プルサーマルを推進するなど「原発推し派」だった小泉元首相が、「脱原発」の180度転換をした。一ヶ月以上も前の出来事ですが、御年71歳にして脱原発を声高に呼びかけ始めた。脱原発を主張する小泉純一郎元首相が、16日に千葉県木更津市で講演しました。
毎日新聞 2013年08月26日 東京朝刊より
、脱原発のドイツと原発推進のフィンランド(オンカロ地下処分場)を視察した小泉純一郎元首相(71)の感想は、本当に{脱原発」に尽きる。同行者は三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人。???
道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか?」。小泉が答えた。 「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」
使用済み核燃料を10万年?「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。しかし、地球の岩盤でさえ、それほどの歳月に耐えることはない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ掴めないのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのだろうか・・・。
帰国した小泉に感想を聞く機会があった。 −−どう見ました? 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」 −−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。
「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」
実は、小泉元首相が尊敬する1人で「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄氏がいます。
尾崎行雄は、国会開設とともに行われた1890年(明治23年)の第1回衆議院選挙で当選してから、25回連続で国会議員。ところが1919年、60歳のときに転機が訪れる。欧米視察の旅である。第1次世界大戦直後の現地で、戦争の惨禍を目の当たりにした尾崎は、己の信念を大転換して平和主義を唱え始める。軍国主義と言われた時代、戦争反対を唱える尾崎が軍部から目の敵にされたのは当然のことで、命を狙われることも珍しくはなかった。
平和主義の選挙の遊説が出来ず、平和を訴えられない75歳の時。病床で痛みにも悩まされて、出てきた言葉が「人生の本舞台は常に将来に有り」という言葉だった。
「今までの失敗は、今後成功するための試練であり、準備である」という考え方で、「人は何歳になっても、それまでの人生は序幕にすぎない、常に、これからが本舞台なのだと考えて行動せよ」という意味である。
小泉氏は、この薫陶を受けたかは知らないが、政治家として国民に対しての在るべき方向性を変えたことは、評価に値する。一線を退いても、老兵吠えろ!!!
私は原発に反対です柚子胡椒