天気予報は午後から下り坂天気がえいウチに、大山岬を海沿いの旧道へ降りてみたら、「愛妻の碑」なるモンがあったがぢゃ。
郷土々佐の国学者鹿持雅澄(カモチマサズミ、1791~1858)の「愛妻の碑」と呼ばれゆう歌碑で、同じ歌を詠んだもんが「高知城」にもあるがぢゃ。鹿持雅澄が赴任途中の大山岬で高知は福井の里に残してきた菊子夫人に思いをはせ詠んだがやと。鹿持雅澄は菊子亡き後も追慕の歌を数多く詠んだ超愛妻家やったとか…。
石碑には「あきかぜの福井の里にいもをおきて安芸の大山越えがてぬかも」と刻まれちょって、意味は「冷たい秋風の吹く福井の里に妻を残して此処まで来るにゃあ来たけんど、まだこの大山峠を越して先へ進まんといかんし、残して来た妻の事が気がかりで心配ぜよ・・・」みたいな感じらしい。
今日も大山岬から西の海を望めば、冬の澄み切った空気の向こうに「足摺」が見えゆうぜよ。
夕暮れ時ともなりゃあ…、更にこんな凄い絶景も
「夕日の向う(ホンマは手前やけんど…)に足摺」、此処から大字山奥の「ゆずの宿」までは、車で僅か30分と激近ぜよ。
今日はウチのカミさんの誕生日(おめでとう、いつもありがとう)やきに、ちくと早ぅ帰って「愛妻の日」にでもしょうかね~。
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郷土々佐の国学者鹿持雅澄(カモチマサズミ、1791~1858)の「愛妻の碑」と呼ばれゆう歌碑で、同じ歌を詠んだもんが「高知城」にもあるがぢゃ。鹿持雅澄が赴任途中の大山岬で高知は福井の里に残してきた菊子夫人に思いをはせ詠んだがやと。鹿持雅澄は菊子亡き後も追慕の歌を数多く詠んだ超愛妻家やったとか…。
石碑には「あきかぜの福井の里にいもをおきて安芸の大山越えがてぬかも」と刻まれちょって、意味は「冷たい秋風の吹く福井の里に妻を残して此処まで来るにゃあ来たけんど、まだこの大山峠を越して先へ進まんといかんし、残して来た妻の事が気がかりで心配ぜよ・・・」みたいな感じらしい。
今日も大山岬から西の海を望めば、冬の澄み切った空気の向こうに「足摺」が見えゆうぜよ。
夕暮れ時ともなりゃあ…、更にこんな凄い絶景も
「夕日の向う(ホンマは手前やけんど…)に足摺」、此処から大字山奥の「ゆずの宿」までは、車で僅か30分と激近ぜよ。
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これからも妹の事、
よろしくお願いします