おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武線「野田市駅」~「川間駅」。その1。芽吹大橋。ノスリ。海から105.0㎞。(利根川を歩く。第17回目。)

2022-02-23 19:53:34 | 利根川を歩く

                    対岸を望む。

2月19日(土)。午後から雨との予想もありましたが、利根川までやってきました。

前回の終了地点だった「野田スポーツ公園」までの「まめバス」の到着時間がうまく合わないので、野田市駅から岩井車庫に向かう「茨城急行自動車」に乗って「芽吹大橋南詰」まで。

約4㎞省略。その分、海から121㎞地点にある「関宿城博物館」まで歩けるか、と。

一方、「まめバス」の「関宿城博物館」出発時間に間に合わないと、前回同様、2時間近く待つことになります。そこで、最後は大慌て。

そんなバタバタの記録です。

               「芽吹大橋」。

     

岩井市莚打と野田市目吹を結ぶ県境の橋で、「(茨城・千葉)県道3号線」が通過。

※莚打は「ムシロウチ」と読む。

※「芽吹」は、地名としては野田市「目吹」。

茨城県・千葉県によって計画され、1958年昭和33年)に日本道路公団の管理する有料橋として供用を開始した。1968年(昭和43年)に茨城・千葉県に管理が移管され、通行料が無料となった。その後1985年(昭和60年)に下流側に歩行者用橋が建設されて開通した。開通前は古河市にある国道4号利根川橋取手市にある国道6号大利根橋まで大きく迂回しなければ東京方面に行くことができなかったが、本橋の開通によって都心までの所要時間が大幅に短縮された。これによって岩井市(現坂東市)周辺は東京圏向けのレタスハクサイなど近郊農業を中心とする農業によって大きく成長した。

その後、本橋の慢性的な混雑緩和のため1980年(昭和55年)に下流側に新大利根橋1990年(平成2年)に上流側に下総利根大橋が建設されたが、双方とも有料道路だったこと〈新大利根橋は2010年(平成22年)に、下総利根大橋は2020年(令和2年)に無料化〉、特に新大利根橋までは直線距離でも13 kmほど離れていること等から、交通量が大きく分散するまでには至っていない。(「Wikipedia」より)

芽吹大橋の開通は、昭和33年(1958)12月23日です。この日は東京タワーの完工式の日でもあるので、芽吹大橋と東京タワーは同い年ということになります。現在も坂東市と千葉県野田市との交通の要となっています。

橋が完成するまで当時の人々は、対岸の野田へ行くには利根川に何カ所かある渡し船を利用しており、とくに現在の小山地区にあった「小山の渡し」は人だけでなく自動車も輸送しました。小山の渡しは岩井と野田の間の路線バスの経路でしたので、バスは渡し場まで来るとそのまま渡し船に乗せて対岸へ輸送されましたが、バスが川へ転落する事故があってからは、岸壁でバスを降りて乗客のみが船に乗って川を渡るようになったそうです。

この付近は自然豊かで、ノスリの姿を見かけることもあります。

朝日を受ける利根川、千葉県側からは筑波山、茨城県側からは富士山を望める日もあり、利便だけではなく目も楽しませてくれる橋です。

(この項、「」HPより)

※「ノスリ」タカ科の鳥。(写真は「Wikipedia」より)

この付近の今昔。

1880年代のようす。上流の離れたところに渡し場がある。

2010年代のようす。左岸・右岸とも微高地となっている。

野田市目吹・筵打地区。

上流方向。

       「海から104.5㎞」。

「海から105.0㎞」。護岸関連工事が行われています。

上空にはモーターハングライダーのエンジン音が。(↓)

   左には、耕地が広がる。

振り返る。自転車道が続く。

       

今にも雨が降り出しそう。              

     

        対岸は、「坂東場外離着陸場」。何機ものハングライダーが離着陸しています。

(「Googleマップ」より)

晴れていれば気分は爽快なはずですが。風が穏やかな分、楽です。

     

 


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