終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

正義が守られないところでは 力が正義とされる パスカル

2013-11-26 15:34:05 | 大切なことの為に
平常心をもって一切のことをなす人、
これを名人というなり

   柳生宗矩


世界で最も素晴らしく、最も美しいものは
目で見たり手で触れたりすることはできません。
それは、心で感じなければならないのです

    ヘレン・ケラー


それはできる、それをやる、と決断せよ。
それからその方法を見つけるのだ

  リンカーン


<御義口伝下 日興>

(寿量品廿七箇の大事)

惑失本心惑不失者の事

御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり・本心とは下種なり、
不失とは法華経の行者なり、失とは本(もと)有る物を失う事なり
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり


第九毒気深入失本心故の事

御義口伝に云く
毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり
之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり
服しむると雖も吐き出すは而謂不美とてむまからずと云う者なり、
今日日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは而謂不美の者に
非ざるなり


第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事

御義口伝に云く是好良薬とは或は経教惑は舎利なり
さて末法にては南無妙法蓮華経なり
好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり
今留とは末法なり・此とは一閻浮提の中には日本国なり
汝とは末法の一切衆生なり
取は法華経を受持する時の儀式なり、
服するとは唱え奉る事なり
服するより無作の三身なり・始成正覚の病患差(いゆ)るなり
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり


万物がいまある形をしているのは、
そうなる道を歩んだからに
ほかならない

 ダーシー・ウェントウォース

学問は試験を受けることによって
修得すると考えられているかもしれませんが、
修得するには本を読むことが基本なのです

 ハインツ・ユーロー

せこせこと権謀術数を重ね、
なりふり構わず人を押しのければ、
勝者として昇りつめるのは
結構たやすいことだ。
だから人名事典なんかに載っているのはみな、
ぞっとするほど残忍な者たちばかりである

 ヴォルフ・シュナイダー




~はづかなる日本国の小神天照太神・八幡大菩薩の力
及び給うべしや、
其の時八幡宮は・つくりたりとも此の国他国にやぶられば
くぼきところにちりたまり・ひききところに水あつまると、
日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は
兼て又知れり、
八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします、

かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども
八幡大菩薩用いさせ給はぬゆへに此の国はせめらるるなりと
申さむ時はいかがすべき、
然るに天かねて此の事をしろしますゆへに御造営の大ばん
しやうを・はづされたるにやあるらむ、
神宮寺の事のはづるるも天の御計いか。

其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて
其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり、
風は是れ天地の使なり
まつり事あらければ風あらしと申すは
是なり、
又今年四月廿八日を迎えて此の風ふき来る、
而るに四月廿六日は八幡のむね上げと承はる、
三日の内の大風は疑なかるべし、
蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて此の風ふきたらむに
人わらひさたせざるべしや

(八幡宮造営事) 日蓮




いつかできることはすべて
今日でもできる

 モンテーニュ

忠言耳に逆い良薬は口に苦しとは
先賢の言なり

やせ病の者は命をきらう・佞人は諌を用いずと
申すなり、
此の程は上下の人人の御返事申す事なし心も
ものうく手も・たゆき故なり、
しかりと申せども此の事大事なれば
苦を忍んで申すものうしと、おぼすらん、
一篇きこしめすべし

(八幡宮造営事) 日蓮


師子の中の虫・師子をくらう、
仏教をば外道はやぶりがたし、
内道の内に事いできたりて仏道を失うべし仏の遺言なり、

仏道の内には小乗をもつて大乗を失い
権大乗をもつて実大乗を失うべし、此等は又外道のごとし、
又小乗・権大乗よりは実大乗・法華経の人人が
かへりて法華経をば失はんが大事にて候べし、

仏法の滅不滅は叡山にあるべし、
叡山の仏法滅せるかのゆへに異国・我が朝をほろぼさんとす、
叡山の正法の失するゆへに大天魔・日本国に出来して
法然・大日等が身に入り、

此等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かへりて
叡山三千人に入るゆへに師檀中不和にして御祈祷
しるしなし、
御祈祷しるしなければ三千の大衆等檀那に
すてはてられぬ

(法門申さるべき様の事) 日蓮




なに泣いてるの?
世界はぐるぐる回るのよ。
変わらぬものなどあるはずもない。
泣いてばかりじゃ体に悪い。
なくすってことも、ときには必要

ヤーコブ・ラインホルト・レンツ

当時の責はたうべくも・なけれども
未決の悪道を脱すらんと・
おもえば・悦びなり

(開目抄) 日蓮

しらざる事を・よき人に・おしえられて
其のままに信用せば・
道理に・きこゆるがごとし、

(同生同名御書) 日蓮


偽りの平和論者をみてみれば・安定した生活を送る人が
大半だろう。彼等はいざ一たび自身の領域に危険が侵食
してくれば・全力で迷惑がる。
しかし振り返ってみて頂きたい。
理不尽に普通の生活を奪われた人人の犠牲の上に
成り立つ平和の・どこに確固たる安寧があるというのか。

終局的に・どんなに制度を見目形良く整えようと・
人心が歪んでいれば磐石な土台は築けない。
理想論と侮蔑されようとも・最後は「心を直しく」すること
以外・手立てはないと思っている。


この社会は痛み・不快感が
恰も存在しないかのようなふりを
している。
だから些細な喪失に耐えられず・
すぐに爆発してしまう

片田珠美氏

悩みや葛藤を抱えているのが人並み
という常識がないと、
自分だけとんでもない目に遭っている
と錯覚して・
損している感・被害者意識を
持ってしまう

春日武彦氏

闇なれども灯入りぬれば明らかなり
濁水にも月入りぬればすめり、

明かなる事・日月にすぎんや・
清きこと・蓮華にまさるべきや

法華経は日月と蓮華となり故に
妙法蓮華経と名く、
日蓮又・日月と蓮華との如くなり、

信心の水すまば利生の月・必ず応を垂れ
守護し給うべし

(四条金吾女房御書) 日蓮


 

  有り難う。

堅き氷は霜を履むより至る(易経)

2013-11-21 08:03:13 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
人間は
自ら作り出した道具の
道具になってしまった

 ソロー

自分の行動の持つ意味や
それが生み出す結果について
よくかみしめ、
将来への夢の思考と行動との結合を
もっと強化して
実りあるものにしなければならない

 シューマッハー

国を失ひ家を滅せば
何れの所にか世を遁れん
汝須らく一身の安堵を思はば先ず
四表の静謐を祈るべきものか

(立正安国論)日蓮


法華経の第四法師品に云く
「薬王今汝に告ぐ・我が所説の諸経あり・
而も此の経の中に於て最も其の上に在り」 
等云云、

第七の巻に云く
「此の法華経も亦復是くの如し・諸経の中に於て
最も其の上たり」等云云、又云く
「最も照明たり最も其の尊たり」等云云、

此等の経文私の義にあらず・
仏の誠言にて候へば定めて・よもあやまりは候はじ、

魚は水をたのみ・鳥は木をすみかとす、
仏も亦かくの如く法華経を命とし・食とし・すみかとし
給うなり。

魚は水にすむ・仏は此の経にすみ給う・
鳥は木にすむ・仏は此の経にすみ給う・
月は水にやどる・仏は此の経にやどり給う・
此の経なき国には仏まします事なしと
御心得あるべく候。

(上野殿母御前御返事)日蓮


寂光の都ならずは・何くも皆苦なるべし。
本覚の栖(すみか)を離れて何事か楽しみなるべき。

願はくは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ
今生の名聞・後世の弄引なるべけれ。
須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え・
他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき。

(持妙法華問答抄)日蓮

 

此の御本尊こそ冥途のいしやうなれ。よくよく信じ給ふべし。

昨日は人の上・今日は我が身の上なり。
花さけばこのみなり・よめのしうとめになる事候ぞ。
信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱へ給うべし。

(寂日房御書)日蓮


人は臨終の時・地獄に堕つる者は黒色となる上、
其の身重き事千引の石の如し。

善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども
臨終に色変じて白色となる。
又軽き事鵞毛の如し・軟かなる事兜羅綿の如し。

(千日尼御前御書) 日蓮


己心より外に実相を求むべからず

(御義口伝下) 日興

信力の故に受け 念力の故に持つ

(四条金吾殿御返事)日蓮


純真な心を持たず・叡智もない人たちが
その存在を否定するのだ

W.B.イエイツ


ただ信心のくさびに志のあぶらを
ささせ給いて
霊山浄土へまいり給うべし

(大白牛車書) 日蓮



蔵の財(たから)より身の財すぐれたり。
身の財より心の財第一なり。
此の経文を御覧あらんよりは
心の財をつませ給ふべし。

(崇峻天皇御書)日蓮


人の寿命は無常なり。
出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露・
尚譬へにあらず。
はかなきも老いたるも・若きも・定め無き習ひなり。
されば先ず臨終の事を習ひて後に他事を習ふべし

(妙法尼御前御返事) 日蓮


何なる世の乱れにも、各各をば法華経・十羅刹
助け給へと、
湿れる木より火を出だし・乾ける土より水を儲けんが
如く強盛に申すなり

(呵責謗法滅罪抄) 日蓮



唯我一人能為救護と申して
釈迦如来の御手を離るべからず


白烏の恩をば黒烏に報ずべし
聖僧の恩をば凡僧に報ずべし

  日蓮


 


あなたが何かを知っていながら
それでも行動に移そうとしないなら
あなたは内部から腐敗するのみである

 シューマッハー

あなたご自身が学習すること・
すでに行動に移っている仲間に
協力すること・そして
あなたにやれることをあなたの方法で
おやりなさい

 シューマッハー


今一国挙(こぞ)りて仏神の敵となれり、
我が国に此の国を領すべき人
なきかのゆへに
大蒙古国は起るとみへたり、例せば震胆・高麗等は
天竺についでは仏国なるべし、
彼の国国・禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ、
日本国は彼の二国の弟子なり、
二国のほろぼされんにあに此の国安穏なるべしや、
国をたすけ家ををもはん人人はいそぎ禅・念がともがら
を経文のごとくいましめらるべきか、

経文のごとくならば仏神・日本国にましまさず、
かれを請しまいらせんと術はおぼろげならでは
叶いがたし・
先ず世間の上下万人云く八幡大菩薩は
正直の頂(こうべ)にやどり給い別のすみかなし等云云、

(法門申さるべき様の事) 日蓮


人なければ大菩薩のすみかましまさず、
又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にては
おはしませ、
法華経の行者なければ大菩薩のすみか・
おはせざるか

(法門申さるべき様の事) 日蓮


大扶桑国・日本。
月氏から渡り来し釈尊の仏法がこの国に於いて
日蓮聖人の南無妙法蓮華経に成就し、
今度は月氏へと西漸さす使命を帯びた国。


 

何もしないさきから
僕は駄目だときめてしまうのは
それあ怠惰だ

 太宰治


行者は必ず不実なりとも・智慧はをろかなりとも・
身は不浄なりとも・戒徳は備へずとも・
南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。

袋きたなしとて金を捨つる事なかれ、
伊蘭をにくまば栴檀あるべからず。
谷の池を不浄なりと嫌はば蓮をとるべからず。
行者を嫌はば誓ひを破り給ひなん

(祈祷抄) 日蓮

すべからく汝仏にならんと思はば、
慢のはたほこをたをし、いかりの杖をすてて
偏に一乗に帰すべし。

名聞名利は今生のかざり・我慢偏執は後生のほだし
なり。
嗚呼、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし

(持妙法華問答抄) 日蓮



此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給ふべし。
南無妙法蓮華経は師子吼の如し。
いかなる病さはりをなすべきや。
鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを
守護すべしと見えたり。
さいはいは愛染の如く・福は毘沙門の如くなるべし。
いかなる処にて遊びたはふるとも、
つつがあるべからず。
遊行して畏れ無きこと師子王の如く
なるべし。

(経王殿御返事) 日蓮


病あれば死ぬべしといふ事不定なり。
又このやまひは仏の御はからひか。
そのゆへは、
浄名経・涅槃経には、病ある人・仏になるべき
よしとかれて候。

病によりて道心はをこり候か。

(妙心尼御前御返事) 日蓮


今のむぎは法華経の文字なり、又は女人の御ためには
かがみとなり・身のかざりとなるべし、
男のためには・よろひとなり・かぶととなるべし、
守護神となりて弓箭の第一の名をとるべし、
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経

(南条殿御返事) 日蓮


我等は法華経をたのみまいらせて候へば
あさ(浅)きふち(淵に)魚のすむが・
天くもりて雨のふらんとするを魚のよろこぶが・ごとし。
しばらくの苦こそ候とも・
ついには・たのしかるべし

(上野殿御返事) 日蓮


例えばプランターでハーブの苗を育ててみるとか・
今まで新たな分野の書籍を紐解いて見るとかでも
いいではないか。


あなたのいまいる場所で始めるのですよ。
状況が熟すのを待つようでは
いけませんよ

 シューマッハー

 

 Thank you!


力で押し切れば・ゴネ通せば何とか為る・・
そんな未成熟で浅はかさで横車を押し通すようなやり方を
していると、何れは相手にされなくなり・自滅の道を
歩まざるを得ない・・・歴史が嫌と云うほど証明して参りましたね。

とりあえず、私はまだ防御を続けねばならないようです(苦笑)

つまるところ神の御業を行わざるを得ないというのが、悪魔の所業が導いた結果なのである シューマッハー

2013-11-18 08:29:49 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
見てくれのよいものをつくって
それに惑わされるのではなく、
必要なことを実行するのである

  シューマッハー

あなたの心が正しいと思うことをしなさい
どっちにしたって批判されるのだから

 エレノア・ルーズベルト

世界は真実にくみするべきであり、
束の間の現実をとるべきではない

  シューマッハー


四月御神事の最中に法華経信心の行人・四郎男を
刃傷せしめ、去る八月・弥四郎坊男の頸を切らしむ、
日秀等に頸を刎ぬる事を擬して此の中に書き入れ・
無智無才の盗人・兵部房静印より過料を取り・
器量の仁と称して当時の供僧に補せしめ、
或は寺内の百姓を催し鶉狩・狸殺・狼落の鹿を捕りて
別当の坊に於て之を食らい・
或は毒物を仏前の池に入れ若干の魚を殺し・
村里に出して之を売る・

見聞の人・耳目を驚かさざるは莫し・
仏法破滅の基悲しんで余り有り。

此くの如き不善の悪業・日日積るの間・
日秀等愁歎の余り依つて上聞を驚かさんと欲す、

行智条条の自科を塞がんが為に
種種の秘計を廻らし・
近隣の輩を相語らい遮って
跡形もなき不実を申し付け・
日秀等を損亡せしめんと擬するの条
言語道断の次第なり、


冥につけ顕につけ戒めのご沙汰無からんや、
所詮仏法の権実沙汰の真偽・淵底を究めて
御尋ね有り且は誠諦の金言に任せ・且は式条の明文に
準し、禁圧を加えられば・守護の善神は変を消し・
擁護の諸天は咲を含まん、

(滝泉寺申状) 日秀・日弁等


 

その身になってこそ、
何が必要なのか体得できるのだ

自分が貧しい人の身にならぬかぎり、
本当のことはわからない

 シューマッハー


念仏宗と申すは亡国の悪法なり、
このいくさには大体・人人の自害をし候はんずるなり、
善導と申す愚痴の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに
念仏をよくよく申せば自害の心・出来し候ぞ。

禅宗と申し当時の持齋法師等は天魔の所為なり、
教外別伝と申して神も仏もなしなんど申す、
ものくるはしき悪法なり。

真言宗と申す宗は本は下劣の経にて候いしを・
誑惑して法華経にも勝るなんど申して・多くの人人・
大師僧正なんどになりて日本国に大体充満して
上一人より頭をかたぶけたり、
これが第一の邪事に候を昔より今にいたるまで
知る人なし。
但伝教大師と申せし人こそ知りて候いしかども・
くはしくもおほせられず、さては日蓮ほぼこの事をしれり、

後白河法皇の太政の入道にせめられ給いし、
壱岐の法王のかまくらにまけさせ給いし事みな
真言悪法のゆへなり。

漢土にこの法わたりて玄宗皇帝はほろびさせ給う、
この悪法かまくらに下つて 当時かまくらにはやる
僧正法印等は是なり。

(上野殿御返事) 日蓮


 

あなたのいまいる場所で
始めるのですよ

 シューマッハー



日蓮は法華経の明鏡をもつて
自身に引き向かへたるに都て・くもりなし、
過去の謗法の我が身にある事疑いなし、
此の罪を今生に消さずば未来争か地獄の苦をば
免るべき、

過去遠遠の重罪をば何にしてか皆集めて今生に
消滅して、未来の大苦を免れんと勘えしに
当世・時に当つて謗法の人人・国中に充満せり、

其の上・国主既に第一の誹謗の人たり、
此の時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき、

日蓮が小身を日本国に打ち覆うてののしらば
無量無辺の邪法の四衆等・
無量無辺の口を以つて一時に誹るべし、

爾の時に国主は謗法の僧等が方人として日蓮を
怨み、或は頸を刎ね・或は流罪に行ふべし、

度度かかる事・出来せば無量劫の重罪・
一生の内に消なんと謀てたる大術・少も違ふ事なく・
かかる身となれば所願も満足なるべし。

然れども凡夫なれば動もすれば悔ゆる心
有りぬべし、

日蓮だにも是くの如く侍るに・前後も弁へざる女人
なんどの各仏法を見ほどかせ給わぬが・
何程か日蓮に付いてくやしと・おぼすらんと心苦し
かりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志ども
ありと聞へ候は偏に只事にあらず、
教主釈尊の各の御心に入り替らせ給うかと思へば
感涙押え難し、

妙楽大師の釈に云く記七
「故に知んぬ末代一時も聞くことを得、
聞き已つて信を生ずる事宿種なるべし」等云云、

又云く弘二
「運像末に在つて此の真文をみる宿に妙因を殖うるに
非ざれば実に値い難しと為す」等云云。

(呵責謗法滅罪抄) 日蓮


 

ものを豊かに育て上げてくれる肥料は
「慈しみの心」をおいてほかになく、
われわれの人生に必要なのが
この心である

 シューマッハー



御身は佐渡の国にをはせども、
心は此の国に来れり。

仏になる道も此の如し。

我等は穢土に候へども・心は霊山に住むべし。

御面を見てはなにかせん。
心こそ大切に候へ。

(千日尼御前御返事) 日蓮


夫れ信心と申すは別にはこれなく候。
妻のおとこをおしむが如く・
をとこの妻に命をすつるが如く・
親の子をすてざるが如く・
子の母にはなれざるが如くに、

法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に
信を入れ奉りて南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを
信心とは申し候なり、

しかのみならず、
正直捨方便・不受余経一偈の経文を
女のかがみをすてざるが如く・
男の刀をさすが如く・
すこしもすつる心なく案じ給うべく候、
あなかしこ・あなかしこ

(妙一尼御前御返事) 日蓮


 

釈尊の本果妙の仏法は・
法華経を信受する者のみを救ったが、
法華経誹謗・不信のものを救うことができなかった。

今末法の本因妙の仏法は、
逆縁によって一切衆生を救うことができるもの。
最も救済を必要とする者を救えてこそ・
一切衆生の救済があるのだ。

私たちはそれぞれ・
自分の置かれた現実を把握し・
夢を見て思考し、
行動しなければならぬ責任があるし
また、その力をもっている

 シューマッハー
 

 

権力や腕力に訴えても膝下に捻じ伏せようとする。

人間は低級な人間ほど、
おのれを恃する者への妬みを募らせる

  早乙女貢


攻撃されれば防御せざるを得ない。
これは、必然。


 

 Thank you!

慈悲心のともなわぬ正義は残酷に通じるし、正義のともなわぬ慈悲心では無秩序を生む アクイナス

2013-11-16 13:32:34 | 亡国
賢人は思想を語り、
凡人は事象を語り、
愚人は人について語る

エレノア・ルーズベルト


爾前の経経は塔のあししろなれば切りつつるとも、
又塔をすり(修理)せん時は用ゆべし又切りすつべし、
三世の諸仏の説法の儀式かくのごとし、

師子の中の虫・師子をくらう・
仏教をば外道はやぶりがたし・内道の内に事いできたりて
仏道を失うべし・仏の遺言なり、

「聖人は言(ことば)をかざらずと申す、」

(法門申さるべき様の事)


 

源濁れば流れ清からず

  日蓮

この前の戦争で勝った者は
だれもいなかったし、
この次の戦争だって
誰も勝ちはしないのよ
 
 エレノア・ルーズベルト

受動的なありかた・
理性が自律ではなく他律に頼ろうとする
傾向こそが、「先入観」と呼ばれるのである

 中山 元



此の条・跡形も無き虚誕なり。
日秀等は損亡せられし行者なり、

不安堵の上は誰の人か日秀等の点札を叙用せしむ可き
将た又おう弱なる土民の族・日秀等に雇い越されんや、

然らば弓箭を帯し悪行を企つるに於ては行智云く
近隣の人人争つて弓箭を奪い取り・
其の身に召し取ると云うが如き子細を申さざるや、

矯飾の至り宜しく賢察に足るべし。

日秀・日弁は無頼の身たるに依つて所縁を相憑み猶
寺中に寄宿せしむるの間此の四箇年の程・
日秀等の所職の住坊を奪い取り厳重の御祈祷を
打ち止むるの余り悪行猶以て飽き足らず
為に法華経行者の跡を削り謀案を構えて
種種の不実を申し付くるの条・あに在世の調達に非ずや

(滝泉寺申状) 日秀・日弁等


 

殆どの人たちは
目の前に置かれたもの以外には
なかなか考えが及ばぬものである

身の程を心得ている人間は
もっと観察心が旺盛で
注意深くなるはずだ

 シューマッハー

知識と賢明さを取り違えないように。
知識は生計を立てるのに役立ちますが、
賢明さは人生を生きる糧となる

 エレノア・ルーズベルト


狂信行為というのは、
自分が間違っていると知っていながら
何かに血道を上げるという態度である

  シューマッハー


過去遠遠劫よりこのかた一言も妄語のましまさざる
ゆへなり、されば或経に云く、
「須弥山はくづるるとも・天地をばうちかへすとも・
仏には妄語なし」ととかれたり、

日は西よりいづとも・大海の潮はみちひずとも・
仏の御言はあやまりなしとかや、

其の上此の法華経は他経にもすぐれさせ給へば
多宝仏も証明し、諸仏も舌を梵天につけ給う、
一字一点も妄語は候まじきにや

(上野殿御返事)


 


滅するは生ぜんが為
下るは登らんが為なり

  日蓮

真摯に勇気を持って人生と向かいあえば、
人間は経験を通じて成長します。
そうして人格がつくられるのです。

何かに興味を持っていれば
新しい興味を探す必要がない。
向こうからこっちにやってきます。
純粋に一つの事に打ち込めば、
必ず違う何かにつながっていきます

  エレノア・ルーズベルト

帆を張ってさえいれば、
風が吹き始めたその風に
乗ることならできるはずだ

  シューマッハー

日蓮をつえはしらともたのみ給ふべし。

けはしき山・あしき道・つえをつきぬればたをれず。
殊に手をひかれぬればまろぶ事なし。

南無妙法蓮華経は死出の山にては
つえはしらとなり給へ。~

只一心に信心おはして霊山を期し給へ

(弥源太殿御返事) 
 日蓮

どちらにしても、
私たちには最善の道しか用意されていないのだろう・・・


人間は、
一人一人が一つの宇宙なのである

  シューマッハー

  Thank you!


攻撃してくる方々がいらっしゃる以上は防御するしかございません。
どのような世界であっても・
義道を解さぬ方と向き合わねばならぬのは不毛の感を免れませんね。
残念至極です。

個々の行為の総和は 愚行になりかねない(シューマッハー)

2013-11-14 16:47:02 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
現在の事態は
一時の景気後退ではなくて
一つの時代の終焉である

善悪・良否を見分けられる
伝統の英知

  シューマッハー


大魔のつきたる者どもは
ひとりをけうくん(教訓)しをとしつれば
それをひつかけにして
多くの人をせめをとすなり

  (上野殿御返事)


我が法も又此くの如し
悪人・外道・天魔波旬・五通らにはやぶられず
仏のごとく・六通の羅漢のごとく、
三衣を皮のごとく身に纏い・一鉢を両眼にあてたらむ
持戒の僧と・
大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等・
我が正法を失うべし。

其の時・梵天・日月・四天いかりをなし・
其の国に大天変・大地妖等を発していさめむに
いさめられずば其の国の内に七難ををこし、
父母・兄弟・王臣・万民等互に大怨敵となり
梟鳥が母を食い・破鏡が父を害するがごとく・
自国をやぶらせて・結句他国より其の国をせめさすべしと
みへて候。

  (神国御書)


慧心僧都の一乗要決の下に云く

「仏説に説いて言く法華信実なり・前は未だ真実を顕さず
何ぞ強ちに仏教に背いて 法華の怨嫉と為るや」

  (釈迦一代五時継図)




一つの問題を解決したために、
新しいいくつもの問題が生じたというような例が
あまりにも多すぎる

  シューマッハー


伝教大師の顕戒論の中に云く

「二乗の者の持戒精進は即ち菩薩の破戒懶惰なり
故に応に親近すべからず、来らば為に法を説け、
親使・利養・恭敬を希わざれ」云云、

秀句の下に云く

「小乗の持戒は則ち菩薩の煩悩なり」云云、

  (釈迦一代五時継図)


六道の中に二五と申すろうをかまへて一切衆生を入るる
のみならず・
妻子と申すほだしをうち・父母主君と申すあみを空にはり・
貪瞋痴の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす・
但悪のさかなのみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、
たまたま善の心あれば障碍をなす、
法華経を信ずる人をば・いかにもして悪へ堕とさんと
おもうに叶わざれば・やうやくすかさんがために
相似せる華厳経へをとしつ~

此れは第六天の魔王が智者の身に入つて
善人をたぼらかすなり、
法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は
是なり。

   (兄弟抄)




要は社会にタカるようでは
いけないのである

  シューマッハー


文句の五に云く
一切衆生等しく仏性有り、
仏性同じきが故に等しく是れ子なり、

若し父の寿の遠きをしらず・復父継の邦に迷わば
徒に才能と謂うとも全く人の子にあらず

  (一代五時継図)


宝塔品に云く

「此の経は持ち難し、
若し暫くも持つ者は我則ち歓喜す・諸仏も亦然なり、
是の如きの人は諸仏の歎め給う所なり、
是則ち勇猛なり・是則ち精進なり、
是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く、則疾く
仏道を得と為す、
能く来世に於て此の経を読み持たんは是真の仏子なり」

云云

  (一代五時継図)




今足を踏みしめているところから
前進あるのみです

  シューマッハー


いかなる処にて遊びたはふるとも・
つつがあるべからず
遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし、
十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかかるべきなり、
但し御信心によるべし、
つるぎなんども・すすまざる人のためには
用る事なし、
法華経の剣は信心のけなげなる人こそ
用ゆ事なれ・鬼に・かなぼうたるべし、

日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ
信じさせ給へ、
仏の御心は法華経なり、
日蓮がたましひは南無妙法蓮華経に
すぎたるはなし、

妙楽云く、
「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給う。

  (経王殿御返事)


    日蓮

  Thank you!


他ブログでも書きましたが、力による統治は、膨張するに付けてより多くの力を必要とするものですね。よって自らを苦境に立たせるのです。一般社会では自明の理・常識中の常識ですが、上意下達も儘為らぬ恣意的・嗜虐的末端組織に自由裁量を与えるのと野放しにするのとでは意味も結果も異なって参ります。自分から他者にちょっかいを出したことはございませんが、一方的に・しかも非常に恣意的な理由で風声鶴唳なさって攻撃を加えてくる方がいらっしゃる以上は、礼を失しない範囲で防御の為に手を打つしかない・・これが実情。ブログでも、日蓮聖人の教えをお伝えできれば十分ですのにね・・。