ニース暴走トラック事件(6) 消えたフロントパネル:重要な“物的証拠” のはず
止まったトラックを警察が包囲した時点で、このトラックにはすでにフロントパネルがついていなかったと思われる。
今回の事件で使用されたとされている Renault Medium の同型車
消えたフロントパネル
わたしが問いたいのは、このトラックのフロントパネルはどこへいったのか、という点である。
なぜわたしが、このトラックのパーツにこだわるかというと、それが今回の“事件” における非常に重要な証拠物件であると思われるからだ。
どうして “重要な証拠物件” であるかというと、そのフロントパネルには、このトラックが今回の死傷者数387名のうちの大部分のひとたちとの 物理的接触の痕跡 があるはずだからである。
今回の“事件”の“主役”であるこのトラックのさまざまな写真を見ても、フロントパネルがついている写真は無い。となると、 以下のいずれかではなかろうか?この3つ以外の可能性があったら、ぜひご指摘頂きたい。
A “暴走”が始まる前からなかった。
B “暴走”の途中で脱落した。
C 犯人射殺後、警察が外した。
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A フロントパネルは、そもそも“暴走”が始まる前から外されていた。
まず、A だとしよう。そうすると、“暴走トラック”は387人の人々に襲いかかったことになっているわけだから、当然トラック前面は最後に停止した時点で、犠牲者たちのおびただしい血糊で覆われていたはずである。とにかく84人を殺したと報じられているのである。しかし、どの写真を見てもそういうものはない。Why not this way? はフォトショップ済みの写真。
しかし、そもそもトラックによる人々に対する攻撃が実際はなかったのなら、右の写真と以下の写真1、2 のような状態でも何の矛盾もないことになる。
写真1
写真2
B フロントパネルは、“暴走”の途中で脱落した。
次に、「途中で脱落した」 という可能性もじっくり検討してみよう。
その場合、当然フロントパネルは 2キロほどの長さの海浜遊歩道のどこかで落ちたことになろう。しかし、この“殺人トラック”は387人を毒牙にかけたとされているわけだから、当然トラックのフロントパネルは“暴走”のスタート地点から最後の停止地点までのあいだに次第に犠牲者たちとの物理的接触を重ねるにつれて、その痕跡によって覆われてきたはずである。つまり、白いフロントパネルはだんだん赤くなってきたはずである。しかし、トラックが停止した時点では上の写真1と2のような状態であるならば、フロントパネルはほとんど “攻撃” が終了した時点で脱落したことになろう。
フロントパネルは“犯人”が使った血にまみれた“ゴム手袋” のようなものである。重要な証拠物件である。
さて、フロントパネルが“暴走”の途中で脱落したのであるならば、それは当然路上に落ちているはずだ。それはかなり大きなものであり、誰かがひょいと持ち去ることは考えにくい。事件後の時点にあって、誰が見ても重要な証拠物件であるので、多くの人が写真に撮ったはずである。“憎むべき犯行の動かぬ証拠写真”としてネット上であっという間に広まったはずではなかろうか。しかし、そういうことは起きていないし、そんな写真は1枚も見つからない。あなただったら、どうだろうか?血にまみれたフロントパネルが落ちていたらスマホで写真を撮らないだろうか?
どこで落ちたにせよ、路上に落ちているフロントパネルの写真が1枚も出てこないということが、このB説の最大の弱点である。
実はこの脱落説には、もう1つの弱点がある。それはフロントパネル自体、どんなに衝撃があって、へこんだり、曲がったりすることはあっても、外れて脱落することは物理的、技術的に言って、ほとんどありえないのである。これは自動車の整備に詳しい人ならばみな同意するはずである。
しかもである。実はフロントパネルは上下左右の4パーツに分かれているのだ。1枚1体型ではないのだ。下の写真をあらためてよく見て頂きたい。ということは、4つとも全部外れたことになる。こうなると、確率的にはありえなことが4回起きたことになる。それを信じろと言うのか?
C フロントパネルは、犯人射殺後、警察が外した。
最後の 「C 犯人射殺後、警察が外した。」 という説を吟味しよう。
そもそも“殺人トラック事件” の最大の証拠物件として押さえた当のトラックの一部をすぐに解体するなどという大それたことを、どこの警察がするであろうか。証拠物件はできるだけ手付かずの状態にしておくというのが捜査、鑑識の基本原則である。その大原則をあえて無視してフロントパネルを外すだけの特別な合理的な理由があるだろうか。これは極めてありそうにない想定である。にもかかわらず、万一フランス警察が“殺人トラック”のフロントパネルを外すという作業を始めたとしたら、その作業自体が 注目を浴び、写真、映像に収められてしまうはずである。このトラック停止後はかなりのひとが集まってきている。もし本当に警察が“真っ赤に染まっていた”はずのフロントパネルを外し始めたのなら、不審に思った人々が撤去される前に必ずやスマホで動画を撮ったり、写真を撮ったりしてネット上に流れているはずではなかろうか。しかし、そういった動画も写真も一切ない。この最後のC説は最もありそうにない説である。
2016/06/27 追記: このトラックが最終的に停止する場所はあらかじめ立ち入り禁止にしてあり、一般人は立ち入れないようにしてあった可能性もある。そうだとすると、そこであらかじめ待ち構えていた人間がフロントパネルを手際良く外すことは可能であったかもしれない。
止まったトラックを警官が包囲して動き回っているところを映した素人っぽい動画があるが、あれはもちろんたまたま一般人が撮影したものではなく、今回の作戦の一環として、作戦遂行者側の人間の手になるものであると考えるべきであろう。
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これまでの A、B、C、各説の考察をまとめてみうよう。
A “暴走”が始まる前からなかった。つまりあらかじめ外されていた。
この場合、結果は次の2つのうちのいずれかとなることは十分に考察してきた。
A1 トラック前面のフロントパネルがなかったら、その入り組んだメカニックな前面は犠牲者たちとの物理的接触の痕跡で真っ赤におおわれているはずである。(しかし、実際はそうなっていない。)
A2 そういった痕跡が一切見当たらない(写真1,2)ということから、トラックによる人々に対する攻撃の事実そのものがそもそも無かったと結論づけることには何の矛盾もない。
B “暴走”の途中で脱落した。
ありえないことではないが、そうするとその脱落は必然的にほぼ“攻撃”終了後ということになるだろう。しかし、ふつうの人間の身長以上もある非常に大きいフロントパネル、誰が見ても“”憎むべき犯罪の物的証拠” を写した写真は1つとして出てこない。ということは、フロントパネルの脱落はなかったと考えることはそれほど無理な想定ではなかろう。今後1枚でも写真が出てくることを期待したい。
C “犯人射殺” 後、外された。しかし“追記”にしたがって、2つの可能性を考慮すべきかもしれない。
C1 トラック停止場所は立ち入り禁止ではなく、パネルは、“犯人射殺”後、警察が “公然と” 外した。 この想定は、ほとんどフランス警察に対する侮辱であろう。もっともありそうにない説である。
C2 トラック停止場所はあらかじめ立ち入り禁止にしてあり、“犯人射殺後”、作戦遂行側の人間が手際良く外して、撤去した。この想定は、当然、被害演出作戦が前提であることになる。
さて、 A1、 A2、 B、 C1、 C2 の5つに選択肢が分かれてきたが、あなたはこの5つのうちどれを選ぶか?論理的に考えて、これら以外にはないだろう。それでは、あなたの冷静な判断に基づいて、ぜひ1つをお選び頂きたい。
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でも、この事件で自分がいちばんモヤモヤしているのはやはりこのトラックで人間を轢きまくると云う方法が何かテロ的なイメージよりも、個人的な恨みを晴らすための様な手段に思えて、世界に向けてアピールする方法にしては何かヘンテコな印象を受けています。
確かにコストはかからないというメリットは大きいですし、嘘を見破られる様な証拠が残りづらいのかもしれませんが、何かテロらしさを感じづらい方法の様に思えてしまいますね。
とにかく多人数を被害にあわせたり、観光地で行う事も大きなインパクトとは思います。
強引に考えれば、一般的な武器などが無くてもテロは起きると云う事や、今まで以上に厳しい個人情報の調査を行う必要性を肯定させる可能性を高めるイメージ戦略には貢献できるのかもしれませんが、ある意味こういうテロは怖いが、どうしようも無い様な気もしてしまって、何かおかしな印象は拭いきれない思いが残ります。
今回のテロの方法に関して、何かお考えがあればお聞かせ願いたいと考えています。
“テロ” とは何のことであろうか? 今回のニースで起きたトラック暴走事件について、わたしはパリの同様の騒ぎやボストン爆破事件と同様、「テロ事件」 とは考えていない。したがって、呼び方も、○○○テロ事件 とはしないのである。
事件の “呼称” からすでに プロパガンダは始まっていると考えて頂きたい。新聞、テレビでの呼称をそのまま疑わずに使うことじたい、プロパガンダに乗せられ、さらには加担していることを意味する。
今回のニースでの被害演出作戦の主要目的の1つは、一般市民を怖がらせ、いわゆる “テロ” の脅威が日常的なところにまで広がってきているという不安を抱かせることであったと思われる。これは “テロ” プロパガンダと言えるだろう。そして、そのプロパガンダが海を越えて日本の一般大衆にまで十分に浸透したことを、あなたの投稿が如実に示している。
そしてアラブ系の国々に対する反感、敬遠、嫌悪を植え付けることにも見事に成功し、日本ではアラブ系の人々は職場でも、電車の車内でも針のムシロの日々となっている。
ちなみに今回の作戦立案集団は、常に向こう2年分くらいのカレンダーに基づいて作戦を立てていて、ロケーションとシナリオも最低5,6本は手元に用意していると考えられる。1つ実行した時点ではすでに次の作戦の準備に入っていて忙しいはずだ。
なるほどそう云われてしまうと身も蓋も在りませんが、今回の事件は他のものとは何かが違う様に思えるのです。
しかし、作戦企画チームは多種多様の企画を行っているでしょうから、毛色が違うものも含まれるのかもしれませんし、これから更にそうしたものが増える可能性はありそうですね。
私的にはテロと云う言葉は今回の事件を示す為の一般的な言葉として使っただけでしたが、浸透していると云われればそれまでです。
でも、なぜこうしたタイプの無差別攻撃を選択したのかに関しては、違和感は残ります。
日常的なところにまで脅威が来ていると思わせる。
確かにそうかもしれません。
犯人はハンドガン以外にモデルガンのサブマシンガン等を持っていたそうですよね。
何故そんなものが必要だったのでしょうか?
誰かを脅す為以外に使い道は無さそうですが・・・
「人はハンドガン以外にモデルガンのサブマシンガン等を持っていたそうですよね。何故そんなものが必要だったのでしょうか?」 そういったフランス警察の発表を本気にしているのですか?今回、そうった間抜けなアイテムを警察が仕込んだのは、毎回のように “テロ犯” の身元がすぐわかる免許証とかパスポートが車の中から発見されて、“スピード逮捕” につながったというお話がそろそろ底が割れてきたので、それをカモフラージュするために、間抜けなアイテムをたくさん仕込んだのです。そうお考えください。
にパスポートがあったとかといった発表もそうですが、
人間を何十人も轢いたとすれば、誰が見てもわかる様な痕跡が遠目から見ても判る筈ですし、タイヤの溝にも何もめり込んでいないという事は、舗装路の上だけを走って来たと云う事の証だと云えます。
現場に血に染まったタイヤ痕もありませんし、この状況はクルマが去った後に血糊を流した事により作り上げられたモノに見えます。
モデルガンがあっても無くても然程印象が変わるでしょうかね?
自分以外はそこに全く引っかかる人は居なかったですね。
たくさん殺したって事で既にモデルガンもクソも無く、次の瞬間にはその事を覚えてもいない様です。
そしていつも突っ込みを入れてくる可能性のある自脳層に対しては、「免許証、パスポート以外にもいろいろ押収されているんだよ」 という説明ができるわけです。その意味で “モデルガン” は意味があるのです。
物事をきちんと論理的に考えれば A2 しかないはずなのですが、多くの人はどれも選ぶことなく忘れようとするのです。自分に正直になるということがいかに難しいかがわかります。
今の日本やアメリカでは、きっと事件現場にモデルガンが有った場合、その報道を受けた側の印象はかなり違うものでしょう。
フランスに関しては知識が少ないので想像できないですが。
我々が考えなければならないのは、こうした行動が自分の身の回りで起った時に、どう云う対応ができるかに尽きますね。
他人事と思っては居られない状況である事と、自分の頭で考える事をしない人間が多く共存する社会では、簡単に大切なものが失われる様な危機感を感じます。