮、胡瓜とワカメの酢の物、アスパラ&スナップのソテー、以上である。

              

午後にTUGAWAさん宅を訪問する。何も持参するなとの女史からのお達しがあったが「山女魚寿司」を作った。これなら珍しいかろう故、許されよう。

                             

 

 

 

 

 

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牛小間炒め

2018-04-13 | Weblog

4/13(金) 週末の金曜日を迎えた。今週も月曜日から酒場巡りがつづき、草臥れモード満杯だが、今夜で平日のパトロールが終わる。今夜は上野広小路の居酒屋で剣道部OB会、21時過ぎには人形町に戻り、週末の手〆をするだろう。

明日の土曜日、午後の「オヤジの料理教室」につづくふり返り酒が終われば、今週の酒尽くしはお仕舞だ。深夜には日曜日の皐月賞の検討に入る予定だが・・・・。こんな日々で、一年はあっという間に過ぎる見込みだ。

昨夕は予測通りにMATUMOTO氏から連絡があった。人形町に来て貰い「うまし」から「ローカーボ」のルートで締め括ったが、途中で眠くなってしまった。HOYA兄いとマッチャンにローカーボで遭遇した。

Mの話の中から、ちょっと面白い企画が浮かんだ。飲んでいる間は、いいアイディアと、そのことで盛り上がった。

が、今朝になると・・・・。飲んでる間は元気がいいが…一夜明ければ萎れ花?。花ならば救いがあるが、枯れ木じゃねぇ~。果たして実現性&コスト・売り先は?急にリアルになっちまった。

昨夜は23時過ぎに学芸大学駅に着いた。東急ストアにて弁当食材を贖ってから帰還。出納長・日記を記し、更に弁当メニューをメモする。生真面目なOYAJIであった。

今朝は五時半頃に目覚めたが、蒲団を出たのは六時過ぎ。そして、台所へと向かった。

米を磨ぎ食材を並べ、やおら弁当作りに入る。タマネギを刻み、アスパラガスの皮をとり、ホウレン草を茹でる。

本日のメニューは、牛小間&タマネギ炒めを中心に、アスパラのソテー、ブリの照り焼き、ホウレン草のお浸し、卵焼きである。ブリの切り身をタレに暫く漬け置く。

                

最後に義母の味噌汁を作り、弁当を詰めてお仕舞である。

                       

 

 

 

 

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二度の飯作り

2018-04-12 | Weblog

4/12(木) 今日は会社でランチ会を開催する日でした。月に一度だけある、私の出番の日と云うことです。そんなことで、飯当番兵としては心引き締めて出社に及んだのであります。

メニューは「ハッシュドビーフ」と、二週間ほど前から決めておりました。じっくり煮込んだ方がよかろうと、昨夕から仕込みに入り万端整へて、本日を迎えたという次第です。

凡そ二十人分は取れるだけの量を用意し、中華鍋一杯のタマネギを三度も炒めました。シメジにマッシュルーム、デミグラスソースにトマト缶ect。昨夜の段階で十分な味になっており、今日は温めるだけです。量的には大きな寸胴鍋に半分近くも出来上がりました。

今日は「野菜サラダ」と「中華風スープ」を作ればお仕舞。何時になく早い時間で出来あがり、早々とランチタイムに突入・・・・。

私も一皿頂いたが、今になっても舌になにかが残っています。ちょっと、濃すぎたかな…お味が。そんなことを振り返っている次第です。

                       

                     ランチ会を終えた後、残りものです

練習に自宅で作ったハッシュドビーフが、遥かに旨味がありました。勿論、肉の違いがありますが・・・・。大量に作るのはそれだけ難しい、と云うことでしょうか。町のレストランや食堂に敬意ですね。

 昼のランチ会、朝の家族弁当と、OYAJIは飯作りしか能が無いようです。さりとて、なにもないよりは救いがあるか?。

で、今朝の弁当にことが及ぶ次第。今朝の弁当メニューも、昨夜の帰宅後に決めた。決めたはいいが、一晩寝ると忘れてしまうことが多々。仕事でも取らないメモをするようになった。

この日のメモによると、①掻揚げ②茄子と豚肉の味噌炒め③ホタテのバターソテー④スクランブルエッグ、である。

メモとスマホを手に、台所に入る。冷蔵庫から食材を取りだして並べる。これを見ながら、メニューの最終決断をする。後は実行あるのみ・・・・。

前夜のメニューから若干の変更が生じたが、食材は概ね決めたとおりだ。ホウレン草とズッキーニ・赤・青のピーマンが加わった。

茄子味噌炒めは、オイスターソース炒めになった。掻揚げに、ズッキーニとピーマンの素揚げが加わった。ホタテのバターソテーには、ホウレン草のソテーも参戦。そんな処である。

                  

弁当の菜と味噌汁(義母用)を作って、今朝の遊びを手仕舞いした。 出社すると、また飯作りが待っている。米を二袋、小分けしてジブロックに入れる。ランチ会用に持参するのだ。

                    

ランチ会がある日は「月例ミーティング」がある。主旨は反対だな、月例会があるからランチ会を遣るだ。

月例会で言いたくもない一言を云うのも辛いが・・・・、言うしかない。『君たち、このままでいいのか?。真剣に考えれば実現する道は幾つもあるんだぜ。』なんて、関係者しか理解不能であろう不可解なことを云う次第である。

然し、なんだねぇ~。ランチの用意をしただけでひと仕事が終わった気分になるのだ。これじゃスタッフに何を言ってもとどかねぇ~、か。

 

昨夕、元取引先の従業員で情報誌がスタートした時に担当してくれた某女史が来てくれた。取引先を辞めて、念願だったスナックを始めた。それが缶詰BARだった。

缶詰BARが軌道に乗らず ― 絶対に上手く行かないから止した方がいい、なんて余計なことも言ったが ― 、紆余曲折を経て、最終的にその店が終ったのは今年の二月末だったか。

「奈加野」で仲居さんのようなことをしているKAZUMI姐さんが、店の最終オーナーになっていたので、そこいらの状況は聞いていた。そんなことから、慰労するから飯でも食べにおいでと、言付けてあった。

それが昨晩実現した次第。内の経理の女史とは元の同僚で、一緒に店を始めた仲である。三人で食事をすることにした。好みを訊くと、肉か寿司がいいとのことである。

店はつづかなかったが、やって良かった。とのことである。自分で歩んだ道、悪かろうはずがない。明日へとまた、道はつづく・・・・。

人形町の肉屋では一番だと思っている「日山」を予約した。ステーキとスキ焼を食しながら、ご慰労を申し上げた。最後に「ローカーボ」にて美味いハイボールを飲んで散会した。

各の如し、日々なにかが生じ、酒を飲めるという有難き日々である。今夕辺りは、友人のM氏あたりが勤め先が変った大学の帰りだと寄り道をする可能性が高い・・・・・。氏のご高説を伺うのも、またよしか・・・・・。

 

 

 

 

 

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