オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

柚子&吊るし柿

2023-11-22 | 弁当

11/21(火)早やくも日付変更線を越えたので正確には22日と云うことになるが、久々にBLOGを記すことにした。生死不明の状態が続くようでは友人達が心配する?かもと。

山里で独居していると、暇なようでありながらも時間の経つのが早い。あの世の淵が迫りつつある証拠かな!。やる事がないようでありながら、季節の移ろいに合わせて諸事(遊び事?)多しである。

そんな中で、柚子の収穫と柚子酢絞りが漸く済み、恒例の吊るし柿作りは、昨日の地元の渋柿を50個ほど吊るしたところで完了と思っていたが・・・。なんと、今日になってアマゾンからの通知で23日に二箱(20㎏)が届くと判明したのだ。

多分、80~90個の渋柿を吊るすことになろうが、スペースがない。新しい物干し竿を買ってくるしかないか?。心配は、師走から年始にかけて帰京するのでそれまでに仕上がらない(多分)だろうと懸念するのだ。

のんびりとした日々ながら、と云うような心配の種が尽きないのだ。タマネギの苗の植え付けも、購入してあった苗(100本)を、今日の午後に漸く植え付けたばかり。育苗の小さな苗が300本ばかりあるので、これも植え付けなくてはならないし、ホウレン草の種蒔きも未だである。

天候や諸事に阻まれ思うにまかせぬ現状であるが、思い返せば幼少の頃はもとより、社会に出てからもそんなことの繰り返しであった。これが我が人生か・・・、何時まで続く泥濘よだ。

久しぶりのBLOGでボヤいてばかりじゃや仕様ないな、近況の写真でも載せて説明?でも。

            

柚子の木は20本ばかりと少ないが、今年は豊作?で、14日~16日に27箱ばかり収穫。このうち12箱を絞って20升ほど柚子酢を採った。妹夫妻が主役で、私は脇役。そんなことで、せめて飯でもと「赤飯」を炊いた次第。

干柿の方は、11日にからスタートしたが、途中雨の日や曇天で四日ほど剥かず吊るすこともできなかったが、昨日までで、350個ほど吊るすことができた。後は天気が良い事を祈るばかり、最初に吊るした柿は表面が固くなったので一昨日から揉み始めた。柔らかな干柿作りには欠かせない手順なのだ。勿論、使い捨てのビニール手袋を使用して揉むのだが、手の汗や脂が付かぬように、清潔?にとだ。

             

今年の柿は不作、取り寄せている愛宕柿、蜂屋柿、高瀬柿とも小さいうえに傷みが多い。地元の柿も然りだ。どんな仕上がりになるであろうか。柚子酢、干柿とも殆どは友人達に進呈するので綺麗に上がってほしいものである。

昨日の午後、暖か日差しのなか庭先の句碑の先に揺れるススキの穂を眺めながら、今年最後の吊るし柿とばかりに渋皮を剥いた。亡父の命日が十八日、その一月ほど前に庭に句碑が建ったのでお披露目があった。「小春日や七十余年の竹刀胼胝」と、亡父の句。親父も柿の皮を剥きながら我が手のひらを眺めたか?。

 

明日は、育苗した玉ネギ苗を植え付けます。

 

 

 

 

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一泊の旅行・・・

2023-11-11 | 弁当

11/10(金)十日の日付であるが、時刻は深夜を過ぎて十一日の明け方近くになっている。独り山里の古家に籠っていると昼夜の区別がないような暮らしなるのが常だ。

六日の夕、悪天候で混雑の高知空港を発って帰京。翌日から、サラリーマン時代の仲間と常磐ハワイアンズへ一泊のバス旅行に行ってきた。コロナ明けて久々に再会し、そして最後となるはずのバス旅行だが、以前と違い十一名の参加と少ないながらも元気な姿に接することができた。

何時も参加されていた数人が逝去され、十名近くが体調不良や都合がつかなくて欠席、と纏め役をしてくれているJUNKO女史から報告があった。

使用したバスは、中型のサロンバスから二十数名乗りのマイクロバスになっていた。運転を務めてくれるのは石井さんで、上着にネクタイ着用、帽子まで被って石井観光と称してバス手配・運転手をしてくれているのだ。この場でも深謝である。

そんな皆さんと職場を同じくしたのは、平成八年三月一日~十年四月一日に横須賀の研究所に転勤するまでの短い期間であるが・・・。悔恨と良き思い出が詰まった時間でもある。余談ながら、この時の人事異動に関しては、当時東京支社長をされていた宇田さんと一緒に盃を交わし酔う度に未だ話題になる。

バスが走りはじめると缶ビールを飲み、心づくしの摘みを頂きながら近況や懐旧に話が弾んだ。

常磐ハワイアンズを訪れるのは初めてであった。夕からの宴会後、ハワイアンダンサーの踊りを見物したが、中々の迫力で見所があったが・・・、半分は寝ていたか。名物のお風呂には朝方に入っただけである。帰路、那珂湊の魚市場に寄って昼食を摂り、買い物客で賑わう市場を見たが魅力を感じるものはなかった。敢えて云うなら、御徒町の魚売り店を見ているようなものか?

六時頃に出発地の上野駅前に着いて散会となった。次は何時、皆さんとお会いできるのか?。皆々、元気で過ごされるように願うばかりである。

この夜は末娘のところに食事に呼ばれていたので、人形町に寄り道せず我が家と同じ駅の三女の家に直行した。家人と長女親子が既に来ていた。長女の娘SORAは、友達と常磐ハワイアンズに行く気満々であった。

そして一夜明けた午後、帰郷となった。家に着いたのは五時前の夕暮れ時。川に仕掛けておいたカニ篭の状態だけチェックにいったら、案の定だ、六日の雨で増水となり篭が岸にあがって中のカニは干からびていた。

夜半から雨となり、今日は一日天気悪し。不在中にアマゾンから注文しておいた渋柿が四箱届いていたが、この天気では干柿作りはできない。新生姜の佃煮作り、午後に肥料や食材の買い出しに出掛けただけで一日が終わった。

初冬の気温になったので野菜の害虫予防に植え付けなど急がなくてはならない、柚子の収穫に干柿作りと、気は急くが・・・。ままならぬのは体と天候だ。ゆるゆると行きますか・・・。

 

 

 

 

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早や、11月となり・・・

2023-11-03 | 弁当

11/3 (金)早くも11月となり、今年も足早に過ぎて行くが代り映えもない山里暮らしがつづいている。こんな日々を好とするか、無為と思うかあれど受け入れて生くるしかなし・・・。

朝夕は涼しさを通り越して肌寒くなったが、日中は初夏と変わらぬ暑さがつづき、畑に出ると汗が止まらない。育苗した「のらぼう菜、レタス」の植え付けが済んで、白菜は順調に生育している。

されど、夏の間はスイカの蔓に埋もれていた僅かなサツマイモと、里芋を掘り上げったがいづれも虫に食われて散々な出来栄えであった。おまけに秋採れのジャガイモ「長崎黄金&ニシユタカ」は葉枯れして無残な結果となり果てた。農の物つくりの難しさを改めて実感する次第である。

来春の収穫に向けて玉ネギ・キヌサヤなどの豆類と、ホウレン草の植え付け用に土を耕す仕事が未だだ。その前に、茄子・オクラなどの始末をしなければ・・・。やらねばならぬことは満載であるが、行動が伴わない。

柚子の収穫と絞りも迫っているし、干柿作りもそろそろである。山里の柿は、甘渋とも不作と云うよりは壊滅ともいえるような状態。我が畑の渋柿も落下して十個ほどしか残っていない。先ほど、アマゾン経由で今年初の注文を出した。今年の干柿作りは例年の半分、300~400個と予定することにした。  

 

一週間滞在した東京から戻ってから十日足らず、この間に碓氷老人が来高し五泊六日で帰った。元気な老であるが、小さな庭の落ち葉拾いを頼んだら汗だく、休んでいる時間が長い、相当に足腰は弱っている。

やるべきことはエンドレスながら、来週は再度東京へ。六日の夜に帰京し、翌朝から「常磐ハワイアンセンター」まで遠征する。サラリーマン時代のメンバ―との一泊旅行に参加。これが皆で行く最後の旅だそうな。四十代後半に職場を同じくした皆さんだが、石井さんが運転してくれるバス旅を共にしたメンバーも数名が故人となり、体調不良も多いようだ。あれから四半世紀も経ったのだから、むべなるかな!。

旅の翌日、九日の夕に帰郷するが、それから二十五日の佐賀行までの期間が忙しいだろう。柚子収穫から夜鍋の干柿作り、昼間は畑の作業が待ったなし・・・。

 

最後に、先般の東京滞在での様子を簡潔すると、酒・サケ・さけの日々でありました。

ベッタラ市(19・20日)での昼・夜のお祭り酒、横須賀研究所時代の集まり、電電記念日のOB交流会と昼酒、宇田さんとの外人記者クラブ寿司BARでの懇談から地元学芸大学での知人との歓談、高橋君との歓談(彼は三~四時間も喋り騒ぐで煩かった)と飲み続け、流石に草臥れた次第。もう若くはないな・・・。

 

 

 

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