終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

鶏いくさに竹釘いくさ(2)

2013-12-29 12:54:14 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
地道な過程こそが
世の中をよりよい方向に変える
秘訣です

気づいた人から
生活を変えてゆくしかありません

飽本 一裕氏


智慧第一の舎利弗も
但此の経を受け持ち・信心強盛にして仏になれり。
己が智慧にて仏にならずと説き給へり。
舎利弗だにも智慧にては仏にならず。
況や我等衆生・少分の法門を心得たりとも、
信心なくば仏にならんことおぼつかなし。

(新池御書)

かへすがへす身の財をだにをしませ給わば
此の病・治しがたかるべし。
一日の命は三千界の財にもすぎて候なり。
先づ御志を見みさせ給ふべし

(可延定業御書)


 

日本に伝わる神は数多くありますが、これらは歴史学的には
随分と曖昧な神が多く見られます。
例えば古事記・日本書紀・風土記等に於ける神々の名称や
数はそれぞれに異なっていますが、それは当時、神話を編纂するに
当って・制作者の意図が違ったことに起因します。
それまでの部族ごと・集団ごとに異なっていた神話や神々が、
政治的な意図や編纂者の意思により、省かれ・作られしたから
なのです。これは神社の御神体にも見受けられます。

例えば有名な八幡神社。
総本山とされる宇佐神宮では応神天皇を主祭神として
左右に比売神と神功皇后とを配祀します。
しかし全国の八幡神社を見渡せば、中哀天皇と神功皇后が
配祀されていたり・玉依姫命・住吉神を配祀したり・
或いは応神天皇だけが祀られていたりと、
全ての神社が一定している訳ではありませんね。
また大国主命等のように、大和朝廷が滅ぼした民族の怨霊を
鎮めるために、祀りあげられている例もあります。
神道が根拠とする神話や伝説の多くは、古代人の政治政策の
産物と見るほうが遥かに現実的です。

神々にも色々あり、観念神(この世の創造主とされる神)・人格神
・祖先神(菅原道真・平将門等)等多多見受けられます。
日本では英雄であると同時に・不運な死を遂げざるを得なかった人は
神として崇められる傾向があります。

過去の偉人や先祖を偲び敬う行為は当然の心情であり・大切なこと
ですが、過去の偉人を神と崇めてその偉業に肖ろう・或いは
祟りを鎮めて慰めようとすることなどは、残された人・後世の人々の
勝手な願いであり、これらの神はまさに祭り上げられた存在であると
いえるのではないでしょうか・・?

他にも畏怖の念に基づく自然発生的な原始宗教における自然神・
動物神なども見られます。特に動物を祭神にして拝するという行為は
畜生道の生命に感応することになります。
四悪道(地獄・餓鬼・畜生・修羅)に自ら願って堕ちようとすることは、
ご利益どころか害を招くのは理の当然で、実際にキツネ憑き・ヘビ憑き
などの霊的現象も見られます。

全国で最も多いとされる八幡神社。
祀られている八幡神は、実は自らを仏様の弟子となのっています。
延暦二年(783)、宇佐八幡では神託が下ります。
神が自らを護国霊験威力神通大自在王菩薩と称する、
というものです。
これは八幡神が仏の弟子であることを示したものであり、
神号に使用される神通や自在の文字は仏教由来の言葉です。
日蓮聖人は
「八幡大菩薩は日本第十六の王・本地は霊山浄土に
法華経を説かせ給いし教主釈尊なり云云」(南条殿御返事)
と、八幡神の本地は、実はインドのお釈迦様であると仰せです。
また、天満神のように、神は仏とは違い・我々と同じく
恨み等の煩悩をもっているとされています。
つまり神社に祭られる神は、仏教に説かれるところの仏弟子を
守護する神であり・また喜怒哀楽の煩悩を有する・極めて
人間に近い存在でもあります。

仏教では神は二つに大別されます。
一つは善鬼神。諸天善神とも呼ばれ・正法法華経の行者を
守護し・国土民衆を守護し福を齎す神々です。
もう一つは悪鬼神。悪鬼とも呼ばれ・
第六天の魔王に象徴されるこれらの神は、
仏道修行を妨げ・国土社会を乱し・衆生界の
民が仏界へと去るのを引き止める為に障りをなします。
鬼神とは目には見えない・超人的な力を有するものに付けられた
総称であると理解なさって下さい。

「鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、
善鬼は法華経の怨(あだ)を食す・悪鬼は法華経の行者を
食す云々」(日女尼御前御返事)

「寿命を食する鬼神もあり・声を食する鬼神もあり・
~地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵天・二乗・菩薩・
仏は仏法をなめて身とし魂とし給ふ云云」(曽谷殿御返事)


Mr.mount-hat

 

口の喜びとは南無妙法蓮華経なり。
意の喜びとは無明の惑障無き故なり

今日蓮等の類の修行は
難来るを以て安楽と意得可きなり

(御義口伝) 日興

夫れ仏法は王法の崇尊に依つて
威を増し
王法は仏法の擁護に依つて
長久す

(四十九院申状)承賢・賢秀・日持・日興

 

自分を守ろうとしても
そのもとの地球が駄目になったら
私たちは終わりです

何か行動を!

飽本 一裕氏

時間は概念だけで、
じつはすべてが今の中にある

越智 啓子


 

正月の一日は日のはじめ・月の始め・としのはじめ・
春の始め。
此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく・
日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく・
とくもまさりひとにもあいせられ候なり

(十字御書) 日蓮

 本当に、有り難う御座いました。

 良いお年を。


 

鶏いくさに竹釘いくさ

2013-12-28 13:31:49 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
私たちは欲望の台風に巻き込まれ、
本来の使命を、
感謝の気持ちと共に喪失してしまいました

「欲」を「欲」で
拡大しすぎたせいなのです

飽本 一裕氏

奸智の徒はいずれも表裏あり。
令色容易に内奥を窺わせず
笑みを湛えて人を殺すのである

早乙女 貢


 

外道と申すは仏前・八百年よりはじまりて、
はじめは二天・三仙にありしが・やうやく・わかれて
九十五種なり、
其の中に多くの智者・神通のもの・ありしかども
一人も生死をはなれず、
又帰依せし人人も善につけ悪につけて皆三悪道に
堕ち候いしを・仏出世せさせ給いてありしかば、
九十五種の外道・十六大国の王臣諸民をかたらひて
或はのり或は打ち或は弟子或はだんな等・
無量無辺ころせしかども仏たゆむ心なし、

我此の法門を諸人にをどされていゐやむほどならば
一切衆生地獄に堕つべしと・つよくなげかせ給いし
ゆへに・退する心なし、
此の外道と申すは先仏の経経を見て・
よみそこないて候いしより事をこれり。

今も又かくのごとし、
日本の法門多しといへども源は八宗・九宗・十宗より
をこれり、
十宗の中に華厳等の宗宗はさてをきぬ、
真言と天台との勝劣に弘法・慈覚・智証のまどひしに
よりて日本国の人人、今生には他国にもせめられ
後生にも悪道に堕つるなり、

漢土のほろび又悪道に堕つる事も善無畏・金剛智・
不空のあやまりよりはじまれり、
又天台宗の人人も慈覚・智証より後は・かの人人の
智慧にせ(塞)かれて天台宗のごとくならず、
されば・さのみやはあるべき。

(三三蔵祈雨事) 日蓮

全く仏子を禁むるには非ず
唯偏に謗法を悪むなり

(立正安国論)

「悪知識を捨て善友に親近せよ」
とは是なり

(日女御前御返事)

謗法の人を禁めて正道の侶を
重んぜば、
国中安穏にして天下泰平なり

(立正安国論)


神道は仏教が日本に齎される以前から、
土着の信仰として発生・形成されていました。
それらは自然現象に対する畏怖の念・気候の温順や
豊作への祈願や感謝などに基づき、
人々が集団で執り行う儀式から発展したもので、
元は神社という社殿はなく、土着の人々に共振される
「聖なる土地」を祭場として神を招き・集っていました。
神社と云う建造物が設けられたのは、日本に仏教が渡来し
全国的に寺院を設けたのとほぼ同時代といわれています。

自然信仰・先祖崇拝という形で信仰形態を整え始めた
神道は、縄文・弥生・古墳時代を経て、大陸伝来の
道教やシャーマニズム・アニミズムなどの様々な文化や信仰
との複合を繰り返しながら発展してきました。

六世紀の中ごろ(538年)、仏教が公式に朝鮮半島の
百済を経由し日本に渡来します。
此の頃、共に渡来した文字文明によって、八世紀始め、
「古事記」「日本書紀」が編纂され、神話としての神道が
初めて登場します。神道という言葉が登場したのもこの時です。

仏教伝来当時、朝廷で権勢を誇っていたのが、蘇我氏と
物部氏の二豪族で、両氏は婚姻関係を軸に互いに勢力を
競っていました。
聖徳太子と蘇我氏が「仏教を礼拝すべし」との立場を明確に
したのに対し、昔から神祇崇拝を重んじてきた物部氏はこれに
意義を唱えます。
議論の衝突の最中、用命天皇が仏教に理解を示した為、
群臣は二派に分かれて争うようになり、
ついに仏教保護派の蘇我氏が聖徳太子と共に神道派の
物部氏を滅ぼし、
推古天皇の摂政となった聖徳太子により仏教が弘められる
に至ったのです。

701年、大宝律令に於いて神祇令が発せられ、
神社行政の大綱が定められました。
最初は神道・仏教は別々のものと認識されていましたが、
各地の信仰や大陸からの文化・信仰との複合を繰り返した
神道は、自然渡来した仏教とも複合を重ねます。
やがて神道と仏教とはほぼ同じものという説に変化し、
神社の中に寺院が入り・寺院の中にも神社が取り込まれ・
神仏習合・神仏混淆といった現象が生じます。

例えば日本の神々の名に仏教の「菩薩」などが使われます。
さらには神と仏は同体で、神は仏の化現であるという
「本地垂述思想」が平安中期に成立します。
代表的なものには八幡大菩薩がありますし、
箱根権現・伊豆山権現などにみられる「権現」は、
仮に現ずるという意味で、仏や菩薩が仮に神の姿を以って
現れたとされています。徳川家康を東照権現と呼称したのは、
その最もたる例です。

こうして神社と寺院との混淆現象は江戸時代まで
続きます。現在でも鳥居のある寺院などが散見されますが、
これは一千年続いた長い神仏習合時代の名残です。

江戸時代後半に入ると神道と仏教とは異種であり、
日本独自の特徴的信仰を回復すべきと云う本居宣長等の
神道学者が次々に現れます。これを復古神道といいます。
幕末の尊王攘夷思想と共鳴するところとなり、結果、
廃仏毀釈運動につながり、明治維新後には
神社は仏教からの独立を果たします。

また、天照大神の御心のままに、その子孫たる天皇が
日本を統治するという宣長の提唱した思想は、
維新後の富国強兵政策と相俟って、
中央集権国家を目指す新政府の手によって
帝国憲法にも反映されて行きました。
こういった天皇を中心に据えた神道思想を国体神道・
国家神道と呼びます。
国民は天照大神の子孫たる天皇の御子として天皇に
奉仕し・天皇もまた天つ神の命として位置づけられ、
神社は国家の手厚い庇護を受けるに至りました。

明治中期から昭和の終戦に至るまで尊重され・繁栄した
「国家神道」は、敗戦後、GHQによる神道指令(1945)
により解体され、神社は国家の祭祀ではなく、一宗教法人
としての扱いを受けるようになります。(続く)


Mr.mount-hat



相構へ相構へて
心の師とはなるとも心を師とすべからず、
と仏は記し給ひしなり

(義浄房御書) 日蓮

キレたとかムカつくとか言うのは、
いかに自分は
生きる力を持っていないか・
考える力を持っていないかということを
言っているようなもの

与えられたものに感激し感謝し
他人にも恵みを分け与えようと
するのは、
少しの飢えや寒さを知っている人
なのである

マークス寿子

南無妙法蓮華経

凡そ事を為すには先ず其の義の如何を謀るべし 佐藤一齋

2013-12-26 15:18:56 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
平和は、戦争以上に
忍耐と努力が要るであろう

中村 哲

当然ながら、
必ずしもすばらしいアイデアだけが
広まるわけではない。
病的なものも同じように広まる

マーク・ブキャナン

だが実際のところ、
何を懸命に追い求めているのか

ベルトラン・ド・ジュヴネル

本当は、誰が私を壊すのか

中村 哲


 

国土乱れん時は先ず鬼神乱る
鬼神乱るるが故に万民乱ると。、
今此の文に就いて具に事の情を案ずるに
百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ云云

(立正安国論)

世皆正に背き人悉く悪に帰す
故に善神は国を捨てて相去り・
聖人は所を辞して還りたまはず、是を以て
魔来り災来り難起る云云

(立正安国論) 日蓮

此の国は謗法の土なれば
守護の善神は法味にうへて社をすて天に上り給へば
社には悪鬼入りかはりて多くの人を導く云云

(新池御書) 日蓮


諸天善神は謗法の国・謗法の社には住まわれません。
諸天善神は最早法味を味わえず、神社には住んでいません。
そればかりか、却って人を不孝に陥れる悪鬼や魔・悪霊が
善神に替わって神社の社に住み着いているのが現状です。
これが、神天上法門とも神去り法門ともいわれる
日蓮聖人の大事な教えの一つです。

諸天善神を祀った神社であっても、
そこにいるのは悪鬼ばかりで
参詣しても百害あって一利無し、です。

決して仏法上の神を否定している訳ではなく、
神社には善神がいらっしゃらないと言っているのです。

神々の師匠・主人である仏を信奉せずに、
仏の家来・忠臣の立場にある「神」を中心に据えて
信仰をするということでは本末転倒になってしまいます。

人々が正法を信受すればこそ仏弟子である善神も歓喜し・
安楽行品・陀羅尼品で説かれる仏への神々の誓願に基づき、
人々を守護して下さるのです。

神々は、仏のお膝元にいらっしゃる。
ですから、日蓮聖人の曼荼羅御本尊にも
天照太神や八幡大菩薩方がきちんと認められているのです。


八幡の御誓願に云く
正直の人の頂を以て栖と為し
諂曲の人の心を以て亭(やどら)ず等云云

(諫行八幡抄) 日蓮

Mr.mount-hat


 

仏心とは大慈悲是なりと説かれたれば
礼拝の住処は慈悲なり

(御義口伝下) 日興

ここはどこか・どこへ行くのか、
しっかり考えなくては

ダニエル・コーカリー

相手を酷い目に会わせるのは、
ちゃんとした理由がある時だけである
相手に対して互いに思いやりがあるのだ。
どちらにも、
これだけは越えないという線がある

イエイツ

この世に生れるものは
神様が贈られたもの。
ありがたや・ありがたや

リアム・オフラハティ

目には見えずとも、真理は不動である

中村 哲

 

智者と申すは国のあやうきを・いさめ
人の邪見を申しとどむるこそ
智者にては候なり

(頼基陳状) 

悲しきかな数十年の間、
百千万の人・魔縁に蕩かされて
多く仏教に迷へり。
謗を好みて正を忘る、善神怒りを成さざらんや。
円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。
如かず彼の万祈を修せんよりは
此の一凶を禁ぜんには

(立正安国論)

 日蓮


 諫言はここまで。

 有り難う!

理は造作に非ず 故に天真と曰う (本因妙抄)日蓮

2013-12-22 14:32:09 | 大切なことの為に
自分の都合・自分が楽になること・
自分が得ているものは当然と思う習慣だけが残った

曽野 綾子

人間の魂が自らを損なうのは
魂そのものが
宇宙の癌細胞のような存在になった場合である

マルクス・アウレリウス

理屈はどんどん言っていい
ただし、屁理屈はだめです

尾崎 行雄


 

皆此の経の意(こころ)なり、私の言にはあらず。
さればこの巻には
「信を以て入ることを得、己が智分に非ず」とて、

~己が智慧にて仏にならずと説き給へり

(新池御書)

自然のものは、
そもそも切れ目なくつながっています。

それを便利だから、
言葉という道具で切っているのです

養老 孟司

これまでずっとよその土地で
なにがどうなっているかわからないまま
ひたすらまわりに合わせて
暮らしてきたのだ

ワリス・ディリー


 

法華経は大海の如し等と説くなり。
河に勝れたる大海に十の徳有り

一に大海は漸次に深し河は爾らず
二に大海は死屍を留めず河は爾らず
三に大海は本の名字を失う河は爾らず
四に大海は一味なり河は爾らず
五に大海は宝等有り河は爾らず
六に大海は極めて深し河は爾らず
七に大海は広大無量なり河は爾らず
八に大海は大身の衆生等有り河は爾らず
九に大海は潮の増減有り河は爾らず

十に大海は大雨・大河を受けて盈溢無し 
河は爾らず


(薬王品得意抄)

夫れ雪至りて白ければ、そむるにそめられず
漆至りてくろければ、しろくなる事なし

此よりうつりやすきは人の心なり
善悪にそめられ候


(西山殿御返事)


このまんだらを身にたもちぬれば
王を武士のまほるがごとく、子をおやのあいするがごとく、
いをの水をたのむがごとく、草木のあめをねがうがごとく、
とりの木をたのむがごとく、一切の仏神等のあつまりまほり、
昼夜にかげのごとくまほらせ給ふ法にて候。
よくよく御信用あるべし

(妙心尼御前御返事)

過去に法華経の結縁強盛なる故に、
現在に此の経を受持す
未来に仏果を成就せん事疑有るべからず  

(生死一大事血脈抄)

内経に云く
「国に聖人有れば天必ず守護す」云云

(滝泉寺申状)


法自ら弘らず・人法を弘る
故に人法ともに尊し


(百六箇抄)

 日蓮

 

私たちは誰もが
限られた生を生きる。
しかし源流に立ち、原点を観る者は
幸いなのである。

曽野 綾子

真実妙法の因に縁(もとづく)を成仏と云うなり


(御義上) 日興

  有り難う!


「そう、時と我慢」 リアム・オフラハティー

2013-12-19 08:44:42 | 大切なことの為に
病あれば死ぬべしといふ事不定なり。
又このやまひは仏の御はからひか。
そのゆへは浄名経・涅槃経には
病ある人、仏になるべきよしとかれて候。
病によりて道心はをこり候か
(妙心尼御前御返事) 日蓮

人間は元来、
尊敬し合い感謝し合うものです。
それが、他の生物と決定的に
違うところです

相馬雪香

すべてを受け容れて暮らすことによって
母はかけがえのない心の平和を
得ている

ワリス・ディリー


 

日蓮聖人は、たとえ病があっても、
それによって必ずしも死するとは限らない・
死する時は寿命尽きる時なのだと仰せです。
更賜寿命の教えを信じ・精進するのみです。

苦しい治療に耐えている方の傍で励ましの言葉をかけるのは
始めは良いのでしょうが、度々となれば、
その言葉すら煩わしく感じられるようになるものです。

それよりも手を握って差し上げ、
耳元で南無妙法蓮華経と唱えてさしあげるとよいですよ。
ゆっくりと・穏やかな声音で。
経は顔色がいいね・今日は握力があるんじゃない?
お食事を残さず食べられたね・といった些細なことを
喜んで差し上げる。
それは、相手の事を喜んでいるようでありながら実は
自分が喜んでいる。それがすぐに相手に伝わるのです。

私は父が亡くなるときに、今後も怠ることなく
信心を持ち続けると約束いたしました。
その後はずっと、安心しきった顔でおりましたね・・。
あるがまま・なすがままの父でした。
そういう父を見ていて、私達子供は多くの大切な事を
学びました。これが今の私どもにとって
大きな大きな導きとなっています。

人は誰でも臨終を迎えます。
でもそれが最後ではありません。
我々にとってはずっと生き続けているという思いを
持てるかどうかであって、
そこで終わりとするならば互いに淋しく悲しいことです。
この大宇宙の妙法蓮華経の世界で、
妙法蓮華経の仏子として生れ来て・
また妙法蓮華経という宇宙に戻ってゆくのだと
互いに認めていれば、何も不安はありません。

病と聞いて「死ぬ!もう終わりだ!!」と考えるなら
辛く悲しいばかりですが、
病も人生そのものだとみるなら大いなる導きと
受け止めることができます。

妙心尼御前御返事に
「このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは
浄名経・涅槃経には病ある人・仏になるべきよし
とかれ候。病によりて道心はをこり候か」と御座います。
この御文はよく知られた御文ですが、
浄名経・涅槃経の文であり・よく注意して読む必要が
ございます。

「道心はをこり候か」。「候か」、つまり
起きる人もいれば起きない人もいる、
という意味です。
妙心尼の夫は、法華経を強盛に信行されたとは
見受けられませんでした。
過去世の宿習が因となり・今生の長患いとなりましたが
病を得たことにより、日夜朝暮に道心を起こすことが
出来、それによって今生の小さな罪は言うに及ばず
過去の法華経誹謗の罪ですらも転重軽受しているのだ
と思えば却って喜ばしいことなのですよ、
と述べられています。

最も畏れるべきなのは身の病ではなく大謗法です。
この八書の中に
「病あれば死ぬべしというふ事不定なり」とあり、
必ずしも病によって死すとは限らないのだとございます
から、病を悲観し・悩み悲しみ暮らすよりも、
信心修行を怠ることを悲しみ・そうあってはならないと
互いに励まし合いながら御信心に励んで下さいね。
妙心尼御返事の御文をゆっくり確り拝読なさって
みて下さい。

 Mr.mount-hat

何事もあるがままに受け容れる強かさ。
現状を正しく把握し・その上で尚
未来を信じて努力し続ける朗らかさ。


 

不幸のどん底にあるときこそ
信じてほしい。
世の中にはあなたにできることが
あるということを

ヘレン・ケラー

愚かな智恵者になるよりも
利口な馬鹿者になれ

佐藤 一齋

 

 有り難う!