宇宙の青い小さな☆見っけ

青い星に生まれた私は、地球人と言う「宇宙人」。自然を大切にして、この星を守って生きていきたい!

堀江 邦夫著:「原発ジプシー」差し上げます

2014年04月30日 | 「原発ジプシー」堀江邦夫著について

 堀江 邦夫著:「原発ジプシー」、差し上げます!条件:語り継いで下さい!他の原発者に回すことと、コメントを下さい。当方で選びます。

初版文庫本です。

図書館でもOKです。

皆で、反原発に協力しましょう。

私は原発に反対です柚子胡椒

 

 


「原発ジプシー」堀江邦夫著 3 美浜・福島・そして敦賀

2011年07月13日 | 「原発ジプシー」堀江邦夫著について

 美浜から福島に来て、事故に会い、そして敦賀へと流れていく堀江さんは、ますます原発への不信感が募って、それが強い執念となって訴えているようです。

 これが、放射能汚染区域で働く時の、厚手の布製防護服姿。汚染区域での赤いゴム長靴の下には、赤い靴下2枚に黄色い靴下1枚を履いている。手は布手袋1枚にゴム手袋2枚(場合のよってはその上に赤い軍手)をつけて、テープでもって袖に巻きつける。前面マスクの前方のフイルターは、息き苦しくなると外してしまう!!とか?30年後の今日、随分改良されているかも知れませんが、汚染区域に行かなければならないのは同じ。危険です。

 美浜では、いよいよ核心に記しています。つまり、絶対に壊れない?原子炉圧力容器の真下(ペデスタル)での作業。いわゆる、見取り図のフラスコの中で、完全防護体制で径10Cmの電線ケーブルを15本引いてつなぐ仕事ですが、毎回40ミリレム(0.4ミリシーベルト)被爆していたとあります!!!FUKUSIMAの3基は、このペデスタルを突き抜けコンクリを溶かして、溶解した2700度の燃料が地下にもぐって行っている!!・・・・・。

 核燃料棒の、自動交換装置の取り付け工事。何を行うにも、この近辺は、一人が5分10分の作業で一日の線量がパンクだそうです。現在では、浴びても良い線量?が高い設定になっているのようで、FUKUSIMAは大丈夫かと心配になります。

合計575ミリレム(5.75ミリシーベルト)を、この敦賀原発で浴びたとあります。でも、「1200でもサウナに入れば、毛穴に詰まった放射線は落ちてしまいますよ」と、検査官が話しているくだりには、びっくりデス。

この本の、単行本後書き・文庫本後書き・松岡信夫氏の解説は、本当に感動します。

 堀江氏がこの本を「恩師・故岡村日出夫先生に捧ぐ」とありました。そこで、この岡村先生を調べてみました。すると、阪大理:東大核研の放射能の研究者で、1960・70年代に原発労働者の立場になって、当時のジャーナリストに、原発放射能の実態を応援していた方でした。奇しくも、49歳で亡くなられていおりました。

 また現在、当の堀江氏は、原発内での胸部骨折事故の後遺症が後を引いて、療養中とネットで見ました。頑張って下さい。

   最後に、これです!7月13日のヨミの夕刊。いよいよ、「脱原発依存」・・・・・・が、はじまる・・・・?。

もう次の世代には、防護服を着ないですむ世界にしたい。

堀江さん、ご苦労様、原発労働者さん、ありがとう!

私は、原発に反対です。


原発ジプシー」堀江邦夫著  2

2011年07月09日 | 「原発ジプシー」堀江邦夫著について

 著書の、福島原発敷地内の原発PR館にあったパネル写真。実際の作業は、汚染区域用のC服で行うのに、これは放射能汚染区域外のB服だそうです。本当の現場作業では5分・10分足らずの高濃度放射能区域での、前面マスクの過酷な労働・・・・。そんな実態は、微塵も描かれていません。

  汚染区域で、マンホール蓋が無い所に、防護のビニールシートがあり、そこに落ちて大怪我をした筆者の部分。結局は、下請けが日当に治療費全額を負担して、東電には内緒にしてしまう。

  その後に、同じように事故が起きた時には、労災扱いになったが・・・。「事務所横の道具小屋でころんだことにしろ」となり、労働基準監督署の立ち入り検査(東電にばれるのを)を恐れている実態がわかります。景気の悪い現在でも、大手建設現場の下請けでは、同じかも知れませんが・・・。で、「無災害150万時間達成記念」の塔が、構内に立てられているようです。実際には、上手く災害を150万時間「隠し通した」と言う事でしょうか?堀江氏は、凄いですね。

  当時の景気の良い電力会社と、地域とのなんとも言えぬ関係が・・・現れています。FUKUSIMAの1号機は、1971年に営業運転して、1979年までに6号機まで一気に作っちゃった。そんな中、アメリカのGEから外人部隊の派遣があったそうです。特に1号機は10年目の廃炉時期になつつあった時です。廃炉にお金をかけるなら、もっと長く使おうとして、高線量の現場をGEに行ってもらったのかな?

 本書の100ミリレムは1ミリシーベルトの事です。当時の作業者は50とか多くても80ミリレムが一日の許容線量で、この外国人は700ミリレムを浴びていたそうで、3・4日で帰国していたそうです。放射能に安全許容量はありませんから、現在のFUKUSIMAでの250ミリシーベルトOKは、余りにもその「のんきさ」にあきれ返ります。

 54基中17基稼動中。菅さんのストレステストが、波紋をよんでいます。原発労働者がいなくなれば、原発は動きません。そんな被爆労働を必要としなければ発電出来ないのは、広島・長崎の被爆国として、私はとってもおかしいと思います。

私は原発に反対です。


「原発ジプシー」堀江邦夫著 1984年文庫本

2011年07月08日 | 「原発ジプシー」堀江邦夫著について

 多分20年位い前に、中古で購入して読んでいました。1979年に単行本「原発ジプシー」として現代書館より発行され、私のは1984年の講談社の文庫本です(因みに初版本でした)。

 美浜・FUKUSIMA・敦賀原発を7ヶ月以上かけて、下請け作業者として実際に働いた、ドキュメントです。先日から再度読んでいますが、現在の原発定検(定期検査)の作業とそんなに変わった感じがしませんでした。

 1975年に固体放射能廃棄物ドラム缶は4万本でしたが、1982年にはなんと35万本に!そこで考えたのが、固体の低放射能廃棄物を燃焼してしまうこと???で、その灰をレンガに混ぜて、全国で売ってしまっている事実!他の廃棄物は、当時六ヶ所村が候補に挙がっていたそうです。拒否すれば、良かったのに。

  この、作業服は現在でも同じような気がします。定検(メンテナンス)の為の設計は、殆どされていないようです。その為、当時の原発は現在でも使用可能となっていますから、その保守点検や修繕は、前時代的な人海戦術。つまり、放射能を浴びながらの作業と言う事になります。

 広島・長崎に続きFUKUSIMA原発は被爆地です。また当時、このような科学技術庁のポスターあったそうです!海が汚染されているのに、誠に信じられないことです。 当時のFKUKUSIMAの全景写真ですが・・・・信じられないメルトダウン!!

 本誌の182Pに内部被爆を避けるための「前面マスク」の項目があり、高線量下の原子炉圧力容器の下でのボルト閉めの作業のこと。 「頭痛が激しさを増してきた。早く前面マスクをはぎ取ってしまいたい、新鮮な空気を肺のなか一杯に詰め込みたい、そのことしか頭になかった。放射能を恐ろしいと思うだけの精神的ゆとりは、すでに喪失していた。むしろ、多量の放射能を浴びることで早くこの場から逃れたいとさえ思った。」

 と、読んだとき、これは異常な出来事です。今のFUKUSIMAや他の原発定検も、残念ながらまったく同じでしょう。

 ちょっと見えにくいと思いますが、192ページに「朝日新聞の大熊記者が多重防護だから絶対安心」といっているのに、現場では汚染スパナが簡単に外部に持ち出されていた事実。この方は、当時の原発推進派の事はどこかに忘れてきて、今回の震災では、介護福祉と精神病院について発言している。国際医療福祉大学大学院教授・佛教大学社会福祉学部客員教授・ 千葉県健康福祉政策担当参与・国立大学法人筑波技術大学理事の単なる肩書きの人です。多重防護の原発を忘れているようで残念です。一言、コメント欲しいですネ。

  

市民エネルギー研究所にあった、ドイツからのメッセージから

「11日の日本の原発事故の翌日、私たちはシュツットガルトから最も古い原発まで40ロの反原発の人間の鎖を行いました。

日本の方へ、私の憂慮の気持お伝えください。

皆様へよろしく。」

と言うのがありました。遠い異国でも、同じ問題を抱えているんですね。

私は原発に反対です