ことの初めは、正月7日の一通メールから始まりました。
”あけおめ!”(正月7日になって”あけおめ”もないだろ。) ※()内は私の心の声です。
だいたいこの友人は、普段めったに連絡などしてこないので、直感的に”何かあるな”と。
”ラーメン屋めちゃめちゃピンチやねん。”(こーゆー場合、ほんとにピンチ。)
そう、この友人本職はお肉屋さんなのだが、昨年ラーメン屋を開業していたのです。
話によると、そのラーメン屋がやばいらしい。
何でも、最初の店長が、昨年8月に突然辞めてしまったようで、店自体は、そこそこ繁盛していたのだが、原価率が56%とラーメン屋としては考えられない数字で赤字続き。”原価を下げてほしい。”と言ったところ、”じゃあ辞めます”と。
なんでも、インスタントのスープを使っていて、そのスープ代だけで40%の原価を占めていたらしい。
それから、しばらく店を閉めていた時に共同経営の話が持ち上がり、洋食系の会社の社長と共同経営を始めたのだが、このラーメン屋が、いまいちで、トマトのつけ麺や洋風生春巻きなど、何の店かわからないようになってしまったそうで、売り上げ低迷で赤字続き。
そんな時に、あの”あけおめ!”のメールってわけです。
”美味しいラーメンのレシピ教えてくれへん。”(う~ん)
”わかった、今度の休みに大阪行くわ!”
とりあえず、あてがあるわけじゃないんだけど、友人のピンチは伝わってくるし、まあ、話をするだけでもいいかなと思い、今度の休みに大阪に行くことにしたわけなんです。
その週の週末に親父が倒れたので、大阪へは翌週の23日の水曜日に行くことになりました。
小田原から夜行バスに乗り、一路大阪へ。
私の作戦では、とりあえず試作品を作り、それをたたき台にして新作のラーメンを作り、それをキャンペーンをして売り出すつもりでした。
私のラーメンの腕前は、休みの日に時々ラーメンを作る程度ですから、私のラーメンですべてが解決するとは、考えてはいませんでした。
とりあえず、ラーメンを試作して食べてみます。
まあまあ程度の出来栄えです。
店に出すには、まだパンチが足りない。
ですが、これをたたき台にして新作ラーメンを完成させるしかありません。
いろいろ話した結果、新作のラーメンを作り、店は存続させることになりました。
とはいえ、赤字続きです、そんなに体力があるわけではありません。
後は、人の問題。
店を誰かに任せなければいけません。
課題はいっぱいですが、ここでタイムリミット、新幹線で小田原へと戻らなければなりません。
これからも、友人をサポートできることは全力でサポートするつもりですが、決めるのは友人です。
これからラーメン屋はどうなるかわかりませんが、行方を見守るしかすべはありません。
大阪を後にします。
翌日、1通のメールが。
”さげちゃん、ラーメン屋せえへん?
(俺かい!まっ、流れ的にそうなるか。)
”ちょっと考えさせて”
”う~ん”
考える前から、気持ちは決まっていました。
ラーメン屋は昔からしたいと思っていましたし、9年前に大阪で廃業した串カツ屋のリベンジもあります。
今のリラクゼーションのバイトは、始めたばかりで、収入もそこそこですが、迷うことはありません。
というわけで、
”俺、ラーメン屋やるわ。”
に、なったわけです。
とりあえず、2月末に大阪に単身乗り込みます。
急転直下、断食家がラーメン屋になります。
ブログも”ちょっと待った、そんなのラーメンとちゃう!”
にはしません。
断食とラーメンのセットで行きます。
佐下橋聡 拝
”あけおめ!”(正月7日になって”あけおめ”もないだろ。) ※()内は私の心の声です。
だいたいこの友人は、普段めったに連絡などしてこないので、直感的に”何かあるな”と。
”ラーメン屋めちゃめちゃピンチやねん。”(こーゆー場合、ほんとにピンチ。)
そう、この友人本職はお肉屋さんなのだが、昨年ラーメン屋を開業していたのです。
話によると、そのラーメン屋がやばいらしい。
何でも、最初の店長が、昨年8月に突然辞めてしまったようで、店自体は、そこそこ繁盛していたのだが、原価率が56%とラーメン屋としては考えられない数字で赤字続き。”原価を下げてほしい。”と言ったところ、”じゃあ辞めます”と。
なんでも、インスタントのスープを使っていて、そのスープ代だけで40%の原価を占めていたらしい。
それから、しばらく店を閉めていた時に共同経営の話が持ち上がり、洋食系の会社の社長と共同経営を始めたのだが、このラーメン屋が、いまいちで、トマトのつけ麺や洋風生春巻きなど、何の店かわからないようになってしまったそうで、売り上げ低迷で赤字続き。
そんな時に、あの”あけおめ!”のメールってわけです。
”美味しいラーメンのレシピ教えてくれへん。”(う~ん)
”わかった、今度の休みに大阪行くわ!”
とりあえず、あてがあるわけじゃないんだけど、友人のピンチは伝わってくるし、まあ、話をするだけでもいいかなと思い、今度の休みに大阪に行くことにしたわけなんです。
その週の週末に親父が倒れたので、大阪へは翌週の23日の水曜日に行くことになりました。
小田原から夜行バスに乗り、一路大阪へ。
私の作戦では、とりあえず試作品を作り、それをたたき台にして新作のラーメンを作り、それをキャンペーンをして売り出すつもりでした。
私のラーメンの腕前は、休みの日に時々ラーメンを作る程度ですから、私のラーメンですべてが解決するとは、考えてはいませんでした。
とりあえず、ラーメンを試作して食べてみます。
まあまあ程度の出来栄えです。
店に出すには、まだパンチが足りない。
ですが、これをたたき台にして新作ラーメンを完成させるしかありません。
いろいろ話した結果、新作のラーメンを作り、店は存続させることになりました。
とはいえ、赤字続きです、そんなに体力があるわけではありません。
後は、人の問題。
店を誰かに任せなければいけません。
課題はいっぱいですが、ここでタイムリミット、新幹線で小田原へと戻らなければなりません。
これからも、友人をサポートできることは全力でサポートするつもりですが、決めるのは友人です。
これからラーメン屋はどうなるかわかりませんが、行方を見守るしかすべはありません。
大阪を後にします。
翌日、1通のメールが。
”さげちゃん、ラーメン屋せえへん?
(俺かい!まっ、流れ的にそうなるか。)
”ちょっと考えさせて”
”う~ん”
考える前から、気持ちは決まっていました。
ラーメン屋は昔からしたいと思っていましたし、9年前に大阪で廃業した串カツ屋のリベンジもあります。
今のリラクゼーションのバイトは、始めたばかりで、収入もそこそこですが、迷うことはありません。
というわけで、
”俺、ラーメン屋やるわ。”
に、なったわけです。
とりあえず、2月末に大阪に単身乗り込みます。
急転直下、断食家がラーメン屋になります。
ブログも”ちょっと待った、そんなのラーメンとちゃう!”
にはしません。
断食とラーメンのセットで行きます。
佐下橋聡 拝
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