クスリ信仰、医者信仰: 西洋医学は宗教、医者は白衣の司祭
医者や病院から処方される医薬品はわれわれの身体にとっては ケミカルな異物 である。ほとんどが有害な副作用のある毒物 とも言えるものである。
処方されたものでなく、自分でドラッグストアで買う薬も同じで、身体にとってケミカルな異物なのだが、多くの人はこうした薬を何も疑わずに平気で服用している。それは、「病気を治すものが身体に悪いわけがない」 という勝手な思い込み からである。
グローバル企業の製薬会社の宣伝するバッファリン、タミフル、ロキソニン、アレグラといった薬品には巨額な開発費と宣伝費 が投資されており、その回収のために原料費の何百倍という値段がつけられて売られている。さらに、それらは医療体制の末端の医師たちによっても毎日処方されている。
製薬会社はそれらの副作用については申し訳程度の断り書きを非常に小さな文字で説明書に記している。しかし、実際の副作用の無数の事例 の報告はマスコミに出ないままもみ消される傾向がある。製薬会社がマスコミの巨大なスポンサーであれば、不思議はないのかもしれない。
産業革命以来、身体や健康上の個々の問題は、それに応じた薬品を買って服用すれば解決するという、“クスリ” のパラダイム が人類社会に根を下ろした。それが 資本主義の時代 になると、今度は人間の健康増進のためではなく、企業の利益と発展のためにそのパラダイムが利用され、無知な一般大衆は製薬会社の利益と発展のためにさまざまな薬を繰り返し買って飲む “忠実な消費者(リピーター)” という名の奴隷 となっている。
これは製薬会社に限らない。民主主義国家という看板とは裏腹に、ひとびとは世の中の、いや地球上を覆う無数の企業の奴隷 であり、最大の支配者はグローバル企業である。企業、会社が主体であり、その利益と発展のためにひとびとが利用され、騙され、犠牲になることがあるということだ。これが資本主義社会の原理であり、これを知っている人と知らない人がいて、その差は生死を分けることすらある。
資本主義とは資本家が主人であって、そうでない一般大衆は奴隷であるということだ。より厳密に言うと、資本家自身も奴隷である。資本にいちばん操られている奴隷である。資本の論理に支配されている奴隷であるという点では、大会社の社長も一般大衆と同じである。いや、むしろ大会社の社長のほうが骨の髄まで資本主義に毒されているだろう。
もはや主体は人間ではなくなっているのだ。盲目的に自己増殖する資本 が自律性をもって人間を操るようになっていると言える。人工知能(AI) が登場してきたのは、自律性をもった資本にとって、人間よりもずっと信頼性があって、効率がよく、無駄が少ないからである。ロボットや産業用ロボット もそうである。人間がそれらを使っているのではない。人間の代わりに使っているのであり、使っている主体は 資本主義というモンスター なのである。
こうした “資本” つまり “金の支配力” に気づいていないことじたい、その人が完璧な奴隷として日々 “資本” に奉仕しながら生きていることを証明している。「消費者は王様」、「お客様は神様」 という “おだて” を真に受けている精神的な奴隷、つまり ホンモノの奴隷 である。
鎖に繋がれていなければ奴隷ではないと思っているのは 幼稚園児並みのアタマ である。奴隷と言われてもピンとこないひともいるかもしれない。奴隷 とは、とことん利用され、騙され、犠牲にされ、用がなくなれば捨てられる消耗品と言えばわかるだろうか。
囚人 と言ってもいい。家畜 と言ってもいい。管理され、絞り取られる存在である。国民、大衆の健康を犠牲にしても “金儲け” が優先する社会では、ひとびとは表面的な快感や快適さと引き換えに自分の健康を売り渡している。
テレビのコマーシャルで宣伝されるジャンクフードや飲み物をスーパーで買ってくるのが当たり前になっているひとたちはこのことに永遠に気づかないだろう。
早い話が、製薬会社や医者にとっては、健康人よりも 病人こそ常に存在してくれなくては困るのだ。誰がこれを否定できようか。彼らにとって病人こそ自分たちの繁栄のためにそこらじゅうにいてくれなくてはならない価値ある奴隷なのである。
治りにくい病気 こそリピーターを創出してくれるではないか?新しい病気 も新薬の開発・販売の好機であり、新規患者の創出につながるいじょう大歓迎というのが本音ではないか?実際、エイズ、HIV はビッグファーマ(グローバル製薬会社)のファイザー Pfizer社 が遺伝子工学によって秘密裏に作り出し、蔓延させたことを突き止めた研究者がいる。Pfizer社 がエイズ、HIVの治療薬の特許を所有し、莫大な収益を得てきていることは言うまでもない。今日の医療制度下にあっては、まともな医者ほどジレンマに陥る。
薬の副作用や誤った治療法が病気を悪化させ、その結果さらに別の薬や治療法が必要とされ、2次的利益を創出する場合も少なくない。ビジネスモデルとしての 複利的マッチポンプ である。
製薬会社と医者・病院は結託して表向きは治療、健康を売り物にしながらも、一般大衆を食い物にして繁栄している面がある。無知な大衆の“クスリ信仰”と“お医者様信仰”に乗じて自分たちの利益のために消費者や患者を騙している場合も少なくない。
自分たちの利益拡大、さらなる利潤追求のためにわざと病気を長引かせ、悪化させるばかりではない。積極的に病気を “発見” したり、“発生” させたりする方法 も知っており、まったく疑わない患者を相手にしていれば実際にそうしてしまう誘惑も日常的にある。もっと患者を増やし、それをさらにリピーターにすれば、ベンツからBMWに買い換えられる。そしてBMWからさらにポルシェに買い換えられるのだ。
はっきり言って、製薬会社や医者にとっては、治りにくい病気ほどウマミがある。 一生涯ずっと治療が必要だったり、死ぬまで薬を飲み続けなければならないというのが医療ビジネスとしては “理想のかたち” である。そして、実際は簡単に治る病気を治させないで、いつまでも治療や投薬を続けさせているケースも少なくない。
たとえば、一般に“治らない”とされている糖尿病は医療の世界ではビッグマーケットであり、“定期的” な検査、投薬、透析 は 笑いのとまらないほど儲かるビジネス になっている。しかし、これが実は簡単な方法で治り、予防もできることが、ある一人の型破りの医者によって明らかにされた。 「炭水化物が人類を滅ぼす」 夏井 睦
今日の医療制度下にあっては、まともな医者ほどジレンマに陥る。
こうした無慈悲で悪辣な資本の論理が横行する世の中にあって、一般大衆のアタマは常に無防備な幼稚園児レベルである。“おまわりさん” は “悪いひとをつかまえるひと” と思われており、“お医者さん” は “病気をなおすひと” であり、“病気になったらクスリを飲むものだ” と1000人中999人は思っている。
警察や検察 が巨悪の手先になって、権力に不都合な人間を巧みに陥れることもある ということを知っている人間がどれだけいるだろうか?同じように、医者や製薬会社 が現在の医療制度における自らの既得権益を守り、さらに拡大するために ひとびとを不健康な状態に陥れることもある ということがわかっている人間がどれだけいるだろうか?おそらく千人中1人もいないであろう。
そうした、物事の両面を冷静に見る、バランス感覚のある少数派 の方こそ、世の中では “偏った見方をする” とか、“ひねくれた見方をする” か言われてしまうありさまである。しかし “幼稚園児たち” の中で孤立しても、まともな成熟した考え方の持ち主 は絶望することはない。真実はひとを強くする。真実はひとに希望を与える。
たしかに西洋医学一辺倒には多くのリスクがある。しかし、かと言って、西洋医学を全て否定したり、一切拒絶する必要もないだろう。
たとえば、交通事故で大ケガをしたら、西洋医学の真骨頂ともいえる外科手術を拒否する理由があろうか。代替医療一辺倒にもリスクがあることを忘れてはいけない。しかし、世の中は最初から西洋医学一辺倒に大きく傾いていて、多くのひとは知らず知らずのうちに “医療=西洋医学” と思い込まされている。
西洋医学があまりにも支配的になってしまった今日、その聳え立つ医療システム のあり方に多少でも疑問を抱く人が 代替医療の世界 に分け入るのは自然なことである。個々の問題に直面しながらも、その解決のために もっとさまざまな選択肢 を求める自由は誰にでもあるだろう。
医者が出したクスリはキッチリと検証するべきです。
最近はネットの発達で何でもスグ調べられます。イイ時代になりました。
調べてみると、医者が出すクスリは大半が抗生物質かステロイド(副腎皮質ホルモン)であることに驚くことでしょう。
実はタイテイの病気にはこの2つ(のいずれか)が処方されます(とりあえず抗ウイルス剤も抗生物質のくくりにしておきますネ)。
医者もそんなにキッチリと考えてはいないのです。
こんな利権は手放すわけありませんよね。
現代の医療は、根本的な治療するのではなく、患部の症状を和らげる応急処置のものばかりで、継続的に薬の服用を促すものばかりだと感じます。
メディアも、無駄に太らせるものばかりの広告を打ち、その裏でダイエットを促す広告を打つ。
健康な人に不健康になるよう促し、更に不健康になる様に促す。
まさに、デススパイラルの様に感じられます。
商業主義的なマスコミから自分の頭脳を “遮断” し、“保護” する不断の努力をしていないひとたちは、必然的に染脳され、身を滅ぼしていきます。
要するに、“染脳” されるとは、今日においては、“誘惑” されるということです。資本主義的な快楽によって “誘惑” されるということなのです。
美味しいものを好きなだけ食べて病気になれば、西洋医学で治すことです。どちらにしても、たくさんお金を使うように今の世の中はできています。
本当は必要ないのに、買わなければならないとう脅迫。
例えば、車や家もそうだと思います。
特に日本は、みんなと同じ物を求めさせる様に誘導させられていると感じます。
今ですと、職場では、よくサッカーの話題が上がりますが、その輪に入らなければならない様な脅迫観念を感じてしまいます。(輪に入ってないんですが)
スポーツという、実りがない物に時間や意識を持って行かれてはならないとも感じます。(あくまで個人的な意見です)
消費者に不必要なものをいかに売るか、いかに買わせるかをめぐって企業は熾烈な競争をしているのです。
日本では、マスコミでの “共通の話題” が特に重要で、会話に入らない、もしくは入れない人間に対し、無言の排除圧力がかかってきます。話題といっても、スポーツ、芸能、三面記事的事件といった、非政治的な “無難” なテーマが好まれます。
しかし、視野を世界に広げると、それで人類は幸せなのでしょうか。
無駄な消費によるしわ寄せは他の国によってしまいます。
また、必要のないものを買わされた大衆は収支のバランスが取れず、いつまでも、豊かになれず、常に金銭の奴隷になってしまいます。
このスパイラルをどうにか断ち切れないものなのか。。。
いつも考えてこんでしまいます。
わたしはずいぶん前にその悩みは捨て、せめて自分の同類の自脳層の救済に役立つことができるだけでも意味があると考え直しました。このブログはそうしてできました。自分にできる範囲のことにつつましく落ち着いたのです。
誇大な理想に執着して挫折を繰り返すより、つつましい理想を少しずつ実現する道です。
ありがとうござます。
まずは、自分の出来ることからコツコツとやっていこうと思います。