写真は南三陸町役場の跡。4月2日、全難聴対策本部が被災地支援に訪れた際に撮影。
ろう者に聞こえた「津波警報」
http://school.spophoto.jp/plusvoice/blog/archives/1777
昨日、渡辺さんから防災放送のアナウンスをされた女性、未希さんの遺体が発見されたことを伺いました。
全国的なニュースになった未希さんの勇敢な最後。
マスコミをシャットアウトして行われた葬儀の中、唯一カメラマンとして立ち会わせて頂きました。
MCをしていた僕が、カメラマンとして勇敢なアナウンスをした女性の葬儀に立ち会う。
そして、その防災アナウンスを聞こえない方に届ける仕事をしている立場。
正直、違和感と不思議を感じながら葬儀に向かいました。
小さな湾を一望できる高台のお寺に着くと、そこには僕が尊敬する手話通訳士の半澤先生がいらっしゃいました。
半澤先生は 、仙台の専門学校で手話を教えていらっしゃいます。
いつも穏やかで、私たちの活動を支援してくださっている方。
まさか、ここで出会うはずもない方。
お話しを伺うと、未希さんとご主人は半沢先生の手話の教え子でした。
本当に想像もしなかった出会い。
耳の不自由な方に聞こえない防災放送をしていた未希さんが手話を学んでいた。
想像もしなかった出来事に、鳥肌がたち、涙があふれてきました。
今、僕はコミュニティ放送に対し、聞こえない方にも届けなければならない情報であることを伝える活動をしています。
・ラジオの音声を文字に変えて、聞こえない人に届けること。
そして
・ ラジオを通じて、「この情報は、耳の不自由な方には届きません。お近くにいる耳の不自由な方には必ずお伝えください」というMCを入れてもらう呼びかけをしています。
これまで訪問したコミュニティFM放送局、災害FMの放送局の方々は、僕の話を良く理解してくれています。
耳の不自由な方には情報が届かないと言う、当たり前の事を健聴者がきちんと認識を持つこと。
これが一番の防災対策と考えていました。
名誉の死を遂げた未希さんは、手話を真剣に学んでいた方でした。
ろう者には、未希さんのアナウンスは聞こえなかったかもしれません。
でも、ろう者に届けたかったはず。
(サイトから引用)
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宮城の被災地で聴覚障害者の支援活動に獅子奮迅、奔走しているプラスヴォイス社長三浦氏のブログです。全難聴の現地対策本部を置かせていただくなど、大変ご理解ご協力をいただいています。
南三陸町危機管理課の25歳の女性職員、遠藤美希さん。町が津波に襲われたとき防災対策庁舎2階の放送室から、「6メートル強の波があります。早く逃げてください」と避難の呼び掛けを続けた方。庁舎全体を襲う10m以上もの大津波にのまれ、犠牲となったと伝えられています。
聴覚障害者ともつながりがあったとは。
佐野事務局長や小川も三浦氏とともに4月2日、防災庁舎跡を通りました。人ごととは思えずにいます。(小川)