おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その8。曲がりくねった旧道。水準点(15.5)。江見海岸。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-31 20:27:32 | 房総東往還

この付近から「伊南房州通往還」(旧道)のようです。

       

この先で国道128号を横断します。

「助八そば鴨川店」。

海から離れた道を進みます。                                 左奥に水平線。

静かでのどかな田園風景。

右手に山が迫る。

この地域は、純農村地域? 

  新興住宅地の雰囲気も。

振り返る。

この道が、かつては主要道であったことがわかります。

                              水準点(15.5)。

旧家の趣のおうち。

集落に入っていきます。

木造の素敵なおうち。

「←180m江見海岸」。

             海岸方向。

この付近の今昔。

                             (現在)

   国道128号線(赤線)が東西に直線で延びる。

                             (1880年代)

      地図の東側に作成上のずれがある。江見地区には住居が集まる。海岸は、岩場続き。

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その7。内房線・山生(やもうめ)橋梁。貝の化石の跡。道の駅 鴨川オーシャンパーク。名馬橋。源頼朝と鴨川。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-30 20:44:20 | 房総東往還

この先、内房線と国道128号を陸橋で越えていきます。

スイセン。

            

内房線。「太海駅」方向。

振り返る。

左奥に内房線「山生(やもうめ)橋梁」。

途中、露出した岩に、貝の化石の跡があります。※剥がれた部分に貝。

この先、旧道は右に折れて進みますが、右折せずにそのまま歩いてしまいました。

この付近の今昔。

                             (1880年代)太線が「伊南房州通往還」。直角に曲がる道筋。

                             (現在)赤い線が国道128号。現在の旧道は複雑に進む。

※「江見太夫崎」は町村合併で付けられたもので、もともとは、「太夫﨑(村)」であった。                           

そして、

「道の駅 鴨川オーシャンパーク」脇へ。

     旧道は、この施設の向こう側、海側を進んでいきます。

旧道方向。

ユニークな建物。

鴨川オーシャンパークは、南房総の観光の主要幹線となる国道128号線沿いにあり、鴨川のとれたての海の幸、山の幸を販売する物産館や、昔の磯を再現した千年磯、青空市場、休憩所などがあります。鴨川オーシャンパークは、文字通り豊かな自然や温暖な気候に育まれた鴨川の魅力である「海」と「花」を基本テーマにしています。
 ここは、訪れる人々に憩いとやすらぎのひとときをつくる観光拠点づくりを目指すとともに、地場産業や文化、芸術分野との連携を図ることで地域の総合的な活性化と交流の場を目的とした海浜型リゾートパークです。

(この項、「」HPより)

そのまま「国道128号」を歩くことに。

右側の橋は? 名馬川に架かる橋。

         ※「国道128号」の旧道の一部だと思われますが。

「太夫崎漁港」。

バス停「名馬橋」。

この地名も頼朝伝説にちなみます。そこで、まとめて。

源頼朝と鴨川

  • 治承4(1180)年、伊豆で反平家の兵を挙げた源 頼朝は、相模(サガミ)の石橋山の戦いに敗れて、真名鶴岬(マナヅルミサキ)(現神奈川県真鶴)から小舟で逃れ、安房国平北(ヘイホク)郡猟島(現鋸南町(キョナンマチ)竜島)に上陸して再挙を図ったという史実は、良く知られています。
  • 猟島に上陸したのが8月29日(旧暦)のことで、それから9月13日までの14日間、安房に留まり、安房、上総の武士団を集め、13日に安房を出立して上総に向かったといいます。
  • この14日間の安房に於ける頼朝の行動に関連して、頼朝にまつわる話がいくつか市内に伝えられています。
  1. 一戦場 =頼朝が安房に上陸した4日後の9月3日のたそがれ時に、平氏に心を寄せていた当地の住人、長狭六郎常伴(ナガサロクロウツネトモ)は、頼朝を討とうと企て、宿所を襲ったが、頼朝の従者、三浦義澄(ミウラヨシズミ)らに討ち取られたといいます。この戦いがどこで行われたか明らかではありませんが、市内貝渚(カイスカ)に「一戦場(イッセンバ)」という地名があり、その場所とする伝承があります。
  2. 仁右衛門島 =石橋山の戦いに敗れた頼朝は、わずかの兵を引き連れて波太(ナブト)(現鴨川市太海浜(フトミハマ))の仁右衛門島(ニエモンジマ)に上陸しました。島主の仁右衛門は、頼朝一行を厚くもてなし、その再挙を助けました。喜んだ頼朝は、仁右衛門に「平野(ヒラノ)」の姓と島周辺の漁業権を与えたといいます。
  3. 名馬太夫黒 =頼朝が再挙を図って太夫崎(タユウザキ)(現鴨川市江見(エミ)太夫崎)まで来た時に、たまたま岩に蹄の跡(馬蹄石)を見つけました。このあたりに良い馬がいるのではないかと捜したところ、近くの洞穴で黒い毛並みの立派な馬を見つけました。そこで地名を採って、この馬に「太夫黒(タユウグロ)」と名を付け、頼朝の乗馬となりました。後に、磨墨(スルスミ)と呼ばれました。洞穴の前を流れる小川を「名馬川(メイバガワ)」といいます。
  4. 旗かけ松 =頼朝は、安房から上総に兵を進めるため、東条広場(現鴨川市広場)の松崎(マツザキ)(待崎(マッサキ))に至り、傍らの松に源氏の白旗を掲げて上総介平広常(カズサノスケタイラノヒロツネ)の到着を待ったところから、この名があるといわれています。
    この松はその後、天保(テンポウ)の旱魃(カンバツ)で枯れたので松のあった所に石碑を建てました。石碑の正面に「頼朝公旗掛松(ヨリトモコウハタカケマツ)」、裏面に「文久2年秋9月これを建てる」と刻まれています。

(この項、「」HPより)

旧道方向へ進みます。

             ※この道は旧道(「伊南房州通往還」)ではないようです。

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その6。綱吊り・道切り。「高波注意」。ハバノリ。房州大橋・山生橋梁(やもうめきょうりょう)。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-29 21:16:25 | 房総東往還

浅間宮の常夜燈。

左はツナツリ(綱吊り)で、昔はここに大きな「綱吊りの松」があり、この先の「天面(あまつら)村」への悪病・悪霊などの侵入を防いでいたという。

※「綱吊り」=「道切り」

道切り
疫病が流行らないように行うところが一般的ですが、災いを封じると豊作になるという考えから、五穀豊穣を願って道切りを行うところもあります。正月から2月にかけて多く行われます。疫病神は道を通ってやってやってくると考えられていたので、むらの出入り口にあたる道で行われました。
藁の大蛇(市川市国府台 辻切り)
わらの大蛇
(市川市国府台 辻切り)
しめ縄・手桶・サイコロ・蛸(飯岡町三川浜 辻切り)
しめ縄・手桶・サイコロ・蛸
(飯岡町三川浜 辻切り)
男女一対の武者人形(君津市大坂鴨畑 人形だんご)
男女一対の武者人形
(君津市大坂鴨畑 人形だんご)
大草履(富津市関尻 綱つり)
大草履
(富津市関尻 綱つり)
千葉県「道切り」分布図
道切りの形は、百足や蛇や龍の形をした太綱をむら境の木に掛けるタイプや、綱を道を横切るようにわたし、男女一対の人形や蛸や海老、草履など様々なものを吊り下げるタイプ、また鹿島人形やお札を立てるタイプなどがあります。

(この項、「」HPより)

左下の道路には、

「高波注意」。

海岸際を通る国道128号線。

集落に入ります。

           

掲示板「はば取り解禁日」

令和6年1月13日午前10時より 1月13日から1月18日の間に3日分を取って下さい。夜間は禁止です。

重要なお知らせ

○採取したはばは、全て組合に水揚げして下さい。横流し等を禁止します。違反した場合は1年間はばの採取を禁止します。

○全地区、夜磯でのはばの採取を禁止します。

天津地区も同様の規約となっております。ご協力をお願いします。

鴨川市漁協 江見支所

 この「はば」って何?

ハバノリ(はば海苔)

褐藻綱カヤモノリ目カヤモノリ科セイヨウハバノリ属に分類される一年生の海藻である。(「Wikipedia」より)

・・・

生態系も海苔と同じように、秋頃になると胞子を出して、晩秋に発芽し、冬から春の海水温が冷たい時期に生育します。

日本の全域の沿岸の岩場で自然に生育しており、千葉県では岩場が多い勝浦・鴨川・南房総や銚子方面などで採取されることが多いようです。岩海苔と間違えられることも多いようですが、正確には「岩コンブ」ですね。

はばのりは数日間天日干しされて乾燥し、このように販売されています。

形は少し縦長の大きい海苔のように見えますが、焼いていない状態です。

炙って揉むと少し深い緑色になってバラバラに崩れやすくなりますので鰹節を一緒に入れてお雑煮に入れて一緒に食べる。

これが千葉県東部地域、特に山武地域から市原あたり(さんぶちいき=九十九里から東金)の習わしで、年越し・年始の郷土料理として昔から親しまれています。

※静岡県の下田・熱海などの三浦半島方面でも食す文化があるようです。


出典:農林水産省Webサイト

これは自身のまたはその家の成長を祈願して、1年中「ハバ」をきかせる=幅を利かせる と、ゲンを担いだ縁起物としてありがたくいただくわけです。

ハバノリ自体はもともと、海辺の村人などが板海苔の代用品としてハバノリを刻み海苔状に薄く梳きそれを板状に乾燥させて自家用として食べていたものだそうで、とても素朴な海産物でした。現代に流通しているハバノリもそうなのですが、穴や形状は通常の黒い海苔と比べるとだいぶデコボコで穴だらけのイメージではあります。

なんと、1枚あたり1000円から2000円程度が一般流通での平均相場です。

どんなお味なの?

味、気になりますよね。

ちょっと塩っぱい薄い昆布を食べているような感じです。

と、まぁコンブの仲間を薄く梳いて作っているのだから当たり前なのですが…

私も千葉県民(市川市生まれ/市川育ち)でありますが、父も母も東京生まれ下町育ちでしたもので、鶏だしのシンプルな澄んだ色のお雑煮で育ちました。

ハバのりも食卓で食べる機会は何度もあって、当店で商品として取り扱うようになってからは特に食べるようになりました。

ちょっと炙って食べるとこれはまさに「海のおつまみ」って感じで、コンブはなかなかそのままでは硬くて食べれないので海をそのまま味わってるって気分。

うん、美味しいんです。

お雑煮だけではなくて、ご飯にかけて食べる なんて方もいらっしゃるそうで。
一度やってみましたがちょっと塩気が多かったけど美味しかったですね。

※「糸青のり」を、はばのりのかさましで入れるご家庭も多くあります。これも香りがよくて美味しいんです。

いくらくらい?どこで買ったら良いの?

海岸上は漁業権がありますので勝手に採取するわけには行かず、養殖も行われていませんので生産量も限られております(年に12月・1月の2回の入札のみと聞いています)。

また今ではハバノリを冬の間に採取する方も非常に少ないため、現地での販売も1枚で1000円前後と非常に高値で取引されております。

長年、召し上がってらっしゃるお客様は「今年の新物はないんですか?」とお問い合わせをいただくことがありますが、新物を年内のうちに入手するのは相当困難かと思います。

海苔と同じように入札制度がございまして、それが12月中頃から終わり頃に行われてそれから袋詰めされて出荷されますから、基本的には年内に一般的に出回るほとんどのハバノリは、採取地である勝浦・鴨川・南房総の海産問屋さんなどから入手されるか、直接伺ってご購入されるかしか方法はないかと思います。

当店で販売しているハバノリは基本的にその年の1月に採れた春物(春はば)になります。これはどの海産問屋さん・海苔屋さんに聞かれても同じようなご回答になるかと思います。

数も多くはなく稀少なものでございまして、毎年のことではございますが価格は不安定でございますので、予めご了承ください。

また当店では毎年10月頃より仕入れ、12月末までに売切。もしくは1月くらいまで在庫があればネットショップのみ販売をしております。

(この項、「美味しいお海苔といえば! 築地 伊藤海苔店 」HPより)

「国道128号」に合流します。

バス停「天面(あまつら)漁港」。

国道を離れ、内房線踏切へ。

「江一号踏切」。

江見駅方向。

眼下に、

       「外房黒潮ライン(国道128号)房州大橋」。

右に見える内房線「山生橋梁(やもうめきょうりょう)」は歴史的に貴重な建造物として2012年「土木学会選奨土木遺産」に認定されました。
山生橋梁は海の上にあることから鉄橋ではなく、国内初の鉄筋コンクリートT型梁形式の橋として大正13年(1924年)に建設されました。

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その5。「是空-ZEKUU-」。露出した地層。「璃庵」。河原地蔵堂。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-28 18:53:41 | 房総東往還

この先で、右からくる「国道128号」に合流します。

その先、「房総鴨川温泉 是空-ZEKUU-」。

                             おしゃれなホテル。

              

海の絶景を目の前に究極の癒し体験“海旅”を叶える
都心から東京湾アクアライン経由で車を走らせること約1時間半、千葉県鴨川の荒磯に寄り添うように造られた湯宿。この地屈指のオーシャンビューが魅力だ。完全プライベート空間の貸切露天風呂など、館内のあらゆる場所から、海の壮大なパノラマを間近で見渡せる。もちろん、すべての部屋からもこの唯一無二の景色を満喫。なかでも、是空棟に設えられた半露天風呂付きの客室が好評だ。“密”を避けた“おこもりステイ”にも最適。是空でしか味わうことのできない究極の“海旅”を体験したい。(「旅色」HPより)
 
振り返る。
            岸壁上に建つのは、「是空」。
 
国道から右の坂道へ。
                 
                
 
地層が露出しています。
 
海に向かって下っていきます。
 
その途中にある「璃庵」。
水天一碧 
 
             

多くの文人墨客に愛されてきた房総屈指の景勝地、鴨川・太海海岸。
紺碧の海と空が邂逅するこの海辺に鴨川温泉「璃庵」は佇んでいます。
眼前に広がる瑠璃色の情景をプライベートに愉しみながら、贅を尽くした美食と温泉のひとときをお過ごしいただけます。

(この項、「璃庵」HPより)

遠くに海が広がる。
 
              
 
穴の空いた岩が石垣の一部にはめ込まれています。鯛の浦で見つけた岩と同じ?
 
         
 
右手、西院の河原地蔵堂付近から。
 
関東では珍しい賽の河原。岸壁に建てられた堂内には無数のお地蔵様が祀られている。
 
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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その4。仁右衛門島。カマスの干物。奇岩・龍宮様。太海フラワー磯釣りセンター。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-26 19:38:04 | 房総東往還

バス停「仁右衛門島入口」。

左折し、仁右衛門島へ向かいます。

漁港。

仁右衛門島(にえもんじま)

千葉県鴨川市太海の沖合約200mにある。全島砂岩よりなる周囲約4kmの島で、千葉県では最も大きな島かつ唯一の有人島である。源頼朝日蓮伝説で知られ、個人所有ではあるが千葉県指定名勝となっているほか、新日本百景にも選ばれている。

島主である平野仁右衛門の名に因み、この名前になったといわれている。夏涼しく冬暖かい風光明媚な自然の楽園。金銀針茄子(キンギンハリナス)という珍しい植物もみられる。島の南側は荒々しい海岸線がみられ、自然の防波堤の役割も果たしている。

《伝説》

代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主が推定で38代目。治承4年(1180年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝安房に逃れた際、平野仁右衛門に助けられ、この島で平家軍から一時身を隠し、巻き返しを図ったと言い伝えられ、現在に至るまで平野仁右衛門一族がこの島を守り伝えている。島の東部には、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が、夜襲を避けて潜伏したとされる洞窟や、日蓮が朝日を拝したと伝えられる神楽岩があり、正一位福女稲荷大明神が祀られている。現在の平野家家屋は、宝永元年(1704年)に建て直されたとされたもので、観光客に公開されている。

《植生》

涼しく暖かく、四季を通じて植生が豊かでが咲き乱れる。特にキンギンナスビ(金銀針茄子)という珍しい植物をはじめ、イソギクハマカンゾウなどの海浜植物、ソテツなどの暖地性植物も豊富に見られる

(この項、「Wikipedia」より)

「仁右衛門島」全景。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)

                             (現在)

漁港として活気のある雰囲気。

                通りには、漁師小屋などが並んでいます。背後には住宅が。

対岸に「仁右衛門島」。

              

北方向。

島への渡し船は運行していないようなので、しばらく眺めて戻ります。

途中で、網の中の干物、カマスのようです。

漁港のはずれにある奇岩と、その上に立つ祠。

                           「龍宮様」。

県道に戻って先に進みます。左下に、

              「太海フラワーセンター(植物園)」(廃園)。

太海フラワー磯釣りセンター(ふとみフラワーいそづりセンター)

千葉県鴨川市太海浜67番地に位置している観光施設。かつては植物園釣り施設があり、花と海と動物の楽園をコンセプトにしていたが、植物園は閉園となり2023年現在は釣り施設のみの営業となっている。

太平洋に近接し、温暖な気候に恵まれている太海の漁村に面する。特に春は観光客が多く訪れ賑わっていた。

江見町町営の施設として1965年10月に開園。2018年12月31日をもって休園(事実上の閉園)。2021年時点で、セントラルハウス、温室棟は老朽化により大変危険な状況となっており、建物周辺は立入禁止となっている

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その3。海を望む坂道。波太(なぶと)・なぶとばし。太海(ふとみ)駅。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-25 18:40:20 | 房総東往還

海と山と畑と複雑に入り組む。

県道に出てすぐ右の細い道に入ります。住宅地への坂道。

       旧道には中央に下水溝(?)が敷設されているところが多い。

 

坂道の向こうに海。

県道に合流。

左手にある案内板。

※鴨川市太海地区の、昔の名前は「波太(なぶと)」。 明治ごろまで、ここは波太と呼ばれていた。 今でも、ここは波太の頃と変わらず、のんびりとゆるやかな時間が流れている。

「泊まれるレストラン 波太オルビス」。

鴨川市天津にて地魚寿司&民宿を31年間営んできた「中乃見家」が太海海岸に生まれ変わり「波太オルビス」となりました。

一流ホテルやオーベルジュで修業をしたフレンチシェフと、千葉の海の食材を知り尽くしたベテラン寿司職人が見事なハーモニーで美食の皿を提供します。

(この項、「」HPより)

県道を振り返る。

「曽呂川」河口。

「なぶとばし」。

「内房線」の鉄橋。

               その奥は、「国道128号」。

             

「ブルースカイ鴨川」。太海駅前の通り。

この先で左の道を進むのが旧道でしたが、そのまま駅の方へ。

「マルコ鮮魚店」。

坂の上に「太海(ふとみ)駅」。

              

「定食屋 柳生」。

                  クラシックな店構えのお店で、地元の新鮮な魚がウリのようです。

本来、この付近から海の方向へ進む必要があったのですが、そのまま県道を歩いてしまいました。

この付近の今昔。

                             (現在)

赤い線が国道128号、黄色い線が県道(歩いた道)。

                             (1880年代)旧道は集落内を複雑にたどる。

※当時、「仁右衛門島」は、「波太島」と表記されている。  

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その2。鴨川漁港。鴨川松島・雀島・・・。上り坂が続く。「JOSAI」。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-24 20:24:40 | 房総東往還

行き先案内板。

      「↑弁天島 →鴨川松島 →県立鴨川青年の家 →太海フラワー磯釣りセンター →仁右衛門島」。

右手に妙昌寺、急坂の上に八雲神社。

鴨川漁港。

仁右衛門島方向。                

「旅館 松島」。左に海を眺めながら、ゆっくり上り坂を。

眼下には、「鴨川松島」。大小七つの島(荒島 こうじま・弁天島 べんてんじま・鵜島 うじま・雀島 すずめじま・波涛根島 はとねじま・猪貝島 いがいじま・海獺島 あしかじま)の総称であり、宮城県の松島を思わせる景観からその名がついた。

中央に「雀島」。

魚見塚展望台から鴨川松島。

                (「」HPより) 

振り返る。

                        

       スイセン。

少し下ったあと、右の上り坂になっている旧道に入ります。

                       

住宅の向こうに海が。

       南国風な木々。

振り返る。

海側にある小山。

この先、右に上っていくと、「魚見塚展望台」に行けますが、省略。

下り坂になると、前方が開けてきます。

車道に合流します。

               正面の丘の上には、「JOSAI」(城西国際大学安房キャンパス)。

左にはキャンピングカー専用の広場が。

       通りの向こうには、内房線と国道128号と並んでいます。

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JR内房線「安房鴨川駅」~「江見駅」。その1。特急「わかしお」。曲尺手。前原海岸。加茂川。鴨川漁港。万騎坂。(「房総東往還」を歩く。第9日。)

2024-01-23 21:42:55 | 房総東往還

「安房鴨川駅」から「江見駅」までの歩き旅。

船橋~安房鴨川の往復を特急「わかしお」を利用しての旅。

安房鴨川に着いたのが午前11時少し前。そこからの歩き。

帰路は、「江見」から「安房鴨川」。そこから午後3時半過ぎの特急で。

「大人の休日倶楽部」を利用したので(往復で200㌔を超えます)、3割引で大いに助かりました。

1月19日(金)。あいにくの曇り空時々晴れ。しかし、強い風もなく、穏やかな日和でした。

安房鴨川までの車窓から。

                      鳶が盛んに上空を舞う。

              

「安房鴨川駅」。

駅前の通りを進み、「伊南房州通往還=房総東往還」に出ます。

ここは、曲尺手になっていました。小湊方面からだと、右折して、すぐ左折します。

        

                 この角に道標があったのですが、見落としました。

商店と住宅が建ち並ぶ街道を進みます。                                

左側は海岸。    

                

バス停「前原海岸」。    

典型的な曲尺手。

「加茂川」。

         上流方向。

河口方向。

「加茂川」をはさんで旧市街地が続きます。

※前原地区には、二ヶ所「曲尺手」が残っています。                  (「今昔マップ」より) 

鴨川(市)のゆらい

  • 「千葉県町村合併史」には、「明治22年の合併に当り新町の名称は、鴨川町と決定したが、それは新町内を加茂川が貫流し、且つまた「倭名類聚抄」に長狭郡に加茂郷の郷名がみえ、それが当地区で在ったと推定されるので、そうした史的所伝に基づくものである。」と記載されています。
  • なお、「倭名類聚抄(ワミョウルイジュショウ)」(和名抄)とは、平安中期の漢和辞書です。
  • 「鴨川沿革史」(昭和39年2月・鴨川図書館)には、「古昔この地方を賀茂(カモ)郷と称した。)平塚(ヒラツカ)村より前原町・貝渚(カイスカ)村まで5里の間を貫流している川は、京都の鴨川に似ていると云うので加茂川と称したのを、明治22年4月の町村合併の時、町名に「加茂」を「鴨」に作り鴨川町と名付けた。」とあります。
  • 以上が代表的なもので、諸説がありますが確かなことは分かりかねます。

(この項、「」HPより)

橋を渡ると、街道筋の雰囲気が残る街並みに。

この付近から緩い上り坂(「万騎坂」)になります。

「←鴨川漁港」。

万騎(まんき)坂

古くから漁師町としての雰囲気が漂う貝渚と磯村地区を結ぶ万騎坂。源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、逃げのびた後、仁右衛門島にて身を隠し静養した後、再起し、鎌倉へ向かった際に万にものぼる味方とともにこの坂を進んだことが、この名称の言われ。近くにある白幡神社も源氏のシンボルである「白旗」にちなんでいるのは、偶然ではないはず。

(この項、「」HPより)

※「万騎坂」という名の坂は、袖ケ浦市にもあり、ここと同様に、頼朝が再起して鎌倉に向かった、とのいわれがあるようです。

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外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その7。安房鴨川駅。外房線・内房線、どちらも下り終点。(付)車窓からの「新茂原貨物駅」跡。(「房総東往還」を歩く。第8日。)

2024-01-21 20:44:49 | 房総東往還

駅前の鴨川市観光案内図。

駅周辺は何もありません。  

西側にはイオンなど大きな店舗もありますが。

         

位置情報連動型ゲーム「ステーションメモリーズ!」「駅メモ! Our Rails」において、『JR東日本×江見駅郵便局×「駅メモ!」シリーズ 房総の旅キャンペーン』が開催されます。JR外房線・内房線の駅や沿線の観光地を巡るデジタルスタンプラリーや、コラボグッズの販売、ノベルティの配付など、さまざまな企画が実施されます。江見駅郵便局『応援特使』、『鴨川ふるさと特別大使』を務めている、でんこ「なより」が、房総特急『わかしお・さざなみ』50周年を記念して、『JR東日本×江見駅郵便局×「駅メモ!」シリーズ PR隊長』に就任します。

(この項、「」HPより)

※このキャンペーンは去年の春に終わっています。

安房鴨川駅は、「外房線」と「内房線」の境目の駅。

どちらも下りの終点駅。

上り「(内房線)館山・木更津・千葉方面 (外房線)茂原・千葉・東京方面」の始発駅に。

ほとんど1時間に1本。21時過ぎで、終電。

※「外房線」の上りに東京行きがあるのは、外房線に乗り入れている「京葉線」の終着駅が「東京駅」だから。

外房線に乗って帰ります。

(「上総一ノ宮」で「東京」(京葉線経由)行きの電車に乗り換え、さらに「蘇我」で内房線「千葉」経由、総武線「船橋」まで。)

「安房天津」。

「木更津行き」の電車(外房線~内房線)。

「安房小湊」。

            

帰路。新茂原駅を通過後、「新茂原貨物駅」跡を電車内から撮りましたので、付け足します。

「旧新茂原貨物駅」跡。

                              右手に見えてきます。

           

本線からの分岐線。

            

今回、途中から「バス旅」になりました。

街道歩きに加え、観光地めぐりにもなっていますが、これもよしとしましょう。

風光明媚な房総。「おせんころがし」から誕生寺、鯛の浦へと変化に富んだ旅でした。

最後はバス旅。おかげで、一気に安房鴨川駅まで。

鴨川から、あと2回で館山まで着きそうです。次回は、「安房鴨川駅」から「江見」か「和田浦」まで歩く予定。

その先、館山までは、どうするか? 

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1月20日。「大寒」。南天。鰤・出世魚。寒仕込み。寒波が日本列島を覆うようですが。

2024-01-20 19:39:48 | 世間世界

今日は、二十四節気の最終節「大寒」。

寒さが最も厳しくなるころ。暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。

小寒 から立春前日)の中日で、一年で最も寒い時期である。

七十二侯だと、この日から、二十四節気の始まり「立春」(2月4日)の前日まで。

・初侯 1月20日〜1月24日頃

款冬華 ふきのはなさく

凍てついた地面に蕗の花が咲き始める頃。地面には雪が積もり、強い寒さが襲ってくる時期ですが、草花は春に向けて着実に動き出しています。

・次侯 1月25日〜1月29日頃

水沢腹堅 さわみずこおりつめる

沢の水が氷となり、厚く張りつめる頃。この時期に、一年での最低気温の記録がでることが多く、氷点下に達する地域も多くみられます。

・末侯 1月30日〜2月3日頃

鶏始乳 にわとりはじめてとやにつく

鶏が春の気を感じ、たまごを産み始める頃。自然な状態の鶏は、日照時間が長くなるにつれ、産卵率が上がっていくため、春から夏にかけてたくさん卵を産みます。

この時期になじみのものとしては、

南天」。(「向島百花園」にて)

「難を転じて福となす」という意味に通じることから縁起が良いとされ、正月飾りなど祝事に使われています。さらに、南天実には咳止めの効果があり、古くから薬用として利用されていました。

※以前、我が家の庭には南天の木があり、たくさん赤い実を付けていました。お正月には、おせち料理の飾りとして、近所の方に差し上げたことも。

鰤(ぶり)

大きさによって呼び名が変わる出世魚。日本各地での地方名と併せて様々な呼び方をされる

  • 関東 - モジャコ(稚魚)→ ワカシ(35センチメートル〈cm〉以下)→ イナダ (35-60 cm) → ワラサ (60-80 cm) → ブリ(80 cm以上)
  • 北陸 - コゾクラ、コズクラ、ツバイソ(35 cm以下)→ フクラギ (35-60 cm) → ガンド、ガンドブリ (60-80 cm) → ブリ(80 cm以上)
  • 関西 - モジャコ(稚魚)→ ワカナ(兵庫県瀬戸内海側)→ ツバス、ヤズ(40 cm以下)→ ハマチ (40-60 cm) → メジロ (60-80 cm) → ブリ(80 cm以上)
  • 南四国 - モジャコ(稚魚)→ ワカナゴ(35 cm以下)→ ハマチ (30-40 cm) → メジロ (40-60 cm) → オオイオ (60-70 cm) → スズイナ (70-80 cm) → ブリ(80 cm以上)

80 cm 以上のものは関東・関西とも「ブリ」と呼ぶ。または80 cm以下でも8㎏以上(関西では6 kg以上)のものをブリと呼ぶ場合もある。和歌山県は関西圏だが関東名で呼ぶことが多い。流通過程では、大きさに関わらず養殖ものをハマチ、天然ものをブリと呼んで区別する場合もある。

(この項、「Wikipedia」より)

金柑(きんかん)」。(牛久にて)

実は小さいですが、皮ごと食べれるため、ビタミンCをたくさん取ることができます。赤みが強く、丸くて形の良いものを選ぶとより美味しくいただけます。

※この前、食べましたが、みずみずしく酸っぱさ+甘さで大変美味でした。

ごぼう

ごぼうは身体の毒素を排出してくれるため、血液が浄化され、むくみの解消やお肌の調子を良くしてくれます。毎日の摂取には「ごぼう茶」がおすすめです。

そして、行事としては、「節分

立春の前日のことで、「季節を分ける」という意味があります。季節の変わり目には鬼がでるといわれたことから、「鬼は外、福は内」と豆をまく慣わしや、柊と鰯の頭を玄関に飾る習慣が。

(この項、「暦生活」HPより)

東京地方。今日、明日は、雨。しかし、寒中らしい寒さが続かず、火曜以降は、日本海側の雪に対して、乾いた晴れ間が続きそうです。 

大学入試、高校入試も始まる時期。受験生にとっても「試練の冬」がやってくる頃になり、・・・とは言うのも以前の話。

今は、前年の10月頃から、指定校推薦、公募などと大学入試の形態も様変わり。大学共通試験受験者数も減ってきています。

もうすでに行き先が決まっている学生も多いようです。

「試練の冬」は、中学受験を控える小学6年生にこそ当てはまる? 

ところで、

※日本の最低気温:1902年(明治35年)1月25日、北海道上川地方旭川市で観測した「-41.0℃」。

※世界の最低気温:2010年(平成22年)8月10日、南極大陸の東部のドームA付近で観測した「-93.2℃」。

※日本の最高気温:2018年7月23日(埼玉県熊谷市)と2020年8月17日(静岡県浜松市)で観測した「41.1℃」。

温暖化の影響も大いにある昨今です。

当方としては「寒仕込み」ということに興味が。そこで、

冬場に造る酒はうまい

日本酒で「寒仕込み」という言葉をよく聞く。「寒造り」とも呼び、冬場の寒い時期に仕込むのが、日本酒伝統の製法である。

なぜ、冬場に仕込むのか? 

まずは、原料である米が秋に収穫されることと関係している。米がとれてからでないと、酒造りはできないからだ。

そして、寒い時期だと雑菌が繁殖しにくいこと挙げられる。日本酒の仕込みは、温度管理がとても重要なのだ。低温だと、余計な雑菌の繁殖を抑え、お酒をつくる微生物が、よい働きをしてくれるのである。冬場の低い気温の中で、もろみをゆっくりと時間をかけて発酵させると、きめ細やかで良質な酒に仕上ると言われ、昔は「寒酒」と呼ばれた。

日本酒はそもそも、四季醸造といって、1年中造られるものだった。ただ、暑い時期だと急速に発酵してしまい、発酵途中のもろみが腐ってしまう難点も。

寒仕込みは、江戸時代に最も酒造技術が進んでいたといわれる伊丹(兵庫)で確立されたという。江戸幕府も、寒造り以外の醸造を禁止し、寒仕込みが清酒造りの主流となっていったという。

閑散期の冬場の収入源として、農家が出稼ぎで杜氏になり、日本各地に“杜氏集団”ができるようになっていったのも、寒仕込みと関係している。福岡では「芥屋(けや)杜氏」などが有名で、いまだに冬場限定で酒造りに携わる蔵人がいる。

現代では、空調設備が整った酒蔵では、1年中酒造りをする「四季醸造」が一般化している。冬場が「旬」だった酒が、今や四季を通して、楽しめるようになったのである。

(この項、「」HPより)

   (いずみ市大原にて)。 

今夜は「寒仕込み」の旨いお酒を飲むことにしましょうか。

次は「立春」(2月4日)。

      

                                  (「隅田公園」にて。)

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外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その6。しぶきがかかる遊歩道。バスに乗って「安房鴨川駅」まで。車窓からの眺め。「鴨川シーワールド」。安房鴨川駅。(「房総東往還」を歩く。第8日。)

2024-01-19 19:01:00 | 房総東往還

港の方へ戻ります。

                 大波が来ると、水しぶきを浴びそう。

海の中、緑の海藻。

崖が海に迫る。

          ここで大地震が起き、津波に見舞われたら逃げるすべがなさそう。

振り返る。遠くに弁天島。

大海原を望む。

「安房小湊駅」に向かいます。奥に「鯛の浦遊覧船乗り場」。

「吉夢」玄関に飾られた写真。

                「日本の夕陽百景の館」。 

小湊漁港。    

 この交差点を左に折れて駅に向かう。

と、バス停があり、まもなく来たバス。「安房鴨川駅」(終点は、「仁右衛門島」)まで行く、とのこと。飛び乗ってしまいました。

               ※「安房天津駅」を通過して、安房鴨川駅まで。

この先は、バスの車窓からの風景。

内浦湾。

                  

海岸伝いに進むバスの車窓からは、左手に海が広がります。小さな漁港をたどりつつ・・・。

※途中のバス経路は「伊南房州通往還(房総東往還)」と重なっています(言い訳がましいですが)。

けっこうバス停ごとに乗客の乗り降りがあります。

     「多聞寺」バス停。

右手に大きな「亀田総合病院」。

                       ※旧道は、この病院の敷地内に続いています。

この先、左手に「鴨川シーワールド」が広がっています。

生命(いのち)の輝きと、ふれあえる海

          

                 

日常生活では出会うことのない、海の生き物たち。
それぞれに豊かな特徴や生態を持つ個体が生き生きと活動し、かけがえのない生命を営む姿は、私たち人間の想像を大きく超え、新鮮な驚きや純粋な感動さえも感じさせてくれます。
鴨川シーワールドが訪れるすべての人にお届けしたいのは、そんな生命の輝きとありのままに向きあい、心と体でふれあう歓びです。
ここには、海の世界をリアルに再現した展示環境があります。
空の下でのびのびと暮らす、穏やかな海の日常があります。
動物たちの知性や運動能力を引き出すパフォーマンスがあります。
ひとつひとつの体験を通じて、海への想いをわかちあいたい。
誰かに伝えたくなるほど、忘れられない瞬間を手わたししたい。
それが、飼育員をはじめ、海の生命に携わる私たちの願いです。

(この項、「」HPより)

まもなく「安房鴨川駅」に着きます。

      「安房鴨川駅」。

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外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その5。鯛の浦遊歩道。大・小弁天島。昭和皇后の短歌を刻んだモニュメント。生きた貝が穴を空ける?  岩(磐)笛。(「房総東往還」を歩く。第8日。)

2024-01-18 20:24:42 | 房総東往還

内浦湾。

                遙か遠く、正面奥は安房鴨川方向。

             

                  テラス風になっていますが。

「遊歩道」案内板。

          ←誕生寺・鯛の浦遊覧船 →大弁天・小弁天 →行幸啓記念碑

国指定特別天然記念物「鯛の浦タイ生息地」

内浦湾内、誕生寺前の渡船場から東南方へぐらいの海域で、伊貝島、弁天島などの近辺に多数のタイが群生するので、このあたりを「妙(たえ)の浦」と呼んでいます。

「鯛の浦」とも呼ばれるこの周辺海域は、日蓮聖人ゆかりの聖地で、古来殺生禁断の地として、代々地元の人々から題字に守られてきました。明治36年(1903)には漁業法に基づく禁漁区となりました。・・・

海洋に関連する国指定の天然記念物は、本件を含めて全国で2件しかありません。千葉県唯一の国指定特別天然記念物です。

           「鯛の浦遊歩道」先端。小弁天島。

右端の島は、大弁天島。

「昭和天皇行幸啓記念碑」。

       昭和皇后の短歌を刻んだモニュメント。

水際まで下りてみました。

そこには、こんな風に穴の空いた石がたくさんあります。

                  

はて?

生きた貝が穴を空けるというケースがあります。
これはボーリングシェル(穿孔貝せんこうがい)と呼ばれる貝が、柔らかい砂岩や泥岩を削ったり、あるいは酸で石を溶かして穴を明けたものです。
石に穴を開ける貝としてはタガソデガイモドキ、トマヤガイ、カモメガイ、モモガイ、キナマツカゼガイ、イシマテガイヤエウ、メノハナガイ等があり、貝の大きさやによって穴の径や、角度が変わってきます。

一般的な磐笛の多くはこの貝由来のタイプをいい、酸に溶けやすい石灰岩や泥岩や砂岩の場合が多く、深い穴が特徴です。

岩(磐)笛

磐笛には決まった形というものはありません。
岩石の種類も様々ですが、「自然の穴ありて、吹けばなるもの」であり、種々の要因で穴があいたものです。

約5000年前の縄文時代中期頃に使用され始めたと推測される楽器です。

さまざまな自然現象によって小石の一部分に穴が穿かれ、天然自然の楽器としてこの世に生まれたのが岩笛です。やがて縄文人たちは巧みな技術を用い、自然への畏敬をこめて自分たちで岩笛を作り始めたのでした。

もともとが天然自然の石でしたから、他の管楽器のような指穴などありません。しかし穴が一つあいただけのこの石で、1オクターブを上回る音程と旋律を吹き分けることができるのはまさに奇跡の業(わざ)とも言えるでしょう。

岩笛の音は 素朴なものです。
人工的な楽器のように自由自在に旋律を奏でてくれるものではありません。
しかし、その音色を聞くと、あたかも故郷の母の懐に抱かれたような安らぎを憶えるのは不思議です。古くからこの楽器と親しんだ日本人のDNAを刺激するばかりではなく、その音色を聞いた多くの外国人が「なつかしい音だ」という感想を述べるのは不思議なことです。

それは人間もまた自然の一部に過ぎず、人間の英知も所詮は自然現象のひとつでしかないことを教えてくれるようにも思えます。岩笛の音色があらゆる人間の心の奥底を揺さぶり動かすのは、すべての人間がおなじ自然を共有していることの表れではないでしょうか。東洋思想の「身土不二」(身体と大地は一元一体である)は、まさにこうしたことを指しているのでしょう。

(この項、「にっぽん文明研究所」HPより)

岩場。しばらく広がる青い海と抜けるような青い空を眺めます。

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外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その4。「誕生寺」・日蓮聖人誕生の地。鯛の浦タイ生息地・遊歩道。(「房総東往還」を歩く。第8日。)

2024-01-17 20:23:13 | 房総東往還

小湊山誕生寺 総門」。 

 誕生寺は、日蓮聖人生誕の地に建治2年(1276)に建立されました。
 明応7年、元禄16年の2度の大地震、津波により水没したこともあり、寺域を現在地に移して堂舎を再興しました。
 宝暦8年(1758)の大火で誕生寺の諸堂は焼失しましたが、宝永3年(1706)に建立と伝えられる「仁王門」のみ焼失をまぬがれました。県内でも最大規模の仁王門で、創建時の様子をとどめている貴重な建造物として、平成9年に県の有形文化財として指定されました。
 また、日蓮聖人が下総の富木常忍の妻に宛てた「富城殿女房尼御前御書」は、日蓮聖人58歳の時の御真筆と思われ、聖人の閲歴を知る上で貴重な資料として県の有形文化財に指定されています。他に、本堂と祖師堂に安置されている中世期の「木造日蓮聖人坐像」2軀は、日蓮聖人の古肖像として重要な作例で、市の有形文化財に指定されています。

・・・

(この項、「」HPより)

※上記にもあるように、日蓮聖人誕生の地は海底に沈んでいるようです。

                              (「今昔マップ」より)             

境内から小湊漁港を望む。

境内図。

       祖師堂。

           日蓮聖人御幼像。

小湊漁港。

小湊漁港から誕生寺を望む。

「鯛の浦遊覧船乗り場」。

「鯛の浦遊歩道」を歩くことに。

               「特別天然記念物 鯛の浦タイ生息地」

内浦湾内、誕生寺前の渡船場から東南方へ船で5分ぐらいの海域で、伊貝島、弁天島などの近辺に多数のタイが群生するので、この辺りを「妙の浦」と呼んでいる。ここに集まるタイ類は、大部分がマダイで、ほかにクロダイ、メジナ、イスズミなどが混ざっている。マダイは、深さ30~150㍍ぐらいの海中に生息し、普段はその中層あたりを泳いでいる定着性の近海魚である。しかし、鯛の浦は、10~30㍍の浅海で、しかも限られた狭い海域に生息し、人間の投与する餌(魚の切り身など)をよく食べるのは、ほかに見られない現象である。日蓮聖人が誕生した古来殺生禁断の聖地であり、観光船の船ばたをたたくと海底から浮上させあらそって餌をもとめるのは不思議なことといわれている。

・・・

通常の鯛は、定着性の深海魚です。水深約30mから150mまでの、海底が岩や砂利のところにすんでおり、水温8度以下の海にはすんでいません。また、マダイは深海性の魚で小回遊の習性があり、群れをなさないといわれています。
通常の鯛と違い、鯛の浦の鯛は年中一定、海中に群れをなしてすんでいます。鯛の浦の鯛が年間を通じて船べりをたたく音を聞くと水面近く群れをなして出現し、与えられた餌を食べるという事は、非常に珍しいことなのです。鯛の浦の現象は、科学的には完全に解明されていません。その習性が珍しいので、「鯛の浦のタイ生息地」として指定を受け保護されているのです。日本でこのような習性を持つ鯛が鯛の浦だけに生息しているのは、鯛の浦周辺に住む人々の遠い昔から続いてきた信仰の歴史と、素朴な鯛保護の精神が生きているからなのです。

(この項、「」HPより)

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外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その3。雀島。「おせんころがし」から「誕生寺」へ。隧道。林間の道。(「房総東往還」を歩く。第8日。)

2024-01-16 18:14:36 | 房総東往還

背後には山が迫っています。

房総の海が広がる。

                  内房では対岸に三浦半島が見えますが、はるかかなたまで海が。

雀島。磯釣りが盛ん。

この付近から海沿いの道から山中の道(峠道)になります。

隧道を抜けると安房小湊の町へ。                   

                      隧道の先は森の中へ。

木洩れ陽の中を下っていく。

隧道を振り返る。

林道風な道。

           

                  隧道の上を進む旧道?

住宅が現れます。左手は廃墟?

正面奥に「誕生寺」が見えてきます。

      誕生寺。裏手に来たようです。

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外房線「行川アイランド駅」~「安房小湊駅」。その2。おせんころがし・伊南房州通往還=旧国道128号線。落石注意。広大な房総の海・青さがまばゆい。雀島。(「房総東往還」を歩く。第8日。)

2024-01-15 20:29:39 | 房総東往還

古びた木製の案内板。

                     「←・・・ 誕生寺→」。

この付近の今昔。

明治以前、山側に古道があった(「日蓮寺」方向)が、その後は、ほぼ廃道。

左図・左端に描かれている道は、大正時代に国道としてあった道。

(「今昔マップ」より)

※1969(昭和44)までは、「おせんころがし」道は、国道128号線として位置づけられていました。

現在の国道128号線は、「行川アイランド駅」前からトンネルを通過して、小湊方面へ進む。

さて、旧道(「伊南房総通往還=房総東往還」)を海沿い(崖沿い)に歩くことに。

振り返る。「大沢漁港」から北の道は、廃道に近い。

             眼下に房総の海が広がる。

           風もなく、穏やかな日差しのもと。

  車も行き来するので、ちょっと怖い。頑丈なガードレールはあっても、左は垂直の崖が続く。

右手は崖。コンクリートで固められているが、そうでないと、・・・。

       

「落石注意」の看板が随所に。

               しかし、地震などで崩壊したら、にっちもさっちもいかなくなりそう。

それでも、雄大な景色を堪能しながら歩きます。

振り返り、振り返りしながら歩く。

※太陽が左上にあり、反射するので、写真がうまく撮れないせいもあり。

頑丈なガードレール。

遠くに雀島。その向こうは、入道ヶ岬。

貝類(アワビ・サザエ・トコブシ等)・海藻類の密漁禁止!

ここは、東安房漁業協同組合小湊支所の漁業権が設定されており、資源及び漁場管理をしている漁場です。組合員は貝類・海藻類を重要な生活の糧にしておりますので、海のルールを守って下さるようお願いします。これに従わない場合は、「犯罪」として取締機関への通報・告訴の手続きを執りますので、ご注意下さい。

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