原発に対する湯川秀樹博士の想い・・・
原発を2個落とされてビキニで第二福竜丸が被曝した翌年、にわかにマスメディアを通して原子力平和利用が国民的に一挙に広がった。それは、エネルギーのない日本にとって、夢?の話を信じた推進派だ。第二次大戦に至ったエネルギーの無い日本を、新たに再建するためにと産業界と政府が飛びついた原子力。特にプロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父とも呼ばれる正力松太郎(1956年原子力委員長)を中心に、あの湯川博士も原子力委員に加わった(実際は推薦されて)。
以前から、この日本人として初めてノーベル賞を受賞した方の、原発に対する考えを知りたかった。戦前・戦中の原子物理学の実績はヨーロッパの研究者(おもにユダヤ人?)であり、戦後に戦勝国のアメリカが自国に招いて開発をした。しかし、湯川博士は、戦前にアインシュタインやオッペンハイマーらと親交を持っており、大戦中はのアンシュタインなどは、時の米大統領に原発開発反対の書簡を送ったりしていた。
科学者の真の有り方を、問うていたのですね。だからこそ、博士の考えを知りたかったのです。
そんなとき、「湯川秀樹博士と原子力 」 坂東昌子 (2014.12.13) と言う、動画を見つけました。講師は坂東昌子氏は、今月の12月24日に湯浅年子賞の授賞し、かつては湯川秀樹京都大学教授の研究室の大学院生でした。その方から、湯川博士の考えを知ることが出来ました。大変に分かりやすい内容です。多くの方に見てもらいたいと思います。
次は質疑応答編です。
<!-- 「湯川秀樹博士と原子力(質疑応答) 坂東昌子 2014.12.13) -->
如何でしょう? 動画中の坂東昌子氏の被曝の考え方には感心しました。最後の方で最大の問題は『核廃棄物処理』と言って居ておられるのが印象的でした。
さて、博士は原子力委員になったものの一年で辞めている。そして『絶対安全とは言えない』 と述べていました。湯川による短歌で、広島平和公園にある若葉の像の台座に銘文は「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」が刻まれている。
博士がもっと強く反原発を唱えてくれたらと思う・・・。
私は原発に反対です柚子胡椒