人生はまさにブーメランだ。
人に与えたものは、手元に返ってくる
(カーネギー)
因果律を実覚出来ないのは、
現実を生きていない証左だと思う。
濛気に包まれた仮想現実の帷幄に在って謬見を劫制し、駒を弄するだけの風狂人に、本当の人生の味など分かるまい。
力のない悪は成り立たないとはよく耳にする言い回しだ。
ナオミ・クラインもその著書「ショック・ドクトリン」(岩波書店)の中で、富の壟断と云う宿謀の為に新たな秩序を世界中に劫制する手法について、「人々を恐怖に陥れ、障害を排除するシステムがなければ、そうした経済的目標が民衆の暴動を招く」と指摘している。
悉皆成仏という人類の魂の歩みの逆路を辿らんとする僻様。韜晦された貪婪な金銭欲と征服欲に瞞着されずに
事理を弁えて歩んでいたい。
以前に一度紹介させて頂いた提婆達多の話。
釈尊を妬み憎んだ提婆達多は、あらん限りの悪行を重ね、人々の歓心を買わんと自身の身を飾り立て、弟子らに侮られまいかと異常に風声鶴唳する。
例えば仏に備わるべき三十二相の身体的特徴のうち彼に欠けていた二相…
・眉間に光明を放つ右巻きの白い毛
・足裏に現れる輪形の相
…この二つを補わんが為、
・蛍火を採取して眉間に付け、仏相と言い張り、
・鍛冶屋に菊型を造らせ足に嵌めて大火傷をし、それに因由して瀕死の状態に陥る。
余りの苦痛に耐えきれずに怨敵釈迦に縋りつき、釈迦の一撫でで九死に一生を得たにも拘らず、回復した途端に釈迦は空恐ろしい医術をほどこすなどの悪口を触れ回る…よくもまあ臆面も無く、と愚闇さに失笑を禁じ得ないが、是くの如き人や国が跳梁跋扈しているのがこの現代社会だ。
日蓮聖人は撰時抄の中で
「人路(みち)をつくる、路に迷ふ者あり、作る者の罪となるべしや。良医薬を病人にあたう、病人嫌ひて服せずして死せば、良医の失(とが)となるか」と仰り、病んだ世に甘んじる事無く道理を示して行くことの大切さを訴えられた。
そして窪尼御前御返事では
「まことの心なれども、供養せらるる人だにも悪しければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」と強く戒められている。
また、釈迦が青年純陀に語った「施しをしてはならない者」とは、「殺人・抄掠・姦淫・虚言といった重罪を恥じもせず、道理をさげすみ・忠言を無視し、人心を背進させ世を悪化させる者達」だと言及している。
理非を弁別出来ぬ者に邪曲した精神を扶植し、教唆して世界中を干犯して恬として恥じない者達が、何ぞ冥譴を免れん。どれ程機略を巡らしジェノサイドの嵐を撒き散らそうとも、宇宙の真理までも接収することは出来ないのだ。
気象操作の話をやたらと否定したがる方がいらっしゃるが、此処まで情報が出回っているのに、と逆に怪しんだ方が良いだろう。磁場の撹乱による気象操作について、ドイツでは事実として確りTVニュースで報道されているのだ。
実際、私達解同の被害者は、磁場の撹乱という拷問を受けている。
常に頸部や腰部に非常な負担を掛けられている為、頻繁にギックリ腰になる。(私はこれを『ギクる』と呼んでいる。)例えれば、エステやダイエット器具で利用される電気振動などによる負荷で運動と同様の効果を得られる、というアレを24時間受けている感覚、とでも言おうか。
この攻撃について詳説を加えていらっしゃるのがこちらのブログ。
http://blog.goo.ne.jp/55juka7/e/5c15e2940c4e7cd5204a0a3e71cfbf7b
ギクって横たわったまま、高濃度の化学物質や臭気物を吹き付けられ、まんじりともせず夜を明かすことも珍しくはない。同様の経験を語る被害者さんにもご縁させて頂いている。
また、何が何でも否定したがる方が多いのが件の電磁波攻撃。
ロシアでは化学兵器として認識されているそうだ。是非こちらのブログをご覧頂きたい。
http://blog.goo.ne.jp/grzt9u2b/e/60c06003b09b5293d6c55f5e5720304b
さしあいかまわず糞尿や生ゴミを撒き散らす・動物の死体や使用済み生理用品を起き去る・ヘリコプターでのつけ回し・集団でのつけ回しには公然と公用車が使われる…ここに書くのもウンザリな拷問の数々。CIAの関与は世に知れ渡るところだが、ストーキングに白人・黒人が混ざったり、Googleを通してメタメッセージ(としか解釈し得ない)が送られて来たりといった仄めかしを受ける被害者が少なくないこともその証左となろうか。
特に政治的イデオロギーを信奉している訳ではなかった何も知らない一般市民を、理解不能な難癖を付けては抹殺するこの手法が果たして大御所の方針なのか否かは判りかねるが、ともかくも「Always go for the lowest hanging fruit.」の諺を実践なさっているのは確かなようだ。
これはイデオローグの戦いなどといった高尚なものでは全く無い。経済による覇権という一言に尽きる。
今この国にある試練を黙殺することは出来ないが、ここは扶桑国日本。私達が真理を信じ道理を貫けるかどうか、その心が試されているのだと感じている。
こちらも参考になさって下さい。
http://blog.goo.ne.jp/yumenoyononaka/e/1de3540231109c2bded493c7e0f69088
「謗法と申す罪をば我も知らず人をも失とも思わず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり」(妙法比丘尼御返事)と日蓮聖人がご指摘の様に、知らなかったでは済まされない罪を犯している(法律用語で意味するところの)善意の人達を思うだに憐憫の情を催さずにおれない。
更に厳しい御指摘に、松野殿御消息での記述がある。
「此等のいましめを背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事、譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬には寒来りて草木・人畜をせめ、夏は熱意来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。」
宇宙の真理の存在を信じられないこと程恐ろしい事は無い。
此処は仏守護の国。数多の兄弟が見捨て他の星守護へと去られた此の濁悪地球を、唯独り守護すると宣言なされた釈尊常住の地だ。徒に悲観する必要は無い。日蓮聖人本来の南無妙法蓮華経を杖柱と頼み、下記のお言葉を胸に、天の采配に任せて地道に自身の努力を重ねていたい。
滅するは生ぜんが為
下るは登らんが為なり
日蓮 (御輿振御書)
〈創価学会の欺瞞 3〉
昭和35年5月、池田大作氏が創価学会会長に就任。以後、前2会長とは全く異なる独自のカラーを呈した新興宗教へと変遷を辿る。但し、日蓮正宗の信徒団体として発足した以上、独自の本尊・教義は持ち得ず、日蓮聖人御本仏=御本尊の教義・化儀を巧みに利用し、池田氏を今日蓮と独裁者たらしめるよう曲解している日蓮正宗に似て非なる団体と言わざるを得ない。
例を挙げよう。
以下Mr.mount-hat氏のお便りから転載
「維摩詰は在家の身でありながら供養を受けた事実が『維摩詰経』に記されております。(中略)一つには真に仏法流布に挺身し民衆救済に進むものには供養を受ける資格があるとの思想が底流にあること。二つにはその供養が民衆のために、仏法のために還元されるならば、それは仏法の本義に適うということなのであります。(中略)その供養が仏法流布に生かされるならば、在家の身であっても供養を受けられるという思想があります」
以上、昭和52年1月25日「仏教史観を語る」より
…この指導ほど卑劣にして狡猾極まりないものはありません。仏教徒でありながら、己の慢心と欲望の為に仏典までを利用し、更には無知な学会員に経文の意味を歪曲してまで洗脳をする、まさに魔の所業というべきです。
確かに維摩経には断り切れずに止むを得ず供養を受けたことが記されていますが、それは「自分は仏様ではなく菩薩である。受くべきお方(仏様)が受けた供養ではないが故に、その供養の半分を貧しい民衆に施し、残りの半分を仏様にお供え奉った」というのが経文の意味なのです。即ち、「供養は仏様しか受ける資格がない」ということを教えた経文です。そして池田氏自身が、このことは百も承知の上でこの指導をしているのです。
それ故、この指導もまた日蓮正宗を否定すると共に、いずれ学会員からスムーズに供養と称して金品を搾取出来るよう、その下準備として用意周到になされたものと見做されてもいた仕方ないのです。
転載以上
参照 Mr.mount-hat氏のお便り
南無妙法蓮華経
宜しければ拡散をお願い致します。
出処を明記して下されば転載自由です。
人に与えたものは、手元に返ってくる
(カーネギー)
因果律を実覚出来ないのは、
現実を生きていない証左だと思う。
濛気に包まれた仮想現実の帷幄に在って謬見を劫制し、駒を弄するだけの風狂人に、本当の人生の味など分かるまい。
力のない悪は成り立たないとはよく耳にする言い回しだ。
ナオミ・クラインもその著書「ショック・ドクトリン」(岩波書店)の中で、富の壟断と云う宿謀の為に新たな秩序を世界中に劫制する手法について、「人々を恐怖に陥れ、障害を排除するシステムがなければ、そうした経済的目標が民衆の暴動を招く」と指摘している。
悉皆成仏という人類の魂の歩みの逆路を辿らんとする僻様。韜晦された貪婪な金銭欲と征服欲に瞞着されずに
事理を弁えて歩んでいたい。
以前に一度紹介させて頂いた提婆達多の話。
釈尊を妬み憎んだ提婆達多は、あらん限りの悪行を重ね、人々の歓心を買わんと自身の身を飾り立て、弟子らに侮られまいかと異常に風声鶴唳する。
例えば仏に備わるべき三十二相の身体的特徴のうち彼に欠けていた二相…
・眉間に光明を放つ右巻きの白い毛
・足裏に現れる輪形の相
…この二つを補わんが為、
・蛍火を採取して眉間に付け、仏相と言い張り、
・鍛冶屋に菊型を造らせ足に嵌めて大火傷をし、それに因由して瀕死の状態に陥る。
余りの苦痛に耐えきれずに怨敵釈迦に縋りつき、釈迦の一撫でで九死に一生を得たにも拘らず、回復した途端に釈迦は空恐ろしい医術をほどこすなどの悪口を触れ回る…よくもまあ臆面も無く、と愚闇さに失笑を禁じ得ないが、是くの如き人や国が跳梁跋扈しているのがこの現代社会だ。
日蓮聖人は撰時抄の中で
「人路(みち)をつくる、路に迷ふ者あり、作る者の罪となるべしや。良医薬を病人にあたう、病人嫌ひて服せずして死せば、良医の失(とが)となるか」と仰り、病んだ世に甘んじる事無く道理を示して行くことの大切さを訴えられた。
そして窪尼御前御返事では
「まことの心なれども、供養せらるる人だにも悪しければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」と強く戒められている。
また、釈迦が青年純陀に語った「施しをしてはならない者」とは、「殺人・抄掠・姦淫・虚言といった重罪を恥じもせず、道理をさげすみ・忠言を無視し、人心を背進させ世を悪化させる者達」だと言及している。
理非を弁別出来ぬ者に邪曲した精神を扶植し、教唆して世界中を干犯して恬として恥じない者達が、何ぞ冥譴を免れん。どれ程機略を巡らしジェノサイドの嵐を撒き散らそうとも、宇宙の真理までも接収することは出来ないのだ。
気象操作の話をやたらと否定したがる方がいらっしゃるが、此処まで情報が出回っているのに、と逆に怪しんだ方が良いだろう。磁場の撹乱による気象操作について、ドイツでは事実として確りTVニュースで報道されているのだ。
実際、私達解同の被害者は、磁場の撹乱という拷問を受けている。
常に頸部や腰部に非常な負担を掛けられている為、頻繁にギックリ腰になる。(私はこれを『ギクる』と呼んでいる。)例えれば、エステやダイエット器具で利用される電気振動などによる負荷で運動と同様の効果を得られる、というアレを24時間受けている感覚、とでも言おうか。
この攻撃について詳説を加えていらっしゃるのがこちらのブログ。
http://blog.goo.ne.jp/55juka7/e/5c15e2940c4e7cd5204a0a3e71cfbf7b
ギクって横たわったまま、高濃度の化学物質や臭気物を吹き付けられ、まんじりともせず夜を明かすことも珍しくはない。同様の経験を語る被害者さんにもご縁させて頂いている。
また、何が何でも否定したがる方が多いのが件の電磁波攻撃。
ロシアでは化学兵器として認識されているそうだ。是非こちらのブログをご覧頂きたい。
http://blog.goo.ne.jp/grzt9u2b/e/60c06003b09b5293d6c55f5e5720304b
さしあいかまわず糞尿や生ゴミを撒き散らす・動物の死体や使用済み生理用品を起き去る・ヘリコプターでのつけ回し・集団でのつけ回しには公然と公用車が使われる…ここに書くのもウンザリな拷問の数々。CIAの関与は世に知れ渡るところだが、ストーキングに白人・黒人が混ざったり、Googleを通してメタメッセージ(としか解釈し得ない)が送られて来たりといった仄めかしを受ける被害者が少なくないこともその証左となろうか。
特に政治的イデオロギーを信奉している訳ではなかった何も知らない一般市民を、理解不能な難癖を付けては抹殺するこの手法が果たして大御所の方針なのか否かは判りかねるが、ともかくも「Always go for the lowest hanging fruit.」の諺を実践なさっているのは確かなようだ。
これはイデオローグの戦いなどといった高尚なものでは全く無い。経済による覇権という一言に尽きる。
今この国にある試練を黙殺することは出来ないが、ここは扶桑国日本。私達が真理を信じ道理を貫けるかどうか、その心が試されているのだと感じている。
こちらも参考になさって下さい。
http://blog.goo.ne.jp/yumenoyononaka/e/1de3540231109c2bded493c7e0f69088
「謗法と申す罪をば我も知らず人をも失とも思わず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり」(妙法比丘尼御返事)と日蓮聖人がご指摘の様に、知らなかったでは済まされない罪を犯している(法律用語で意味するところの)善意の人達を思うだに憐憫の情を催さずにおれない。
更に厳しい御指摘に、松野殿御消息での記述がある。
「此等のいましめを背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事、譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬には寒来りて草木・人畜をせめ、夏は熱意来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。」
宇宙の真理の存在を信じられないこと程恐ろしい事は無い。
此処は仏守護の国。数多の兄弟が見捨て他の星守護へと去られた此の濁悪地球を、唯独り守護すると宣言なされた釈尊常住の地だ。徒に悲観する必要は無い。日蓮聖人本来の南無妙法蓮華経を杖柱と頼み、下記のお言葉を胸に、天の采配に任せて地道に自身の努力を重ねていたい。
滅するは生ぜんが為
下るは登らんが為なり
日蓮 (御輿振御書)
〈創価学会の欺瞞 3〉
昭和35年5月、池田大作氏が創価学会会長に就任。以後、前2会長とは全く異なる独自のカラーを呈した新興宗教へと変遷を辿る。但し、日蓮正宗の信徒団体として発足した以上、独自の本尊・教義は持ち得ず、日蓮聖人御本仏=御本尊の教義・化儀を巧みに利用し、池田氏を今日蓮と独裁者たらしめるよう曲解している日蓮正宗に似て非なる団体と言わざるを得ない。
例を挙げよう。
以下Mr.mount-hat氏のお便りから転載
「維摩詰は在家の身でありながら供養を受けた事実が『維摩詰経』に記されております。(中略)一つには真に仏法流布に挺身し民衆救済に進むものには供養を受ける資格があるとの思想が底流にあること。二つにはその供養が民衆のために、仏法のために還元されるならば、それは仏法の本義に適うということなのであります。(中略)その供養が仏法流布に生かされるならば、在家の身であっても供養を受けられるという思想があります」
以上、昭和52年1月25日「仏教史観を語る」より
…この指導ほど卑劣にして狡猾極まりないものはありません。仏教徒でありながら、己の慢心と欲望の為に仏典までを利用し、更には無知な学会員に経文の意味を歪曲してまで洗脳をする、まさに魔の所業というべきです。
確かに維摩経には断り切れずに止むを得ず供養を受けたことが記されていますが、それは「自分は仏様ではなく菩薩である。受くべきお方(仏様)が受けた供養ではないが故に、その供養の半分を貧しい民衆に施し、残りの半分を仏様にお供え奉った」というのが経文の意味なのです。即ち、「供養は仏様しか受ける資格がない」ということを教えた経文です。そして池田氏自身が、このことは百も承知の上でこの指導をしているのです。
それ故、この指導もまた日蓮正宗を否定すると共に、いずれ学会員からスムーズに供養と称して金品を搾取出来るよう、その下準備として用意周到になされたものと見做されてもいた仕方ないのです。
転載以上
参照 Mr.mount-hat氏のお便り
南無妙法蓮華経
宜しければ拡散をお願い致します。
出処を明記して下されば転載自由です。