終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

私たちは 変革の一翼を担っている ラジ・パテル

2013-10-31 11:34:31 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
いかなるレベルの共同体も
宇宙の統一性のなかに基盤がなければ
生き延びることはできない

  トマス・ベリー

道は近きにあるのに
これを遠きに求める愚をやってはいけない

  秋月悌次郎(会津藩)

日本国の人には、にくまれ候ぬ、

みちふ(道踏)みわくるひとも候はぬに・
をもいよらせ給いての御心ざし、
石の中の火のごとし火の中の蓮のごとし、

ありがたしありがたし

     日蓮


法華経第四に云く

「若し悪人有つて 不善の心を以て一劫の中に於て
現に仏前に於て常に仏を毀罵せん 其の罪尚軽し、
若し人一つの悪言を以て在家・出家の法華経を読誦する者を
毀しせん 其の罪甚だ重し」等と云云。

     (四恩抄)


仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、
三世を知しめすに過ぎて候 御智慧はなし、


所詮万法は己心に収まりて一塵もかけず
九海・八海も我が身に備わりて
日月・衆生も己心にあり~

外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆
己心の法を片端片端説きて候なり、
然りといへども法華経の如く説かず、

~蒙古の責はよも脱れ候はじなれども・
国の為に責られ候いし事は天も知しめして候へば
後生は必ずたすかりなんと悦び候に、
御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給いて候へ、

此の事起こらずば最明寺殿の十三年に当たらせ給いては
御かりは所領にては申す計りなし、
北条六郎殿のやうに筑紫には御坐しなん、
是は各各の御心のさからせ給て候なり、
人の科をあてるにはあらず、

又一には法華経の御故にたすからせ給いて候いぬるか、
ゆゆしき御僻事なり、
是程の御悦びまいらせ度く候へども
人聞つつましく候いてとどめ候い畢んぬ

    (蒙古御書)


古昔の聖人は仏を除いて已外之を毀る人・頭破一人二人なり
今日蓮を毀しする事は非(とが)一人二人に限る可からず
日本一国・一同に同じく破るるなり、所謂正嘉元年の大地震・
文永の長星は誰か故ぞ、日蓮は一閻浮提第一の聖人なり、
上一人より下万民に至るまで之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に
梵と釈と日月・四天と隣国に仰せ付けて之を逼責するなり、

此れ偏に日蓮が貴尊なるに非ず 
法華経の御力の殊勝なるに依るなり、

身を挙ぐれば慢ずと想い・身を下せば経を蔑る、
松高ければ藤長く・源深ければ流れ遠し

    (聖人知三世事)


地獄には堕つるとも・仏になる法華経を耳にふれぬれば
是を種として必ず仏になるなり、

されば天台妙楽も此の心を以て強いて法華経を説くべしとは
釈し給へり、譬えば、人の地に依りて倒れたる者の返つて
地をおさへて起(たつ)が如し、地獄には堕つれども疾く浮んで
仏になるなり、

当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちんこと
疑なき故に・とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、

信ぜん人は仏になるべし 
謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、
何にとしても
仏の種は法華経より外になきなり

   (法華初心成仏抄)


    日蓮

 

善を実行するには
現実をよく知ることが先決だ

  トマス・ベリー


富は海の水に似ている。
それを飲めば飲むほど、のどが乾いてくる
   
  ショーペンハウアー

いかなるレベルの共同体も
宇宙の統一性のなかに基盤がなければ
生き延びることはできない

  トマス・ベリー

急行列車で走り回っているけれど
何を探しているのか
自分でもわかっていない。
ただ忙しそうに
ぐるぐる回るばかりなのさ

  サンテグジュペリ

<御義口伝下・日興> 


(常不軽品)

第廿四 蓮華の二字礼拝住処の事

御義口伝に云く 

蓮華とは因果の二法なり、
悪因あれば悪果を感じ・
善因あれば善果を感ず、


内証には汝ら三因仏性の善因あり、
事に顕す時は善果と成つて皆当作仏す可しと
礼拝し給うなり云云。

(神力品八箇の大事)

第大娑婆是中有仏名釈迦牟尼仏の事

御義口伝に云く
本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを
娑婆と云うなり、忍辱は寂光土なり
此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり、
娑婆とは堪忍世界と云うなり云云。


(嘱累品三箇の大事)

第四火不能焼水不能漂の事

御義口伝に云く

火とは阿鼻の炎なり 水とは紅蓮の氷なり
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
此くの如くなるべし云云。


(安楽行品)

一切諸法空無所有無有常住亦無起滅

此の文は

元より常住の妙法なる故に六道の生滅本来不生と談ず・
故に起滅なし
所謂南無妙法蓮華経本来無起滅なり云云


(神力品)

是人於仏道決定無有疑

此の文は十界各各本有本覚の十如是なれば
地獄も仏界も一如なれば
成仏決定するなり、
所謂南無妙法蓮華経の受持なり云云


 


生きとし生けるものには
その生息地に対する権利がある

もし地球に未来がないなら
いかなる国家にも未来はないことを
認識しなくてはならない

  トマス・ベリー

目の前の恐怖に真っ向から立ち向かう経験をするたび
あなたは強さと勇気と自信をみにつけることができるのです

自分にはできないと思うことを
やってみなさい

  エレノア・ルーズベルト



少しも・をそるる心なかれ・
過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども
仏にならぬ事これなり、

しを(潮)のひるとみつと・月の出づるといると・
夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり
凡夫の仏になる又かくのごとし、
必ず三障四魔と申す障りいできたれば
賢者はよろこび愚者は退くこれなり、

わどの兄をすてて・あにがあとを・ゆづられたりとも
千万年のさかへ・かたかるべし、
しらず又わづかの程にや・いかんが・このよならんずらん、
よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし、

  (兵衛志殿御返事)

ゆい伽論に云く
東方に小国有り、其の中唯大乗の種姓のみ有り
大乗の種姓とは法華経なり
法華経を下種として成仏すべしと
云う事なり、
所謂南無妙法蓮華経なり、小国とは日本国なり、云云。

   (御講聞書)

されば法華経を行ずる日蓮等が弟子檀那の住所は
いかなる山野なりとも霊鷲山なり、

惣じて一乗南無妙法蓮華経を
修行せん所は
いかなる所なりとも常寂光の都・
霊鷲山なるべし

   (御講聞書)


尼ごぜん又法華経の行者なり
御信心月のまさるがごとく・しをのみつるがごとし
いかでか大病も失せ寿ものびざるべきと
強盛にをぼしめし身を持し
心に物をなげかざれ

  (富木尼御前御返事)


    日蓮

 

関心がなければ、前途は閉ざされる
関心があれば、大きな生命共同体の
再生が可能になる

  トマス・ベリー


御義口伝に云く

不軽菩薩とは十界の衆生なり、
三世常住の礼拝の行を立つるなり
吐く所の語言は妙法の音声なり、
獄卒が杖を取つて罪人を呵責するが体の礼拝なり
敢て軽慢せざるなり、

罪人我を責め成すと思えば
不軽菩薩を呵責するなり
折伏の行是なり

  (御義口伝下・日興)


たとえば灸(やいと)のごとし
後の薬なれば いたくていたからず


このよの中は・いみじかりし時は何事かあるべきと
みえしかども・当時はことにあぶなげに・みえ候ぞ、
いかなる事ありとも
なげかせ給うべからず、

  (南条殿御返事)

とにかくに法華経に身をまかせ
信ぜさせ給へ、
殿一人にかぎるべからず・
信心をすすめ給いて
過去の父母等をすくわせ給へ

  (上野殿御返事)


    日蓮
表立って語られることのない世界が
まだまだ残っている

  森 功 (作家)


かたうどなるやうにて・つくりおとして、
我もわらひ人にもわらはせんとするが
きくわい(奇怪)なるに・
よくよくけうくん(教訓)させて
人のおほくきかんところにて・
人をけうくんせんよりも我が身をけうくんあるべしとて・
かっぱとたたせ給へ

  (上野殿御返事)

悪人を愛敬し
善人を治罰するに由るが故に
星宿及び風雨皆時を以て行わず

   (法蓮抄)


人皆口には此の経を信じ・手には経巻を
にぎるといへども、
経の心にそむく間・悪道を免れ難し

  (新池御書)


伝教大師・此の人を破し給ふ言に

「法華経を讀すと雖も還つて法華の心を死(ころ)す」と

  (法華初心成仏抄)


    日蓮

 

慈なくして詐(いつ)わり親しむは
即ち是れ彼が怨なり

   章安大師

宇宙の個々の存在は
全宇宙に必要とされているのである

  トマス・ベリー


目には見えないんだ
心で探さないとだめなのさ

  サンテグジュペリ


夜があける度に
私たちは何度でも立ち上がる。

時々の縁という糸を紡ぎながら
人生という織物を織り上げていく。

例え無様な出来であっても
せめて心から慈しめるように。
真っ直ぐな心で 見つめられるように。

   光風霽月


今我が弟子等
死したらん人人は仏眼をもて是を見給うらん、
命つれなくて生(いき)たらん眼(まなこ)に見よ

教主釈尊の御使をにどまでこうじをわたし
弟子等をろうに入れ或は殺し或は害し
或は所国をおひし故に
其の科(とが)必ず其の国国万民の身に
一一にかかるべし、

  (兵衛志殿御書)


ただ信心のくさびに
志のあぶらをささせ給いて
霊山浄土へまいり給うべし

   (大白牛車書)

南無妙法蓮華経と御唱え
つつしむべし・つつしむべし

  (兵衛志殿御返事)

     
     日蓮


孤立無援の戦いを強いられてきた犯罪被害者の皆さん、
私たちが忍んできた苦痛に比せばどんな事態も
乗り越えられる筈。今しばらくの辛抱です。


我ながら なにに名残を惜しむらむ
思ひおくべき こともなきよに

    唐衣

   Thank you!

槌砧鍛錬

2013-10-29 09:47:02 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
被造物のすべての自然的な素質は
いつかその目的にふさわしい形で
完全に発達するように定められている

    カント

人間にはたしかに
ある程度の選択の自由がある
だが、真理の束縛は受ける

   シューマッハー


仁王経に云く

「国土乱れん時は先ず鬼神乱る・鬼神乱るるが故に
万民乱る、
賊来つて国を劫(おびや)かし百姓亡喪し
臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん、
天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失い度を失い
多く賊起こること有らん」と、

又云く

「我今五眼をもつて明に三世を見るに
一切の国王は皆過去の世に
五百の仏に侍(つか)えるに
由つて帝王主と為ることを得たり、

是を為つて一切の聖人・羅漢而も為に
彼の国土の中に来生して大利益を作さん、

若し王の福尽きん時は
一切の聖人皆為に捨て去らん、
若し一切の聖人去らん時は
七難必ず起らん」 已上。

   (立正安国論)


いくら計算したからといって
それだけで
答えがでるものではない

   
真理に仕えてこそ
自由は完全なものとなる


  シューマッハー    

  

大集経に云く

「若し国王有つて 
我が法の滅せんを見て擁護せずんば
無量世に於て施戒慧を修すとも悉く皆滅失して
其の国の中に三種の不祥の事を出さん、
乃至命終して大地獄に生ぜん」 と。


答えて曰く仁王経に云く

「大王・未来の世の中に諸の小国王・
四部の弟子・諸の悪比丘
横(よこしま)に法制を作りて
仏戒に依らず、
亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴さず
七難必ず起らん」と、

金光明経に云く

「供養し尊重し賛歎せず 
 其の国当に種種の災禍あるべし」



答えて云く

仏法巳前に五常を以て国を治むるは遠く
仏誓を以て国を治むるなり
礼儀を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり、

問うて云く其の証拠如何、答えて曰く金光明経に云く

「一切世間の所有(あらゆ)る善論は
皆此の経に因る」 と、

法華経に云く

「若し俗間の経書・治世の語言・
資生の業等を説かんも皆正法に順ず」と、

普賢経に云く

「正法をもつて国を治め人民を邪枉せず
是れを第三懺悔を修すと名く」 と、

涅槃経に云く

「一切世間の外道の経書は
皆是れ仏説なり、外道の説に非ず」 と、

止観に云く

「若し深く世法を識れば
即ち是れ仏法なり」 と、

弘決に云く

「礼楽駈せて真道後に啓(ひら)く」 と、

広釈に云く

「仏三人を遣して且(しばら)く震旦を化す
五常以て五戒の方を開く

昔は太宰・孔子に問うて云く三皇五帝は是聖人なるか、
孔子答えて云く聖人に非ず、
又問う夫子是れ聖人なるか、亦答う非なり、
又問う若し爾らば誰か聖人なる、答えて云く
吾聞く西方に聖あり釈迦と号(なず)く」 文。

此等の文を以て之を勘うるに
仏法巳前の三皇五帝は五常を以つて国を治む、
夏(か)の桀・殷の紂王・周の幽等の礼儀を破りて
国を喪(ほろぼ)すは
遠く仏誓の持破に当れり  
   


此等の文を以て之を思うに
諸の悪比丘国に充満して破国・破仏法の因縁を説く、
国王並に国中の四衆弁えずして信聴しを加うるが故に
諸大乗に於て捨離の心を生ずなり。

問うて云く
諸の悪比丘国中に充満して破国・破仏戒等の因縁を
説くことは・仏弟子の中に出来す可きか 外道の中に
出来す可きか。

答えて曰く 仁王経に云く 

「三宝を護る者にして転(うた)た
更に三宝を滅し破らんこと・
師子身中の虫の自ら師子を食うが如し
外道には非ず」 文。

此の文の如くんば
仏弟子の中に於て
破国破仏法の者出来す可きか、

   (災難対治抄)

     
     日蓮



人生はまさにブーメランだ。
人に与えたものは手元に返ってくる

   カーネギー

宇宙は一つの統一体。
相互に影響を与え合う共同体。
個々の存在の中に
常に存在する

  トマス・ベリー

一心とは
定の一心に非ず
理の一心に非ず
散心の中の一心なり

  日蓮


今日蓮等の類い聖霊を訪う時、
法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、
題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、
廻向の文此れより事起るなり、

法華不信の人は堕在無間なれども、
題目の光を以て孝子訪わんにあに
此の義に替わる可しや

  (御義上・日興)


法華経を信ずる人は冬のごとし。
冬は必ず春となる。
いまだ昔よりきかずみず、
冬の秋へとかへれる事を。
いまだきかず法華経を信ずる人の
凡夫となる事を。

経文には
「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。

  (妙一尼御前御返事)


妙法蓮華経を信仰し奉る一行に
功徳として来らざる事なく
善根として動かざる事なし

  (聖愚問答抄)

知らず御身は忽に五障の雲晴れて
寂光の覚月を詠め給うべし

   (妙一尼御返事)




きれいな水とは
いろいろな生きものとともに
自分も生かされているという喜びに
満ち溢れた 
生きた水のことをいうようだ

  今森光彦



この法華経の本門の肝心妙法蓮華経は
三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて
五字と為せり。
此の五字の内にあに
万戒の功徳を納めざらんや。

但し此の具足の妙戒は、一度持ちて後、
行者破らんとすれども破れず。
是れを金剛宝器戒とや申しけんなんど
立つべし。

   (教行証御書)


水すめば月うつる 風ふけば木ゆるぐごとく・
みなの御心は水のごとし
信のよはきはにごるがごとし、

信心の・いさぎよきはすめるがごとし、
木は道理のごとし・
風のゆるがすは経文をよむがごとしと・
をぼしめせ、

  (日厳尼御前御返事)


     日蓮

明日すぐにでなくとも
強く望みさえすればその日は遠くない

 JOSE BOVE

 

 Thank you!

最も危険に見える場所にこそ 安全があるのだ バーバラ・スック

2013-10-26 10:37:27 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
人類は、
ものごとが収斂していく前例のない時代に
生きているように思われる

   カント

時間を盗まれないように守ることだって
自分でやらなくてはいけない

   エンデ


良寛房が讒訴に依りて 釈迦如来の御使・
日蓮聖人を流罪し奉りしかば
聖人の申し給いしが如く百日が内に合戦出来して
若干(そこばく)の武者滅亡せし中に、
名越の公達横死にあはせ給ひぬ、

是れ偏に良寛房が失ひ奉りたるに候はずや

   (頼基陳状)


仏法と申すは道理なり
道理と申すは主に勝つ者なり

   (四条金吾殿御返事)

     日蓮

治世に直諫する
張玄素の如き者は少し

   保科正之


真の政治は
あらかじめ道徳に服していなければ
一歩も前進できない

   カント


孝経に云く
「子以て父に争わずんばあるべからず
臣以て君に争わずんば有るべからず」

鄭玄曰く
「君父不義有らんに臣子諌めざるは則ち
亡国破家の道なり」

新序に曰く
「主の暴を諌めざれば 忠臣に非ざるなり
死を畏れて言わざるは勇士に非ざるなり」

伝教大師云く
「凡そ不誼に当つては則ち子以て父に争わずんば
あるべからず、臣以て君に争わずんばあるべからず、
当に知るべし君臣・父子・師弟以て師に争わずんば
あるべからず」文、

法華経に云く
「我身命を愛まず 但無上道を惜む」文、

涅槃経に云く
「譬えば王の使の善能(よく)談論し、
方便に巧にして命を他国に奉ずるに
寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を
匿(かく)さざるが如し、智者も又爾り」文、

~ことに彼の三(みつ)の悪法・関東に落ち下りて
存外に御帰依あり、
故に梵天・二天・日月・四天いかりを成し、
先代・未有の天変・地妖を以ていさむれども・
用い給はざれば
隣国に仰せ付けて法華経・誹謗の人を治罰し給う間、
天照大臣・正八幡も力及び給はず、

   (頼基陳状)


 

およそ臣たる者が恥ずべきは
私心に出でて
なにかをしようとすることである

  田中 正玄

人間というものの弱さからすれば
強につくのが当然かもしれない。
が、それは信義無き者の選択である

  早乙女 貢


公の書を読む者、
その精神に通ぜず、その粗迹に泥ば
害ありて利なし

  山田 方各



いたう天の此の国ををしませ給うゆへに
大いなる御いさめあるか、

すでに他国が此の国をうちまきて
国主・国民を失わん上、
仏神の寺社・百千万がほろびんずるを
天眼をもつて見下して、なげかせ給うなり、


法華経の御名をいういうたるものどもの
唱うるを・誹謗正法の者どもが・をどし候を
天のにくませ給う故なり

あなかしこ・あなかしこ、
今年かしこく(賢)して物を御覧ぜよ

   
   (四条金吾御書)


あながちに心えて振舞い給へ、

こんどはさきよりも
彼等は・たばかり賢かるらん、

いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原には
すぎじ、

いかに心にあはぬ事有とも・
かたらひ給へ

   (崇峻天皇御書)

     日蓮


法華の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
謗法の供養を受けざるは
貪欲の病を除くなり、

法華の行者は
罵詈せらるれども忍辱を行ずるは
瞋恚の病を除くなり、

法華経の行者は是人於仏道決定無有疑
と成仏を知るは
愚痴の煩悩を治すなり

さらば大良薬は末法の成仏の
甘露なり、

今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え
奉るは
大良薬の本主なり

 
 (御義口伝下・寿量品七箇の大事)

      日興

華厳経に云く
「恩を知らざる者は多く横死に遭う」等云云~

かたきをうつ心とどまるべしと申させ給う事は
御あやまち・ありとも 左右なく御門を出でさせ給う
べからず、まして・なからんには・
なにとも人申せ・くるしかるべからず、

さわぐ事ありとも・
しばらく人をもつて見せをほさせ給へ。

  (四条金吾釈迦仏供養事)


 

自分の芸術を誇り得る喜びを捨てて
何の価値があろうか

  杉本 鉞子


運用の妙は一心に存す

  宋史・岳飛伝



日蓮始めて建長五年夏の始より二十余年が間
唯一人・当時の人の念仏を申すやうに唱うれば
人ごとに是を笑ひ・結句はのりうち切り流し
頸をはねんとせらるること・
一日・二日・一月・二月・一年・二年ならざれば
こらふべしともをぼえ候はねども、

この経の文を見候へば
檀王と申せし王は千歳が間・
阿私仙人に責めつかはれ身を床となし給ふ、

不軽菩薩と申せし僧は多年が間・
悪口罵詈せられ刀杖瓦礫を蒙り、

薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間・
身をやき七万二千歳ひぢを焼き給ふ、

此れを見はんべるに
何なる責め有りといかでかさてせき(塞)留むべき
と思ふ心に 今まで退転候はず、


法華経の第四法師品に云く、

「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て
合掌して我が前に在つて無数の偶を以つて賛めん、
是の賛仏に由るが故に無量の功徳を得ん、
持経者を歎美せんは其の福復た彼れに過ぎん」

等云云、

文の意は
一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも
末代の浅智なる法華経の行者の
上下万民にあだまれて餓死すべき比丘等を
供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。


   (松野殿御返事)

     日蓮

  
   ~善悪の生を引く~

真実一切衆生・
色心の留難を止むる秘術は
唯南無妙法蓮華経なり

   (四条金吾殿御返事)


      日蓮

   

<御義口伝下・日興>

  寿量品


・・第廿三久遠の事

御義口伝に云く 
此の品の所詮は久遠実成なり

久遠とははたらかさず・つくろわず・
もとの儘と云う義なり、
無作の三身なれば初めて成ぜず
是れ働かざるなり、

三十二相八十種好を具足せず
是繕わざるなり
本有常住の仏なれば本の儘なり
是を久遠と云うなり、

久遠とは南無妙法蓮華経なり
実成(まことにひらけたり)・無作と
開けたるなり 云云。


・第廿四 
此の寿量品の所化の国土と修行との事

御義口伝に云く

当品流布の国土は日本国なり、惣じては
南閻浮提なり、

所化とは日本国の一切衆生なり、

修行とは無疑曰信の信心の事なり、

授与の人とは本化地涌の菩薩なり、云云



常不軽品


・第九言是無智比丘の事

御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、

上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、
凡有所見の菩薩を無智と云う事は
第六天の魔王の所為なり、

末法に入つて日蓮等の類い
南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
無智の比丘と謗ぜられん事
経文の明鏡なり、
無智を以て法華経の機と定めたり


  

威儀を正しくし、
人をして軽侮せざらむべし

  保科 正之

  Thank you!

一日に一度、あなたがおそれていることを行いなさい エレノア・ルーズベルト

2013-10-24 08:57:09 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
大事には小瑞なし。

大悪をこれば大善きたる~

各各なにをかなげかせ給ふべき。

  (大悪大善御書) 
 
    日蓮

王子の教育には長い間ずっと大きな欠陥・
つまり幼少のころ 
王子にはだれも逆らわないという
大きな欠陥があるのだ

他者の権利にかかわる行動の原則が
公開するにはふさわしくない場合には、
その行動はつねに不正である

    カント


経王御前には・わざわひも転じて幸となるべし・
あひかまへて御信心を出し・
此の御本尊に祈念せしめ給へ・
何事か成就せざるべき・ 

   (経王殿御返事)

一切の事は
父母にそむき国王にしたがはざれば不孝の者にして
天のせめをかうふる。
ただし法華経のかたきになりぬれば・
父母・国王の事をも用ひざるが孝養ともなり
国の恩を報ずるにて候。

   (王舎城事)


外観という者は、
いちばんひどい偽りであるかも知れない。
世間というものはいつも虚飾に欺かれる  
      
 シェイクスピア


人皆口には此の経を信じ・
手には経巻をにぎるといへども
経の心にそむく間・悪道を免れ難し

   (新池御書)


まことの心なれども、供養せらるる人だにも
あしければ功徳とならず、
かへりて悪道におつる事候。

   (窪尼御前御返事)

夫れ仏法は
王法の崇尊に依つて威を増し
王法は
仏法の擁護に依つて長久す

   (四十九院申状)

 承賢 堅秀 日持 日興


正直捨方便と申す文の心是なり、

足代より塔は出来して候へども、
塔を捨てて足代ををがむ人なし、

今の世の道心者等、
一向に南無阿弥陀仏と唱へて一生を過ごし、
南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人々は、
大塔をすてて足代ををがむ人人なり、

世間にかしこく、はかなき人と申すは是なり

   (閻浮提中御書)


純粋な理性が
もともと示している原理を実行するという義務から
出発する必要があり、
それによってどの様な自然的な結果が生じるかは
無視しなければならないのである

   カント


幸福なる必要なんかないと
自分を説き伏せることに成功したあの日から、
幸福が僕のなかに棲みはじめた

   ジッド

幸せはゴールではなく、
満足に生きた人生の副産物なのです

  エレノア・ルーズベルト


  

各々師子王の心を取り出して
いかに人をどすとも をづる事なかれ。
師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。

   (聖人御難事)


仏法の中には仏いましめて云く、
法華経のかたきを見て世をはばかり
恐れて申さずば釈迦仏の御敵・
いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし

   (妙法比丘尼御返事)


されば妙楽大師のたまはく
「必ず心の固きに仮りて  神の守り則ち強し 」

   (乙御前御消息)


いかなる事ありとも
なげかせ給うべからず

  (南条殿御返事)

あしきところをば・ついしさりてあるべし

  (破信堕悪御書)

是を云はずば
法華経の行者にはあらず、
又云う事の後にあ(合)へばこそ
人も信ずれ

  (乙御前御消息)

諸法実相の四の文字を
時時あぢわへ給うべし

  (四条金吾殿御返事)

    日蓮



~善悪の報いは影の形に随うがごとし~


強い人間は自分の運命を嘆かない

 ショーペンハウエル


それにつけても
心あさからん事は後悔あるべし、
此の世のありさま厭うともよも厭われじ

日本の人人定んで大苦に値いぬと見えて候・
眼前の事ぞかし、

   (兄弟抄)



自分が立っている所を深く掘れ。
そこからきっと泉がわき出る。

  高山樗牛


金光明経に云く

「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せしめず、
捨離の心を生じて聴聞せん事を楽(ねが)はず、
亦供養し尊重し賛嘆せず
四部の衆・持経の人を見て亦復た尊重し乃至
供養すること能わず、

遂に我れ等及び余の眷属無量の諸天をして
此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ、
甘露の味に背き・正法の流を失い・威光及び勢力有ること
無からしむ、

悪趣を増長し 人天を損減し 生死の河に堕ちて
涅槃の道に乖かん、

世尊我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等
斯くの如き事を見て其の国を捨てて
擁護の心無けん、
但だ我等のみ是の王を捨棄するに非ず
必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも

皆悉く捨去せん、

既に捨離し已りなば 
其の国当に種種の災禍あつて国位を喪失すべし、
一切の人衆皆善心無く唯繋縛殺害瞋諍論のみ有つて
互いに讒てんし、枉げて辜無きに及ばん、

疾病流行し彗星数ば出で両日並び現じ
薄蝕恒無く黒白の二紅不祥の相を表わし
星流れ地動き 井の内に声を発し
暴雨・悪風・時節に依らず常に飢饉に遭つて
苗実成らず・多く他方の怨賊有つて国内を
侵掠し、
人民諸の苦悩を受け土地所楽の処有ること無けん」 
已上。

    (立正安国論)


      日蓮

苦しみが残して行ったものを味わえ
苦難も過ぎてしまえば、甘い

     ゲーテ

悲観主義者は
すべての好機の中に困難をみつけるが、
楽観主義者はすべての困難の中に
好機を見いだす
   
    チャーチル

 

<御義口伝上・日興>


解品 六箇の大事

(第六世尊大恩の事)

御義口伝に云く
世尊とは釈尊・大恩とは南無妙法蓮華経なり、
釈尊の大恩を報ぜんと思わば
法華経を受持す可き者なり 
是れ即ち釈尊の御恩を奉じ奉るなり、

大恩を題目と云う事は次下に以稀有事と説く、
稀有の事とは題目なり


化城喩品 七箇の大事


御義口伝に云く
化とは色法なり城とは心法なり、
此の二法を無常と説くは権教の心なり、
法華経の意は
無常を常住と説くなり・化城即宝処なり、

所詮今日蓮等の類い
南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
色心妙法と開くを化城即宝処と云うなり、

十界皆化城・十界各各宝処なり、
化城は九界なり 宝処は仏界なり、
化城を去つて宝処に至ると云うは
五百由旬の間なり

此の五百由旬とは見思塵沙無明なり
此の煩悩の五百由旬を
妙法の五字と開くを
化城即宝処と云うなり、

化城即宝処とは
即の一字は南無妙法蓮華経なり、
念念の化城念念の宝処なり、
我等が色心の二法を無常と説くは
権教なり、
常住と説くは法華経なり、


(第大即滅化城の事)

我等が滅する当体は化城なり、

此の滅を滅と見れば化城なり
不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり

~今日蓮等の類い
南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
化城即宝処なり、

我等が居体の山谷廣野 
皆 常寂光の宝処なり
云々




この国を、私の愛する者すべてが、
なんの不安も恐れもなく
暮らしてゆけるような国にしたいのだ

 イングリッド・ベタンクール

  
  
一切衆生・南無妙法蓮華経と唱ふるより外の
遊楽なきなり
経に云く「衆生所遊楽」云々、
此の文、あに自受法楽にあらずや、
衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、

所とは一閻浮提なり・日本国は閻浮提の内なり
遊楽とは我等が色心依正ともに
一念三千・自受用身の仏にあらずや、

法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし、
現世安穏・後生善処とは是なり、

ただ世間の難来るとも・
とりあへ給うべからず、

賢人・聖人も此の事はのがれず、
ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・
となへたまへ・

苦をば苦とさとり・楽をば楽とひらき・
苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経と
うちとなへゐさせ給へ、

これあに自受法楽にあらずや、
いよいよ強盛の信力をいたし給へ、

 (四条金吾殿御返事)


    日蓮

 Thank you so much!

今代の他国にうばはれんとする事、釈尊を・いるがせにする故なり

2013-10-22 10:18:31 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
むしろ政治は
道徳の前に屈しなければならない

    カント


国家を樹立した国民も、互いに競い合う諸国家も

この純粋な法の原理に従って

行動しなければならないのである

   カント


私の如き、力も権力も頭脳も無い・愚昧な小市民の吐く言葉に
御反応いただき恐縮至極ですが、
私は右でも左でも国粋主義者でも排外主義者でもありません。
どこの国の味方でも・どこぞの団体の味方でもありません。

自分から他人にちょっかいを出したり喧嘩を売ったことはありませんが、
一方的に敵視なさる方々が関ってらっしゃれば仕方ありませんから、
自身の身を守る為に対処せざるを得ない、
ただそれだけのことです。

私の主君は日蓮聖人ただお一人であり・拝するのは仏天のみ。
私の生涯の仏道のお師匠はmount-hat氏。
法四依を堅持し、仏の金言・日蓮聖人の金言を拝し・
そちらを判断基準に・日蓮聖人のお膝元に侍えるよう生きようと
無様にもがいております。

   以上

道徳的な悪の原理はたとえゆっくりであっても
道徳的な善の原理に場を譲っていくのである

     カント

 
  <御講聞書・日向>

此の題目の五字・我等衆生の為には、
三途の河にては船となり、
紅蓮地獄にては寒さをのぞき、
焦熱地獄にては涼風となり、
死出の山にては蓮華となり、
渇せる時は水となり・飢えたる時は食となり・
裸なる時は衣となり・妻となり・子となり・眷属となり・
家となり・無窮の応用を施して一切衆生を
利益し給うなり、直至道場とは是なり。

仍つて此の身を取りも直さず寂光土に居るを
直至道場とは云うなり、
直の字心を留めて之を案ず可し云々。


所詮実相の知識とは
所謂南無妙法蓮華経是なり、
知識とは形をしり、心をしるを云うなり、
是れ即ち色心の二法なり


爾前経の心は小善成仏を明さざるなり、

法華経の意は一華・一香の小善も
法華経に帰すれば大善となる、

縦い法界に充満せる大善なりとも
此の経に値わずんば善根とはならず、
譬えば諸河の水・大海に入りぬれば鹹の味となる、
入らざれば本の水なり、
法界の善根も・
法華経へ帰入せざれば善根とはならざるなり


所詮末法に入つては
謗法の人人は餓鬼界の衆生なり、
此の経に値い奉り、
南無妙法蓮華経に値い奉る事は併ら大王膳たり、
忽遇の遇の字肝要たり、
釈に云く、
成仏の難きには非ず、
此の経に値うをかたしとすと云えり、


最も以て南無妙法蓮華経を信受し奉る可きなり、
此の経文の如くならば 法華より外の一切衆生は
いかに高貴の人なりとも餓鬼道の衆生なり、
~法華へ来らずんば何れ餓鬼飢饉の苦みなるべし


今南無妙法蓮華経有れども 
今身より仏に至るまでの受持をうけずんば
成仏は之れ有るべからず・


此の経をうけずんば、法華経を読誦すとも
大王の位に登る事・之れ有る可からず、
醍醐は題目の五字なり云々。


父の業をつぐを以て子とせり

智慧とは万法己己の自受用身の振舞なり、
聡達とは自在自在に振舞うを聡達とは云うなり、
所詮末法・当今の為の寿量品なれば
法華経の行者の行者の上の事なり、

この智慧とは南無妙法蓮華経なり、
聡達とは本有無作三身なりと云う事なり、
元品の無明の大良薬は、南無妙法蓮華経なり、

智とは一切衆生の力なり、
慧とは一切衆生の言語音声なり、

☆(一妙菩薩の事)

仰に云く 妙音菩薩とは・十界の言語音声なり、
此の声悉く慈悲なり、
菩薩とは是れなり、


仏意とは法華経の異名なり


所詮蓮華は水をはなれて生長せず、
水とは南無妙法蓮華経なり、

所詮此の水とは我等行者の信心なり


一に跡をゆずると云うは 釈尊の智慧戒徳を
法華経の行者にゆずり給えり


失とは無明の酒に酔いたる事なり、
仍つて本心を失うと云うなり、

此の酔をさますとは
権教を捨てしむるを云うなり




困難に陥ったときにこそ

日頃の教養が顔を出すのである

  早乙女 貢

道徳的な悪は、その意図において

自らを矛盾し、自らを破壊する傾向があるのである

    カント


<御義口伝上 日興>

薬草喩品・五箇の大事

法華の心を信ずるは種なり

諸法実相の内証に入れば
仏果を成ずるなり


薬とは九界の衆生の心法なり、
法華に値いぬれば三毒の煩悩の心地を
三身果満の種なりと開覚するを薬とは云うなり


今日蓮等の類い 
妙法の薬を煩悩の草に受くるなり、
煩悩即菩提生死即涅槃と覚らしむるを
喩とは云うなり

方便品

一切衆生実相の仏なれば
妙なり不思議なり
謗法の人今之を知らざる故に
之を秘と云う
 


 

浅き罪ならば我より許して

功徳を得さすべし、

重きあやまちならば

信心をはげまして消滅さすべし

    日蓮

  Thank you!