ウォーナー伝説 (4) “歴史偽造”の現場: ウォーナー博士の法要の報告
法要前の記事に、法要観察記事を追記した。
http://www.kamakura-doujin.com/
ウォーナー恩人説が歴史学的にくつがえされてもなお事実であるかのように毎年故人のありもしない “遺徳” を偲ぶ “空疎な法要” が繰り返される。
今年も6月9日16:00から恭(うやうや)しく執り行われるのであろう。“茶番” である。“無内容な虚飾の儀式” である。古都を愛する団体であることをアピールするための自己満足的な空疎なパフォーマンスである。何の意味も無いことをさも深い意味があるかのように演出する欺瞞的なセレモニーである。
ただ、“歴史の偽造” をまさに目の前で目撃できる貴重な機会かもしれない。
石碑が建立されたのは、恩人説が少しも疑われていなかった1987年であったが、1994年の歴史学者吉田教授の論文およびその後に出版された書籍によって、ウォーナー恩人説にはまったく根拠がないことが明らかになっている。
ウィキペディアが絶対ではないが、いちおう目安にはなる。上のウィキペディアの記事は以下の記述を含む。
「・・・比較文化史家で東京大学名誉教授の平川祐弘は、「外国人に感謝するのもいいが、するなら根拠のある感謝をしてもらいたい。」 「ウォーナー伝説は日本では美談扱いだが、米国では日本人の感傷的な歪(ゆが)んだ外国認識の実例として研究対象にされた。」 と痛烈に批判している。」
“鎌倉同人会” はこうした事実に目をつぶり、ウォーナー恩人説が “永遠の真実” であるかのように、すでに30年にわたり毎年ウォーナー博士の命日に法要を繰り返してきているようだ。もはや同会の恒例行事になっている。
真実に背を向け、自分たちが勝手に建てた “虚偽の石碑” をメンツゆえ死守して “偶像化” し、本人すら否定しているのに “恩人ウォーナー博士” に盲目的にひれ伏しているのだ。無知蒙昧の極みである。知性の放棄である。
伝説の 「白い人の再来」 と思ってスペイン人にひれ伏した16世紀の哀れなインカ民族とよく似たメンタリティがここにはある。
再生産され、既成事実化される “歴史偽造”
鎌倉駅西口を出てすぐ右手の時計塔の横に、問題の石碑がある(水色の楕円)。
この場所で今年もウォーナー博士の法要という “空疎な茶番” が繰り広げられる予定のようだ。鎌倉の一団体による “鎌倉の恥さらし” である。鎌倉市民の知性のレベルが疑われるだろう。
Langdon Warner (ラングドン・ウォーナー)
文化は戦争に優先する
このウォーナーという人物は実在の人物ではある。そして、このように刻まれていれば、誰だってこの人物がこう言ったんだろうと思うであろう。しかし、当のウォーナー氏はこんなことは一言も言っていないのである。鎌倉同人会の “でっちあげ” である。捏造である。 碑文は以下のように続く。
「博士は夙に日本美術および文化を研鑚し造詣すこぶる深かった。太平洋戦争の勃発に際し氏は、日本の三古都をはじめ全土にわたる 芸術的歴史的建造物には決して戦禍の及ばぬよう強く訴えた。そして日本の多くの文化財は爆撃を免れた。博士の主張の成果というべきであろう。われら鎌倉を愛する有志相計り古都保存法制定20周年を機として、ウォーナー博士が歴史と文化の保護に示した強靭な意志を永く伝え学ぶため記念碑を建てる。 1987年4月 ウォーナー博士の記念碑を建てる会」
と建碑の趣旨が彫られ、英文で同様の趣旨がさらにその下の銘板に刻まれている。
どれほどの人がこの碑に足を止めているのかわからないが、古都鎌倉もまたウォーナ氏ーによって戦災を免れたと信じられているようである。このようにみてくると、ウォーナー伝説は今日も依然として大きな力をもっているように思われる。
実際は、上の赤い字の部分はまったくのウソである。これは戦後長らく信じられていた“美談”であるが、実は “巧妙な作り話” であったことが或る歴史学者によって見事に証明されている。
著者吉田守男氏は歴史研究者で、すでに1994年7月に学会誌「日本史研究」に論文 「ウォーナー伝説批判」 を発表している。上の本はこの論文を書籍出版したものである。この吉田氏の研究は、多くの日本人に無邪気にも信じられている “ウォーナー恩人説” に一石を投じたものとして学会では高く評価されている。
しかし、“でっちあげの美談” があまりにもよく出来ていたために、現在でも史実をまったく度外視して “ウォーナー恩人説” という “美談” がさまざまなかたちで語り継がれて、不滅の “都市伝説” となっているありさまである。
“疑い得ない客観的な真実” よりも “よくできた作り話” の方が信じられてしまうという例である。
史実に反する“顕彰碑”を臆面もなく駅前にさらしている鎌倉が、おこがましくも世界遺産登録をめざしているのである。ユネスコも相当ナメられたものである。
門前払いされて当然であろう。
「再挑戦」 もけっこうだが、こういった史実に反するものを駅前にいつまでも放置している鎌倉市には大いに問題がある。こうした “嘘で固めた石碑” が堂々と駅前に立っているような土地柄では、他の史跡も疑われても仕方がない。
鎌倉が歴史を重んじる古都であるならば、まずは、“史実に反するもの” を “撤去” することから始める必要があろう。法要など、もってのほかだ。
(追記: 2018.6.10) この記事掲載の一週間後の6月9日に、予定通り “法要” が執り行われた。その模様を以下にご紹介しよう。
三々五々で集まってきた鎌倉同人会のメンバーと思われるひとたちが、定刻どおり16:00に “法要” を始める。
鎌倉同人会の理事長:富岡 幸一郎(とみおか こういちろう、1957年(昭和32年)11月29日 - )は、日本の文芸評論家。関東学院大学文学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。
総勢15名。男性10名、女性5名。平均年齢は65~70歳?
読経などどこ吹く風でソフトクリームを食べ続ける観光客。さらにその向こうを中国人観光客が通り過ぎる。
住職の読経が終わると、一人ひとりウォーナー博士の顕彰碑の前に出て、手を合わせ、頭を下げる。故人の “遺徳” を偲び、故人への“感謝の念” を新たにしているように見える。たしかに、その石碑には以下のような文が刻まれている。
「博士は夙に日本美術および文化を研鑚し造詣すこぶる深かった。太平洋戦争の勃発に際し氏は、日本の三古都をはじめ全土にわたる 芸術的歴史的建造物には決して戦禍の及ばぬよう強く訴えた。そして日本の多くの文化財は爆撃を免れた。博士の主張の成果というべきであろう。われら鎌倉を愛する有志相計り古都保存法制定20周年を機として、ウォーナー博士が歴史と文化の保護に示した強靭な意志を永く伝え学ぶため記念碑を建てる。 」
実際は、上の赤い字の部分はまったくのウソである。これは戦後長らく信じられていた“美談”であるが、実は “巧妙な作り話” であったことが歴史学者によって見事に証明されている。この石碑はウソで固めたものである。
「鎌倉同人会」 はいつまでも真実に背を向け、歴史を重んじる古都鎌倉の駅前で堂々と “歴史偽造” を繰り返している。
この石碑は鎌倉市の “汚点” であり、“汚物” である。
そして、鎌倉市は、この “汚物” を駅前にいつまでも放置しながら、鎌倉世界遺産登録の再挑戦をめざしている。
ウォーナー伝説 (2) 「ウォーナーの謎のリスト」 というヘタレ映画
“歴史偽造”の現場: ウォーナー博士の法要 & 追記: 事後報告
理事長は、富岡 幸一郎(とみおか こういちろう、1957年(昭和32年)11月29日 - )は、日本の文芸評論家。関東学院大学文学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。
副理事長は、大下 一真(おおした いっしん、1948年7月2日 - )は、日本の歌人、臨済宗円覚寺派の僧侶。瑞泉寺住職。
取り壊せば、自分達が間違っていたことを認めることになるし、仕方なしに惰性で法要を続けているんじゃないでしょうかね。鎌倉市はこの鎌倉最古の団体に腰が引けているんじゃないでしょうか。
歴史的な裏付けのあるものなら意味があるでしょうが、はっきり否定されているようなものにいつまでも引きずられていてもしょうがないですね。なくても全然困りません。
駅前広場に、誰もが好き勝手な石碑を立てていいわけではないはずです。
実際にそういったイメージ通りの異人が現れるかどうかは二の次なのです。
自分たちのもつ “まれびと” のイメージに或る程度合致すれば、あとはこじつけによって微調整されて、理想型にはめこまれてしまうのです。ウォーナーの場合、当人自身が日本人に 「自分は日本の古都を守るために別に何もしなかった」 と正直に再三言っているのですが、「ウォーナーさんは日本人のような謙虚な人柄なので “謙遜” しているだけだ」 と解釈されてしまうありさまでした。
例えば、北九州などは偶然なのか必然なのか原爆投下を免れそれは長崎に投下されたのですが、長崎の原爆の日には北九州にも起こった可能性のあることだと市内でも黙とうや追悼を行う団体も多いのです。
あるアメリカ人のおかげで空爆免れたとしてもそれを記念してアメリカ人を追悼感謝するのは間違いである。
しかもそれがまったく事実ではないのですから、人間の愚かさの極みです。
こうした根拠の無いウォーナー恩人説を真に受ける鎌倉の一部の人間にはじぶんたちの都市には文化財があるから特別扱いされたんだという勝手な “選民意識” がひそんでいます。これはそのまま文化財を特に有しない都市に対する “差別意識” なのです。
注意しなければならないのは、鎌倉や京都、奈良の人間だけでなく、どこの都市の日本人もこのよくできた “作り話” を真に受け、日本はやっぱりすごいんだ、特別なんだ、と思い込んでしまう点です。つまり日本人としての根拠の無い “選民意識” に酔ってしまう惧れがあることです。
うだつが上がらず、ふだんコンプレックスを抱いている人ほどこうした “作り話” に飛びつきます。なぜならば、日本人であるというだけで “優越感” に浸れると思うからです。
戦前に来日して、日本近代建築の恩人という事になっている人だそうです。戦中はルメイの元で、木造建築で構成される日本の街を、効率よく焼き払う研究に携わり、焼夷弾開発のアドバイザーをしていたとのこと。戦後は日本に戻り、再び建築事務所を経営。彼も日本国から勲章を授かっているそうです。日本の叙勲の基準は、よく判りません。