平常心をもって一切のことをなす人、
これを名人というなり
柳生宗矩
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは
目で見たり手で触れたりすることはできません。
それは、心で感じなければならないのです
ヘレン・ケラー
それはできる、それをやる、と決断せよ。
それからその方法を見つけるのだ
リンカーン
<御義口伝下 日興>
(寿量品廿七箇の大事)
惑失本心惑不失者の事
御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり・本心とは下種なり、
不失とは法華経の行者なり、失とは本(もと)有る物を失う事なり
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり
第九毒気深入失本心故の事
御義口伝に云く
毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり
之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり
服しむると雖も吐き出すは而謂不美とてむまからずと云う者なり、
今日日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは而謂不美の者に
非ざるなり
第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事
御義口伝に云く是好良薬とは或は経教惑は舎利なり
さて末法にては南無妙法蓮華経なり
好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり
今留とは末法なり・此とは一閻浮提の中には日本国なり
汝とは末法の一切衆生なり
取は法華経を受持する時の儀式なり、
服するとは唱え奉る事なり
服するより無作の三身なり・始成正覚の病患差(いゆ)るなり
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり
万物がいまある形をしているのは、
そうなる道を歩んだからに
ほかならない
ダーシー・ウェントウォース
学問は試験を受けることによって
修得すると考えられているかもしれませんが、
修得するには本を読むことが基本なのです
ハインツ・ユーロー
せこせこと権謀術数を重ね、
なりふり構わず人を押しのければ、
勝者として昇りつめるのは
結構たやすいことだ。
だから人名事典なんかに載っているのはみな、
ぞっとするほど残忍な者たちばかりである
ヴォルフ・シュナイダー
~はづかなる日本国の小神天照太神・八幡大菩薩の力
及び給うべしや、
其の時八幡宮は・つくりたりとも此の国他国にやぶられば
くぼきところにちりたまり・ひききところに水あつまると、
日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は
兼て又知れり、
八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします、
~
かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども
八幡大菩薩用いさせ給はぬゆへに此の国はせめらるるなりと
申さむ時はいかがすべき、
然るに天かねて此の事をしろしますゆへに御造営の大ばん
しやうを・はづされたるにやあるらむ、
神宮寺の事のはづるるも天の御計いか。
其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて
其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり、
風は是れ天地の使なり
まつり事あらければ風あらしと申すは
是なり、
又今年四月廿八日を迎えて此の風ふき来る、
而るに四月廿六日は八幡のむね上げと承はる、
三日の内の大風は疑なかるべし、
蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて此の風ふきたらむに
人わらひさたせざるべしや
(八幡宮造営事) 日蓮
いつかできることはすべて
今日でもできる
モンテーニュ
忠言耳に逆い良薬は口に苦しとは
先賢の言なり
やせ病の者は命をきらう・佞人は諌を用いずと
申すなり、
此の程は上下の人人の御返事申す事なし心も
ものうく手も・たゆき故なり、
しかりと申せども此の事大事なれば
苦を忍んで申すものうしと、おぼすらん、
一篇きこしめすべし
(八幡宮造営事) 日蓮
師子の中の虫・師子をくらう、
仏教をば外道はやぶりがたし、
内道の内に事いできたりて仏道を失うべし仏の遺言なり、
仏道の内には小乗をもつて大乗を失い
権大乗をもつて実大乗を失うべし、此等は又外道のごとし、
又小乗・権大乗よりは実大乗・法華経の人人が
かへりて法華経をば失はんが大事にて候べし、
仏法の滅不滅は叡山にあるべし、
叡山の仏法滅せるかのゆへに異国・我が朝をほろぼさんとす、
叡山の正法の失するゆへに大天魔・日本国に出来して
法然・大日等が身に入り、
此等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かへりて
叡山三千人に入るゆへに師檀中不和にして御祈祷
しるしなし、
御祈祷しるしなければ三千の大衆等檀那に
すてはてられぬ
(法門申さるべき様の事) 日蓮
なに泣いてるの?
世界はぐるぐる回るのよ。
変わらぬものなどあるはずもない。
泣いてばかりじゃ体に悪い。
なくすってことも、ときには必要
ヤーコブ・ラインホルト・レンツ
当時の責はたうべくも・なけれども
未決の悪道を脱すらんと・
おもえば・悦びなり
(開目抄) 日蓮
しらざる事を・よき人に・おしえられて
其のままに信用せば・
道理に・きこゆるがごとし、
(同生同名御書) 日蓮
偽りの平和論者をみてみれば・安定した生活を送る人が
大半だろう。彼等はいざ一たび自身の領域に危険が侵食
してくれば・全力で迷惑がる。
しかし振り返ってみて頂きたい。
理不尽に普通の生活を奪われた人人の犠牲の上に
成り立つ平和の・どこに確固たる安寧があるというのか。
終局的に・どんなに制度を見目形良く整えようと・
人心が歪んでいれば磐石な土台は築けない。
理想論と侮蔑されようとも・最後は「心を直しく」すること
以外・手立てはないと思っている。
この社会は痛み・不快感が
恰も存在しないかのようなふりを
している。
だから些細な喪失に耐えられず・
すぐに爆発してしまう
片田珠美氏
悩みや葛藤を抱えているのが人並み
という常識がないと、
自分だけとんでもない目に遭っている
と錯覚して・
損している感・被害者意識を
持ってしまう
春日武彦氏
闇なれども灯入りぬれば明らかなり
濁水にも月入りぬればすめり、
明かなる事・日月にすぎんや・
清きこと・蓮華にまさるべきや
法華経は日月と蓮華となり故に
妙法蓮華経と名く、
日蓮又・日月と蓮華との如くなり、
信心の水すまば利生の月・必ず応を垂れ
守護し給うべし
(四条金吾女房御書) 日蓮
有り難う。
これを名人というなり
柳生宗矩
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは
目で見たり手で触れたりすることはできません。
それは、心で感じなければならないのです
ヘレン・ケラー
それはできる、それをやる、と決断せよ。
それからその方法を見つけるのだ
リンカーン
<御義口伝下 日興>
(寿量品廿七箇の大事)
惑失本心惑不失者の事
御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり・本心とは下種なり、
不失とは法華経の行者なり、失とは本(もと)有る物を失う事なり
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり
第九毒気深入失本心故の事
御義口伝に云く
毒気深入とは権教謗法の執情深く入りたる者なり
之に依つて法華の大良薬を信受せざるなり
服しむると雖も吐き出すは而謂不美とてむまからずと云う者なり、
今日日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは而謂不美の者に
非ざるなり
第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事
御義口伝に云く是好良薬とは或は経教惑は舎利なり
さて末法にては南無妙法蓮華経なり
好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり
今留とは末法なり・此とは一閻浮提の中には日本国なり
汝とは末法の一切衆生なり
取は法華経を受持する時の儀式なり、
服するとは唱え奉る事なり
服するより無作の三身なり・始成正覚の病患差(いゆ)るなり
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり
万物がいまある形をしているのは、
そうなる道を歩んだからに
ほかならない
ダーシー・ウェントウォース
学問は試験を受けることによって
修得すると考えられているかもしれませんが、
修得するには本を読むことが基本なのです
ハインツ・ユーロー
せこせこと権謀術数を重ね、
なりふり構わず人を押しのければ、
勝者として昇りつめるのは
結構たやすいことだ。
だから人名事典なんかに載っているのはみな、
ぞっとするほど残忍な者たちばかりである
ヴォルフ・シュナイダー
~はづかなる日本国の小神天照太神・八幡大菩薩の力
及び給うべしや、
其の時八幡宮は・つくりたりとも此の国他国にやぶられば
くぼきところにちりたまり・ひききところに水あつまると、
日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は
兼て又知れり、
八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします、
~
かかる者の弟子檀那と成りて候が八幡宮を造りて候へども
八幡大菩薩用いさせ給はぬゆへに此の国はせめらるるなりと
申さむ時はいかがすべき、
然るに天かねて此の事をしろしますゆへに御造営の大ばん
しやうを・はづされたるにやあるらむ、
神宮寺の事のはづるるも天の御計いか。
其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に大風ふきて
其の年の他国よりおそひ来るべき前相なり、
風は是れ天地の使なり
まつり事あらければ風あらしと申すは
是なり、
又今年四月廿八日を迎えて此の風ふき来る、
而るに四月廿六日は八幡のむね上げと承はる、
三日の内の大風は疑なかるべし、
蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて此の風ふきたらむに
人わらひさたせざるべしや
(八幡宮造営事) 日蓮
いつかできることはすべて
今日でもできる
モンテーニュ
忠言耳に逆い良薬は口に苦しとは
先賢の言なり
やせ病の者は命をきらう・佞人は諌を用いずと
申すなり、
此の程は上下の人人の御返事申す事なし心も
ものうく手も・たゆき故なり、
しかりと申せども此の事大事なれば
苦を忍んで申すものうしと、おぼすらん、
一篇きこしめすべし
(八幡宮造営事) 日蓮
師子の中の虫・師子をくらう、
仏教をば外道はやぶりがたし、
内道の内に事いできたりて仏道を失うべし仏の遺言なり、
仏道の内には小乗をもつて大乗を失い
権大乗をもつて実大乗を失うべし、此等は又外道のごとし、
又小乗・権大乗よりは実大乗・法華経の人人が
かへりて法華経をば失はんが大事にて候べし、
仏法の滅不滅は叡山にあるべし、
叡山の仏法滅せるかのゆへに異国・我が朝をほろぼさんとす、
叡山の正法の失するゆへに大天魔・日本国に出来して
法然・大日等が身に入り、
此等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かへりて
叡山三千人に入るゆへに師檀中不和にして御祈祷
しるしなし、
御祈祷しるしなければ三千の大衆等檀那に
すてはてられぬ
(法門申さるべき様の事) 日蓮
なに泣いてるの?
世界はぐるぐる回るのよ。
変わらぬものなどあるはずもない。
泣いてばかりじゃ体に悪い。
なくすってことも、ときには必要
ヤーコブ・ラインホルト・レンツ
当時の責はたうべくも・なけれども
未決の悪道を脱すらんと・
おもえば・悦びなり
(開目抄) 日蓮
しらざる事を・よき人に・おしえられて
其のままに信用せば・
道理に・きこゆるがごとし、
(同生同名御書) 日蓮
偽りの平和論者をみてみれば・安定した生活を送る人が
大半だろう。彼等はいざ一たび自身の領域に危険が侵食
してくれば・全力で迷惑がる。
しかし振り返ってみて頂きたい。
理不尽に普通の生活を奪われた人人の犠牲の上に
成り立つ平和の・どこに確固たる安寧があるというのか。
終局的に・どんなに制度を見目形良く整えようと・
人心が歪んでいれば磐石な土台は築けない。
理想論と侮蔑されようとも・最後は「心を直しく」すること
以外・手立てはないと思っている。
この社会は痛み・不快感が
恰も存在しないかのようなふりを
している。
だから些細な喪失に耐えられず・
すぐに爆発してしまう
片田珠美氏
悩みや葛藤を抱えているのが人並み
という常識がないと、
自分だけとんでもない目に遭っている
と錯覚して・
損している感・被害者意識を
持ってしまう
春日武彦氏
闇なれども灯入りぬれば明らかなり
濁水にも月入りぬればすめり、
明かなる事・日月にすぎんや・
清きこと・蓮華にまさるべきや
法華経は日月と蓮華となり故に
妙法蓮華経と名く、
日蓮又・日月と蓮華との如くなり、
信心の水すまば利生の月・必ず応を垂れ
守護し給うべし
(四条金吾女房御書) 日蓮
有り難う。