おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

何か裏がありそうな、なさそうな

2013-06-06 19:11:23 | 教育
センター試験見直し・達成度試験導入、検討開始(読売新聞) - goo ニュース
 午前中、5年以上前に投稿したセンターテストについてのコメントが届きました。こういう話題がすでにあったのですね。改めてコメントを寄せてくれた方に感謝。そこで、その時のものを再掲。コメントの返事に「遅遅として進まず」としましたが、果たして? ただアベ内閣のことですから、・・・。なお、このときのトラックバックもなかなか参考になります。この5年間に大学入試をめぐる情勢もずいぶん変わっているはずなのに、文科省の既得権(天下り先)だけはますます強く、新たな既得権益の拡大強化につながっては意味がありません。あの組織は一筋縄ではいかない集団ですから。


大学入試センター試験廃止論

2008-02-12 19:25:46 | つぶやき


 大学入試センター試験も終わり、国公立大学の受験申し込みも締め切られ、いよいよ本番の試験が始まります。すでに、私立大学では多くの大学で入試が行われ、発表もそろそろ。今年も悲喜こもごものシーンが。
 これから、国公立大学の二次試験にチャレンジする受験生諸君も、今、必死に勉強しているところでしょう。
 かつて、センター試験が「共通一次試験」と言っていた頃は、この試験の結果でほとんど合否が決まってしまうような状況が、生まれました。偏差値によって、大学が輪切りにされてしまったわけです。受験生のほうも、偏差値にばかりとらわれて、大学を選ぶ。そのときに大いに「貢献」したのが、大手の予備校でした。
 正解も公表せず、配点も公表しない、という理不尽さがまかり通った時代。受験生は、結局、予備校独自の正答・配点を頼りにせざるをえなかった。実におかしなことが、行われていました。
 その後、改善され、また名称も「センター試験」と変わり、私立大学も参加するようになって、少しは、センター試験の位置づけが変化しつつあるかのようです。しかし、予備校頼みと言うことは、全く変わっていません。ますます強化されています。ただ、予備校は受験生からは、お金は徴収していません。一種のサービスということでしょうか。
 ところが、参加私大は、センター対応の入試ということで、センター試験前に、多額の受験料を取って、センターから結果だけを受け取る。受験生は、予備校のデータで、すでにほとんどの場合、合否が判明している。ダメな場合は、勿論受験料は没収。まさに「人のふんどしで相撲を取っている」ような具合。
 この場合、受験料は、一万円が相場。しかし、倍率がすごい!50倍・70倍なんていうのもざらにあります。定員わずか5名に400名が出願する!勿論、センター試験前にこの申し込みは、完了させているのが、当たり前となっています。
 受験生の不安心理に乗じた、実に、あこぎな入試「商売」ではないでしょうか。
 さらに、センター試験は、英数国理社から各科目を選択するのですが、これが受験生泣かせ。国公立大でも、選択する科目数が異なるし、私大では、もっとセレクトされていて、英・国・社でもよいし、英・数・理でもよい、中には、出来た教科の点数を合計してもよい、と何でもあり!
 極めつけは、国語の試験。80分のうちで、現代文の評論、小説(今じゃ、ほとんどセンターでしか扱わない代物)の現代文計100点。さらに古文、漢文(今は、私立ではほとんど出さない)のそれぞれ50点。合計200点満点。これをやることになっています。
 ところが、私大では、「現代文100点」しか得点として必要としない入試が、圧倒的に多い。だから、受験生は、80分でじっくり?問題に取り組める。まともにやる受験生は、大問・一問につき、20分しかない。「国語」だけが、こういうおかしな試験時間になっています。
 一番の問題点は、センターは、マークシートだということ。国語の問題も当然、すべてマークで答えます。3000字近くの初見の問題文を、読んで解かなければならない。小説の心情問題、説明問題、それらをわずかな時間で見極め、正答をマークする。迷って、えい、これにしちゃえ!とマークしても、じっくり考えてマークしても、○は○、×は×となります。
 高校までの国語教育を見事に破壊したのは、このセンター試験のマーク方式だとさえ思います。さまざまなとらえ方、感じ方を一元化して、○か×かにした!
 こういう問題の配点は、8点とか10点ですから、まぐれでもあった方が勝ち!
 これは、試験ではないですね。複数正答は「3」を中心にしているとか、これでは、まるで馬券のようなもの。学びの場で、馬券の買い方を勧めるようなものですから、真面目な、「感性」豊かな子どもが、育つはずがありません。
 それからおかしいのが、ヒアリングなる英語のテスト。高校の指導要領にのっているから、というだけで導入したのか、「聞き取り」といっても、どうも現実離れしたシチュエーションの問題。
 普通、会話というのは当事者同士がいて、お互い顔を見ながら、直接会話する。片方が話しているのを、片方が書いたものを相手に見せるなんて、ありえない!放送だって、その場にいて聞いているもので、状況ははっきりしている。それを無理に仕立てて、問題にして正答を選ばせる、まさに、ごまかしのいいかげんテスト。
 数学も、日本史も、世界史も、物理も、化学も、過去問を中心にして、反復訓練して試験に備える。高校の授業の内容を定着させる意図が感じられない。
 そんな試験のために、高校の3年生の授業(大学や将来に向かって取り組ませたい課題・学習)が犠牲にされるのです。
 まだまだ問題点は、いくらでもあります。
 「百害あって一利なし」のセンターは廃止して、高校卒業資格試験、あるいは大学受験資格試験程度にして、大学側が自ら進んで、我が大学ではこういう学生をとりたい!そのために、こういう試験を行います、偏差値は関係なく、どういう生徒・学生を望んでいるかを明確にして、入試を行うべきではないでしょうか。
 たとえば、慶応の文学部のような、ICUのような独自入試・・・。どうして、もっと大学側は努力しないのか。国公立大でも、千葉大などでは、独自でユニークな入試を行っています。
 だいたい文科省(の二流官僚、無能な審議会、大臣)があれこれ口を出しすぎるのが、すべての元凶です。まさかセンター試験のため、文部官僚天下りの維持のために行っているのではないでしょうね。
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情報公開請求者は「朝日新聞」

2009-09-09 20:24:55 | 教育
 9月8日「朝日新聞」の朝刊「社会面」。以下のような記事が載っています。 
 
 鳥取県教育委員会は、7日今年4月に実施された09年度の全国学力調査について、市町村別結果に加え、学校別結果を情報公開請求者に開示した。学校別結果まで開示したのは全国の都道府県で初めて。・・・
 鳥取県は昨年12月、市町村別と学校別の結果を今年度から開示できるよう情報公開条例を改正。条例には、開示を受けた請求者に対し、学校の序列化や過度の競争が生じることのないよう配慮を求める規定を設けたが、配慮の具体的な内容は盛り込まれなかった。開示に反対していた鳥取市教委の中川俊隆教育長は「県教委はネット社会の恐ろしさが分かっていない」と批判する。・・・
 
 この記事では、請求者は誰かは書いていませんが、一昨日の夜、TBSラジオ番組「アクセス」の中で、この情報公開請求者は、「朝日新聞」などの新聞社であったことを明言していました。その話がホントウなら、「朝日」の姿勢を疑わざるをえません。
 請求しようと、どういうことに利用しようと、こちらの自由、開示請求という権利を行使したまでだ、ということかもしれませんが、納得がいかないのです、朝日の取った行動について。
 この全国学力調査。あちこちで、さまざまな問題やら疑問などを投げかけています。都道府県別のランク付けのために、各県が少しでも順位を上げようと必死に取り組んでいる。例えば、秋田県では、上位を維持するために、徹底した練習テストを行っています。
 正規の授業に支障を起こしていないのでしょうか? 宿題の代わりに学テ準備が課題として出される・・・。こうした熱心な(?)取り組みが、少し前の「朝日新聞」声の欄に出ていました。
 競争を煽っているのは、いったい誰なのでしょうか?
 今の政治のあり方、経済や教育の現状を厳しく見つめ、ただしていく、そうしたことも、マスコミの大切な役割でしょう。
 毎年繰り返される、学テ。それに振り回され、一喜一憂する学校現場。上からの厳しい成果主義によって右往左往する現場・・・。その問題点を暴き、ただすのがマスコミの役割ではないかと。
 まして、学校別の公表が、どういうことになっていくのか? 
 保護者・地域の関わり、教師の役割・・・。そういう基本的なこと・分析を見落として、世間ののぞき見趣味の先頭に立って、学校別のデータを求めて何をしようというのでしょうか?
 新聞社系の週刊誌が大学別合格者を競うように誌面に載せ、荒稼ぎしている、今度は、学テのデータを商魂たくましく、週刊誌に載せるということのためなの?
 まさにマスコミの堕落としか言いようがありません。公開請求者が自分であることを隠して、今回のことを論評をするようなことがあったら、怒りを覚えます。
 まさに「ネット社会」(情報社会)の恐ろしさを知った思いです。
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臨時増学級にして乗り切る?

2009-09-07 21:27:04 | 教育
 ここのところ、都内の公立中学校卒業生の数が増えてきています。この傾向は、これからしばらく続く様相。高校に入りたくても、入れない生徒が出てきそう。
 今年の4月にも、すでにどこの公立高校にも行けなかった子供も。都教委は、今年から臨時増学級によって何とか高校進学の枠を広げたいらしいが、何しろ、予想では、5千名も増えるとの予測。ピークはもっと後にあるらしく、増加傾向が何年も続く見通しだそうです。
 東京都の場合、私立と公立とそこそこあるので、公私、ほどほどのバランスで就学計画を立て、生徒の受け入れを行っています。かといって、私立が、そんなにすぐに学級数を増やすことは、経営上も、施設上も難しい。したがって、公立高校が増加数の多くを受け入れていくことになるわけです。
 かつて、中卒生が大きく増えたときには、高校の新設は予算上ままならず、都立高校が軒並み臨時増学級でしのいだことがありました。10学級が当たり前の高校も、それが3年も6年も続きました。
 それ以降、都立高校は、減少傾向に入り、次第に学級数が減り、特に定時制高校は激減しました。
 と同時に、急減期を機会に、「都立復権」を合い言葉に進学重点校、中高一貫校などの進学実績重視の高校を作ると共に、工業・商業などの統廃合による新しい形態の高校、また学力不足の子供受け入れる高校など、大げさに言えば、度重なる新施策で高校の数ほど学校の種類が出来た、ともいうような状態に。全体の学校数も減っています。区立中学校や小学校なども、統廃合されてきました。
 それが、ここに来て、再び入学定員を増やさなくてはならない事態に。児童・生徒、子供数が増えることは、大変けっこうなことです。しかし、東京都が、長期的な展望のもとで修学計画を策定し、それに見合う高校計画を立ててきたのか、甚だ疑問です。
 またまた、一時しのぎの臨時増学級で乗り切ろうとするならば、かつての普通科高校が少なくなっている現状で、しわ寄せが一部の高校に行くのではないか、と心配します。
 そうでなければ、最初からさまざまな形態の高校への進学を中学3年生に強いることになる、それこそ生徒の進学希望を生かせないことになります。
 まさに痛し痒しの状態が、今の中学3年生をめぐる状況です。
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見えてこない教育改革の方向

2006-09-21 21:04:55 | 教育
アベちゃん。焦眉の課題の「年金」よりも「老人医療」よりも
何といっても、教育基本法の「改正」が第一。
次に自衛隊特措法の「改正」。
この二つが最重要、優先課題だって!
これしか頭にないアベちゃん!まさに保守反動の面目躍如。

「愛国心」教育の導入の他に、教育改革っていったい何をするの?

公立学校。小学校・中学校の「荒廃」は、今、もう大変な状況。
いじめ、暴力、おちこぼれ・・・何もかも過去最悪の状況。
かつてのいじめ、暴力の荒廃、落ちこぼれ・・・の批判の中で、
その対処策として登場した、「ゆとり教育」路線。
生きる力、真の学力を身につけさせ・・・、そして、学校5日制。

それを「学力低下」批判にまたぞろつなげていって、
競争原理の導入、夏休み返上、塾繁盛、家庭教育崩壊・・・。
これらすべて自公路線の結果。猫の目教育改革の結果。
その反省も総括もなく、「今の教育はなっていない!」

今や日教組はまったくの力無し集団と化してしまったのに、
そこへの積年の恨み辛みが、組合つぶしの執念となって、
もう今や最高の盛り上がり。

戦後の「民主」教育は失敗した!
勝手気ままな日本人をつくり出した!
個人主義が横行した結果だ!
共産(党的)史観で貫かれた自虐史観だ!
と信じて思いこんで、何が何でもつぶさなくてはと、

ついに、統一協会・「勝共連合」路線に追従する首相がここに誕生した。
お坊っちゃんは、もう祖父やおやじの保守史観を
はるかに超えてしまった!

教育基本法が「改正」されたら一件落着に!
「愛国心」が盛り込まれたそれで何もいうことなし!

そして次に物言わぬ教師づくりに精を出す
その最たるもの。教員免許状の更新制度。
たんなる教育技術、指導技術にとどまるはずがない。
5年ごと、10年ごとに思想・信条をチェックする。

君が代・日の丸に反対する教師は、さっさと辞めろ!
そうした攻撃が一斉に始まるだろう。
それを何も考えずに支持する、匿名の連中がウヨウヨ。

公明党も追従して物言わぬまま、
創価学会を守り抜きさえすれば万々歳!
とエリート・オオタ某は自信満々。

こうして、教育改革とは名ばかりの施策が、
学校現場を席巻する。
例えば、「学校民営化」路線を小学校にまで。
義務教育の年限は6年間まで。
あとは自由に行きなさい。

エリートはますますエリートをつくり出し、
凡人はますます凡人となる!

魅力のない、ギスギスした職場を忌避し、
有能な教師のなり手は、ますますいなくなり、
ますます教育は荒廃し・・・。

ついに、イギリス並みの階層社会が登場する。
気がつけば、勝ち組・負け組の差はますます顕著になり、
一方で、弱者切り捨ての「棄民政策」が進んでいく。

学校も、その枠組みの中でますます荒廃する。
そして、その先に「自衛のための」対外侵略も可とする、
新たな憲法が出来上がる(はず)。

これでいいのか、日本!
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成果主義に踊らされる!

2006-02-16 23:12:55 | 教育
 どの分野の企業でも評価主義が大流行。しかし、早期に取り上げた企業でも、このままでいいのか、という評価主義の行きすぎの反省も踏まえて、評価主義にも一定の歯止めがかけられつつある。
 ところが、そうした民間よりさらに一歩も二歩も遅れて、近年、公務員にもそうした評価制度が導入されてきている。さらに、さまざまな問題点が浮き彫りにされて来ているにもかかわらず、またまた遅れて公立学校などの教育職員にも一般職と同じような評価制度が導入されてきている。
 評価制度によって、教職員のやる気を起こさせる、直接的には、成果が著しい者に対しては給料をアップし、極めて低い者は昇級を伸ばす(減収)ことにした。このために、それぞれ1年間の目標を設定し、その成果を段階別に自己評価、管理職は部下の成果を評定する。
 こうした制度導入に対して、最近の公立学校の教職員に対する世間からの厳しい批判と、これまでの公務員批判とが重なって、世間では好意的に受け止められている。それほど、世間の目は厳しいとも言えよう。
 しかし、それが成果即給料となって機能していくとき、いったいどういうことが現場で起こってくるだろうか。成果主義は、目の前にはっきりと成果たるべきものを見せることである。誰の前に?管理職の前に。学校の成果は誰の前に?教育委員会の前に。・・・
 こうして、どこの学校でも同じような成果主義が横行し始めている。高校での例は、遅刻指導。服装指導。センター試験での高得点。難関大学合格率アップ、等。中学校では、学力テスト。生徒指導。部活動等。これに、学校選択制が加わる。統廃合まで結びつく!
 競争はいいことだ!今まで競争原理を持ち込まなかったから、学校は堕落した!今こそ競争原理に基づく淘汰(学校も職員も)によってこそ、再生が可能になる!こうした考えが、現場から反論できない重い枷となって、学校にじわじわとのしかかってくる。教職員同士もそれにさらされてくる。人事異動もそこにすべてが収斂される。
 そうした風潮に嫌気をさした教員が次々と辞めていく事態も。教科指導で実力のある教員が、定年前に辞めていく。辞められない同僚は、ただ黙々と従っている。ただただ「与えられた」職務に「忠実に」従っている。それらの人たちは「負け犬」か?
 かつて、教師の一部は、「デモシカ教師」と批判された。教師「でも」やるか、教師「しか」出来ない・・・。こうした教師は、プロとしての見識のない教師像として、揶揄された。「サラリーマン教師」を嘆かわしいこととして、批判されたこともある。そこでの教師は、お金や時間にとらわれず子供たちへの教育に情熱をかける教師像とはアンチの、ただ労働時間だけ働けばいい、給料と引き換えで働く教員として批判された。
 教師は聖職者ではない!労働者だ!と「高らかに」宣言して闘った日教組は、学校週休2日制導入に積極的に取り組んで、その通りになった。「デモシカ・・」も「サラリーマン・・」も日教組の「教師も労働者だ」宣言への、痛烈な批判であった、と思う。
 今は、すべての教師を「お金」主義に陥らせている!仕事熱心=成果=厚給=良い教師。仕事適当=成果なし=薄給=ダメ教師。キーワードはすべて「成果」ということにある。成果に対する「評価」で決まることのおかしさに、今こそ気づくべきではないだろうか。
 そのうち、どこの大学に入ったら、報奨金。(すでに塾や予備校ではこのようになっている。本人はもちろん、「支店」も表彰される。「ごほうび」という「金」によって!)
 反対に、ろくでもない大学ににしか入れられなければ、罰金(減俸)。親からもうちの子が有名大学に入れなかったのは、あなたの教え方が下手だから、と訴訟が起きる。(すでに鳴り物入りで作った高校は、希望大学に入れなかったら、授業料は返還するとして生徒募集をしている!)
 東大に入ったからといって、その後は順調かというと、けっしてそうではない!すべてを東大入学者数に結びつけていくマスコミ、特に新聞社系の週刊誌がいかに害毒を流しているか。今週からもうそれが始まった!憂鬱な季節が始まった、と嘆く高校教師。販売数を増やすためには、なりふりかまわず煽り立てる週刊誌こそ諸悪の根源だ!
 一方で、公立校の悲惨な状況を目の当たりにした親が、塾の費用を必死に工面して(貯金を切り崩し、パートで働き、小遣いを減らし・・・)我が子を私立に入れる話が朝日の朝刊に連日掲載されている。そうして塾通いのあげく有名私立に受かり・・・、はたしてその子が将来「幸せ」になるか、親たちも満足するかは、全くの未知数である。
 主に超有名大学卒業生が働く、天下の「朝日」は言論戦で本当に闘っているのだろうか。
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絶対評価の陥穽

2006-02-14 23:01:15 | 教育
 学校では、昔から生徒の成績を「5」~「1」に割り当ててきました。それも、「相対」評価で成績が出されてきたのです。「5」を貰えば鼻高々、反対に「2」や「1」は惨めそのものでした。なにしろ、友だち同士の中での露骨な高低・優劣でしたから。
 その学校も近年、「絶対」評価になり、到達度に基づく評価ということになって、「5」~「1」がつけられるようになりました。「相対」評価ではないのですから、極端にいえば、オール「5」でもオール「1」でもあり得ることになります。その結果どうなったというと、学校によっては「5」が30%にもなったり、「1」が0人になったりした。また、「5」がわずか3%であとは「3」と「4」ばかりなど、学校間というより教師間での差が、かなり目立ってきてしまったのです。なにしろ小学校は一人担任、中学でも一人教科(一人で教える教科)が多いのですから。
 教師個人の意向・考え方が、誰に咎められることもなく、「評定」という変えようのない数値として、一人歩きをするようになったのです。これが上級学校への進学・入試に影響するのですから、子供はたまったものではありません。また、高校などもそうした「恣意的」な評価をもとに推薦合格を決定するのですから、その影響をもろに受けます。
 その数値の信憑性(本当にその子に学力が備わっているのか)が、疑わしくなるケースも増えてきています。さらに、5段階評定のもとに、「観点別評価」というこれまた絶対評価によるA~Cがつくのですから、ますます評価の中身が問われることになったのです。この評価は、この子の本当の学力なの?
 ある学校からは、何人も同じような高い評価(内申)をつけてくる、その結果、全員合格。ある学校は、内申が厳しすぎて不合格。ついには、これが、地元の学校選びの基準にもなってしまう!
 東京では、学校選択制が広まっていますから、「5」を多くつける学校などが、生活指導がきちんとしている学校などの評判と同様に、親の学校選びの基準になってしまっているらしいのです。
 生徒自身の学力とは無関係な、数字の「操作」で合否が決まる!こうした弊害を少しでも緩和するため、推薦試験でも「小論文(作文)」を課す公立高校、露骨に業者テストの成績提出を求める私立学校など、やむをえず「自衛策」に乗り出しつつあるのが、今の受験状況です。
 かつての相対評価は、学校ごとでの「評価」ですから、学校間格差も多くあり、弊害の一つとされました。正しい子供の学力を反映していない! その改善策が絶対評価でもあったのです。
 しかしそれも、今や適正に行使されないまま、「受かる」「受からせる」ための手段となってしまっているようなのですね。
 たしかに受験は、今も昔もまさに当落のある「競争」そのものです。受かる子もいれば、落ちる子も当然いる。
 せめて、どうしても入れなければ、という教師や親の「願い」「手段」のために振り回されることがないよう、子供の将来や成長をもっと見据えた、成績評価のあり方・受験での用い方を、考えなくてはいけないと思います。でも、これは所詮、空理空論にすぎないでしょうか。
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奨学金制度の怪

2006-02-10 22:45:27 | 教育
 最近聞いた話しです。大学入試でかなり上位で合格した学生には、奨学金支給や授業料免除(それも4年間)制度というのが、多くの大学であるそうです。ワセダでもあるようです。優秀な学生を入学させたいという意図は分かりますが、果たしてこれでいいのでしょうか? 
 たしかこうした制度は、中堅大学ではかなり以前からあったような気がします。(神奈川にある大学などにあったような気が。)優秀な学生が、他の大学に逃げないための保険みたいなものでしょう。
 大学に入ってからも、優秀な成績の学生には奨学金(奨励金)とか学資免除などもあるそうです。(これは、メイ学院大などにもあるようです。)優秀な生徒(学生)が経済的な事情で中退したり、留年したりすることを惜しんで、奨学金や授業料免除を行う。これは、国立大学でも行われている制度ですから、異論はありません。
 ただ入学時にそうした制度を、飛び抜けて優秀な受験生に「あめ」を与える制度はどうしたものでしょうか。これは、予備校でもあるようで、現役時に優秀な成績(これはどうも高校の格差に基づく算定基準があり、全くお呼びでない高校生もいるようです。)を1年間「授業料免除」で入学させるようです。うがった見方をすれば、こうしたやり方は、その学校(大学にせよ、予備校にせよ)の進路(例えば司法試験合格率アップ、難関大学合格者増など)の宣伝に役立つからなのでしょうか。
 本来、経済的困難さから、学力充分でありながら大学進学を諦めざるをえない高校生やあるいは大学生に対して介在的負担を軽減して学業に励むことを援助する。これが奨学金の制度ではないでしょうか。実は、小生も高校から大学まで、その恩恵でどうにか学生生活を送ることができました。今の日本の経済情勢下では、経済的困窮を理由に受験を諦めたり進学を諦めたりする青少年は激減しているのかもしれません。奨学金も本来の目的からはずれて遊興費やつまらぬ経済消費にあてられている・・・。奨学金制度は、今や本来の目的をうまく機能していないのかもしれません。
 しかし、「よい」大学への受験も「進学」高校受験も、予備校や塾通いによって(経済的負担の増)実現できる現在の状態は、けしてよいとは思えません。その先の入試でもその格差がますますついていく。
 せめて、学びの世界だけは、経済的基盤の高低で格差がつくことがないように。これも、今は、全くの夢物語にすぎないのかもしれません。
 小生の、50年来の持論は「教育と健康は、金で買える」です。最近は少し修正して「ある程度の健康と教育は、金で買えることができる」ですが、何だかますますそんな気がしてなりません。
 大学も文科省もその他関係機関も、このままの状態をよしとしているのでしょうか? 
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小学校に英語科は必要か

2006-01-29 18:02:55 | 教育
 先日、文科省は、小学校からの英語教育を積極的に進める方針を明らかにしたようです。申請特区以外では認められなかった、正規な授業形態としての「英語」の学習、これをどこの小学校でも行うことが出来ることになりました。
 数年前から、語学は小さいうちから接していた方がよい、特に外国語はそうだ、ということで、あちらこちらの小学校では、外国人の補助講師を積極的に採用、日本人教師とともに発音・会話の教育活動・学習を取り入れました。
 その「屁」理屈では、アメリカ人の子どもは、生まれた時から英語に堪能だ、何の苦もなく英語を話す!日本人も、外国語、特に英語に小さいときに馴らしておけば、自在に英語を操れるようになれる!
 母国語としての英語と、外国語としての英語をごちゃまぜにした議論が、平気でまかり通る「早期英語教育」推進の勢いは止まりません。NOVAなどどこかの英語塾とタイアップして、プログラム学習をさせる学校もあるようです。
 近年、英語教育への批判は、「どうして6年も10年も学んでいても、ろくに英会話も出来ないのか!」「生きた英語教育でなければダメだ!」・・・。それほどこれまでの学校英語への批判はすさまじいものがありました。
その行き着く先が「小学校から英語を学ばせる」ことに。
 たしかに、最近の学校では、国語・数学・社会・理科などの授業に比べて、英語教育が一番大きく変化してきています。その重点は、話すこと、聞くことの徹底ともいえます。ですから、今の中学・高校の英語の授業は、外国人を補助員とした会話重視。その端的な例が、今年のセンター試験から「リスニング」が取り入れられたことです。200点満点の外国語の配点、さらに50点が「リスニング」に加点されました。高校でも、事前に受験対策としてリスニングの練習も重ねてきたようです。
 それがますます低年齢化して、小学校で教わるのですから、外国人の補助講師、ボランティアの採用など、現場は人集めからその教授法から大変な状況になっています。今、各小学校が争うようにして「うちでは英語を正規の授業として取り入れています」が売りになっているのですから。
 中には、「イマージョン教育」つまり、一般教科までも英語で授業する学校までも登場しています(沼津市の加藤学園の実践が有名)。日本にいて、日本に住む日本人に、日本語でなくて英語ですべて授業する!ここまで来ているのです、今の早期英語教育は!まるで「英語教育」が「英語教育狂乱」状態ですね。
 それでいて、成果が本当にあるのでしょうか? 日常的な挨拶程度の会話程度しか身に付かない!文法も何も教わらなくて、ただただ話し、聞くだけ。小さい時から英語が面白くなればいい、大きくなって役に立つ程度にしか思えません。
 強力な推進派の発言では、「必死になって相手と向き合うことで、他者に耳を傾け、自分の意見を明確に伝えるという、今の子に欠けがちな態度を身につける芽が作れる」(津田英語会・天満美智子会長)とか。何!躾教育・道徳教育なのか、英語教育は!
 だいたい、「自分の意見を明確に伝える」といいますが、その自分の意見そのものはどうやって養うのでしょうか? きちんとしたものの見方・考え方、それはとりもなおさず国語力(日本語力)と密接に絡んできているのだと思います。読書体験、友人との対話・遊び・・・。そうしたことを通じての、基本的な人間性の育成は、実は日本語力の育成と関係するのです。なぜなら、日本語を母国語とする人々は、日本語でもって考え、語り、書き、聞くのですから。
 それをいいかげんに扱っておいて、「英語」の担い手つくりに焦ると、かえってバイリンガルどころか、思考も行動も中途半端なアイデンティーのない人間つくりになりかねません。「楽しい英語」(ゲーム・挨拶)で物怖じしない態度を養ったところで、それが何につながっていくのでしょうか? 
 30年以上も昔、近所の小学生で「英ペラ少年」とあだ名されていた子どもがいました。教育熱心な親が、当時はしりだった英語塾に通わせていたのです。会話も流ちょう、発音も見事!感心していました。その少年も、中学・高校と進むにつれて、英語が特別に上手になったわけでもなく、普通の少年・青年になって、それなりの学校に進学し、それなりの社会人となりました。それがその子にとって、幸福だったのか、時代が早すぎたのかそれは分かりません。
 ただ言えることは、日本語社会にあって、親の過度な期待、学校の思惑、会話塾の商魂だけで、子どもを弄んではならないということを感じるです。
 それに、どうして英語なのでしょうか? 群馬県太田市は、英語教育の特区申請を行ったとき、その理由として外国人住民が多いことをあげました。しかし、多いとされるブラジル国籍の外国人が話すのは、ポルトガル語です。にもかかわらず、太田市の小学校では、英語を外国語として学ばせています。
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公立中高一貫校

2006-01-25 22:56:42 | 教育
 今年、都立の中高一貫校が新たに3校誕生し、千代田区立の中高一貫校も誕生、昨年開校した「白鴎」と合わせて、4月から5校になりました。
 こうした学校は、近年、私立の中高一貫校が東大をはじめとする有名大学合格率をアップさせてきたのに対して、公立校の巻き返しのため、都教委が「教育改革」の大きな目玉の一つとして計画した学校です。
 表向きは、6年間のゆとり教育で新しい時代にふさわしい「総合的な教養」を身につけさせるとしていますが、内実は、私立の一貫校に有名大学進学を独り占めさせないために、受験競争に打って出たということでしょう。ずばりなりふりかまわず「公立校の復権」を叫んでつくった学校です。
 だから、土曜授業はもとより、日常的な補習・補講は当然、夏休みの講習は当たり前、受験戦争で私立に勝つにはそれしかない、という立場です。教える内容も学年前倒しでどんどんやっていく、・・・。文科省の「ゆとり教育」路線で遅れをとった公立が巻き返しを図った。
 しかし、思惑通りにいくかどうか。なにしろ、教育委員会は、ほとんどお金はかけない主義ですから、校舎も新しくするわけでもない、部分的な手直しで出発。クーラーもないままの学校もあります。かなり施設設備では私立には劣っています。それで、なみいる私立に立ち向かおうというのですから、世間も注目せざるをえません。
 先日、各校で願書受け付けをしましたが、どこも10倍前後の高倍率。白鴎だけは、去年よりはぐっと落ち着いた競争率でしたが。入学の合否は、小学校からの調査書(成績)やテストで合否を決めることに。別に地元優先枠(千代田区の場合)や一芸(?)に秀でた子どもの優先枠などもありますが。
 ただし、私立のように、国語・算数などの学力検査ができない!そのため、「適性検査」という「検査」方法で合否を決定することになっています。その評価や採点には、膨大な時間と人手を必要としています。
 東京あたりでは一般的に、私立に行くのには、小学校4年頃から塾通いが当たり前となっています。算数は、今の小学校の普段の授業ではまったく追いつかない内容が試験に出されます。理科・社会なども同様。だから、年間100万くらいのお金を使っての塾通いということ、そうでもしなければ、私立の中高一貫校にはなかなか合格することができない現実です。
 また、私立故に進学後も大変なお金がかかる。「貧乏人はすでに受験戦争からはみだされてしまった」とでもいえそうな雰囲気。だから、親は子どものために必死に金を工面して塾に行かせるケースも。パートで働いたり、小遣いを減らしたり、実に涙ぐましい努力が行われているのです。
 そうした受験体制に対して、公立校では少し趣を変えて、受験問題も過度に小学校の学習を過度に行きすぎないように、それぞれ工夫を凝らした問題を作成しています。また、中学校は公立のために授業料はありません。こうして、なかなか塾に通えない子どもたちにとっては、公立一貫校が人気が出るのも当然です。
 しかし、皮肉なことに、その合格のために塾通いしなければならなかったとしたら、いったいどうなるのでしょう。結局、塾頼みのあげく、年間100万円以上、という厳しい金銭的現実が重くのしかかってくるのです。
 いよいよ2月はじめに各校で試験が行われます。
 かつて、あまりにも過酷な高校受験「戦争」に対して、「15の春を泣かすな」というスローガンの元、高校増設や学級増、定員増、そして教員定数の増などが教育政策として行われました。それも、今やまったく昔話になってしまいました。
 そして、今、「12才」での新たな選別が始まった、いや、10才(塾通い年齢)からの選別が始まったようです。
 新たな未来が開けるのか、ますます混沌とした状況になるのか、子どもたちを取り巻く環境は、たしかに厳しいものがあります。それはまた親の環境の厳しさとも重なっていく。これで、はたして「今の教育に未来はあるのか?」ふと疑問に思います。
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センター入試初日

2006-01-21 15:41:41 | 教育
 思ったよりも(昨夜の天気予報よりも)、早く降り出した雪。受験生の出足もくじかれた感じです。この雪、都内でも今日一日、降り続くとか。英語のリスニングテストが夜の7時~。朝から晩まで、本当に受験生にとっては大変な一日になりそうです。今年の雪の多さに馴れたとはいえ、地方の受験生も大変でしょう。
 ここ数年、受験生が減少傾向にあるのは、少子化のため当然ですが、私立の参加がまた増えたようです。センターの得点だけで、合否が決まる入学試験制度を導入する私大が多くなったわけです。それも、センター試験の前に受験申し込みを済ませるパターンが大半。私大側は、受験料を取って後は、他人様におんぶにだっこ。
 センター入試が終わると、受験生は、自己採点の結果と志望校名を書いて、ただちに予備校に送付します。高校によっては、一括して在校生の分を数カ所の予備校に送ります。予備校は全国からそれらを集めて、一斉にすばやく偏差値を出し、各大学の入試合否の基準を決定します。これによって、センター試験による合否もこれから受ける大学も決定。このシステムがすっかり定着しました。
 だから、センター対応の入試の合否は、ほぼ予備校の分析で決まる。代ゼミ、河合塾・・・。共通一次・センター試験導入以後、大学受験は、予備校なくして何も出来ないことになったのです。こうして、国公立だけでなく、私大も活用し始めた結果、今日、明日のセンター試験が、冬の一大受験イベントとして定着したようです。これを皮切りに、これからが受験シーズンとなっていくのです。
 しかし、これでいいのか、という思いがないわけではありません。
 その問題の一つは、ここでの得点を(偏差値を)基準に進学先を選ぶということでしょう。偏差値順に大学の序列が決定される、これは、共通一次で大きな問題となりました。今は、セレクト方式(受験科目を各大学が選択できる)が定着してかつてのような弊害は少なくなりましたが、受験生にとっての行きたい大学、大学側にとっての取りたい受験生。こういう場面でのミスマッチが全くないとはいえません。
 さらに、セレクト方式が、受験生にとっても負担が軽くなった面もありますが、その分、試験では不利な事も出てきています。特に国語です。志望校が「現代文」だけの点数を必要とする場合と、「古文」、「漢文」を合わせて必要とする(国公立大学の大半はこれですが)場合と、同じ試験時間内で問題に取り組むことになっています。つまり80分という制限時間内で3分野(大問が4つ)を解答する受験生と、1分野のみを解答する受験生と、時間は同じなのです。
 そもそも「80分200点満点」の問題の解答には、一つの問にかけられる時間は約2分。その短い時間で、次々と正答をマークしていかなければなりません。問題用紙が何枚にもなっていて、いちいちめくって戻ったり先にいったり、マークカードにマークしたり・・・。その作業は実に煩雑です。
 初めて見る問題文を読み、内容を理解し、正答を導き出す。こうした作業を80分で行わなければならない受験生。
 そこで、最後に大きな問題。受験テクニックとして「消去法」というのがあることです。選択肢の内容を見て、間違っている選択肢を除き、残った選択肢を正答する、というやり方です。なにしろ1問につき約2分で正答を選ばなくてはなりません。いきおいそうした方法が生まれてきたのでしょう。
 また、難しい答えを後回しにしようとすると、マークミスが多くなります。そこで、まずマークしておく、こうして一か八かみたいなマークの仕方が行われます。そして万が一正解なら、「ラッキー」。他の教科、例えば数学のように、正解が分からなければ、はじめからマークができないならば、「運試し」的答え方はないように思います。
 極論すれば、国語力の低下が叫ばれて久しいのですが、こうしたセンターマーク式(選択肢・よく言えば客観テスト)によって、国語力が定着しないまま、高校卒業となっていくような気がします。諸悪の根源は、センター試験にあり!と。
 どうして大学入試制度を変更しないのでしょうか。「入る」のは易しく「出す」のは難しく、というようにならないのでしょうか。センター試験も、資格試験的なものにしないかぎり、受験テクニックのみに長けた受験生(高校生)が増えるばかりで、大学に入っても、本当の人材は育たないような気がしています。大げさに言えば、本気で大学入試改革をしないかぎり、日本の大学の未来、ひいては日本の教育の未来は寂しいものになっていくような気がしてなりません。
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明日からセンター試験

2006-01-20 23:45:15 | 教育
 いよいよセンター試験が始まる。今回のセンター、「ゆとり」教育をうたった新しい学習指導要領による最初の試験となる。その「ゆとり」も学力低下につながったとの批判が激しく、これでは学力がつけられない、など公立校への不信感を増大し、公立離れを加速するはめになった。
 そもそも「指導要領」は、大綱的基準にすぎないはずのもの。しかし、実際は、全国画一的。日本のすべての公立の小学・中学・高校への強制力をもち、やる教科から教科書、授業時間数まで指示通りに実施しなければならない。私立はその特色を生かした授業が出来るのに比べて。
 「総合的学習」もその一つ。中学では、各学年2時間ずつ配当されている。教科を超えた、教科の枠にとらわれない「総合的学力」を身につけさせ、「真の学力」「生きる力」を育てる、などとかを目標にする。ところが、現場は、なかなか思うようにいかず、修学旅行の事前学習、上級学校訪問とかで適当にお茶を濁すケースが続出。中には、英数国の補充授業にまであてている学校も。
 さらに、毎週土曜日が休みになったことで、月曜から金曜までの授業時数の確保に汲々としている。さらに、「学力」低下の声に押されて、夏休みの短縮、2学期制、事実上の土曜日の授業実施など、「ゆとり」「真の学力」などという理念はそっちのけでまさに「ゆとり」なき学校になってしまっている。
 これでも公立校離れはますます進み、東京あたりでは、すでに小学校から私立に行く子が多く、中学校・高校と進む間に、公立志願者は減少する。それでも、都立高校はどうにか志願者数は回復傾向にあるが、かつての学力上位層が戻ってくる気配はないようだ。
 こうして、小学4年頃から塾通い。年間100万円以上、土・日はすべて塾へ。平日も、学校から直接塾に向かい、夕飯をコンビニで調達し・・・。こういう「異常」事態が生まれているのが、現状。それでも、文科省は部分修正でどうにかしようとして策を弄している。現場も「授業を塾に学べ」を、各教育委員会から押しつけれて、その研修にかり出される始末。また、「教師道場」なるものを作って叱咤激励する。
 こうして、小学・中学・高校と教師も親も、ましてや子どもたちも、お上の気分次第の「何でもあり」路線、朝令暮改は当然、猫の目(猫のほうがまだましだ)改革に翻弄されつつ、今回の「センター」を迎えた。果たしてどうなることやら。
 結果、獲得した点数ですぐに合否が決まる「私立大センター対応試験」もますます増加。そうして、公立、私立の受験生の成績が明らかになったらどうなるのか?
それでも、お上はこれまでの政策を変えようとはしないだろう。
 明日は、全国的に雪で荒れ模様。試験もそうならなければいいのだが。ヒヤリングのテストを受けると、夕方まで長丁場。受験生諸君の健闘を祈ります。足元に気をつけてお出かけ下さい。足元をすくわれないように、監督官諸君!まさか高見の見物をするつもりはないだろうね、文科省の役人、教育関係者諸君!
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たかが高校野球

2005-08-05 10:36:45 | 教育
 明徳義塾が出場辞退。もし匿名の投書で発覚しなければどうなったのだろうか。今の世の中、いつまでも隠し通せることはない。特に高校野球では、ライバル校を追い落とすため、こうした不祥事(?)を狙っての匿名の投書は結構多いらしい。
 勿論、そういうことが当たり前だ、ということを自覚して、指導者は指導を徹底しなければならないのは、当然。今回は、監督の名誉欲・功名心が、事前での判断をあやまらせたのだろうか。
 この6月だったか、この高校では、生徒による傷害事件が起こった。その後始末もままならぬうちの、今回の出来事。学校自体に、暴力や喫煙行為が日常化している、と疑われても仕方がないようだ。
 特に、野球部員は、県外の生徒がほとんど、そうして、合宿生活で野球漬けの毎日。まして、100名を超える部員数、高校生の日常的な生活指導そのものも大変だと思う。
 この高校だけではなく、野球名門校はほとんどが県外からの生徒。出場出来なくなった、明徳義塾の野球部員は、宿舎からそのまま解散となって、実家に向かったという。高知県出身の生徒はほとんどいないのだろう。
 小学校・中学校、と野球で名を立てていこうとする、少年たちとその父母たち。こうした中で、レギュラーポジションを巡る、保護者の不満や要求も強いようだ。まるで応援団の方が熱くなっているという状況。
 これは野球だけではなく、サッカーや水泳などでも、当事者の少年少女の思いを超えて、親たちが熱くなるらしい。親同士が牽制しあう、反目しあう。
 小生、先日、とあるファミレスで、サッカー応援の帰りの女親同士の会話を聞くともなく、聞いていた。そこでは、お互いの子どもほめあいながら、実は腹のさぐり合い模様。遠征先に応援に行く話から、将来の話まで。進学先の高校名?。
 ニコニコ笑顔を絶やさない中でも、親の過度な期待と熱意が、ちょっと離れた席にいた小生にも、ひしひしと伝わってきた。まして、高校野球はなおさらのことではないか、とも。
 プロ野球選手は、その頂点中の頂点。そこを目指して、身体を駆使して頑張る、頑張らせる。・・・
 代理出場の高知高校も別の意味での被害者?県大会決勝。延長戦で惜しくも敗退し、もう新チームになって、来年に向かって練習に励む日々。3年生は引退してしまったはず。冷えた闘争心をまた燃やして、闘いに挑まなければならない。高校生にも酷な試練だろう。
 こう考えてみると、ここにも、大人たちの思惑の犠牲が感じられる。それほど、高校野球が、青春の純粋な燃焼、とは思えないと感じるのは、小生だけであろうか。
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今時の優秀な中学生

2005-06-27 18:11:15 | 教育
 ふと手にした、ある教育雑誌。その中に、今春開校した、都立白鴎高校付属中学校の訪問記事が載っていました。
 この中学校は、東京都が鳴り物入りで開校させた、都立最初の中高一貫校です。保護者や子供たちの関心も高く、受験人気も大変だったようで、まず書類選考で絞り、選抜試験を行って、1年生160名が入学。ただ女子が90名で、男子が60名と男女共学ですが、女子生徒の方が多く通っているそうです。なんでも受験成績でも女子の方が良く、男子数名が入学辞退し、その補欠はすべて女子生徒だった。
 試験の内容としては、様々な学力を検査したようですが、作文や面接などが中心の試験では、小学6年生の頃では、女子の方が男の方よりは活発で才気もあるでしょうから、順当といえば順当でしょうか。
 まあ、こうして開校してこれまで高校生ばかりだった学校に、中学生が入学してきたわけです。といっても、この学校、中学2年までは、高校の近所の廃校になった、それまでの区立中学校をリメイクした学校に通っているので、いつも一緒というわけではないようです。でも、先生方は大変で、5分ほど離れた学校に自転車で行き来しているとのことでした。
 それでも、かなりハイレベルの子供たちが通っているようで、数学もドンドンと先取りした内容をやっている。他の中高一貫の私立や公立と比べても、それほど遜色がないほどの学力水準のようです。これから6年後、大学受験での成果が大いに期待される、と。ストレートなほどの保護者の要望、すなわち私立の中高一貫校に負けない、金のかからない「東大を頂点に、難関大学合格」という受験校づくりへの期待が、実にすっきりと出ていました。
 そうした本当にべた褒めばかりの記事の中に、こんな表現がありました。「『背が高く、肥満もなく、歯並びのいい』」子供たちばかりだ。」
 今の教育環境をそのままはっきりと書かれた文章に、久々にお目にかかった気がしました。まさに普段からの家庭教育の姿の差が、こういうかたちで表現されていると思いました。
 こういうお嬢さんが学ぶ学校には、チビもいなければ、デブもいない、虫歯のある子供も一人もいない・・・、と。これって、モロ偏見ではないか。と言い切れないところに、今の子どもの置かれた状況があるように思います。
 真剣に子供のことを思ったら、バランスの良い食事、適度なスポーツ環境、日ごろの健康管理、そして受験に結ぶ確かな学力(その大半は、小さいときから塾に通って培われたものですが)。
そのことをおろそかにしていては子供の将来は危ういものとなる、と。その上、ふんだんに教育費に金をかけなければ、なかなか受からない学校だとしたら、ますます高嶺の花になるばかり。
 たしかに、公立中学は生徒の学ぶ姿勢、生活態度もかなり荒んでいるようです。ですから、中学校から私立に行く子供も多い。また、地元の中学に行かずに越境して他区の中学へ通う子が急増しているとの話も聞きます。子どもを取り巻く家庭・地域の教育や躾の環境の崩壊が、こうした公立中高一貫校への過度な期待になっていくとしたら、それで幸福といえるでしょうか。
 自分の子どもさえ良ければ、というエゴに徹した親の姿を批判できない、今の政治・行政に問題を感じます。
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また教室で教師自殺

2005-06-19 13:53:25 | 教育
 つい先日、学校の先生が職場である教室で首をくくって自殺した、との報道を目にした。たしか何ヶ月前にも、新卒の先生が教室で自殺したことがあった。人間が貴重な生命を自ら絶つことに至るまでの過程は様々だろうが、日本の自殺者は3万人以上。交通事故死の3倍以上だ。死亡原因の中でも上位に。病死や事故死ではなく、自死が多いお国柄とはいったいどういうお国柄なのだろうか。
 今回のケースは、帰宅が遅いために探したところ、職場で死んでいたのが発見されたとのこと。 今、学校現場は特に教師が大変な状況に置かれている。世間からの批判は、多くの場合、教師の姿勢・態度に集中している。そのため、以前はいじめ・学級崩壊が学校の大きな問題であったが、今は、生徒の自殺と並んで、教師の精神疾患による休職、途中退職が問題とされている。
 自殺者の多くは、鬱的状況に置かれている人が多いとか、そういう立場でカウンセラー制度や悩みの相談システムが、職場や地域に出来つつある。学校は、生徒のそうした状況への対応もさることながら、教師たちへの精神的なフォローが必要とされている。
 自殺者の心中を深くは察することは出来ないが、それにしても自らが働く職場、それも教師としての生命をかける現場で自死するとは。その心中はいかなるものであろうか。
 残された家族、同僚はもちろん、突然残された子供たちの心を思うと、暗澹とした気持ちになってしまう。
 本当に自殺の主たる要因は、個人の精神的な問題が大きいのだろうか。自殺の原因の多くを個人的なものに還元してしてしまうことで、何か見落としてはいないか。学校の今のシステム、あり方にも問題を感じてしまうのだ。殺伐とした精神風景の中からは、未来を育む姿は浮かんでこない。教師・学校だけではなく、保護者も地域ももう一度子供の教育のあり方、関わり方も含め、考えていく必要があろう。学校をとりまく保護者や地域にも問題を感じるから。
 保護者の自分(自分の子供)さえよければ何も関わりたくない。一方で、少しでも学校がミスをすれば、それをあげつらい、教育委員会やマスコミにすぐに訴える姿勢の保護者も多いと聞く。少しでも授業が欠けたら、学力が下がったら、生活姿勢が乱れたら、それは教師の責任だ、何をしているのだ、と。家庭教育もそれ相応の責任があるはずだが。
 こうした中で、教師としての焦りや悩み、苦しみが、自己責任重視の社会的風潮とあいまって、多くの学校現場(教師たち)を押しつぶしているのではないかとさえ思う。
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理想と現実または今、学校は何か変

2005-06-18 23:36:42 | 教育
 今日の午後、地元の教育関係者と話をする機会がありました。学校5日制の定着の中で、学力低下に対する危惧や批判、そのために、区教委や学校での取り組みなどでの、さまざまな悩みや苦労をお聞きしました。
 特に、学力低下問題は、統一的な学力調査の結果が、区ごとや学校ごとに公表されることで、改善策をとらなければ、次年度以降の学校への入学生徒に影響(学力の低い学校には子供を通わせない)が出てくる。これは、ただ区の中の学校同士ではなく、区ごとの競い合いにもなっているようです。
 だから、全学校、一斉に従来からの3期制を2期制に変えたり、夏休みを減らしたり、今では、学校によっては、土曜日にも学力補充・講習と称して、希望者(ほぼ全員に近い)を登校させて、勉強させているのが、当たり前になりつつあるという。その背景には、学習指導要領によって教える教科目や内容が規定され、また、それぞれの教科を必ず何十時間を教えなければならないこと、学校行事等で確保が困難な場合があっても、それぞれ工夫して必ず時間数を確保せよ、という文科省からの至上命令のために、各学校では悪戦苦闘しているらしい。現場の校長さんや教員からは、そうしたやり方に批判は多いが、区の立場では、そう現場の話を聞いてばかりはいられず、無理を承知で現場に指示を下ろす、こうした事態がここ何年も続いている。
 学校の年間計画がくるくる変わりすぎて(突然、2期制になったり、夏休み1週間減などが出てくる、週ごとに時間割を変えたりするのだから)教師も児童・生徒もその方針を理解し、実際に消化するのにまた大変だそうです。
 話の中でもう一つ気になったのが、学校選択制のこと。これは品川区が初めて取り入れて、区内の小学校、中学校は全区を学区域にしました。それが他の区にも波及してきたそうです。原則として、どこからでもその学校に入れることに(抽選とかの枠組みはあるが)なりました。そのため、「いい学校」に入れようとして保護者もしゃかりきになる。
 それには評判が一番、本校ではこんなことをしています、PR活動も盛んにやらざるを得ない。小学校でも、近所の幼稚園や保育園に学校説明会やら、地域で保護者向けの説明会なども開いているらしい。なんともご苦労なことですね。
 だから、ある中学校では、40以上の小学校から生徒が通っている、その区内の小学校は20ちょっとしかないにもかかわらず。ということは、半分は他区からの通学者。小学校を終えると、他区からその区へ寄留してくる。中には、かたちだけ籍はその区において、転校生みたいなかたちで地元の小学校に通う変則的なケースもあるという。ある小学校では、30分以上も離れた他区の地域から、小学生が通って来る場合も。
 こんな深刻な例も。ある小学校に障害のある児童が入学することが噂になると、その学校に子供を通うことを忌避してしまうような親も出てくるという。中学では「不良」生徒が一番の問題、そうした子供はまさにたらい回し状態。
 こうした話を聞くと、今の公立学校は何かおかしい。先生も教育委員会も保護者もいったい何を考えているのかと思わざるを得なかった話でしたね。
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