オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

夜明けだ・・・

2019-07-31 | 弁当

7/31(水) 夜が明けたようだ、カーテンを少し引いて小さな空を見上げると薄曇りの下で白々としている。前夜の夕食後、本でも読もうと布団に横たわっている居るうちに眠り込んでいた。

二時間程前に目覚めるとスタンドも部屋の灯りも点いたままであった・・・。ここ二三日、自問している。これも暇なるが故であろうが。

東京でやるべきことも無くなった。郷里に帰って先ずは実家の整理、何があるのか、田舎でやるべきことが何か生まれるのか、そんなことをぼんやりと考えてきた。そんな中で湧き上がってきたのは「仕事をやり切ったのか?」と云う思い、疑念である。

生涯現役と云いながら、会社の発展、従業員の成長と安定、我が身の能力不足、それらを勘案した末にM&Aで会社を辞めてから丁度一年となる。年末まで仕事の引継ぎなどで席はあったが、年明けからは素浪人、暇な日々を過ごしてきた。

酒場のオヤジになる計画も手ごろな店がなく、敢へ無く頓挫した。自分の居場所を思案した挙句の結論が郷里に帰る。であった。

そう半ば決めながらも、揺れていたのであろう。生涯現役と言ってきたことへのこだわり化、或いは仕事をやり切ったのか、という自身への疑念。今更企業を企てるには、能力・体力・気力・資力は乏しい。ならば、何があるのかとここに至って揺れるのである。

夜中に目覚めると、そんなことに惑わされるのである。我が必然はなにかと。飯作りや舟遊びの中に解がないことだけは確かである。今しばらく揺れるしかない。

 

そんな暇な日々、先ずは昨夜の飯作りから・・・。予定もない一日であった。三時間弱を舟遊びで過ごした後、夕食用の買い物をして帰宅。

鶏肉・牛肉・魚・野菜などを少々であったが、この中から「鯖味噌煮」「鶏モモのソテー」「小鯛の塩焼き」「胡瓜の飲物」を用意した。主食は「半田ソーメン」にしたので、鯛の頭と昆布でソーメン用の出汁を取り、潮汁を作る。

         

長女一家が来ないので、二人分にしては余ってしまった。

家人が漬けた新物のラッキョウを味見したら上々の浸かり具合であった。ビール、ワインを共に一人飯をはじめてから、暫くして家人が帰宅。テーブルにならんだ料理を見て、あきれ顔であった。

                     

 

朝の弁当は小物(少量)ばかりを七種。弁当箱に詰めるに苦労した。「カジキのソテー」「牛漬け炒め」「鯖文化干し」「ベーコン&ピーマン炒め」「小松菜の煮浸し」、冷凍してあった春巻を一つに、スクランブルエッグ、以上。

             

 

 

 

 

 

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やっぱ弁当や・・・

2019-07-29 | 弁当

7/29(月)七月最後の週が始まり、弁当作りも始まもった。暇であるのも困ったもんだが、暇しかないので如何ともしがたい。時々、ビジネスの最前線に生きてみたいという願望のようなものが沸き上がるが、今更使いようがない体と頭である。

このまま静かに朽ち果てていくのであろうが、悪あがきと云うのか生きている実感が欲しくなる。飯作りでは、そんな充足感は得られない。得られないながらも、弁当を作り食事の用意をする。現実は、やっぱ弁当!と云うしかない。

沈思ならぬ沈殿したままの日々を過ごし始めて、もう半年が優に過ぎた。元部下のE氏から先週末に連絡があった。漸く身辺の整理がついたとのことで、今日の午後に横浜で会うことになった。多分、彼の最後のサポートと云うことになろうが、できるだけのことはする。袖触れ合うも他生の縁と云うやつだから。

先ほど久しぶりにTUGAWAさんに連絡を入れ、様子を伺った。それなりに生きているとのことであった。頂上頂上である。

 

今日の弁当は「ヒレの一口カツ」に「ハンバーグ」「鶏ささみのバターソテーにホウレン草・シメジ・ピーマンのソテー添え」、定番の卵焼き、サラダと云うメニューである。

             

ハンバーグは予定外だったが、ひき肉が残っていたので使うことにした次第。鶏ささみは、昨日作った茶碗蒸しの鶏肉が残っていたからである。そんなことで、てんこ盛りの弁当になった。

                

昨日の日曜日、天気も悪くて外出する気にもなれなかった。家から出たのは夜になって炭酸を近所のコンビニまで買いに行っただけ。暇つぶしに新聞でみたレシピから、電子レンジで作る「茶碗蒸し」と「プリン」を作ってみた。レンジでの蒸し時間が上手くいかず出来栄えは良くなかったが、食すにはなんの問題もなかった。

                  

茶碗蒸しは大ぶりの椀に二つ、プリンは四つである。長女からチーズケーキを作るようにオーダを受けているが、そのうちに気分がのればチャレンジする。

 

 

 

 

 

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蕎麦打ち会

2019-07-28 | 弁当

7/28(日)今朝の空はどんよりと重い。深夜に相当降ったようだが、飲んで寝ていたので記憶は定かでないが・・・。

昨日は「日本橋粉の会」が主催する蕎麦打ち会に参加した。人形町駅から何時もの会場、浜町コミニュティ会館に着いたのは、正午になっていた。前夜の深酒と朝のビールで体は重く、遅い到着となった。会館に入ると珍しく参加者が少なくて直ぐに蕎麦打ちの順番がきた。

蕎麦粉8、中力粉2に水280CCを加えて二八蕎麦を打つのだが、最初の捏ねが大事だが上手くならない。捏ねて延して畳んで切る。これだけのことながら上手くならない。師匠の指導を仰ぎながらなんとか終えることができた。蒸し暑いち日で汗をかいていた。

           

この日の初参加者は一人、打ち終わった蕎麦の茹で方を外のグラグラと沸いた釜で教えてくれる。その様子を撮った。

             

師匠連と町会の重鎮は早々とテーブルに着いて飲み始める。今日は四種類の蕎麦を師匠が打っており、茹で上がった蕎麦を試食した。蕎麦粉と云っても、産地によって味が違う。その違いを楽しみお酒を頂く。更に師匠の講釈をあれこれと聞くのも楽しい。

                 

秋には田舎暮らしを始めるつもりの小生にとっては、この蕎麦打ち会に参加するのは最後になるかもしれない・・・。ので、その旨の挨拶だけはしておいた。

四時半に片付けも終えて散会。この後は「うまし」で、佐賀から上京する地球市民の会・ONO副理事長と会うことになっていた。二月も前から連絡を貰っていたのだ。蕎麦打ち会があり、その夕となるのでスケジュール的にはベストであった。

ONO氏は母校の大学で評議員会があり、そのための上京。合わせて小生に会って、僅かながら出資した氏の事業である障がい者支援スクールの配当金を渡す目的もあったようだ。と云うより、最近の会のことなども含めて話相手と云うことであろう。

「うまし」のカウンター席で一杯やりながら、事業のことや会の活動について話を聞き意見交換をした。私の田舎暮らしをする予定を伝えると、ぜひ遊びに行きたいとのこと。

二時間程懇談し、別れたのである。帰宅は21時過ぎと早かったが、前夜の深酒が祟り草臥れていた。そんなことで、途中にメールで誘いを受けたNAKAMURAさんの宅飲みは辞退させて貰った次第である。                

 

天気が回復しないので、体調も万全とは言い難い。こんな日は映画とか芝居でも観に行くが一番だろうが・・・、それも腰が重い。さて、どうやって一日を過ごすか思案どころだ。

 

 

 

 

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梅雨開けだろう?

2019-07-26 | 弁当

7/26(金) 今日も暑くなりそうだ。夜中に寝汗で目が覚めたぐらいだ。気象庁は関東の梅雨明けを言わないが、我が体内計りは一昨日に梅雨明けをしたといっている。

今週は特に予定が少なくて暇な日が多い。その結果、朝晩の飯つくりにエネルギーを使っている。量と品数が多くて消費するのに四苦八苦、挙句は体重が増加しているようだ。が、体重計が電池切れか、機能しない。日々体重計に乗って管理してきたのに、コントロールできていない。

今朝の弁当は、昨晩の残り物「牛煮」と「鰹」を使った。カツオ刺しは、胡麻油・ゴマ・醤油の漬けにしておいたのをフライパンで焼く。牛煮はあっためただけだが。茄子とミョウガの味噌炒め、ピーマンの肉詰め焼き、出汁巻き卵、以上のはずである。

胡瓜と茗荷の酢の物もあったか!。何を作ったか、一時間も経つと忘れている。長女からは、もっとご飯を少なくしてくれとリクエストがあった。キックボクシングのエクササイズに行き、ご飯は昼の弁当で少量ながら減量作戦が上手くいっていないのだろう。

        

今日の長女の弁当、昨夕の残り物「五目チラシ寿司」をほんの少量。家人は白飯に牛煮を載せた牛丼風である。

こんな弁当を作った後は、最近の日課になった独り朝飯タイムに入る。残り物の菜があるので、どうしても飲物が必要になる。ビールを飲みながら、TVを見ながら「つまんねぇ、ばかなことばかり放映してんじゃないよ」なんて思いながらひと時を過ごすのである。

                

 

昨晩は「鰹の柵」を買ってきた。刺身と叩きの予定だったが、叩きを止してカルパッチョ風の漬けと、刺身にした。五目チラシ寿司、茄子とインゲンの煮物、牛煮、ニンニク茎と豚肉の炒め物、ハマグリの吸い物、冷奴、テンコ盛りサラダなどを並べた。長女は「旦那は今夜は来ないよ、こんなに作ってどうするの」と.呆れていた。

          

そんな次第ながら、暇なオヤジは飯作りに勤しむしかないのだ・・・。悲しいのう  。

ついでに、昨日の弁当写真を掲載します。牛小間炒めに椎茸バター焼き添え。春雨のサラダ、オムレツに鯖文化干し焼きなどだったようだ。

           

 

今夜は人形町で月例の「セイジュ会」なる飲み会なので、夕食は作らない予定。朝のハンバーグがあるので、根菜煮ぐらいは用意してもいいか・・・。

 それでは諸君、好き週末を過ごされますように。

 

 

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夜明けまじか・・・

2019-07-25 | 弁当

7/25(木) 7月25日の夜明けが近い。草木も眠ると云う深夜に目覚めてからラジオの深夜放送を聴いていたが、暇なのでBLOGを記すことにした。

昨日、24日も弁当を作り、その後何時もどおりの朝食を摂った。この日も暇なので、デザートの「パンナコッタ」を作ることにした。レシピ本のとおりに作り、綺麗に仕上がった。二度目ですから・・・。

              

ソースは、ブルーベリーを煮詰めたものにブランデーを小さじに一つ。ミントの葉まで買ってきた次第。夕食の後に頂いた。と云うより、家人や長女の一家に食べてもらった。

 

朝一番の遊び事である弁当の方は「牛味付け肉炒め」「白滝のタラコ炒め」「小松菜の煮浸し」「出汁巻き卵」、それに前夜の根菜煮にトロみをつけた煮物。以上を弁当箱に使かっているタッパーに詰め込んだ。

          

 

暇な一日であるが、デザート作りを終えた時間に、友人のOKAZAKI氏から連絡がありなった、夕方前の四時に渋谷でお茶をすることになった。

今日は気温も高く、梅雨明けの夏を思い起こさすような蒸し暑さであった。けだるさが漂う渋谷・ハチ公前のスクランブル交差点を渡ったJRのガード下。ガランとしたスペースに高い丸テーブル、通りに面したカウンター席のカフェでOKAZAKI氏と落ち合った。この店の良いところは、駅近で空いていることとタバコが吸い放題。コーヒーは500円である。

一時間ばかり氏の会社のことや、ゴルフのスコアなどを聴く。こっちは話すこともないが、田舎での暮らしがどうなることか?だとか、氏の会社がレース服を納めているボートレースの納めていることなど。

なんといっても話の中心は仕事、会社のことであった。トップとして見える、見ている見ようとする光景と、従業員から見える、見ているもの、見たいものの違い、このギャップ。会社の将来・さらなる発展を見据えた、これからの方針など・・・。何れの問題・課題も解決は簡単でない。

私はそれが出来ない故、会社から退いた身である。氏の思い、考えはよくわかるし前途の険しさもわかる。が、具体的で明快な解を応える知恵までは持ち合わせてない。聴き、聞くことだけである。

 

そして買い物をしてから帰宅。夕食の準備に入った。私に出来ることと云えば、拙い飯を作ることぐらいである。拙いなりに作るだけである。遺憾せよ、暇なのだから!。

「今日の夕食はソーメンと掻揚&唐揚げ」と、朝から宣言してあった。ソーメンは、富山の大門素麺と云う長~い素麺で、これを二つ割にして茹でる。しないで茹でると、大変なことになるのだ。

午房・人参・タマネギの掻揚、シメジ・マイタケ・インゲンの天婦羅。鶏の唐揚げはジューシーに仕上がるように二度揚げする。てんこ盛りのサラダ、ニラ玉に、作り置いた茹で豚のニラ醤油掛けとなった。長女一家も全員、と云っても三人だが姿をみせたので、ソーメンも菜も捌けたか・・・。

           

 

夜も明け、パンナコッタに水色を広げたような空が見える。薄く乳白を引いたようでもある。飯づくりの今日が始まる・・・。

 

 

 

 

 

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何時ものように・・・

2019-07-23 | 弁当

7/23(火) 今朝の目覚めは遅かった。連日深夜まで起きていた反動であろう。家人に声を掛けられて目覚めたのだから・・・。

何時ものように弁当を作り、いつものように朝食とビールを飲めば、夕方まで暇である。おお、我が優雅なる日々よ!。

暇なので水辺の散歩に出掛けることにした。昼過ぎに家を出て電車を乗り継いで、ボートレース場行の無料バスで平和島競艇場に着いた。朝方は雨模様で蒸し暑かったが、水辺に着くと天候は回復していた。相変わらず蒸し暑くはあったが。

散歩に来ているので、シャカリキの勝負はしない。淡々と小銭を投げて楽しむのみである。とは云え、当たりがこなきゃ面白くはないさ。前半は全くダメであったが、そろそろ切り上げようかという頃になって、続けて当たった。勝負事は最後の最後まで諦めては駄目の例え通りである。

            

レースが始まる前、出走表を膝上にして熱心に舟券の検討をするオヤジの姿が。バックに見える水面はマンション群に囲まれて穏やかである。そして時間が来ると、ボートの爆音が響き水面は飛沫を上げ、疾走する艇の航跡が白く泡立っが束の間ことである。

涼しく見えるが、そんな一瞬の清涼さえも感じる時間も余裕はないね!勝負行方を追うに忙しくて。因果な遊び、散歩であるがこれがあるから外出する、できるのである。

夕方に孫のSORAが来るのでレースを切り上げた。駅前のスーパーで少し買い物をしてからの帰宅であった。帰宅後は夕食の用意であるが、今日は軽めにした。根菜と鶏手羽の煮物、川エビの唐揚げ、冷奴、豚のブロックを茹でてニラ醤油掛け、と酒の摘みのようなものになった。後は必須のサラダ、なめこと大根の味噌汁である。

夕食にはビールとワインが付きものだが、多くは飲まない。ほどほどである。SORAと長女、家人も帰宅しての夕食となった次第。

かくして今日が終わる。変わり映えのないありふれた日常に帳が降りる。繰り返し流れている唄は、矢沢の「ニューグランドホテル」。懐かしいホテル、山下埠頭と云うより公園の前にある歴史のあるホテル。ここのクラシックなBARで飲んだのは何時のことか、記憶もぼやけた古い時代になってしまった。

 

さて、今朝の弁当を記す。メインは「豚生姜焼き」にしたが、生姜醤油は仕上げ前に掛けて生姜の香りが残るようにした。和風ハンバーグは温めるだけの冷凍食品、ホウレン草の卵とじ、焼いた紅サケはご飯の上に散らした、ほんの少しだけ頂きものの稚鮎甘露煮も添えた。

     

以上が、寝坊した朝の弁当である。

              

 

明日も暇だ!。時間つぶしにデザートの「パンナコッタ」でも作るつもりだ。生クリームと牛乳が冷蔵庫の中で所在なさげに消費期限をまっているから。

 

 

 

 

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遠方より、友来る・・・

2019-07-22 | 弁当

 7/22(月) 昨日の日曜日の夕、広島に居る後輩のMIYAMOTO君(通称:鉄平)が来宅し泊まって行った。鉄平との付き合いは、彼が高校を卒業して当時、私が勤務していた会社に入社して津田沼に在った独身寮に入寮して以来のことになる。

と云うことは、四十年余の長きになる。彼が高校時代に剣道部員だったということが分り、すぐに会社の剣道部に誘ったのである。鳥取県の出身で素朴な青年、と云うよりは少年の面影をたっぷりと残していた。稽古の後の帰寮、休日の遊びと長い長い付き合いのスタートである。

独身寮時代の仲間との交流は未だ続いているが、鉄平との付き合いは友達と云うよりは、未だ弟のようなものである。鉄平と云う呼び名は、当時に流行っていた漫画「おれは鉄平」(ちば てつや)と云う剣道漫画の少年主人公から付けた。その呼び名はすっかりオジさんになった今でも定着しており仲間内はもとより、我が家の子供達もそう呼ぶ。

その鉄平が東京から故郷に近い広島に転勤してから三十年も経つか。機会を得て上京すれば我が家に泊まるのが常である。今回は会社の社会人野球チームの応援で上京したのであった。

『いい会社だねぇ~、野球の応援で東京まで来れるんだから!。そんな金があるんなら利用料を下げろよ』なんて嫌味をいいながら、再会を祝った。

日曜日の午後は、鉄平が来るので買い物に行った。そして、慣れぬ手で餃子を作り、手慣れた春巻、一口カツにカツオの叩きなどをたっぷりと用意したのである。

        

鉄平の野郎は腹が出て、挙句に血糖値が高いとかジジイが言うようなことを言いやがった。が、お構いなしに喰え、飲めと高知流に勧めたのである。

折しも参議院選挙の開票が始まり、それを横目に家族のこと、これからの人生設計などを聴きながら時が経って行った・・・。

そして今朝の朝飯を済ませてから、送り出したが、今度会うのは9月28日(土)に予定している私のTOKYOUサヨナラのイベントであろう。それには来るように伝えたので。

 

深夜まで選挙公報を見ていたので今日はボーっとしている、何時もと同じか!。

午後から人形町に行った。主目的の前に、先ずは「グッチ」でYOSHIOとのコーヒータイム。YOSHIOの母親がボケてきており、その世話で心労が多い。今日も草臥れモードであった。彼の話は聞いてやれても、それ以上のことはできない。時の経つのを待つしかないであろうが・・・。

YOSHIOと別れ、目的の甘酒横丁の新築貸し店舗を見に行った。ローカーのボマスターだったIWASEさんと、どんな物件か後学のために内見会に参加した次第。

二階・三階の続きで賃貸に出ているが、新築のスケルトンなので内装費が高額になる。賃貸料も高いので一人ではやれない。そんなこともありIWASEさんと一緒にだった。

内見が済み、昼酒を飲むには店が開いてない。「天や」で、天婦羅を摘みに酎ハイを飲みながら「さっきの物件、難しいよね」などと話あったのである。IWASEさんも急いで店を開くつもりはない。子供のこともあるので、暫くはゆっくりするようだ。

 

さて、今朝の弁当は簡単なものばかり。鉄平の朝飯と併せてサクサクを仕上げた。昨夜の残り物「一口カツ・春巻」に「ウインナー&椎茸バターソテー」「牛小間炒め」「胡瓜と茗荷の酢物」「ホウレン草の胡麻和え」に板カマボコと出汁巻き卵である。

             

TVの選挙報道と全英オープンゴルフを並行して見ながら深夜まで過ごした所為で、眠い。お陰で居眠り料理人であった。

              

      

 

 

 

 

 

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週末

2019-07-20 | 弁当

7/29(土) 木曜・金曜の夜と連日、人形町に出掛けた。昨日の夕、人形町「高松」蕎麦店にてUSUI老と待ち合わせた。五時半、店に着くと予約客で満卓であったが居合わせた常連のカップルの席に相席させてもらうことができた。

            

木曜日「うまし」から銀座六丁目にある小さなBAR「順」へとYAMAGUCHI氏を誘いひと時を過ごした。その折にカウンター席に隣り合わせた方の穏やかな顔をみてグラスを掲げた。そんなことから会話が始まったら、ママから紹介された。ママの知り合いだった。

 酒場にて・・・

その方は福岡市から上京されており、NGO福岡ネットワークという国際協力・交流活動をする組織に所属していた。長くチェルノブイリ原発事故の被害者への医療支援活動をされているとのことだった。

九州のNGOと聞けば、会員になっている地球市民の会やペシャワール会がある。そんな話をして会話が弾んだら、一冊の本を頂いた。「子どもたちのチェルノブイリ」と云う本である。

翌日の昼間、暇にあかせて頂いた本を捲った。原子力被害を受けたベラルーシの子供達の作文集と、甲状腺がんの発生率や医療支援の状況などで構成された内容であった。

一読し、改めて原発事故がもたらした悲惨さ — 平穏な日常が壊され戻ることのない現実と、体を蝕まれることへの苦しみ。強制移住による別離と望郷の思い — が、十代の視線で書かれていた。そして、福島の原発事故。人間の驕り、繰り返される事故と、改めてあらゆる核の廃絶の必要を訴えている。思いを同じくしたのであった。

酒場での出会いも悪くない・・・。順のママさんは葉隠れの国の出身で中々の女傑である。店のアルバイトにもフィリッピンでNGO活動をしている娘もいるのだから。半年ぶりの「順」であったが、面白い出会いがあった。

 

週末の金曜日ともなると界隈の店は賑わう・・・。予約もしないで行くと、こんなことはままあるが、大概は何とか潜りこませてもらっている。二軒目に寄った「ちょっぷく」では、外に置いた臨時の席で暫く飲んだ。

               

USUI老と飲んでも目新しい話もないが、その分落ち着いて過ごせる。聴き飽きた話に相槌をしながら飲むのも乙なもんだよ!。昨夜もそんな時間であったが、相席のカップルに老は我が故郷の高知がいかに好いかと力説。「遊びにおいでよ泊まるとこはあるから」と、自分の家のようなことを云う。

老達は、達と云うのは他にYOSHIO&FUJIKURAだが、八月末に来高すると云う。今年で四度目になるか、飯作りから膳の上げ下げまでこっちがするので気楽なものだろう・・・。なかなかいい性格と云うか、見上げた根性である。それくらいで居てくれた方が、こっちも気を遣わなくて済むが。

 

一昨日に金沢から来た義妹夫妻が、昨日は娘の処に泊まり、今日の昼前に寄った。その分けは、義母を金沢に連れて帰るとのことで。昨日の昼過ぎに家を発つ間際にそんことを言って出たのだが・・・。

どんな話があったのか分らぬが、義母は金沢で長く暮らしたので、それが一番だろと思ってはいたが・・・。一週間で戻るか、はたまた一ヶ月になるか判らぬが気分転換にはなるだろう。

その間こっちは、ご飯の心配をしなくて済む。ネギ・タマネギ・ピーマン・トマト・茄子に青魚を食べない。暫くは賄い方の俺も料理に困ることがないと云うものだ。

お小遣いでも渡せばよかったが・・・、それは家人に任せた次第。

 

明日の夕は、後輩のMIYAMOTOが広島から来て泊まる。なんでも社会人野球の応援で上京するとのこと。野球の応援に足代を出して駆り出すとは、いい会社である?。さておき、久々に彼と会うので楽しみである。二週間前に新宿で会ったメンバーと同じく、新入社員で入寮してきた独身寮時代からと云うよりも、剣道部の後輩である。

 

 

 

 

 

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酒肴&弁当

2019-07-19 | 弁当

7/19(金)弁作りも終ええた昨日の午後、食材の買い物にでた。夜、金沢から義妹夫妻が来宅し泊まるので、その食事や酒肴を整えるためであった。

私は夫妻が来ることをすっかり失念しており、夕方から人形町で東洋アライアンスの社長YAMAGUCHI氏と久々に懇談する予定を入れていたのだ。家人は仕事で、帰宅してから食事の用意を始めると遅くなる。そんな次第で、暇なオヤジが用意をすることにした。

魚屋から駅前のスーパーを覗いてメニューを決めた。魚はカツオの柵とメカジキ・タイ刺身、サーモントラウトの切り身、赤カレイを。豚肉のブロックなどを買った。カツオは刺身と叩きにし、サーモンは刺身とバターソテーに。豚肉は茹でてニラ醤油タレかけに。赤カレイは煮付けにした。

         

以上の用意を整えてから人形町へ。五時過ぎに待ち合わせの「うまし」に到着。YAMAGUCHI氏を待つ間、うましの店主と魚談義をした。YMAGUCHI氏が来て、魚が下ろせないというので「何事も練習さ、簡単簡単」と応じたが・・・。

氏の仕事の状況を訊くと、今、福井の工業団地に三千坪の新工場を建設中とのことである。順調に業容拡大をされていた。

「うまし」から銀座へと移動し、六丁目の「順」に久々に顔をだした。順は小さな店だが、三組ほどの客が入っていた。我らはカウンターに席をとりハイボールを飲りながら雑談。丁度持ちあわせていたカーネーギの文庫本「道は開ける」を参考に渡した。些か飲み過ぎたようだ・・・。帰宅は23時過ぎであったろう。

 

そして今朝、義妹夫妻の朝ごはんと弁当の用意をする。アユと沖ウルメを焼き、ウインナーとタマネギの炒め物、卵焼きに茄子とミョウガ・豚バラの味噌炒め、蒲鉾&胡瓜竹輪、卵焼きなどである。弁当用にメカジキの漬け焼きとタラコを焼く。味噌汁を作って朝の準備が整った。

         

何時ものようにビールを飲み、サラダの朝食を摂った。

今夕も人形町に行く。暇なのだ・・・・。

 

 

 

 

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あり合わせ弁当

2019-07-18 | 弁当

7/18(木) 明け方前から目覚め、前日に引きつづいて「ちあき なおみ」のCDを聴いて過ごした。リメイク版のしっとりとした曲と唄である。聴きながら、高知空港の搭乗前に買ったやたら真面目な、人生の灯台になるような古典的な文庫本を読む。

今朝は早くから台所に入った。昨日は結局、外出をしなかったので食材は買ってない。冷蔵庫に在るあり合わせの品からメニューを決めた。そうだ、昨日作ったプリンを紹介してない。後で写真を掲載しますよ!。

                  

               一晩寝かしたら、皺が

白滝とタラコのパスタ風炒め、小松菜の煮浸し、大根&人参に鶏の煮物、下処理をして冷凍してあった「シロイカとシメジののバターソテー」がメイン。卵は出汁巻きにすると弁当に収まりそうもないので炒り卵にした。最後に、夕食分も含めたてんこ盛りのサラダである。そして、義母の味噌汁を用意して今朝の台所遊びを終えた。

             

早々と台所遊びが終わり、サラダとアボガドの朝食を摂りながらびビールで仕上げとなった。家人は朝のビールについて文句や苦言がない。早く、くたばってくれと願っているのかも!良いことだ。小松菜の煮浸しは、収まるスペースがなかった。

               

 

すっかりすっかり忘れていたが、今夕に金沢から義妹夫妻が来るのだった。晩飯の用意をするよと言ったのは一昨日のことだが、昨日はそんなことはどこ吹く風、馬耳東風に豆腐の角と、失念していた。で、人形町にて久々に知人と会う約束をしてしまった。

昨夜、明日の夕は居ないよと伝えたところ「SHINOBUたちが来るわよ」と言われたが、後の祭りとはこのことだ。約束を違えて申し訳ないので、旦那の酒肴に茹で豚でもおく作っておくよ、と、伝えた。ついでに煮魚でもいい魚があればやるよと。更に、冷蔵庫の酒、どれでも飲んでもらってくれよと伝えるだけ。

義妹夫妻もいろいろと辛いことがあったし、これからも悩みはつづくであろうから一献交わして、ひとときであれ安寧の時間を共にできればよかったが・・・。明日は娘の処に泊まると云う。

だけそんなことで、今夕に会うのは某社のオーナー社長だが、彼が超忙しい。西に東と営業で動いているが、今日は空いているとの連絡を貰った次第である。妙に気になる男なので、郷里に引き上げる前に会っておきたかった。

 

 

 

 

 

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