おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書するって楽しいな、ということ(その3)

2009-11-28 06:39:11 | 読書無限
 どうも読書傾向として社会・文化問題が多いようです。今の小説には、あまり心をひかれるものがないのかもしれない。読書の貧困化ですか。
〈小説〉
「福永武彦全小説」(福永武彦)新潮社
「ゼロの王国」(鹿島田真希)講談社
「未見坂」(堀江敏幸)新潮社
「黄金の猿」(鹿島田真希)文藝春秋社
 やはり福永さんはフランス文学と堀辰雄の影響が濃くて、好き嫌いがありそう。
 堀江さんは安心して読める、鹿島田さんはちょっと?
〈文化〉
「禁じられた江戸風俗」(塩見鮮一郎)現代書館
「おかしな科学」(渋谷研究所X+菊池誠)楽工社
「寝取られた男たち」(堀江珠喜)新潮新書
「東京銭湯お遍路MAP」(東京都公衆浴場生活衛生同業組合)草隆社
「日本の路面電車Ⅱ廃線路線東日本編」(原口隆行)JTBキャンブックス
「国道の謎」(松浦成行)祥伝社
多士済々のジャンルでした。直接作者からブログに投稿がありました。
〈社会〉
「戦中派不戦日記」(山田風太郎)
「日本人の戦争」(ドナルド・キーン)文藝春秋社
「サイゴンの火焔樹」(牧 久)ウェッジ選書
「反貧困の学校」(宇都宮健児×湯浅誠)明石書房
「狭山事件虚偽自白」(浜田寿美男)北大路書房
 裁判員制度や取り調べの可視化などが話題にされる今、浜田さんは、鋭い問題提起をしています。
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読書するって楽しいな、ということ(その2)

2009-11-27 21:38:59 | 読書無限
 読書ノート第2弾。
〈小説〉
「文学2009」(日本文芸家協会編)講談社
「本格ミステリ」(本格ミステリ作家クラブ編)講談社
「おはよう、水晶 おやすみ、水晶」(笙野頼子)筑摩書房
女性作家が元気なことを再確認しました。

〈文化〉
「水道が語る古代ローマ繁栄史」(中川良隆)鹿島出版会
「江戸演劇史 上下」(渡辺保)講談社
「鉄道廃線跡を歩くⅨ」(宮脇俊三)JTBキャンブックス
「東京懐かし散歩」(赤岩州五)交通新聞社
「東京発祥の地めぐり」(発祥の地探訪会)東京地図出版
「まれびとたちの沖縄」(与那原恵)小学館新書
「ニッポン『もの物語』」(夏目幸明)講談社
 このジャンルは玉石混交。でも、こだわりを持つことの大切さは実感。読んだのをきっかけに歩いてみたものもありました。

〈社会〉
「テロとユートピア」(長山靖生)新潮選書
「南京事件」(秦郁彦)中公新書
「『はだかの王様』の経済学」(松尾匡)東洋経済新聞社
「表参道が燃えた日ー山の手大空襲の体験記ー」(編集委員会)
「JR福知山線事故の本質」(山口栄一編著)NTT出版
 改めて現代的課題や事件、事故の本質を考えさせるものが多かった。「南京事件」関係。相変わらず反応が多いですね。
 以上、ここまでで30冊分。あと30冊分+αになるでしょう。
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150 路地裏からのスカイツリー

2009-11-26 06:34:48 | つぶやき
 200㍍を優に超えて、ますます高くなるスカイツリー。晴れた日には見物客がたくさん。橋の上から、通りから、なるたけ近いところに陣取って上下するクレーンを見上げています。
 写真も、本格的な望遠レンズでシャッターチャンスを狙う人。通りがかって携帯電話でパチリ。子どもを並べてハイパチリ。年寄りと一緒にはいぽーず。冥土のみやげにもう一枚、と賑わっています。
 もうそろそろ見物客目当てに、屋台が並んでも出てもおかしくない雰囲気。東武本社も近くに移転して、タワーに面した旧社屋も取り壊しが始まりました。屋上の通信塔もそろそろ撤去されそうです。
 この間、そちらの鉄塔を見上げてあれかと思った、と通りがかった子ども連れの夫婦。あまりに高すぎて、本体に目が向けられなかったのかな?
 路地裏からもすっくと立って見えます。意外にきゃしゃな感じ。これであと2倍も高くなるの?って心配の声も出てきそうなほど。
 NTTに勤める知人やら、都庁の知人やら、何だかんだと関わっていることを知りました。身近な人たちがいろんな関係で・・・。
 写真は、押上駅南側の路地から撮ったもの。今では、どこからで見えています。
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読書するって楽しいな、ということ(その1)

2009-11-25 22:04:23 | 読書無限
 一生の間で、いや一年間でどれほどの本を読むことが出来るか? 
 人生、黄昏の世代になってくるとつくづく思います、それほどは読めないモノだと。
 一週に2冊読んでも、せいぜい100冊余り。物心ついて15,6歳の頃から70,80歳まで約60年。たくさん読めてもせいぜい6000冊。仕事や子育てなど日常に追われているので、生涯で2000冊読めればいいほうでは。買ってみても「積ん読」が多くなってしまって・・・。
 本は、本の数ほどたくさんありますね。広大な砂漠の砂の、そのひとつかみをしただけ。これだって、ほとんど日本語の本だけですから。
 ブログで紹介した(読んだ本)そのはじめから15冊分。
〔小説〕
    「予告された殺人の記録」(Gガルシア・マルケス)新潮社
    「愛人(ラマン)」(マルグリット・デュラス)河出書房新社
 と2冊のみ。それも外国の作品でした。
〔文化〕
    「肉体の魔宮」(谷川渥)東京書籍
    「匂いの人類学」(エイヴリー・ギルバート)講談社
    「世界会談名作集」(岡本綺堂編)河出文庫
    「大江戸岡場所細見」(江戸の性を考える会)三一書房
    「宮沢賢治ジャズに出会う」(奥成達)白水社
    「大江戸とんでも法律集」(笛吹明生)中公新書
    「三国志談義」(安野光雄・半藤一利)平凡社
    「文学という毒」(青山学院大文学部日本文学科編)笠間書院
    「記憶の中の幸田一族(青木玉対談集)」講談社文庫
 この中では、宮沢賢治とジャズの話が興味深かった。また青木玉さんの内輪話もけっこう「わたくし的」には盛り上がった。 
〔社会〕
   「連続講義 暴力とジェンダー」(林博史他編著)白澤社    
   「ヒトラー権力の本質」(イアン・カーショー)白水社
   「対テロ戦争株式会社」(ソロモン・ヒューズ)河出書房新社
   「戦争の時代ですよ!」(鈴木常勝)大修館書店
 紙芝居屋さんの「戦争」の話は、紙芝居を実際に見せ、学生に討論させた企画が面白かった。
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読書60「平和構築」(東大作)岩波新書

2009-11-24 20:01:36 | つぶやき
 鳩山政権になって以来、沖縄普天間基地、インド洋上での自衛隊給油など、アメリカとの関係においてさまざまな見直し、再検討が浮上してきています。マニフェストに基づく新しい政治のやり方への期待も大きい反面、不安や危惧がマスコミから提起されれています。
 もともと「親米」路線が基本のマスコミにとっては、民主党政権、とりわけアメリカ(軍部)との「対等関係の構築」を目ざす政治(ある種の軍事)姿勢には批判的にならざるを得ないのでしょう。
 昨日までの麻生政権批判とは質の異なるアンチ鳩山路線。ほめたりすかしたり、ご苦労なことですね。
 ところでこの書。そうしたある意味で観念的・感情的になりがちな政治批判・論議ではなくて、まさに「平和構築」に向けて日本(国民)がどうしていくべきか、何が出来て何が出来ないか、など平和が脅かされている国・地域という現場に根ざした議論を展開しています。アフガン・東ティモールという現場からの報告。政治情勢、軍事情勢が混沌とした中、現地の人々との対話・アンケート実施等の聞き取りを中心に構成されたこの書は、日本という「平和」に「暮らしていける」中での政治談義、マスコミ論調に一石を投じるものになっています。
 貿易立国としての日本のあり方。世界の国々(政治経済体制の異なる)との間でモノを売ってモノを買って生活している国・日本。
 そうした中で、真の信頼を勝ち得ることができるかどうかが、これからの日本にとってもっとも大事な視点であり、「平和構築」に向けた取り組みこそ、その最大・最高の信頼を得る手段なのだ、との筆者の視点を大切にしていきたい。
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読書59「私が見た21の死刑判決」青沼陽一郎(文春新書)

2009-11-23 19:15:00 | つぶやき
 裁判員制度が始まって半年。誰もが裁判員になる可能性があった中、すでに各地の裁判所で一般の国民が裁判員として裁判の判決に関わってきている。
 こうした制度がどのように定着するか、制度としてふさわしいかどうか、始まる前は賛否両論。いざ始まってみると、出廷義務や守秘義務のことなど、さまざまな克服すべき点もあるが、一応順調に進み出している。
 検察側の求刑通りか少し下回る、当初の予想通り、被害者感情に依拠する傾向の判決が出てきそうだという流れになっているようだ。(これは、導入に際して言われた、国民一般の意識であると同時に、これまでの裁判のあり方への批判にもなっているかもしれない)
 今のところ、えん罪との判決はもとより、「死刑」判決が出ていないが、今後、こうした判決に関わっていくかもしれない。その時の裁判員はどういう状況に置かれるか。他人事ではすまされない、責任と苦渋の判断が求めれる事態が生まれるだろう。
 裁判への国民的関心が生まれてくることはけっこうなことだが、芸能人の大麻裁判の時のように、行き過ぎなほどの、マスコミの大騒ぎ。こうした表層的な「裁判への関心度」アップでは見逃してしまいそうな、重大事件への裁判員一人ひとりの判断が問われることになったとき、果たしてどうか?
 この本は、オーム麻原裁判を始め、刑事裁判を傍聴する長年の体験の中で、見てきた死刑判決の裁判傍聴記である。死刑判決を言い渡された時の、「凶悪犯罪」被告の表情、裁判官の言動、それらを実際の目で確かめているが故の、記録の重さがある。
 特に最後に取り上げた、裁判員制度を見据えた裁判。江東区のマンション女性バラバラ殺人事件。検察官が画面に次々と映し出した画像に説明を加える。女性のバラバラになった肉片。裁判員に視覚的にわかりやすく、という目的だった。
 女性を部屋に連れ込み、殺害した状況を本人の証言に合わせてモデルを相手のフィルム、イラスト、具体的な行為を微細に視覚的に見せていく。
 こうした尋問が法廷で3日間続いたという。この時の法廷の異常な(・・筆者の言葉)様子を記している。裁判員制度を意識した「演出」のようだ、と。
 この書は、長年、裁判の傍聴をしてきた方の、危うさの多い裁判員(制度)への切実な訴えでもある。その根底には、誰もが、死刑判決に加わる、皆が「死刑、死刑」と叫び回る状況への危機感・恐怖がある。
 「21」件もの死刑裁判の傍聴記というような、たんなる興味本位の書では、けっしてなかった。裁判傍聴「マニア」だからこそ到達しえた、裁判員制度への問題提起である。
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読書58「額田王」(梶川信行)ミネルヴァ書房

2009-11-22 19:30:26 | つぶやき
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮も適ひぬ 今は漕ぎ出でな」
「茜草指す 紫野逝き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
「君待つと 吾が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く」(この著書での表記に基づく。この他にも万葉仮名で表記したものや、漢字を別のものに記した書も多い。)
 万葉集には12首(一首は、上の句がどう読むか分からず、万葉仮名のまま)だけ掲載されている女流歌人、宮廷歌人の先駆者として名高い。
 しかしこれらの歌、及び詞書き、さらに「日本書紀」での16文字でしか公の文書に記されていない「額田王」の実像に迫った作品。
 この女性の生きていた時代は、古代日本の歴史の中でも激動の時代でもあった。七世紀。二人の女帝の時代、朝鮮出兵、白村江の敗北、天皇兄弟の争い、壬申の乱、遷都など、日本国内における天皇支配の確立に向けて大変化の時代であった。 その中にあって、天智(中大兄皇子)、天武天皇(大海人皇子)の両天皇の后として仕え、波瀾万丈の人生を送った女性。
 資料がほとんどない中、それでいてこれまでさまざまに描かれてきた、女性の姿と時代背景に目を向けた労作。
 実際に関わりのある土地に出むき、実地踏査した時写真や図版を掲載しているのが、興味深い。例えば、「熟田津」(にきたつ)。四国の松山市にある、伝承の地を訪ねて、「にきたつ」の語源・語意からその位置を特定する。
 また、近江京とその荒廃、平城京など激しく動く歴史の中で生きる女性の姿を、実証的に浮かび上がらせている。
 一般的には二番目の歌のように(あるいは有名な長歌のように)、二人の天皇の愛人として、きらびやかで奔放に生きた女性のように扱われる額田王の晩年の姿などにも迫っている。
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149 今日のスカイツリー

2009-11-20 21:33:42 | つぶやき
 久々に晴れた東京地方。ここ2、3日冷たい雨が降って、ぐっと寒くなりました。もう薄手のコートでは寒くて、冬の暖かいコートやジャンパー姿が目立ちます。近所の高層ビルのビル風も北風に変わり、肩をすぼめて傘を必死に手に持って雨に濡れないよう歩きます。家でも、こたつや石油ストーブを出す季節。
 「降りみ降らずみ時雨は冬の初めなりけり」(降ったり止んだり、そんな時雨が降ると、冬の初めを感じる)という歌もありますが、昨日などはそんな感じです。さっと冷たい雨になり、さっと止む・・・。朝、傘を持たず出かけた人は帰りには困ったようすでした。これなんかは、京都辺りの風情を歌にしたような気がしますが。
 よく考えると、東京はこれから3月の終わり頃までストーブなどの暖房が欠かせません。一年のうち、5ヶ月ほどが暖房器具にお世話になる、北の地域に比べればまだまだ暖かいですが、けっこう寒い地域なんだと・・・。
 今日は、午前中はよく晴れていました。透き通った秋の青い空には鱗雲が南にゆっくり流れていました。午後は、曇り、明日は晴れるようですが、明後日の日曜日は午後から雨の予報。こうして一段と冬らしくなっていくのでしょうか。
 200㍍を超えたスカイツリー。浅草通りから撮った写真です。首が痛くなるほど見上げないと、先端が視野に入りません。
 このあと、この2倍も高くなるかと思っても、想像もつきません。こうしてだんだんと高くなっていく姿が、職場からはまったく見えないのがちょっと残念です。
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読書57「どこから行っても遠い町」(川上弘美)新潮社

2009-11-19 20:02:41 | 読書無限
 東京の郊外。どこにもある(かつてはあった)ような、特色もない商店街。その一画にある(あった)「魚春」が舞台の短編の連作。
 人の命のはかなさと生きていた時の「業」の深さと、それ故の人の心の機微が淡々と描かれている。
 「魚春」の主人「平蔵さん」となくなった奥さんの「真紀さん」とそれにからむ「源さん」とその他市井の庶民が、織りなす人間ドラマ。生と死の世界。どこにでもあるような話のようであって、どことなく現実離れした話の組み合わせ。それでも、しっとりといつまでも心の片隅に残る話。「センセイの鞄」以来、ペーソスにあふれた語り手の姿が読む人に思い浮かんでくるような・・・。
 芥川賞作品の、ちょっと「えっ」と思ったような(お茶大の理学部での才媛のものした)小説から作風が少しずつ変化してきて、それでも貫かれている、「人間」への愛情・憐憫、期待?などがつつましやかに語られている。
 ちょっぴりすてきな小説。結婚、浮気、疑い、死・・・、一歩間違うとどろどろしてしまいそうなテーマを見事にまとめ上げています。
 谷内六郎さんの絵がとてもよくマッチしていました。懐かしい趣がぴったり。
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読書56「殴る女」(荻野アンナ)集英社

2009-11-18 20:32:23 | 読書無限
 実に奇妙な小説。ただ女性作家は元気ですな、というのが感想。この方は、「芸達者」な方とお見受けした。
 初めて読んでみた方。巷間話題の多い方のようですが、この方の小説は、これまではご縁がなかったのです。
 昔のはやり言葉で言えば、ずいぶん「飛んでいる」話。50代の大学の先生とおぼしき女性(ご本人)が仕事と家事と両親の世話と旅先で出会った男との四角、五角・・、も、組んずほぐれつの人間模様が描かれています(と、まとめられるかどうか、ちょっと不安です)。そう、ボクシングジムに通うことで機縁の出来た、奇妙な人間関係が織りなす世界、性界・・・。やっぱり元気な主人公です。
 お酒を浴びるほど飲んでもまだまだ元気。転げ落ちても、はり倒されても、エッチをしても、常に元気はつらつ、その実は、「鬱」なんですか?
 所々、永田町の話とか、えらくマニアックな食品化合物の話題とか、ボクシング検定の話とか、随所に作家の面目躍如たる雰囲気が醸し出されています。それにしても、元気ですな、主人公は。
 私小説の体裁をとりながら、どこまで虚構なのかその見極め方が読者に試されている感じ。実挑戦的な小説でした。 
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読書55「1984年〔新訳版〕」(ジョージ・オーウェル)早川書房

2009-11-17 20:12:43 | つぶやき
 この日曜日。一気に読み通しました。文庫本で約500㌻。読み応えのある内容です。地球上が三大帝国の支配下になった近未来。その一国、オセアニア。この国は、かつてのイギリスとアメリカが合体した国家(使用通貨はポンドではなくてドル)で、他の二国と常に戦争状態にある(相手国は常に変化するが)。
 発表された1948年当時の、第二次世界大戦終結後の国家間の再編成、離合集散の政治経済的な歴史とも関わっている。
 「イングソック」つまり「イギリス社会主義」というイデオロギーに基づいた、「ビッグ・ブラザー」が率いる党が支配する全体主義、監視国家体制の話。市内のいたるところに、「ビッグ・ブラザー」の顔(眼)がにらみをきかせ、テレスクリーンが常に偉大な成果を流し、一方では、テレビの向こう側からテレビ画面を通して随時、監視する機能をもつ、さらに秘密警察(思考警察)によってチェックされている、「現在」を正当化するためには、「過去」の歴史の改ざん(正当化)もよしとする体制・・・。
 発表当時、ソ連のスターリン体制を批判したものとして、「反共」の書として世人に受け入れられた。
 けれど、こうした固定的な見方では、作者の意図にも反するし、今(2009年)に改めて読んでみて、作者の先見的な視点をふまえ、別のとらえ方も成り立つと感じた。
 特に言語問題。思想信条に関わる語彙を減らし、一語=一意味を徹底、また単純化することで、言葉を文字通りの記号化していく作業、ニュースを次々と改ざんして行く作業、こうした国家の中枢機関に勤める、中年の男が、主人公。
 国家のあり方に不満を持つこの男が、「プロール」と蔑視される多くの一般大衆の姿に、未来の希望を見いだしながら、束の間の自由(と思っただけにすぎない)恋愛をかなえたものの、味方だと安易に信じた上層部の男によって逮捕、拷問、そして人間改造されての釈放・・。非存在となってしまう。
 小説の冒頭で、敵対者を画面に登場させ、観客に憎悪を煽り立て(そうしないと逮捕され、抹殺される)る描写などは、狂信的な宗教団体(カルト教団)のありようをも彷彿させる、など随所に示唆的な怖さを持って読者に迫ってくる。
 拷問の場面でも、一気に処刑するのではなくて、じわじわと責めていく。最後に主人公がもっとも嫌う、小動物「ねずみ」を差し向けて、完全な人間改造を成し遂げるシーンなどは、卓越している。
 最後に「附録」として、「ニュースピークの諸原理」という論文が掲載されている(出版社からは削るように要請があったが、作者は拒否したとの話だが)。オセアニアの公用語である「ニュースピーク」の解説である。
 ここでは、いかに思想改造を行うか、体制批判をさせないか、敵対者への憎悪を煽るかを、言語の面から行っていこうとする取り組みの経過を述べている。言語論・記号論からみても実に面白いものになっている。
 この言語体系は、2050年には完成するとされ、1984年当時ではまだ未完成なものとしてある種の批判的文章となっている。
 作者がこれを最後に置いたことで、小説ににじみ出た「全体主義」への批判、恐怖、そして阻止を穏やかに、それでいてしたたかに描いてみせた。
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読書54「芥川龍之介と腸詰め」(荒木正純)悠書館

2009-11-16 21:37:25 | つぶやき
 昔から「鼻」は性器の象徴というよりか、性器そのものというふうに言われる。大きさやかたちが何に喩えられもする。実に卑猥な存在である。
 まして、顔のまん中に鎮座しているのだから。そうそう、天狗の「鼻」(もどき)などは、女性が、その寂しさを紛らわす利用価値があったようだ。
 「禅智内供の鼻と云へば、池の尾で知らない者はない。長さは五六寸あつて、上唇の上から顋の下まで下がつてゐる。形は元も先も同じやうに太い。云はば、細長い腸詰めのやうな物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下がつてゐるのである。」
 芥川龍之介の「鼻」(龍之介のデビュー作とでもいう作品で、夏目漱石から絶賛された、今昔物語の話を翻案したもの。)を素材にしている。
 副題に「『鼻』をめぐる明治・大正期のモノと性の文化誌」とあるが如く、「ソーセージ」文化誌から始まり(西洋食文化の輸入の歴史、ドイツのソーセージ職人のエピソード。前説には、鉄砲伝来のエピソードまで紹介している)
 芥川がどこでソーセージと出会ったか、なぜソーセージと表記せず、「腸詰め」と書いたのか、当初の「烏瓜」とか「赤茄子」などいう比喩がどうして腸詰めという表現に変わったのか、などさまざまな話題が盛りだくさんになっている。
 特に、同時代史的に、芥川と法華経との関わり、いかに芥川が法華経に関心を持ち、作品の中に取り入れたか、などは面白かった。
 さらに、芥川(「羅生門」などの作品で高校生にはなじみな作家だ)が、実は好色(男女関係や性的なモノへの好奇心という意味で)な人物であったらしいことなどたくさんの資料を駆使しながら明らかにしている。
 小生が関心を寄せたのは、膨大な資料の検索をインターネットで行ったことによって、この作品をものすことができたとの筆者の言。
 小生も、ブログでは多くの資料などを検索して(引用して)投稿することも多いが、「国会図書館近代デジタルライブラリー」なる存在を初めて知った。
 多数の情報、資料、映像などをインターネットから借用しながらこうした多面的な要素を持つ、学術的な論文が書ける時代になってのだ、と改めて思った。
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読書53「悪党芭蕉」(嵐山光三郎)新潮社

2009-11-15 19:20:33 | つぶやき
 「芭蕉は大山師だ」と言ったのは、芥川龍之介である。芭蕉が「詩聖」に祭り上げられ、「神」としてありがたく押し頂く存在になったことと芸術の貧困への憤りがそこにはある。
 嵐山さんは、この言葉を出発点として、俳諧の歴史における、芭蕉と弟子たちの存在を緻密に探っている。名歌「古池や」の句のいかがわしさ(?)、当時の「生類憐れみの令」のもとで、けなげな抵抗・・・。
 弟子には悪党?が揃っていたか、その悪党を束ねていたのが芭蕉であった、と。
芭蕉在世中からの弟子同士の主導権争い、没後の分裂などを描きながら、出版業界の繁盛と事業の成功、弟子・パトロン筋への巧妙な配慮の人であった、芭蕉それ自身を浮き彫りにしている。
 俳諧が数多く紹介され、丁々発止として句会の有様、句集の編集の苦労、弟子同士の微妙なバランス感覚・・・、など楽しませる内容が多かった。蛙は飛び込まない、従って音などしない、清澄庭園でじっくり観察した結果など、どこまでホントウやら。
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読書52「橋本治という考え方」(橋本治)朝日新聞出版

2009-11-14 18:52:55 | つぶやき
 橋本治さんに興味を持ったのは、例の駒場祭のポスターであったのですが、物書きとしての興味を覚えたのは、「桃尻語訳枕草子」。(おっとその前に「桃尻娘」シリーズがありました。)
 やたら♡のマークがあったり(今思えば、携帯メールの先取りそのもの)、「女性」言葉的雰囲気が、作者のキャピキャピの才女・清少納言にぴったりで、実にはまってしまいました。
 ○○っ気があると噂の高い彼らしい文体でもありました。ある種の文化的ショックを受けたものです。その後八面六臂の活躍はご存じの通り。
 もともと浮世絵などに深い造詣のあった御方。そうした多彩な才能は、源氏から平家、徒然草など古典翻訳(?)は勿論、美術論、芸術論など乱作に近いほど。すべてに眼を通したわけではありませんが、今でも、同世代の花形「文化」人的存在として興味関心があります。
 その彼も還暦。来し方行く末を考える、そんな年齢になったのでしょう。このエッセー集もそんな風情にあふれています(もともとは、「行雲流水録」として連載されていたとのこと)。さもありなん、とも思います。
 同じような時代を生きていたのに、感性の全くのないことから、ただただぼっと過ごしてきた小生にとっては、まさにうらやましい時代や人間、文化への捉えたかた、考え方でした。
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読書51「幕末明治百物語」(一柳廣孝・近藤瑞木編)国書刊行会

2009-11-13 19:46:49 | つぶやき
 ボンヤリ系装幀本の一つ。内容にふさわしいか。掲載の写真を見ても、何だかよく分からない。背表紙で書名が分かるのみ。よく見ると、三遊亭円朝や桂文治など当代一流の落語家やら新聞人など、いわゆる「好き者」の名が刻印されている。
 この書物。明治27(1894)年「やまと新聞」に連載された「百物語」から採りあげた怪談・怪奇集。新聞だけのことはあって絵入りになっている。さらに注にはかの有名な円山応挙「幽霊図」なども載せられている。
 構成的にはおどろおどろしい感じが醸し出されている、と言いたいところだが、いたって学術的になっているのは、さすが。 
 江戸末期から明治初期の「実際に」「聞いた」話を、それぞれの演者が語って聞かせる形式になっている。当時は、こうした催しがはやったらしい。一日一夜、これぞと言う語り手の強者が話を次々と集会参加者に語っていく・・・。
 向島辺りで開いた、幸田露伴などが主催した会だとか森鴎外などの会が有名である。この会は、浅草で実際に行われた座談を収録したもののようだが。
 江戸時代から、夜のお伽、つれづれに、こうした怪談・怪奇話を持ち寄るという習わしがあったらしい。
 明治に入って、文明開化のもと、西洋科学思想の移入によってこうした怪談話を「科学的に」分析、批判するというような趣旨もあったようだ。けれども、そうした科学的評価を抜きにして、実に多彩な話の集まりであった。 
 なお、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』に所収の「むじな」の原話になった話も、掲載されている。
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