終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

滄浪の水清まば以て我が纓を濯うべし 時にはビスターリも恐れずに。

2013-10-06 08:33:01 | 大切なことの為に
釣れないときは

魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい

ヘミングウェイ

自己の向上を心がけている者は、

喧嘩などする暇がないはずだ
  
   リンカーン

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

  シラー



人の悦び多多なれば
天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり、

人の悪心盛なれば
天に凶変地に凶妖出来す

瞋恚の大小に随いて天変の大小あり
地妖も又かくのごとし

  (瑞相御書)

いかにいわうや仏教をならはん者の
父母・師匠・国恩をわするべしや。

此の大恩をほうぜんには必ず
仏法をならひきわめ、
智者とならで叶ふべきか

  (報恩抄)
   

   日蓮



徒に現世利益を追求させたり・
仮初めの楽にばかり目をむけさせるような教えや思潮は、

「苦は苦とさとり・楽をば楽とひらき」
「いかなるわづらはしきことも夢となして」
「一心に仏を見奉らんとし」

と日蓮聖人の警句にもあるように、成道からは外れています。

「諸余怨敵・皆悉催滅」の御文。

これは在世に於いて、自身に敵対する者が消え失せる、
ということではなく、
法華経に預けたこの命が、
九識心王真如の都である南無妙法蓮華経の命に感応し・
そこに自身の意識を定めることによって、
自身の認識する概念としての「敵」「侵害者」が消滅する、
という意味ではないかと思います。

常に心・意識を南無妙法蓮華経という宇宙の真理に置く。
自身の内なる仏界にフォーカスして自身の生を取り巻く事象を見つめ・
捉え直すことが出来た時、
「生滅滅己・寂滅為楽」という、生死を超越した永遠の魂としての自我を
認識できる。すると、自身が囚われていた煩悩の炎も鎮まり、
三毒により犯していた愚行を愚行と知り・真の安らぎの境地に
住することができる。

その時には既に、
身体へのあらゆる外的影響を受けながらも心は自由であり、
あらゆる負荷は成仏への試金石・魂の陶冶のための試練に
過ぎなくなるのです。

悟りを得るとは、あらゆる外的作用に侵食されない、
絶対的な安穏の境地に住するということです。
その境地を常に感じて生きることが、一生成仏であり、

「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。
 
 仏に成る道も此の如し。

 我等は穢土に候へども 心は霊山に住むべし。

 御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。」

    (千日尼御前御返事)

とあるように、

その成道への直道こそが、仏の本懐・日蓮聖人の
「南無妙法蓮華経」を信受するという修行なのです。




主人の曰く、
予少量たりと雖も忝くも大乗を学す。

蒼蠅驥尾に附して万里を渡り、
碧羅松頭に懸かりて千尋を延ぶ。

弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)ふ。
何ぞ仏法の衰微を見て
心情の哀惜を起こさざらんや。

  (立正安国論)

至理は名無し、
聖人理を観じて万物に名を付くる時、
因果倶時不思議の一法之れ有り。
之を名けて妙法蓮華と為す。

此の妙法蓮華の一法に
十界三千の諸法を具足して欠減無し。
之を修行する者は
仏因仏果同時に之を得るなり

  (当体義抄)


日蓮




生命を愛すな 憎むな。

生くる限り よく生きよ。

その永き・短きは天に譲れ

  ミルトン

人生の悲劇は、

まだ生きているのに

心が死んでいるということである

  シュバイツアー


人久しといえども百年には過ぎず

其の間の事は但一睡の夢ぞかし
 
   日蓮


理想を持ち・信念に生きよ

   信長


未来に自信を持とう。

未来は必ず、私達人間が

敢然と道を切り拓いてくるのを待っている

  トマス・ベリー




Thanks!