オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

猛暑の中・・・

2022-06-30 | 弁当

6/30(木)六月も今日で終わる。と云うことは、今年も余すところ半年ということか・・・。何もせずうちに時間だけは経って行く。諸行無常の響きありだ。

でもね、こんなボヤキも浮かんでこないぐらいの暑さらしい・・・、外は。

昼酒の約束がなければ食材の買い出しに出るくらいで、ほぼ粗部屋に垂れ込めて過ごすので外の暑さとは縁遠い。そんな次第で熱中症とやらにも縁遠いはずである。

処が今日は、真昼の熱署も冷めやら三時前に外出する。サラリーマン時代の会社OB会の六十周年とかで、四時からの懇親会にだけ参加することにした。

先週初めにお会いし、昼酒をご一緒したOB会元会長のUDAさんからも誘われたことや、自身が理事・監事をさせてもらった義理もあって一昨日に参加を決めた次第。

コロナ下で二年ほど懇親会は開かれてなかったはずである。お世話になった知人・先輩に久々の挨拶をしたら、次の予定があるので一時間ばかりで失礼する。

それにしても、猛暑と云う今日の午後にスーツを着ていくのが堪らんねぇ~。アロハが東京ではオフィシャルスタイルになっていないのが残念だ。

六時から人形町「うまし」に、元区議のTAKAHASHIと司法書士のAOKI氏さんを招いている。過日の御礼や今度の参議員選の動向、過日ご一緒したKIUCHI氏(維新の会比例)の戦況などが話題の中心となろうか?。

 

私の弁当や夕食には揚げ物が多い?かな。昨夕は「春巻き」その前々日には「コロッケ」が登場した。いづれも多めに作り、翌日の弁当に併用した。

孫娘がコロッケ食べたいと言えば作り、長女が春巻きいいねぇーなんて言うと春巻きを。如何に暇なOYAJIということか。

今日、昨日の弁当は、以上の他に「肉じゃが」「ナス味噌炒め」「鶏肉&野菜ソテー」などであった。小さな弁当の満艦飾をご笑覧あれ・・・。

        

          

 

 

 

 

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昼酒・・・

2022-06-28 | 弁当

6/28(火)連日の猛暑、早い夏本番の気配が濃厚だ。こんな早い夏の到来には豪雨がつきものだが、それがいつやって来るかだ。予感としては、水不足で節水が絶叫に変わる頃かな?。

そんなことはさておき、先週火曜日のUDAさんとの昼酒がり、翌日は池袋でKIYOTAさん達、日曜日は自由ケ丘の居酒屋で12時過ぎから昼酒だった。AD社時代の若手(三十数年前の)二人、二次会から途中入社のオジサンも加わって最後はカラオケで幕が下りた。

十年以上会ってなかったが、若手二人(JYUN&AYUMI)も五十路を越えて貫禄十分?になりながらも当時の面影や可愛げを残していた。こうして再会できるのもFBでの繋がりである。

先ずはビールで邂逅を祝し、ハイボール~酎ハイからワインへと飲み継ぎながら、近況を聞く。時折入ってきた風の便りの不確さを「JUNちゃんの両親が東北大震災で亡くなった」などはガセだったとか判明し安堵。

一緒に仕事をした仲間のことなどと話は尽きず、二次会へ流れ、KUSAMA氏を呼びだして最後はカラオケ店で真昼の饗宴の幕が下りた時は夕暮れになっていた。

         

よく飲み、喋りで時間に酔って酩酊?だっただろう。帰宅してソーメンを食ったなんてことは記憶になかったが、翌朝の弁当を作り終え、洗い場の鍋を見て家人が前夜に使ったと思っていたのが自分だったと知らされるまでは。

 

昼酒には気を付けようと思いながら、今日はローカーボのマスターIWASEさん&NUMATA氏で午後一時、上野で待ち合わせだ。アメ横界隈で千ベロ(千円でベロベロに)飲み会である。IWASEさんは、赤羽やアメ横界隈に詳しいのだ。

熱中症やコロナ症にならぬようにと願いつつ、昼酒を愉しむことにしよう。貧乏症には既に罹患している身故、重症化は避けたいものだ。

 

昨日と今日の弁当を載せます!。

       

              

      

 

 

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週末・・・

2022-06-25 | 弁当

6/25(土)週末になり今年も真夏を迎えた!。ついこの前の梅雨寒が嘘のようである。こうなれば夏の定番、ビールじゃないよ!アロハシャツさ。これに限る。

そんなことで、昨夕の外出もアロハを着用となった。行先は決まっている、人形町だ。酒場仲間が絶えないし馴染の店が並んでいる。

明日、馴染の店「ちょっぷく」のオーナー店長YAMAKAGE(通称ヤマちゃん)氏が誕生日と聞いたのは前夜のこと。そんな次第でささやかながらお祝いにケーキを持参した。

脳梗塞二回、脳溢血一回に糖尿病持ちの彼は、甘いものと、日本酒が大の好物である。ほどほどにしなよ、と云うが馬耳東風。最後は一気に逝ってしまうかもしれないが、それはそれさ。彼の人生だもの・・・。ただ、そうなれば残されるチーフのヨッチャンが大変だろう。

店明けの五時から七時半過ぎまでホッピーやハイボールを飲みながら時間つぶし。この間に飲み仲間の油屋からメールが入り途中から加わった。

時間つぶし、と書いたのは他でもない。後輩のSEKINE君と会うことにしていたのだ。彼女は四月から新任課長となり悪戦苦闘?をしていることと思い、その一端でも訊くつもりであった。誰かに話すことで、気持ちが楽になることはままある。

合流できたのは八時、河岸を変えた静かな酒場で一時間半ほど時を過ごした。

着任して未だ三ヵ月足らず。課題は山積しているとのことだが、「焦るな、一年経つと見えてくるよ。今、課題と思えることは忘れてはいけないが」。そんなことや「チーム共有の目標を持っ(作る)、それに全員で向かい達成する」。そんな愚にも点かぬこと等を、我が経験から話した。

現役を離れて久しい男の経験など、役には立たぬだろうが、何かの時に参考になればいいと。

振り返れば、我がサラリーマン時代は太平楽な時代であった。殆どが社員と云う共通の基盤と身分の時代だもの。それが今は、雇用形態や賃金が区々、同じモチベーションを持つ、持たすのは大変な時代である。

目的意識、能力、それぞれの個性にマッチしたモチベーション作りをしていく中で、共有の目標を明確にして進むことかな?。言うは易し、実現は困難な道程か・・・。

こんなことを考えると、今一度、経営者をやってみたくなるよ。今度は失敗しないように・・・。

 

今日の土曜日は休養日?、家で過ごす。明日の昼、懐かしいメンバー二人と昼酒かな?。自由ケ丘のお店で会うことになっている。グループの広告会社に出向した時代、三十年余も前の新人二人である。二人とも立派(完璧)なお姐さんのことだろう。

 

過去に生きてもしょうがないが、現実にあるのは飯つくりだけだ。過去と今を行きつ戻りつ、唯一の現実に向き合って弁当を作る日々。

現実である昨日の弁当を問われれば、「焼きめし」チンジャオロース、鶏・黒竹筍・インゲンの旨煮、ベーコンエッグと云う塩梅。  

              

                  

心残りはもう一つの現実、田舎に置いたままの野菜や花壇、植木・草花のこと・・・。

最後に、木曜日に同級生のOGAWA君を迎えた二次会、「ちょっぷく」での我が酒場仲間との一コマを・・・。この夜の店は空いていた、がら空き状態だった。

              

左手前で腹だけ出しているNUMATA君、その向こうのOGAWA君、NAKAMURA君に、立っているのがHOYA兄いと云う面々。

 

 

 

 

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日毎夜毎・・・

2022-06-23 | 弁当

6/23(木)明日から猛暑になるとの予報は今朝のTV!。天気さえよければビールが美味いのだが・・・。

今週は外でグラスを持つ日が続いている。昨日は昼の部でかつての上司KIYOTAさんと、後輩のTAKAHASHI君の三人で池袋だった。KIYOTAさんは、四月から別荘の軽井沢暮らしだが、高速バスでやってきた。

久々の対面で会ったが、両手にストック姿は変わっていない。未だ足に痺れがあるとのことだが、会話は舌好調!。東武デパートの九階にあるレストラン街で二軒回ってから別れた。二人はその後、八階のシアターで映画鑑賞。私は、地下の食品売り場で弁当用の食材を買って帰宅した。

映画を一緒に見たい気分であったが、夕食に長女一家が来るので断念した次第。飯つくりオヤジの宿命?、今夕も外出するので約束を反故にしたくなかったのだ。

月曜日、新橋の浪漫亭で京黒潮会なる郷里出身者の会があり、その後人形町で飲みなおしてから帰宅。

火曜日は丸の内・通称外国人記者クラブの寿司BARで12:30から。ここのメンバーであるUDA先輩と懇談して昼酒&ランチ。ここで会うと何時も馳走になり、日本酒となる。今月から寿司BARの経営者が変わったとのことで馴染のスタッフもいなくなり、メニューも酒の銘柄も変わっていた。

そして、18:30からは馴染の渋谷「奈加野」へ。USUI老からの声掛かりで「珍しい人を連れて行くから顔をだしてよ」との誘い。誰であるかはおおよそ察しがついたが・・・。

店に入ると二人は既に来ており、それに店主が加わっていた。老人が案内した人にお久しぶりですと挨拶をして席に着いた。老が同伴したのは、亡河村氏のかつての夫人であった。未だ小学低学年だった長男と長女、二人の子どもを連れてナチュラル社のBBQにきたことがあった(老が呼んだのだが)。

二十年近くも前の話であるが、その時には既に河村夫妻は別れていたが、子供たちを元気づけようと夫妻と親しかった老が声を掛けたのだ。他人の褌で相撲を取るのが得意な老らしいが、俺たちも来るものを拒まない・・・。

河村氏とは仕事の話で何度かあったが、実ったことはなかった。その河村氏が自死したと聞いてから数年たっか。別れていた夫人が後始末をしたと老から聞いていた。

そんなこともあり、子供たちのその後を聞いた。長男は既に社会人となり今度結婚すると云う。長女も今年就職して家を出て自立したとのこと。結納時の記念写真を見せてもらい、あのちっちゃかった子供が立派に育っている姿に、時の経過の大きさを感じた。

そういえば、七年前に亡くなった黒田君の処の長男も就職をする頃か・・・。

そんなひと時を過ごし、一足先に失礼した火曜日の夜であった。

相手変われど主変わらず。そんな日々であるが、今夕は郷里の中学の同級生OGAWA君と「高松」で一献交わすことになった。電話の様子では、彼の体調は思わしくないように感じたが・・・。

昨日も中学の同級生からの着信に折り返したら、奥様が出た。用件は選挙の件だと分っていたのだが・・・。旦那のことを訊くと、体調不良とのことであった。

 

昨日、暫定版のメガネを注文したメガネ店から出来たとの連絡。外出からの帰りに受け取った。

メガネのフレームに、家族からは赤の方が良かったんじゃない!。って云われたが・・・。暫定版だし、一月後にはこれまで使ってきた丸いメガネフレームにレンズを変える予定だ。

              

最後にここ二~三日の弁当を載せます。お取り寄せのホワイトアスパラを茹でたりしてます。従姉が送ってきた黒竹の筍なんてのもありました。

        

        

今日のスキ焼の肉は旨いはずだが・・・、自分は口にしていない。

 

 

 

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一夜明け・・・

2022-06-20 | 弁当

6/20(月)一夜明けた?。なんなんだ、何から一夜が明けたんだと訝しいだろうが、何のことはない。父の日から一夜明けただけのことだ。

昨夕、珍しく「父の日だし、オヤジが帰ってきてるから皆で食事しようよ」と言い出したのは、多分長女で仕切り屋のMIZUKIだろう。そんなことで、時折使う焼肉店「東紅苑」に五時集合となった。

末娘の亭主SHINOBUは仕事で、長女の亭主TAKASHIGEはサッカーがあるとのことで欠席。孫三人(0歳~12歳)を含めた子供たち夫妻が6人と我ら夫妻で焼肉のテーブルを囲んだ次第。

昔のようには食べないが、我が一家の食事は何時も早い。子供たち4人が食い物でしのぎを削っていた名残か?。

この夕も一時間半で食べ終え、最後のアイスクリームを済ませたら時間を区切られていた七時に十五分前であった。お仕舞にプレゼントだと、エプロンと喫煙のIQSを貰った。

「IQSなんか使うならタバコ止めたほうがいいや」と、言ってきたんだが・・・。エプロンの方は、朝に夕にと俺の作る飯の恩恵が多大な長女の策略かな?。

IQSの箱は明けも背ず放ってあるが、エプロンは今朝から着けて弁当作りとなった。エプロンも前掛けも上等のもらい物があるが勿体なくて使ってない。家族からのものは使うに如かづと云うところかな?。

で、今朝の弁当作りとなったが、なんと炊飯器の電気を入れてなかった!。途中で気付いた、とんだボケオヤジだ。早くからスタートしたので、出荷時間にはまにあったが・・・。

何時もながらのシンプルな弁当だが、掲載します。

        

牛小間炒めに、インゲンと小稲荷の煮物、粕漬焼き、冷凍シューマイ、定番の卵焼き(だし巻き)、以上です。

 最後に、初着用のエプロン姿を・・・・。

             

余談ながら、今夕は新橋「浪漫亭」にて郷里の会・東京黒潮会がコロナ明けで開かれる。この会は、先輩が副会長をしていたことから参加を依頼されて会員になった。その先輩も亡くなられて久しい事や、会が他所と合流する方針である。

元々は郷里出身者がビジネスの交流を目的に始まっている会。素浪人で東京を離れていることが多い私が入会している意味も薄い。今回を最後に退会させて頂く所存である。

 

 

 

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白内障術後、一週間経過・・・

2022-06-19 | 弁当

6/19(日)11日に白内障の手術をし、金曜日に術後二回目の検診でクリニックでの検査は終了。後は地元の眼科に資料を送付するとのことで、ここで受診?。暫くは点眼薬をさす必要があるようなので処方箋が要るか。

術後の経過を後学のために若干触れると、術後の翌日からは何の問題もなく過ごせた。が、保護メガネを24時間一週間も使用しなければならないのは面倒だった。それと、三種類の点眼薬を合計12回(一日)を一週間射す必要があった。

点眼薬は変わらないが、これからひと月も一日10回射すようにと指示されている。

肝心の視力の方は相当快復した。手術した人、何人かに聞いた「世界が変わった。滅茶明るくなった」なんてようなことはなかったが、以前に比較して良くなったことは間違いない。

手元の見え方を重視した「単焦点」にしたので、遠くは以前と変わらずにメガネが要るが、掛けなくても日常の暮らしに困りそうにない。が、今回の手術が運転免許対策なので、土曜日に取り急ぎ暫定ながら近所の眼鏡店でメガネを注文した。一月後に改めてメガネを買うが、これはこれまでのメガネフレームを使いレンズだけ注文の予定でいる。

飲酒の方は一週間禁止だったが、二回目の受診が済んだ夜(10日)から盛大に?に飲むことになってしまった。

佐賀のNAKAMURAさんが前日に東京戻ったとの連絡があり、HOYA兄、JINパパで「高松」に17:30分集合。これに店主のミッチャン、ジムコのONODERA氏が途中から加わった。

金曜日で早い時間から馴染の店は何処も満席。何時までも「高松」の席を占領できないので、客席数が多い「ちょっぷく」へと移動して二次会。そこに、NUMATA氏と滋賀からのAOKI君が合流。その後「うまし」へと流れた。

ここらで切り上げればいいのだが、勢いというものは止められない?一週間ぶりの酒場でもある。大方はここで消えたが、NUMATA君と「こま吉」へ、最後はBAR星野でギムレットのグラスを手にした時刻は午前様・・・。

朦朧としながらようよう帰宅したのは午前三時前になっていた。お陰様で土曜日は不調も甚だしい・・・。

それでも、前夜にAOKI君から「明日、三時から小伝馬を予約しています」と言われていたことを覚えていた。「小伝馬」は彼の馴染の店なのだが、なんで俺が行かなきゃならねえんだ。と思いつつ、滋賀から上京していることだしと、顔出しすることにした。

人形町方面から馬喰町方面へと店を探して進むと、前方の空にあのタワーがそびえているのが見えた・・・。

              

途中でRIEが迎えに来てくれた。店の席に着くと、AOKI君が昔に居た制作会社のメンバーで、ナチュラル時代にお世話になった某印刷会社と云うよりIR系の会社に転職の三人来ていた。六人となり、話はてんでバラバラに進み、時には共通の話題に戻りで一時間半。酒も進まず、酔うわけにもいかず先に失礼をさせてもらった。

先週は自宅謹慎の一週間であったが、弁当と晩飯だけは作っていた。その弁当の一部をアップします。

      

         

 

 

 

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蟄居謹慎の身なれど・・・

2022-06-13 | 弁当

6/13(月)週初めの月曜日、今朝の弁当は「サンドウィッチ」にした。十二枚切りの食パンで四種になったが、いずれも野菜と卵のサンドである。

          

どうってことのない定番のサンドを用意して、家人と長女用になった。残ったものは、我が朝食と二階でリモート勤務する長男が食した。

先週の土曜日、日本橋の白内障専門のクリニックで手術を受けた。術後、一週間は自重して目を休め、保護メガネを常時かけるように指導されている。入浴、洗髪も制約があり酒も控えるようにとのことである。そんな次第で、謹慎・蟄居を旨とすべきだが・・・。

手術前夜の金曜日、歯科受診の後は謹慎前の酒盛りを盛大?に挙行。高松~チョップクだったが、旧ナチュラル時代のメンバー四人と、高松の店主・油屋・NUMATA氏が加わって大騒ぎ。蕎麦屋の客も女将も、さぞ迷惑したことであろう。

 

そして土曜日、朝8:13分にクリニックに入った。15分までに来るようにとの電話があったので、幸いも時間厳守できた。受付を済ますと、既に二十人ばかりが待合室で指定された番号の椅子で待っていた。

これに至る経緯を云うと、年末に運転免許所の更新があるが視力検査に自信がない。新しい眼鏡に変えようと眼鏡店で検査をしても0.6までが精々だった。0.7以上が合格ライン、前回の更新でもギリギリだった。

致し方ない、抜本的な改善策だと眼科を受診したところ「もう白内障の手術をしてもいいころですね、このくらいで皆さん手術をされます」との宣告。そんなことより、.7以上の視力がでないと困るのだ。田舎暮らしに車は必ゆえに・・。

で、何カ所かの専門医リストを見せてもらった結果、馴染の深い日本橋で日本一術例が多く、先進的な手術をしているというクリニック「日本橋白内障クリニック」を、我が千里眼を万里眼にすべく選んだのである。それが、この前帰郷の三月八日である。

術後一ヵ月は様子を見た方がいいことや、力仕事ができないとのことで、田舎での各種(例えば筍掘りとか)スケジュール等を考慮した上で、手術日を決めた。

ここのクリニックは両眼を一度にやる。偶然にも我が朋友、HOYA兄いも同じ手術を地元・埼玉で6/3・10と受けているが、左右を一週間おいて受けている。身体的にはその方が楽かもしれない。

入念な健康診断と目の各種検査、手術の一週間前から一日三度の抗菌目薬の点眼、手術当日の検査・点眼を繰り返して手術室前室に入ったのは十二時前。マスク・耳栓・術着をしカーテンの先に入ると、前室には四人が待機していた。先ずは血圧・点滴から始まった。点滴は手術室を出るまで続いた。

順番が来て手術室に入ったのは四十~五十分も経ってからかな。室内はうす暗く、大きな画面のモニターが三面にあり、宇宙船の船内もかくありかと思った。最近、アマゾンのTVドラマでアメリカのUFOもの見たので・・・。

手術室では前の人が未だ手術中、隣の席(歯科の椅子のもっと高機能な椅子)に座って、先ずは目の消毒・麻酔液での洗浄をした。それから手術が終わった隣席に移動。改めて洗浄、麻酔液などで先ずは右目から・・・。

「レザーで水晶体?を砕いて取り除きます」と言われ、手術がスタート。光の一点を見ていてくださいと言われるがままに・・・。そして代替品の水晶体が挿入される瞬間、これは一気に太陽の光臨を受ける、或いは宇宙船が着陸する熱エネルギーを受けるような白・ブルー・オレンジ色などが混じりあったような明るさが一瞬だが目を覆った。そして洗浄。次いで、左目に移り、同じような手順で進んだ。この間、ドクターが説明をしながら進むので、何をされるか理解できる。

手術室に入って出るまで、十五分くらいであったろうか。出てから椅子に座って術着を抜き、血圧を測る。「どれくら?」と訊くと「200近いです」と応じた。そんなにあるの?、皆そうかな?と訊くと「そうですね」だった。

手術室に入ってから出てくるまで、大体一時間くらいかな。出てからは点眼・目の拭き方、保護メガネの使用法等、注意事項の説明があり、またしても血圧測定。この時点では手術前の状態に戻っていた。

術後は目がぼやけて良く見えない・・・。家に帰りつくまで不自由であったが、処方箋薬を買い、コレド室町の中を歩いてランチの寿司を食べるも、ビールを飲めないので何とも味気ない。帰宅後、注意書きを改めると「術後の食事は取らないで、まっすぐに帰宅してください」とあった。

この日は夜まで視界がぼやけて不自由だった。支持どおりに点眼、保護メガネをしたままで寝た。保護メガネは一週間するとあるし、点眼は頻回である。目の周りは必ずクリーンコットンで優しく拭く、と云うよりはそっと撫でるくらいにとの指導だった。一ヵ月も一日に三種の点眼薬を都合十二回も続けなくちゃならない。

              

一昼夜経過し、日曜日の十時前。術後の検診があり日本橋へ。視力検査と眼検査、順調とのことだが、左右の見え方が未だ平均していない。いずれ落ち着くそうだが・・・。

手術前に比べると、三日目だが裸眼が随分と見えるようになった。いずれにせよ、眼鏡をすることが前提の手術だ。落ち着いたら新しいメガネが要る。これまでのメガネを試しに掛けてみたら、全くダメだった。もっと弱い度数のメガネにしなくちゃいけない‼。

今週の金曜日が術後二回目の受診、これで放免祝いができるはずである。まずは、我が謹慎生活の発端であります。因みに、この名医と言われている方の名は、赤星さんと云う方です。

 

ついでに、最近の弁当を何点か掲載します。何時もながら代り映えしませんが、ご容赦のほど・・・。

   

      

次の写真は、先週火曜日にANAホテルで開催の「木内たかたね」さんを励ます会でのものです。日本維新の会から、全国比例に出馬されるとのことです。維新の会、元衆議院議員です。この方の伯父さんかな?、とても洒脱なかたとご縁がありました。

     

      

 

 

 

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梅雨入り?

2022-06-06 | 弁当

6/6(月)朝から雨の月曜日!、向こう数j日も雨模様のようだ。愈々梅雨入りと云うことか?。梅雨時となれば紫陽花でも見に行こうと思うべきだが、一向にそんな気も起きてこない。すっかり無精者になってしまった。

田舎の庭先の紫陽花が色づいてきたが、ひと月半後の帰郷には見頃を過ぎていることだろう。

帰京してからの外出と云えば、歯科・酒場・食材買い出し、それだけである。今週は今日と木曜日の予定がないので、こんな日は朝からビールを飲んで部屋に籠っている。天候次第では木曜日の昼にT物産のOKAZAKI氏に声を掛けて「奈加野」あたりで会うことになろうか。

 

こんな怠惰な日々であるが、明日の夕は今度の参議院選挙に出馬するKIUCHI氏を励ます会に義理で出席、水曜日はKISHIMOTO大兄と伊勢佐木町界隈で懇談、金曜日は人形町で歯科治療の後、会社時代のメンバー数人と歓談。翌、土曜日から一週間は謹慎蟄居の身となる。

趣味なし、銭なし,仕事なしの素浪人じゃ活動範囲が狭まるだけじゃなく、心身共に鈍り衰えるばかりだ!。

そんな中で唯一の遊びごととも云える「弁当作り」だけは、継続中である。と云う次第で、金曜日と今日の弁当(一つだけ)を掲載する。

          

今日の弁当はフライ(トンカツ・インゲン、シイタケ)がメインで、金曜日は焼肉をメインにしている。

            

 

 

 

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飯つくりな日々に・・・

2022-06-02 | 弁当

6/2(木)5月31日の午後便にて予定通りに帰京した。そんなことで早速晩飯作りをすることになった。家に居る時は飯つくり当番、いつの間にかこれが定着してしまったのだ。暇人由に異論はないが・・・。

帰京日の晩飯作りからスタートし、翌朝からは弁当作り。何時もと同じ日課が始まった次第。

昨日の弁当は、ポテサラに焼肉、鮭焼きに蒲鉾、定番の卵焼き。昭和なオヤジが作る弁当の王道?になった。

         

弁当作りを終えると我が朝食となるが、悪いことにビールを飲むことになる。田舎ではそんなことしないが、江戸では草刈も草引きも、野菜の手入れもないないし車に乗ることもない。暇故の悪しき?癖である。

帰京翌日の夕、晩飯作りをパスして人形町の馴染の店へと向かった。悪友たちへの挨拶があるので出撃!。五時から始まり23時前にお開きになったが、この間に四軒「高松」「こま吉」「うまし」、最後は駅に一番近い「ちょっぷく」で時間切れとなった。

 

そして今朝も弁当作りに励んだ。茄子&挽肉の味噌炒め、チンゲン菜と豚バラの生姜焼き風、銀鱈の粕漬焼き、定番卵焼き、以上となった。

          

そして今朝もビールを飲む羽目になった・・・。弁当の菜は濃い目の味付けにしているので、これで朝飯となると喉が渇くのだ!。

              

今夜は家に居たので、ソーメンにかき揚げ、エビフライと云うメニューだった。明日はどんな弁当になるのやら?。 

 

 

 

 

 

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