オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

畑作り・・・

2022-10-26 | 弁当

10/26(水)連日の好天!。天気に恵まれて庭の先にある田圃を畑に作り変えるべく奮闘?。昨年まで従兄が稲を作っていた田圃が荒れてきたので畑にして野菜でも植えようかと思い立った。暇なオヤジなればこそだが・・・。

セイタカアワダチソウを完全に除いたのは今回の帰郷後のこと。そして雑草を刈り、その後で広勝に耕運機で耕してもらい、昨日は畝づくりをしてもらった。それから土中に埋まった草を取り、畑になった田圃に半分ほど肥料を入れることができた。作業はまだまだ続くが、取り敢えずはここまでだ。

                

昨日の作業を終えたのは夕方の五時過ぎ、山里の夕暮れは早い。菜園からピーマンとナスを収穫し、夕餉に使った。先日、サツマイモを収穫した。芋の種蔓をたった七本だけ植えてあったが、夏を過ぎて蔓だけはぐんぐん伸びていた。

          

採れたのはたったこれだけ、それと大きな芋虫が二匹でてきた・・・。来年は田圃の畑に沢山植えてみよう。で、耕して準備が整いつつある畑にこれから植えるものは?。先ずは、大根・人参・蕪に玉ネギか、広勝からのリクエスト「ニンニク」も植えてみよう。いずれも沢山採れても始末に困るが?。

今日の午後便で碓氷老が来高する。空港までのお迎え送りと、暫くの間は相手しなくちゃならんだろうが、老が遊び惚けないように今回は労働メニューを考えてある。猫の手よりはましか?。七泊八日の滞在だと云う。

19日~22日まで沼田氏が来ていた。一緒に畑で焚火(栗イガ焼き)をし、田圃のセイタカアワダチソウの枯れ茎を燃やした。モクズカニ篭漁を初めてカニ味噌汁などを出しが、帰るときに朝捕れた生きたカニを三匹持って行った。

          

今週は、免許証の講習受講、抜歯と避けたいが避けれぬ予定に、「大心劇場」で映画を観なくちゃならない。フランス人の監督が撮った「ONODA」と云う帰還日本兵、小野田さんの物語だ。

そして、愈々「干柿」作りをスタートする。ちょっと早いが、十二月初旬の帰京までに第一陣を仕上げるつもりだ。

まあ、それなりに小忙しい思いのする田舎暮らしをしております。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰郷後・・・

2022-10-17 | 弁当

10/17(月)帰郷してから今日で一週間。11日の午後、羽田空港を発って、雪のない富士山頂を眺めて順調に飛行。土佐湾に入って少し経つと安田川の河口に広がる小さな我が町が望めた。何百回?も目を凝らしてきたクジラの潮吹き姿はとうに諦めて海面を眺めることは止めた。

            

  

帰郷してからは、掃除に庭の草引き、野菜畑の草引きに種蒔き、ミカン畑と野菜を植えるつもりの休耕田圃の草刈りと、それなりに動いてきた。ミカン畑に広がった栗のイガは集めたが、これを燃やさなくてならないが未だ途中である。従姉が拾い残っていた栗を数十個拾い、栗ご飯にもした。

             

久々の慣れぬ労働で膝や腰が痛くなり、おまけに抜歯予定だった歯まで痛くなるという始末。遊び惚けていた付けが回ってきたのであろうと、受容するしかない。然し、歯の方は明日、抜歯すべく地元の歯科を予約した。

一段落した今日は深夜から小雨となり、一日雨の予報で休養にはうってつけの天気となった。そんなことで、BLOGをアップすることにした次第。

ミカン畑に甘柿や渋柿の木が数本あるが、甘柿は一つも実が残っていない。渋柿はそれなりに実っているが、干柿にするには全然足りない。

特筆すべきは、これまで実が残ったことがない(獣に食われて)低木の渋柿に、たわわに実がなっていたことだ。この渋柿を餌にしていた狸かハクビシンは、死んだか?。

             

そんなことで、干柿には向かぬこの小さな平柿を採って渋抜き柿を作ることにした。コロナの消毒用に販売された80度のアルコールを吹きかけてジブロックで密封してみたが、結果や如何に?。何時もなら、35度のホワイトリカーを使うのだが。

斯様に田舎暮らしならではの日々。15日は安田川の鮎漁の最終日だった。妹の亭主で同級生の広勝も出漁、最後に今期の目標数をクリアしたとのこと。目標数は千匹で、十数匹多く獲ったようだ。

11日に空港に迎えに来てくれた車中で状況を訊いたら「後、四十匹だ」といっていた。

                 

広勝が鮎を獲ると、その日のうちに数匹を妹が届けてくれる。獲れたての鮎が毎晩のように、我が食卓に並び食したが・・・、それもお仕舞になった。

鮎と云えば、会社時代に人形町のベッタラ市(今年は三年ぶりに開催とか)に屋台を出していた。その時には広勝が獲った鮎を毎年100匹以上送ってもらっていた。ここの川の鮎は小型ながら味がいいと評判の鮎で、地元でも高値である。ありがたいことであった。

 

実家に戻ってからの想定外は、中庭の竹垣が(二ヵ所)駄目になっていたことだ。古くはなっていたのだが、先の台風の所為であろう。腐った部分から倒れて庭木に倒れ掛かっていた。これをどうするか?。自分で作り変えれるのは一ヵ所だろう・・・。

               

斯様に、田舎暮らしも大変なのだ・・・。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰郷を前に・・・

2022-10-09 | 弁当

10/9(日)明後日には帰郷する。弁当作りも帰郷の日の朝が作り納めで、二ケ月ばかりお休みとなる。生産的なことはなにもしないが、東京の自宅にいるときだけは朝晩の飯つくりだけはしてきた。尤、飲み歩く?ことが多いので、夕食を作るのは土日が殆どであるが。

前回のBLOGアップからだと、水曜日は午後に津川&花岡さん宅を訪問して五時間以上もお邪魔した。花岡女史の心づくしの料理を頂きながら、過ぎ越し日々のあれこれをお喋りして過ごしたのである。

                

そして、木曜日の午後は人形町の喫茶店グッチで沼田君と会い、事業計画を聞いて意見交換。仕事の一助になればと、その場で知人に協力要請の電話をいれた。翌日、コンペ案件ながらも早速仕事の連絡があったとのこと・・・。

         

そんな雨の午後、夕方前に中野のL社へ。ここで週一回の顧問を務めている中嶋さんを訪問。沼田君の会社の名刺(名前だけの顧問)を渡した、同じN社のOBで顧問の大町さん、今年夏に入社の半沢氏の四人で何時もの蕎麦店にて二時間ほど歓談した。

四人とも同じ釜の飯を食っているので話題にこと欠かない。そして、L社の今後についてが話題となり、盛り上がった?。私の零細企業の経営をしてきた経験等を踏まえた話が興味深かったようでなによりだった。

金曜日、五時過ぎに人形町に出撃した。この夜、19時に新築なったKODMAさん宅に呑み仲間が集うことになった。その前に高松蕎麦に集合、一杯やってから持ち寄りの買い物をしての訪問である。

          

メンバーは、保谷兄いと中村さん、大野君に店主のミッチャンと云う、酒場仲間である。「高松」蕎麦店で一時間半、その後マイバスケットで焼酎・ウイスキー・ビールに乾物、氷などを用意してから100M離れたKODAMAさんのお宅を訪問。

未だ新しい部屋に気遣って、最初はタバコを控えていたが・・・。外に出て吸うのも面倒なので「灰皿ある?」と!。灰皿代わりのコップが出てきて、全員がタバコを手にしたのである。

                

二時間ほど歓談し、仕上げに「ちょっぷく」に移動したのが三人。然し、この夜は酒があまり入らなかった。閉店時間の十時となり、私は一先に失礼した。

斯様なことで、初秋から晩秋にかけての酒場巡りシーズンは幕を閉じたが・・・。処が、番外編を明日の正午からやることになった。

三月末に中村さんと一緒に我が田舎に来た、岩迫氏が一ヶ月に渡るネパール旅行から帰国するので土産話を聞きながら、御徒町の千ベロで歓談することになった。帰郷前なので長居はしたくないが・・・。どうなることやら?。

今日のうちに帰郷荷物をまとめておくに如かず!だが・・・。明後日の朝、名残りの弁当を作れば東京と暫しオサラバだ。田舎に帰ると、十月は畑と庭の手入れ、十一月になれば柚子収穫・絞り、干柿作りが待っている。手が空いてきたら、我が「酒場を巡る物語」無知と恥の告白がスタートかな?。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名残の日々を・・・

2022-10-05 | 弁当

10/5(水)今日から気温が下がり天候不順が続くとの予報。そんな日の初日、午後に津川&花岡さん宅を訪ねて歓談する。前回の帰京では、津川さんと吉祥寺の侘し気な酒場で飲んだが、花岡さんは体調を崩しているとのことで会えなかった。

津川さんとは先日、勝どきに渡邊一雄さんを訪ねた折にもご一緒したが、花岡女史とは半年振りか?。何時ものように、腕を上げた手料理と静かに流れる演歌をバックに、ぽつりぽつりと喋りながら至福のひと時を過ごすことであろう・・・。

帰郷まで一週間となり、明日の夕は中嶋孝夫さんとお会いする。そして金曜日、人形町にて酒場仲間とのひと時を過ごすことになっている。土曜日の夕は、先日二本抜歯した歯の抜糸後、中村氏の友人でネパール旅行から帰国する岩迫氏の土産話を聞くことになろう。

以上で、今回の帰京でのスケジュール?ちょっと大仰な言い草ではあるが予定が終る。三連休は長女の一家がキャンプに行くので一緒の夕食もない。帰郷に備えることなる。

と云うことで、先週の土曜日からを振り返ることにする。

土曜日の正午、赤羽駅に集合した人形町仲間は、先導役を務めてくれる元ローカーボのマスター岩瀬さん、保谷兄貴、高松蕎麦の店主ミッチャンと漢気の沼田氏。五人で、二度目となる赤羽千ベロ店巡りであった。

             

三時間半で三軒の店を回ったが、なんといっても立ち飲みのおでん屋さんがベスト。二十分しか居れないが、ワンカップ一つにオデン五個一皿で850円也。立ち席が空くのを少し待たされたが、オデンの味、値段のリーズナブルさと短時間での勝負と申し分ない。

他の二店もそれぞれに味があり、お値段もお値打ちものだった。大人の遊び場としては面白い。特に私のような素浪人にとっては・・・。この日の潰えは三軒で3850円と、超がつく安遊びであった。

そして日曜日、家族とのBBQ会を自宅で開催。前週の予定が雨で延期された次第。天気にも恵まれ、焼き物をしながら飲むビールも旨い。残念だったのは次女の一家が、猫の具合が悪くなったと急遽の不参加(翌日に死んだとか)。一人息子の瑠璃君(小1)は行きたいと泣いたそうで気の毒だった。

               

大食いの次女一家が不参加だったので、用意した肉が余った。お陰で、翌日の弁当はカルビ焼きがメインになった。

                

月曜日の午後、「人形町きんざ通り歯科クリニック」で抜歯となった。二週間ほど前から、悪い歯が食事をすると(噛むと)痛むようになっていた。思い切って左右(左一本、右二本)三本の歯を抜く決断をしたのだ。

帰郷のこともあるので、先週に歯のお掃除に行ったおり、先生にそう宣言してこの日を迎えたが・・・。つらつら考えれば、左右をいっぺんに抜けば嚙むのに苦労する。そう考え直して右側の二本だけを抜くことにし、先生にそう告げたのである。これは正解だった・・・、先ずは!。抜くのはいつでも抜ける。

と云うことで、右側の上二本を抜歯して四針縫った。先生から、五日ほどお酒は止めなさいと言われた。その代りに、こんなことを想定して、朝食時に缶ビールを飲んでおいたが、夕は断酒決行。

然しなんだねぇ~、ハ・メ・マとは云いえて妙なるものだ。六月には白内障をやり、今月には歯だ。歯の方は前から傷んでおり瀕死の状況がつづいている。愈々、最後のマ?か!。どうやら、幕を下ろす時期が迫ってきたようだぜ!。

やっぱ、来年から生き方(日々の過ごし方か)を変えよう!。過去に未練を残さず、あらゆるしがらみを綺麗にしていこう。今からと言わないところが未練たらしいが・・・。そう思うのであります。

 

最後に火曜日と今日の弁当を載せます。 

  

何時ものように煮物や揚げ物、焼き物に炒めものと様変わりなしだが・・・。如何なものであろうか?。食材費だけは相当なもので、出来合いの弁当を買った方が圧倒的にコストメリットがある。趣味と云うか、遊びと云うべきか・・・、コスト高は致し方ないのだ。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする