ZZR1400GTR's Tagebuch(日記)

主に独逸・墺太利・瑞西・南チロルの欧州事情を発信。

冷戦時代の想い出 (2)

2013-04-17 11:24:23 | ZZR1400
この写真は旧チェコスロバキアのスロバキア側国境、現在は単にスロバキアの国境です。国境の建物だけが残っていますが、今は軍隊も警察も税官吏も居ません。ナンバー・顔認識のビデオ監視は有るようですが、基本的に双方向にフリーパスです。
当時はこの国境の遥か手前まで来て引き返していました。大勢の国境警備隊員たちが大真面目に監視していてあまり近寄りたくなかったからです。遠目でもピリピリとした緊張感が伝わってきて、弛緩した精神に渇を入れるような効能がありました。
同じ旧東側でも、旧東ドイツはバイクでの出入国が認められておらず、しかも観光ビザはチェコスロバキアの様に現地の大使館では取れず、国営旅行社を通してのみで2週間前後の時間がかかりました。しかし西ベルリンまで行けば、東ベルリン地区への一日観光ビザはすぐに取れました。
今回は短時間の内にバイクでオーストリア・スロバキア間を2回も行ったり来たりして隔世の感がありました。この世の中には、「絶対」 というものは 「絶対に無い」 と言える事例です。しかし人はその 「徒労」 に違いないプロセス(冷戦時代など)を経ない限り、次のステップには行けない者たちなのかもです。

冷戦時代の想い出 (1)

2013-04-17 10:39:11 | ZZR1400
冷戦時代の想い出、東西の隔たりが真近だった場所(地図中の旗地点)です。オーストリアのウィーンから空港を通り越しての国道9号線は右左に家屋やお店が点在する寂れた道でした。この先にはチェコスロバキアのスロバキア側の首都ブラチスラヴァがあって、事前に大使館に行ってビザを取らなければ国境を越えられないラインがありました。
先日、その国道9号線を再び走ってみました。最後に走ったのは89年だったと思います。あの頃のバイクはスズキのナナハンでウィーンナンバーが付いていて、今回はカワサキの1400GTRでドイツナンバーです。24年後に再びバイクでこの街道を走る事になろうとは、特に考えもしませんでした。感想を訊かれれば 「感無量」です。
あの頃のチェコスロバキア国境へのオーストリア人の常識は 「この先少なくとも50年間は閉じたままだろう」 が普通で、90年前後に行き来が自由化するなんて夢想だにしない人がほとんどでした。ウィーンには今も昔も大挙して日本人観光客が来ていますが、当時この街道を通る観光客はまず居ませんでした。
写真奥に高速道路の併記が見られますが、時代は移り変わり、西側に開国後に分国したチェコもスロバキアも今や欧州共同体の一員で、スロバキアでは既にユーロ通貨が使われ、互いの行き来も移住も就労も完全自由化されています。今回は空港迄だった筈の高速道路が隣国まで延びていて国道9号線を探しました。

遂に欧州でもバイクシーズン到来

2013-04-15 06:00:54 | ZZR1400
今回の欧州の冬は一ヶ月は長引いた冬でした。しかし、先週から雪が止み、雨が数日間降って、冬の間に道に撒かれた大量の塩が流され、一昨日から日中の温度は20℃前後で、しかも連日晴れの予報です。
ちょうど、先週末に女房の大親友の50歳の誕生日会があって、家族全員で招かれていました。ドイツ人にとって50歳は人生最大の節目、大抵の人は友人知人親戚筋を集めての大誕生日会(40人前後な規模)を、馴染みのレストラン等を借り切って開きます。プロの司会で催し物目白押し、料理も抜群な誕生会でした。
女房と娘はクルマで、私はバイクで向かって、日曜の昼に私はそのまま南下しています。女房たちは夕方まで大親友の家でノソノソしていたようです。一昨日は我々全員その大親友の家に泊っていました。
私が昨日に泊ったのはチェコの国境沿い(ドイツ領)にある古城ホテルで、牽引用のガレージを空けてくれてバイクを収めてくれました。田舎の人は本当に親切です。そこで今シーズン(アスパラのシーズン)3度目の茹でアスパラ(400g)を食べました。お酒は呑まずに、デザートを頬張り、仕事してました。
今日の午前中は「森鴎外」縁の地(ドイツで軍医研修を受けた周辺)を回ります。彼の文学に大きな影響や数々の題材を与えたドイツのこの地は、デーべン城周辺です。これも仕事なんですが、バイクで回っていると遊んでいるように見えるようです(笑)。

疲労困憊

2012-10-08 19:17:50 | ZZR1400
昨夜は 「疲労困憊」 でした。アウトバーン上での外気温2度、どうにもなりません。この外気温の中でバイクを走らせるのは、厚着して冷凍庫の中に入るのと一緒です。「体からの発熱が間に合わない」 のです。

寝不足で出発したので、この写真の場所で1時間ほど熟睡しました。夜中の3時過ぎでお客も居ないレストラン、飲み物などを買う時に50%近いチップ(と言っても300円ほど)をあげたので 「暗黙の了解」 があったと信じます。「見て見ぬ振り」 をしてくれたのでしょう。

おかげさまで目的地にほぼ時間通りに着けて、用事も済みました。でも、今晩はここで泊ります。行って帰って約1千キロ。女房が 「なぜもっと早く出発しないの?」 って毎回の様に私に 「言って聞かせる」 のですが、出発直前まで 「いろいろ」 とある、のです(苦笑)。



光と影

2012-10-04 23:04:40 | ZZR1400
出張の折に自分とバイクの影をアウトバーン上で見ました。西日になりかけた太陽を背にして走った際にでした。カーブで方角が変わってしまってまもなく消えてなくなりましたが、また出て来て、そして消えて、何度も繰り返して、後に曇り空から夜になり、彼らは二度と出てこなくなりました。ただ、それだけのことだったのですが、今見ると懐かしく思います。「単なる一現象」 だったのですが、「思い出の一ページ」 に成り得るある種の 「重さ」 がありました。

「もういい」 、でも、しかし、また ...

2012-10-04 21:17:32 | ZZR1400
昨晩、大切な用があったとは言え、「もういい」 の気持ちになりました。夜中にイタリア北部の峠を越えてオーストリアを縦断しドイツ南部にある家に辿り着きました。ライダー用の革ジャンの下には3枚重ね着、膝から下全体を覆うハードな防護パッドが入ったズボンの下に股引、更に雨が降らない予報なのに雨合羽の下で防寒対策をし、今回のバイクはグリップヒーターもグリップガードも付いているタイプでしたが、昨夜はとても寒かったのです。

峠の上での最低気温は6度でした。8度を下回った辺りから、腰下に「冷感」を覚え始め、それを超えるとまた無感になる、不思議な体験でした。温かい飲み物などは無論、休憩する所さえありません。停まること自体が「無謀」に思えます。停まったとしても、エンジンかけたまま、バイクに跨ったまま、メットもグローブも取らずに、シールド全開だけが唯一許される感じです。

バイクで18時間以内に用事も済ませて走りきっての約1200キロ、その後でクルマに乗り換えて約800キロ、女房が電話で「あんた仕事してんの、走っているだけと違うの?」なんてとぼけたことを訊いてきます。「おまえ、何年俺の女房してるんだ!」 と言い返したくなる気持ちをグッと押さえて、「ああ、仕事は順調だよ」 と紋きりな返事をしてました。

この元写真は、ドイツ領のアウトバーン上で給油してピーナッツを食べながら椅子で休憩していた時のものですが、この野外席が「生暖かい」と思えたほど、真夜中の峠道は寒かったのです。この冷たいはずのアルミの椅子の上で半時間ほどうたた寝したと思います。そして、寝入りばなに 「もういい」 って思いました。

人は不思議な生き物で、「疲労困憊の中での弱音」 を何かのきっかけで忘れたりもできるんです。ピーナッツを頬張りながら 「風の谷のナウシカ」 に出てくる「チコの実」 を想い滋養を感じたり、iPhone でのチャットのお相手が 「寒さはある種の集中力生みますよね」 と書いてくれば、「ああ、そういう風に考えればまだ走れるかも」 と思い返せたりしました。

少年の頃の自転車でのツーリングは、「行ったら同じ距離だけ帰って来なければならない」 を強烈に自覚させてくれた出来事でしたが、結局バイクでも一緒です。自転車より十倍程も距離は稼げるかもですが、かかる時間や手間は違わないような気もします。つまり、ある地点を過ぎた所で急速に増大する乗り手への負担は一緒でしょう。

人の気持ちは状況によっては二転も三転もし、流転し続けたりさえします。外見がどうであっても心中での様子は誰もが似たり寄ったりだと思いたい。「弱い」 とか 「強い」 とかでないもっと温かみのある言葉が欲しい、なんて時々考えながら、これからも珍道中は続いていきます。何もかも 「人の世の常」 で割り切れるならば、説明できるのであれば、嬉しいのか悲しいのかさえ、今の所よう知れません。

新型ZZR1400

2012-06-12 13:44:15 | ZZR1400
新型ZZR1400、と言っても既に発売から既に数ヶ月経ちましたが、今週末に千キロちょっと乗ってみる機会があります。この記事も1ヶ月ぶりのアップで、途中に「ご心配頂いた方々」 「お返事が滞った方々」 にお礼とお侘び申し上げます。体調イマ一で、多忙さも理由でしたが、最近あることがキッカケで 「再大減量中」 でして、「男子三日会わざれば刮目して見よ」なんて知り合いも出てくると思われます(笑)。

このバイク、このブログが始まった 「そもそもの理由」 で、旧型(当時は最新型)を手に入れたことで、今までに1700記事以上もアップするに至っています。その間の話題は 「四方八方」 に飛ぶに及んでおります(苦笑)。しかし、本当に色々な出会いがこのブログから生まれましたし、今後も生まれるでしょう。インターネットは 「はかなさ」 が伴いますが、日本語の 「一期一会」 とは、本来は 「はかないものだからこそ、大事にしたい」 が基本な筈で、通ずるものがありそうです。

いつか

2011-12-11 18:33:47 | ZZR1400
ZZR1400の事故車、バラバラでした。2006年に目の前で見た車両でしたが、自分の車両の納車直後に見せられたものでした。ショップのオヤジさんは私の事を心配して見せてくれたのでした。共感するような気持ちは湧いたのですが、内心は 「他人事」 として受け止めようと必死でした。このバイクは自分にとって 「特別」 でした。初めての時速300キロがかかっていたからです。それも公道で、堂々と違反にならない環境がここドイツにはあります。「捕まるかも?」「捕まったら?」の類の悲壮感は皆無ですので、それよりも、その時の 「達成感」 だけを夢見ていました。

最初は、フル加速すると 「腕が持っていかれる」 様な感じで、昔のアメリカのアニメでチープな自動車に大型エンジンを積んでフル加速したらエンジンが飛び出て行ったのシーンを思い出したりしました。しかし、それもいつか 「慣れてしまった」 のです。そして、「もっと」 の加速感を求めて、全段でリミッターを外し、最高速リミッターを切り、谷間のある 「おためぼかしの加速感」 なんかとは 「おさばら」 すべく、 「一次関数での傾きの大きい右上がりな直線」 を目指しました。そしてそれは実現できました。

その内に、アウトバーン上で見かけたパトカーを思いっきりぶち抜くとか、時速200キロ超の速度域で大排気量車を散々にブロックしまくった後で引き離すとか、後ろからあおりまくった後で車線を譲られたのに、左カーブで時速250キロ超(ポルシェ以外のドイツメーカーの製造上の紳士速度協定は時速250キロだから)も出ているのに、顔を右側に向けてクルマの左席のドライバーにガンを飛ばす、なんてことに夢中になった時期がありました。尋常でない中間加速、張りぼてで無い時速300キロ、でもそれでもいつか 「退屈」 に感じるようになるんです。どんなにマシンを速くしても ...そしてつい 「余計な事」 に手を出す。大変な危険と隣り合わせになっている事に気が付かないで無感覚になっていったのです。

いつか、日本のあるバイカーたちの 「お泊り会」 があって、伊豆の田舎の漁港の旅館で一泊したことがありましたが、夕飯の後での酒盛り中の話が、「如何に(XX)XXXーをブチッ切ったか」が半分以上で、その臨場感は本物でした。その速度域でのバトルでしか分からないマシンの挙動なんかの表現がドンピシャなんですね。そこに居たライダーたちは皆それなりの仕事に就いていて、家族も子供の居るオヤジたちなんですが、現代の 「ジキルとハイド」 ですね。皆、隠し持った音叉を共鳴させながら夜が更けていきました。

アリバイ的な発言を繰り返したところで、「こんなバイク」 を欲して、それを買ってしまうようなライダーが 「普通」 である訳がないと 「自白」 します。でも、それは 「狂っている」 という様な一方的に 「ネガなもの」 ではなく、誰も持っている 「ある種の狂気」 、その巨大なエネルギーを比較的安全に 「昇華」 してくれるもの、が ZZR1400 ではないでしょうか。ドイツではアウトバーンの速度無制限区間を疾走することが「社会的に認められているそれ」 であったりします、これは公然としたドイツの為政者の狙いです。速度無制限のアウトバーンは 「社会の安全弁」 なんです。

いずれにしても、こんなマシンを、ネクタイ締めたエンジニアの皆さんが大真面目で図面を引いたりして造ってくれているメーカーさんに感謝、感謝です。でも、いつか、もし、万が一、その 「いつか」 が来たとしたら、誰を恨むことも無い、すがすがしい気持ちで逝きたいものだと思います。でも、生き延びましょう、どんな状況下でも、決して最後まで諦めずに ...どうにもならない場合もあるでしょうが。しかし、そのエンジニアの皆さんも 「同じ穴のムジナ」 と言ったら、「ニヤッ」 とされるだろうという 「確信めいたもの」 があります(笑)。

フランクフルトの路上で

2011-12-09 21:03:03 | ZZR1400
出張先のフランクフルト、そこの夜道で見かけたこのバイク、「大事にされたバイクだな」 と思いました。年式の割りにしゃきとしていて、あいにく iPhone しか手元になく、しかし一生懸命に撮ってみました。後で考えてみると「何を興奮していたんだろう?」って思います。色々と理屈をくっ付けてみるのは簡単ですが、なるべく自分の心を見透かしたような「辛口批評」をしてみたくなり、ふとしたきっかけで考え直しています。その瞬間の記憶が枯れてしまう前に、なんとかしたくて仕方がありません。

「自分とバイクを重ねたのではないか」 と、今では信じるに至りました。どういう意味で重ねたのかと言うと、「年式の割りにしゃっき」 でしょう。「似た者同士」 に遭遇した際の「小感動」 のようなものです。欧州に来て「歳の割りに若く見える」と言われ続けて来たのですが、モンゴロイド系は白人に比べて若く見えるのです。しかし、30歳代で「若く見える」は肉体的にもまだ若いので気にもならず、40歳代で「若く見える」は気持ち的には「相応」かなと、しかし50歳を過ぎての「若く見える」はギャップを感じます。

「もう若くない」と分かっているのに、相手は本気で「若く見える」と言うので、その狭間に落ち込んで「落ち込む」のです。本当は、もっともっと「元気なオヤジ」で居たいのですが、「人生の折り返し」なんて言葉の薄っぺらさはとうに見抜いていて、残りの時間が短い予感があります。どの位かと言うと、半分の25年も怪しく、元気で居られるのはせいぜい15年か。それでも「希望的観測」のカサ上げ感があります。バイクに限ってみると、「速く走れなくなった」 ら、「面白さ半減」でしょう。

このブログ、2006年からお読みの方は重々ご承知ですが、「時速300キロの夢」実現の為に、またそれを記録する為に立ち上げたのでした。そして、それを達成してしまったらどんどん弛緩していき、目標を失った気がしています。20代に突破した時速200キロ、40代で時速300キロ、20年に一度のステップアップがインターバルなら、時速400キロは20年後、とても現実味はありません。「夢が無くなったオヤジ」になってしまうのが怖いのです。だから、どうしても次の目標を設けてみたくなったのですが、今はそれがまだハッキリしていません。

燃料ポンプを頼まれました

2011-11-28 22:28:32 | ZZR1400
先日にある知り合いからメール頂き、燃料ポンプを頼まれました。日本では公式には売られなかったバイク用の物です。不動で困っているようでした。オリジナルのボッシュ製は高いので、ドイツ製の類似品を送ってあげるつもりです。大きさと吐出量が似ていて、カプラー形状が一緒なら転用できるからです。

写真の燃料ポンプは別車両の物で、真ん中はカットモデルですが、左隅の歯車の回転で燃料を送っています。一番下がその知人が送って来た 「壊れた燃料ポンプ」 の写真です。現代のバイクでは他の部品とインタンク式のアッシー交換となる部分ですが、中古車を買った時の新品交換は大きな効果があると思います。なぜならこの部分は劣化して行くだけの回転部分ですし、不動の理由に関わらずじっと置かれたままになっていたバイクでは燃料が腐っていたでしょうし、アッシー部品の中での燃料フィルターは交換不可能なタイプが多いので、「汚れによる目詰まり」 もあります。いずれにしても、劣化が進み、燃圧が下がり続けて行く中で、それでもお構い無しで使って行くと、燃料が薄くなって行って高回転域でブローし易くなるでしょう。レギュレーターは高過ぎる燃圧を下げることはできても、低すぎる燃圧を上げれる様にはできていません。

でも、売る方は既にその車両から 「心が離れている」 でしょうし、買う方も 「なるべく安く」 で、この部分のアッシー交換(高額)など、「夢のまた夢」 となり、「いろいろ直したんだけど、今一調子が出ないんだよね」 なんてことになり、しかし原因は 「迷宮入り」 なんてことにもなるかも知れません。

たかが燃料ポンプ、されど燃料ポンプですね。

チューニングを極める方法の一つ

2011-11-22 23:46:13 | ZZR1400
「サブコン」 の一つ、しかし世界標準と言えるパワーコマンダーやワイドバンドコマンダーなどを駆使して自分にとって最適な空燃比取りに挑み続け、馬力もトルクも 「最高」 へ、また定期的な補正も繰り返しながら、ずっと 「チューニングを極める方法」 について考えて到達した結論、「正解の一つ」 に違いないのは、意外な内容でした。

それは、「基本に帰る」 です。この写真は現代のバイクのインジェクションシステムですが、言わずもがな 「空燃比」 の内の 「燃」 の主役です。インジェクションは100年もあるアイデアで、ドイツのボッシュ社が製品化して既に90年近い月日が経っていて、ボッシュ社の考え方が事実上の 「世界標準」 です。そんな古くて新しいシステム(電子制御式)での要素は4つだけ。

1)タンク (Kraftstofftank)
2)ポンプ (Kraftstoffpumpe)
3)レギュレーター (Druckreguler)
4)ノズル (Einspritzduesen)

ボッシュ式のインジェクションシステムの燃料系統にかかっている圧力はせいぜい3気圧止まり、しかしその圧力が 「一定」 そしてそれは 「ほんの少し」 のチューニングの余地があります。つまり、「理想の空燃比」 を生かすも殺すも 「燃」 の側では 「燃圧」 が規定圧力に達していて、しかも安定している事が必須になります。しかし、普通はこの燃圧を図るようなメーターやセンサーは付いていない車両が圧倒的ですから、それを付けるのです。また、安定も大切ですが、燃圧を高めの方向にふる(レギュレーターの交換)や、そのバラツキも考慮する、チューニングができそうです。

ノズルから噴霧される燃料が十分に細かくて最適な量の空気と混ざり爆発させる、それが理想の空燃比を取った甲斐があったことに繋がるでしょう。「空」 の方は、「気圧センサー」 や 「吸気圧センサー」 が正確に作動してくれていることを確かめれば、あとはECUの仕事になります。

ZZR1400 の新型にはターボもスーパーチャージャーも付いていません。排気量アップをしたとはいえ、きっといろいろな箇所をまじめに見直した結果のパワーアップなのでしょう。「派手な手段」 をとっていないことで、返ってその質感を高めそうです。自分の固体は現行の市販車より一回り上、今度の新型はそのまた上を行くのでしょうから、クルマで例えると、GTR の チューンド32 が 33 に追いつかれ、34で超えられてしまった、のような感じです。果たして、チューンド32 が 34 と肩を並べられるようになるのか? 案外、チューンド32 から 34への乗り換えの方が簡単そうです。しかし、そうすることで 「本当の事が分かる」 ことから遠ざかるような気もします。

自然体

2011-10-23 19:32:21 | ZZR1400
このバイク、そして持ち主も 「自然体」 でした。このバイクで主にフランスのアルペンを走り回るのだそうです。「舗装路」 ではないことは確かですが、テントを積んでいって2~3週間の休暇を楽しむとかでした。ガソリンはいつも何とかなるそうです、そんな環境でも。

うーん、と唸ってしまいました。というのは、自分自身オンロード派で、どこかオフロードに興味はあるのですが、彼らがテントを張るような所、それも一人で行っても平気なのには驚いてしまうのです。

アルペンの山のてっぺん、それも見渡す限りの山々の中で見る 「星降る夜空」 そんな所には 「登山」 では行った事はあるものの、バイクで、一人で、テントでの野営、なんか 「ロマン」 を感じます。ある意味、「最高の贅沢の一つ」 なのかもです。

明るいガレージの中で立てられていたバイク、地元のバイクグループの飲み会でしたのでビールを飲みながらウロウロしていましたが、持ち主と話している内にどんどん彼の話の中に自分が引き込まれていくのを感じました。


アルペンの道 (三道三様)

2011-10-13 18:01:10 | ZZR1400
アルペンの道は3つ分けられて、「峠道」、「谷道」、「細道」 の3つです。地元でだけで買える地図に、「冬季通行止め」 「キャラバン通行禁止」 の印が付いてあるのが 「細道」 です。

峠道は詰まっていなければ 「言わずがな」 ですが、谷道はよりスピードが乗って面白く、景色も下から見上げる高山たちの姿が、「絵葉書」 となり易い峠道での対面の景色と違って、とても新鮮です。細道に至っては 「ちょろっと走りに来たよそ者」 には縁が無く、しかし、「峠道+谷道」 を足したような面白さがあります。峠道が 「初級」 、谷道が 「中級」 、細道が 「上級」 なんて感じです。

写真は 「谷道の始まり」 で撮ったものですが、「これから通る村々や、村と村を繋ぐ道々」 に想いを馳せて 「武者震い」 します。純粋にオンロードでないマシンなら、地図にかろうじて載っている未舗装道を上がった先の峠で火を起こしコーヒーを沸かしたり、食事を作ったりもできます。ただ、そのような人気の無い場所への単独行はお勧めしません。

今年も、もう 「秋」。あと三週間程で 「冬」 が始まって零下な日々が続きます。しかし、冬があるからバイクシーズンの始まりの春が輝くのもバイク乗りは知っていて、来年のツーリングの予定を 「飲み会」 で花咲かせる季節が到来です。今年は数日も乗れなかったバイク、仕事が押していたとは言え、「もっとなんとかならなかったのか」 の反省があります。

岐路に立つ

2011-10-06 03:41:44 | ZZR1400
今週の月曜(祝日)、家から既に500キロ近く走ってきてしまって、この写真の時点で既にお昼過ぎ。右に行けばステルビオ峠(passo Stelvio)とあり、「ここまで来たのだから、遠回りになるけれども、いっちょ通っていくか」と、少し停まって地図を広げて思案していました。真っ直ぐ行って帰路につくか、もう少しツーリングしていくか、でした。

峠の天辺は2757mで舗装された峠道としてはイタリアでは最高度な峠道、欧州アルペン街道でも2番目、最大傾斜15%、総延長約50キロの堂々たるものです。でも、峠には行かずに帰路に着きました。まだ家まで約500キロもあり、その半分以上は田舎道で、大型連休で晴天続きで明日からは平日と来れば、イタリアからオーストリアを通ってドイツに戻る大渋滞が予想されたからです。

予感は的中して、途中10回程の大渋滞に巻き込まれ、峠道では対向車線走りまくり、高速でも2車線の真ん中をくぐり抜けまくり、昼飯も夕飯も給油の際にお菓子類をかじっただけで済ませましたが、家に着いたのは夜の22時を回っていました。峠に行っていたら大回りになったので翌朝の帰宅になっていたでしょう。

バイカーにとって 「岐路に立つ」 って、「決断を迫られる瞬間」 です。ものの数秒の事もあるし、数分かけられることもあるでしょう。でも、数時間は無いと思います。だからこそ普段使わないような脳の領域まで(笑)使って様々な想いが去来しながらの取拾選択になるのですが、捨てるものが取るものに比べて 「魅力的」 な場合には 「残念な気持ち」 が生まれ、引きずりさえします。

1990年7月19日に立っていた場所

2011-10-05 04:07:49 | ZZR1400
この写真は今週の月曜(祝日)の昼のものですが、1990年7月19日にもここに立っていました。家から約500キロほど離れた場所です。当時、ここには女房も立っていました。新婚旅行の途中で立ち寄った 「水に浸かった教会」 があるレッシェン湖です。

21年前にも欧州でバイクに乗っていましたが、当時のバイクはスズキのナナハン、でもここには女房とクルマで来たのが最初で、バイクでは初めてでした。その後にバイクで来るような予感はありましたが、21年もかかった勘定です。

風光明媚な場所で、「天気のいい日にバイクでのんびり走る」 には最高です。今回は1泊2日の早回りでの千キロほどの個人的なツーリング(今年二度目)でしたので、「のんびり」 はできなかったのですが、「素晴らしいキャンプ場(テント可)」を見つけたので、来年に長期滞在をトライしようと考えています。

「キャンプ場」 と言っても、こちらでの主役は 「自走や牽引のキャラバン」 で、テントは脇役です。でも、食堂、売店、シャワー、電気、ガス、ガソリンスタンド等のインフラがばっちりで、テントは一人一晩数百円な場所代、安全でもあります。

その時々では考え付かないようなこと、そういった事が10年ではなく、20年単位で起こる、は不思議な感じでもあり、小感動もしました。でも、そんな感慨にふけっていたらイタリア人のバスの運転手さんに肩を叩かれ、「ここは観光バス専用の駐車スペースです」 って言われて、そそくさと先を急いだのでした。