終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

盲導犬ビジネスの闇(再掲載)

2017-07-24 19:11:53 | 大切なことの為に

動物=利権。

綺麗事で悪事を糊塗して利権を拡大。

メスをいれなければなりません。

 

 


【一般無料】

歪んだ社会システム~盲導犬を即刻廃止せよ!(どうぶつの声)

http://nagaipro.com/an/?p=63328


盲導犬については皆イメージでは知っているが、実情や内情を知っている人は少ないのではないかと感じました。

盲導犬が良い、正義だと思っている方がもしいらっしゃるとすれば、それは盲導犬協会の巧妙な仕掛けにまんまと騙されています。

盲導犬については、犬が人間の為に一生懸命頑張っている姿から、すぐに何でも「美談」に仕立てあげられますが、
盲導犬はただの「動物虐待」であり、盲導犬協会はただの「利権まみれの集団」であるといえます。

犬好きな人々が盲導犬協会を作ったと思ったら大間違いです。
彼らにとって犬はただの商売道具の一アイテムにすぎません。

日本には各地に「盲導犬協会」があり、その殆どが公益法人や社会福祉法人の認定を取っています。

日本で初めての盲導犬誕生は、東京練馬区に本拠地を持つ「アイメイト協会」(昭和32年設立)、
去年、盲導犬が何者かに背中を刺された事件がありましたが、その被害犬オスカーを生み出した協会です。
各盲導犬協会はその育成費や補助金を全て公金から得ており、多い時は「一頭当たり年間4000万円」もの収益を上げています。

一頭の盲導犬で年収4000万円。

更には盲導犬一頭を受給者に支給すると地方自治体から200万円が育成完了費として協会に支給されます。
しかしその後、支給先で犬がどうなろうと査察機能は持っていないというずさんな管理体制。

これらの助成金は全て私達の税金から出ており、盲導犬ビジネスは税金によって莫大な収益をあげているのです。
盲導犬協会は100頭以上もの犬を所有しているにも関わらず、福祉目的という理由で「動物取扱業」にも入っておらず、
動物愛護法の適応外となり、協会内で犬への虐待や問題があっても法で罰する事は出来ません。


厳しい訓練に受かった盲導犬が次に行くのは「利用者」の元です。
利用者には親身に可愛がってくれる人もいますが、中には盲導犬を「物」のように扱う人間もいます。
利用者の中には盲導犬を虐待する者もいれば、適切なお世話をせず、ご飯を上げず排泄を長時間放置する者もいます。

真冬の雨が降り続く中、一杯飲み屋の入り口にずぶ濡れになって、
中で酒を飲んでるご主人様を、ただずっとひたすらに待っている盲導犬を実際に見た人もいます。

ある介護士の女性は、介護に訪れた視覚障害者のお宅に、いつもゲージに入れっぱなしの盲導犬がいたと言っていました。
その視覚障害者はいつも一人で出かけることが多いらしく、一日犬を放置することもあり、その間、犬は一切のトイレも出来ずストレスでよく鳴いているそうです。



アトムは全ての自由を奪われ、人間の都合のいいように散々働かされて、最後は闇に葬られたのでしょうか。
よく「数千人(の視覚障害者)が盲導犬を待っている」という宣伝を聞きますがこれは事実無根です。

盲導犬を申請するとほぼ年度内に即支給されます。

そして新しい人よりも同じ人が繰り返し受給されるケースが多いのです。
実際には盲導犬の希望者は非常に少なく、盲導犬団体は視覚障害者に向けてさかんに「盲導犬を使おう」キャンペーンを行っています。
一頭需給で年収4000万円を引っ張ってこれるからでしょうか。

無理やり需要を作り、無理のある訓練で盲導犬を育成・支給するため、盲導犬の「虐待」通報が多発し、犬の中途引退、現役中の死亡も少なくありません。
それに盲導犬になる主な犬種ラブラドール・レトリバーは30キロ前後になる大型犬で、健常者でもお世話は大変ですし、ご飯代や医療費もかさみます。
しんどい時、病氣の時、犬はどうやって利用者にそれを知らせるのでしょうか。

犬の病院代は保険がきかず非常に高額です。

なので犬が病氣になると治療せず、別の新しい若い盲導犬を申請し、取り換える事もしばしあります。
その場合、病氣の年老いた盲導犬は一体どこへ行くのでしょうか。
盲導犬協会が最後まで看病して看取るのですか?
盲導犬の引退後は、運が良ければ里親に引き取られますが、そんな事は稀です。
殆どの犬がその後の行方は不明なのです。




盲導犬肯定派の人は「盲導犬は喜んでお世話をしている」「彼らは仕える事に喜びを感じている」など勝手に言いますが、
ではあなたが盲導犬の立場なら同じ事が言えるのかと問いたい。

自由を奪われ召使いの様に身を粉にして働き、トイレもご飯もコミュニケーションも我慢と制限をされる中で、本当にそれでも幸せだと言い切れるのか。
そんなものは「人間目線の人間都合の傲慢な言い訳」でしかありません。

私達、生きとし生けるものすべてに与えられているのは「自由」の権利です。
自由を奪うシステムは、いかなるものであってもそれは自然の摂理に反しています。
犬の優しさと従順さに付け込み、美談で誤魔化した金儲けビジネス。

身体障害者の弱みに付け込んだ危険な社会的システム。

これが盲導犬ビジネスなのです。

目の不自由な方々が本当に安心して暮らせる世の中を作るのであれば、
犬にその役目を押し付けることは到底不自然であり無理があるのです。

視覚障害は、身体障害の中でも危険が多く注意が必要であり、最も助けを必要とするものです。
なぜその様な大役を人間ではなく「犬」にさせるのでしょうか。

なぜ皆、そこに疑問と違和感を抱かないのでしょうか。
そもそも人間の世話は人間がやればいい。

介護士がいるのだから、盲導士も作ればいい。

雇用も増えるし、その方が断然安全です。

転載以上

 


南無阿弥陀仏 無間地獄

2016-06-09 05:28:01 | 大切なことの為に
又人をも・わずらはさず・我が心もなを(直)しく

我とはげみて善根をして候も 仏にはならぬ事もあり、

いはくよきたねをあしき用にうえぬれば たねだにもなき上かへりて損となる、

まことの心なれども供養せらるる人だにも、あしければ功徳とならず、

かへりて悪道におつる事候  日蓮

 

 
Mr.Mount-hat氏のお便りから
 
 
<念仏宗><浄土宗>とはどの様な宗派か
 
 
念仏宗は中国において派生した宗教です。主な祖師達をあげれば
 
・開祖 
 
曇鸞(どんらん)(476~542年)は、中国南北朝時代の浄土宗の祖であり、
北天竺(インド北部)の菩提留支三蔵に会って観無量寿経を承(う)け、
阿弥陀仏の絶対他力により極楽往生が出来ると説いて念仏を弘める。
 
・二祖 
 
道綽(どうしゃく)(562~645年)は、当時涅槃経の研究で高名をあげていたが、
ある時、曇鸞の刻んだ碑文を見て念仏に帰依する。
 
・三祖 
 
善導(ぜんどう)(613~681年)は、道綽に師事して無量寿経を信仰するに至り、
人人の盛んに南無阿弥陀仏と唱えることを勧めていたが、後についに気が狂い、
弥陀(みだ)の来迎(らいごう)を願うあまり、寺院の前の柳の木で自殺を図るも
日照り続きの地面に落ち腰の骨を折って、二週間の長きにわたり苦しみ抜いたあげくに
息絶える。
 
以上が中国における念仏宗(浄土宗)の祖師達です。
 
 
この中国の念仏宗の影響を受けて日本で浄土宗(念仏宗)を開いたのは法然(ほうねん)です。
法然は十五歳で比叡山延暦寺に登り、諸宗を研鑽し善導の観経散善義および源信(げんしん)の往生要集にふれて
悟りを得たといわれます。
そして観無量寿経の「一心にして専ら弥陀の名号(みょうごう)を念ず云々」という文章を読んで、
今までの一切の修行を捨てて弥陀の誓願を信じ浄土宗を開いたとされます。
その後、浄土への往生(極楽浄土へ往って生まれること)を願うならば、
ただひたすら念仏を修行すべきことを説いた選択集(せんちゃくしゅう)を著します。
 
この浄土宗は一時的に弘まるも、強引な不軽・宗徒らの風紀の乱れ、そして後鳥羽上皇の官女を
出家させたことで上皇の怒りにふれて念仏を禁じられ、法然は讃岐に流され、弟子数名も処刑されました。
法然没後、勅命によりその墓をあばかれ、遺骨は鴨川に捨てられたことによって浄土宗は
浄土真宗の教勢に押され衰退していきました。
 
 
<浄土真宗>について
 
浄土真宗。この宗名は明治五年から用いられている名称で、単に真宗とも呼ばれ、
それ以前は一向宗(いっこうしゅう)、門徒宗(もんとしゅう)とも呼ばれていました。
 
開祖といわれる親鸞(しんらん・1173~1262年)も比叡山において修行をしましたが、
建仁元年(1202年)に法然の門に入つて教えをうけ、五十二歳で教行信証を撰したと
されています。
法然が罰せられた時、親鸞も越後に流されたと伝えられています。
其の時に非僧非俗(ひそうひぞく)となり、自ら愚禿(ぐとく)親鸞と名乗ります。
後に妻帯して四男三女をもうけ、晩年は娘夫婦の世話のもとに90歳で寂します。
 
親鸞亡き後の浄土真宗は仏光寺派・専修寺派・三門派・本願寺派等に分派し、
互いに経勢を競っていましたが、中興の祖と云われる蓮如(れんにょ・1415~1499年)
(親鸞より八代目の子孫)によって各派が統一され、本願寺派が主流になります。
この頃には一向一揆をおこすなど、大名も侮ることのできない勢力を持つようになっていきます。
 
本願寺は親鸞の血を引く者が法主を継ぐ世襲制をとっていますが、蓮如の曾孫である
十一世顕如(けんにょ)の死後、後継者争いが起こり東・西本願寺に分裂します。
 
戦国時代の荒廃した世の中にあって厭世的な教えを説く念仏宗並びに真宗は大いに発展し、
巧みに天皇家や豊臣・徳川家等の権力者にすり寄り、ますます教勢を拡大して今日に至っています。
 
 
<念仏宗の教義>
 
無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経のいわゆる浄土三部経を所依(しょえ)の経典としています。
 
法然は選択集において、この世は穢土(穢れた世界)であり、
死んだ後に西方極楽浄土へ往生する事を根本・理想としました。
その為、釈尊一代の仏教を浄土門・聖道門の二つに分けます。
 
浄土門とは
この娑婆世界を穢土として嫌い、西方に極楽浄土があるとしてそこへ往生(死後他の世界に行って
生れること)することを目的として修行するように教えた浄土三部経を言います。
 
聖道門とは
あくまでもこの娑婆世界で悟りを開き、成仏するための修行を説いた浄土三部経以外の
大乗経と小乗経を指しています。
 
浄土三部経以外の一切の経教を修行するのは難行道(なんぎょうどう・難しい修行)であり、
浄土三部経の教えは易行道(いぎょうどう・易しい修行)であると説いて、大乗の教えを退けます。
 
聖道門に対しては「未だ一人も得道したものがいない」とか「千人の中に一人も成仏するものがいない」
といって、それら聖道門の教えを離れて「百人が百人とも往生できる」念仏に帰依するべきだと主張します。
また捨閉閣抛(しゃへいかくほう)と言って、浄土三部経以外の経を一切否定し、
捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)てと説いて、法華経をも悪口誹謗しています。
 
このように、法然の浄土宗並びに親鸞の浄土真宗は、二宗ともに浄土三部経を依経としており、
専ら弥陀の名号を唱え、西方極楽浄土の阿弥陀仏の元へ往生することを目的としている点において同一です。
 
 
<浄土三部経に説かれている教え>
 
釈尊の熱心な信者に摩訶だ陀国(まかだこく・王舎城)の国王・頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)と
その妻韋提希夫人(いだいけふじん)という方がいらっしゃいました。この夫妻に纏わる話です。
 
この夫婦は非常に仲が良かったのですが、国王の跡継ぎとなる子供がいなかったのです。
そこで夫婦はインドで最も有名な占い師にどうすれば子供が授かるか相談したところ、
「此の国の東方の山中に一人の仙人が住んでいる。その仙人が死んだなら、お前たちの子として
生れてくるだろう」とのことでした。
そこで仙人の死を待ちきれなくなった国王は悪心を起こし、家来に命じてその仙人を毒殺してしまいました。
そうして王子(善見太子・ぜんけんたいし)が誕生しました。
 
しかしその王子は怨みを含んだ眼をもって生まれてきました。
過去に自分が殺されたという怨みの眼だったのです。
そのため事情を知る人人はその王子のことを密かに「未生怨(みしょうおん)」(生れるまえから怨みをもっている)
と呼んでいました。
妻韋提希夫人はこの王子が成長した時、必ず自分たちに仇をなすだろうと恐れ、
ついに城壁からその王子を投げ捨てたのです。
しかし不思議なことにその王子は足の小指一本を折っただけで助かりました。
泣き叫ぶ我が子の姿を見た両親は本心に返って反省し、それ以後はどんなことがあっても
その王子を育てようと決意しました。
 
やがて阿闍世と名を変えた王子は立派に成長していきました。
その頃に頻婆沙羅王も妻韋提希夫人も釈尊に帰依しました。
 
当時、もともとは釈尊の弟子だった提婆達多(だいばだった)が釈尊の教団を乗っ取ろうとして
色々と画策していました。あろうことか阿闍世王太子はこの提婆達多に誑かされてしまいます。
提婆達多は阿闍世に頻婆沙羅王夫妻の過去の仕打ちを全て話してしまいました。そればかりか
「やがてお前は父王に殺されてしまうだろう。その前にお前の方から父王を何とかしなくてはならない」
とまで唆しました。
 
提婆達多の策略に乗せられた阿闍世は父王を城内の牢に幽閉し、一切の食物を与えず
餓死させようとしたのです。そして自ら王位に就き、父王に密かに食(蜂蜜)と薬を与えていた
母・妻韋提希夫人までも幽閉したので、父王は餓死してしまいました。
悲しみに暮れた妻韋提希夫人は牢の中から霊鷲山(りょうじゅせん)に向って一心に祈り、釈尊に
この苦しみから逃れる術を求めました。その祈りを知った釈尊は夫人の願い通り、弟子の目連と
阿難を連れて夫人の幽閉されている牢内に神通力をもって出現されたのです。
夫人は号泣して釈尊に尋ねました。
 
「世尊、私にどのような過去の罪があってこのような悪逆な子を産まなければならなかったのでしょうか。
世尊もまた、何の因縁によって提婆達多という大悪人と眷属なのでしょうか」(注・提婆達多は釈尊の従兄)
 
釈尊は答えませんでした。夫人は更に訴えます。
 
「もうこのような苦しみの世界に居たくはありません。どうか安楽の世界・仏の御住まいである
極楽世界をお見せ下さい」と。
 
すると釈尊は眉間より光を放たれ、次々と十方の極楽世界(一切の苦が無い、諸の楽のみを受ける世界)
を神通力をもって夫人に示されたのです。それを見た夫人は阿弥陀仏の極楽世界に往生することを
願い出ました。そこで釈尊は阿弥陀仏(無量寿仏ともいう・脇士は観音菩薩と勢至菩薩)と西方極楽浄土
について説かれたのです。
 
 
<無量寿経に示されている話>
 
「過去無量の昔、錠光如来(然燈仏・ねんとうぶつの別名)(然燈仏は法華経寿量品に出てきます。釈尊の垂迹仏)
を始めとして次々に五十三の仏が衆生済度(さいど)の為に出現されました。五十三番目の世自在王仏
(せじざいおうぶつ)の時、一人の国王が王位を捨てて得度(とくど・僧侶となること)し、法蔵比丘となって
修行しました。そして終に菩薩の位に至り、世自在王仏に四十八の誓願を立てて阿弥陀仏となって
仏国土(西方極楽浄土。菩薩が仏になると自分の世界を持つことができるとされる)を持つことができました」
云々と説かれています。
 
 
<阿弥陀経に示されている話>
 
「阿弥陀仏の西方十万億土の極楽浄土を讃嘆し、此の娑婆世界は穢土(穢れた国土)であり、
阿弥陀仏の名号を唱えることによって死後、極楽世界(清らかな国土)に往生することができる」
云々と説かれています。
 
 
以上の様な三部経の教えのもとに、念仏並びに浄土真宗では自分の力で仏に成るのではなく、
ただひたすら阿弥陀仏の四十八願(本願)に縋って極楽に往生することを願います。
そしてひたすらに「お念仏」と称して「南無阿弥陀仏(なんまんだぶ)」と唱えるのです。
これを「他力本願」といいます。
 
日蓮聖人は念仏宗を指されて「念仏は無間地獄の業因なり」云々(災難対治抄)「念仏無間地獄・
阿弥陀経を読むべからず」云々(下山御消息)と一言のもとに「念仏は無間地獄」だと決判されています。
何故かといいますと、「浄土宗・浄土真宗が依経とするところの浄土三部経が釈尊の本懐の経ではない」からです。
 
仏の語には権教(ごんきょう・爾前教・にぜんきょう)と実教(法華経)という二つの経があります。
権教は仮の教えで実教は仏の本懐(本意)を説かれたものです。浄土の三部経は権教です。
「実教を捨てて権教を中心に据えるのは大変な罪である」と日蓮聖人は示されているのです。
 
また、たくさんの経経にはたくさんの仏とその住まわれている世界が説かれています。
東方浄瑠璃世界には薬師如来・西方極楽浄土には阿弥陀如来・東方宝浄世界には多宝如来・
そして私たちが住むこの娑婆世界には釈迦如来という具合です。
そこで、「此土(しど・私たちの娑婆世界)の仏」と「他土(たど・娑婆世界以外の世界)の仏」
ということが言われます。
阿弥陀如来は他土の仏で、私たちには縁のない仏様です。
それに対して私たちに最も縁の深い有縁の仏は此土(娑婆世界)の釈迦如来で、
「今此の三界(さんがい)は皆是れ我が有(う)なり、其の中の衆生は悉く吾が子なり」云々
(法華経譬喩品)
「我、常に此の娑婆世界に在つて説法教化す」云々(法華経寿量品)
と仰り、他土の仏を廃されて此土有縁深厚(しどうえんじんこう)(此の娑婆世界に最も縁の深いこと)
を説かれています。
 
そこで日蓮聖人は「有縁の釈迦如来を捨てて無縁の阿弥陀如来を中心に据えるのは
大変な罪である」と示されているのです。それ故、中国天台宗の智度法師(ちどほっし)の
「東春(とうしゅん)」という書物にも、「法華経を中心に据えない者は何故に地獄に堕ちるのか」
ということに対して「法華経は成仏の経である。その極妙の法を謗る(中心にしない)から、
極苦の地獄に堕ちるのだ」と記されています。
 
 
 
<浄土の三部経は、間違いなく法華経(実教)以前に説かれた権教である>
 
「観無量寿経」には
「王舎城(おうしゃじょう)に一の太子あり、阿闍世と名づく」とあり、
阿闍世が王に成る前の太子だったことが示されています。
しかし法華経序品第一には、法華経を聴聞するために霊鷲山に参集した人々の中に
「妻韋提希の子阿闍世王、若干(そこばく)百千の眷属と倶(とも)なりき。
各(おのおの)、仏足(ぶっそく)を礼(らい)し、退いて一面に坐しぬ」云々、とあります。(開結)
即ち観無量寿経で太子だった筈の阿闍世は、法華経では王になっているのです。
このことからも、浄土三部経は法華経より以前に説かれたお経であることがわかります。
 
何が言いたいかというと、法華経の序分である無量義経に(浄土三部経の無量寿経ではなく無量義経です)、
「四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)」と釈尊自らが宣言なされている通り、
この浄土三部経は明らかに法華経以前に説かれた権教なのです。
 
釈尊は三十歳で悟りを開かれ仏に成りました。そして七十二歳に至る(四十二年間)まで色々な経を説かれ、
八十歳で入滅されるまでの八年間で法華経を説かれたのです。
ですから法華経以前の経経を「権経(ごんきょう・権教・爾前経)と云い、法華経には
釈尊自らが「我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり」
(法師品第十・開結390頁)と宣言されていることから、法華経を「実経(実教)」というのです。
 
 
 
<法然等が「百人が百人とも往生できる(百即百生)と主張している、
 「無量寿経」の「弥陀の四十八願>
 
その第十八願に
「もし我れ仏を得たらんに、十方の衆生至心に信楽して我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、
もし生ぜずんば正覚(しょうがく・仏になること)を取らじ。唯五逆と正法を誹謗するを除く」と、
阿弥陀仏自身が仰っています。つまり、五逆罪(父を殺す・母を殺す・阿羅漢(僧侶)を殺す・
仏の身体から血を出す・和合僧を破る)の内、父を殺した阿闍世王などは、無量寿経では
絶対に往生できないことになります。また、「正法を誹謗するを除く」とありますから、正法(法華経)
を誹謗した人人(法華経信仰をやめる人々)も同じく往生できないということになります。
 
法華経には
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん(乃至)其の人命終して
阿鼻獄(無間地獄)に入らん」云々(譬喩品第三・開結240頁)と記されていますから、
これ等の経文に依って日蓮聖人は「念仏無間地獄」と決判されているのです。
 
第三十五願は女人往生(にょにんおうじょう)を阿弥陀仏が説いたものです。
「若し我仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界にそれ女人ありて、
我が名字を聞いて歓喜信楽(かんきしんぎょう)し、菩提心を発(おこ)して女身を厭悪(けんお)
せんに、寿終(じゅじゅう)の後また女像(にょぞう)とならば正覚を取らじ云々」とありますが、
これは女性は女性のままでは往生できない。往生させる為に男性に生まれ変わらせてあげよう
という意味です。法華経に説かれる「女人の即身成仏」の教えとは天地雲泥の差があります。
即ち法華経には「若し法を聞くこと有らん者は、一人として成仏せずということ無けん」
(方便品第二・開結183頁)とあり、此の法華経を聞いたすべての衆生が皆仏道を成就すると説かれています。
実際に阿闍世王と同じ五逆罪の提婆達多さえ成仏し、爾前経(三部経)では
成仏が許されなかった女人たる龍女(りゅうにょ)も、南方無垢世界で仏となったことが
説かれています。
(提婆達多品十二で、八歳の竜の女が蛇身のまま即身成仏したことは、女人成仏とともに
畜生界のものでも仏界という所謂十界互具を明かした法華経の大事な法門です)
 
また念仏宗では阿弥陀仏の名号が無量寿仏(無量の寿命をもった仏)であるところから
釈尊よりも遥か昔の無始の古仏(こぶつ・久遠の仏)であると言っています。
前述の無量寿経には阿弥陀仏は然燈仏(ねんとうぶつ・錠光如来)より数えて五十四番目の
仏であることが明かされています。
しかし法華経寿量品第十六には
「我成仏してより己来(このかた)、復此れに過ぎること百千万億那由侘阿僧衹
(ひゃくせんまんのくあそぎこう)なり。~中略~是の中間(ちゅうげん)に於いて、我然燈仏等
と説き~中略~是の如きは皆方便を以つて分別せしなり」云々、(開結498頁)とあります。
これは無量寿経の最初の仏である然燈仏(ねんとうぶつ)ですらも、久遠の釈尊の垂迹仏
(すいじゃくぶつ・もとの仏が真実の身を隠して化現した仏)であることがわかります。
つまり、久遠の釈尊の方が古い仏である。真実の仏であるということです。然燈仏として現れたのは、
人を教化する為の方便として現れた仏なのです。
 
また「観無量寿経」において韋提希夫人が、自分と阿闍世の母子の因縁、釈尊と提婆達多との
従兄の因縁について釈尊に尋ねましたが、釈尊は答えませんでした。なぜかといえば、一つには
浄土三部経を説かれたときの釈尊は、始成正覚の仏といって難行苦行の末に初めて悟りを得た
というお立場だったからです。一つには夫人も阿闍世王も法華経と涅槃経で救われると説かれて
います。実際に阿闍世王と同じ五逆罪の提婆達多との因縁については「法華経提婆達多品第十二」
に於いても明かされています。
 
この様に法華経と浄土三部経との勝劣は明らかで、念仏宗の教義がいかに虚偽に満ちた捏造で
あるかは歴然としています。また浄土三部経はどこまでも死後の世界の安楽を説く厭世的な教え
であって、未来の往生を願う教義でした。その後室町時代後期のころより阿弥陀仏は過去・現在・
未来を救う、「聖道門」の教えと同じような教義に改変されていきました。しかし、仏の本地を
最初からこの娑婆世界に定められ、その中で私たち一切衆生の過去・現在・未来を救うと説く
法華経とは天地雲泥の勝劣があります。
 
日蓮聖人は御書にこう認められています。
 
「浄土の三部経は釈尊一代五時の説教の内、第三方等部の内より出たり。
此四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず、三世諸仏の出世の本懐にも非ず、
唯暫く衆生誘引の方便なり。譬えば塔をくむに足代(あししろ・足場)をゆふが如し、
念仏は足代なり法華は宝塔なり、法華を説き給うまでの方便なり、
法華の塔を説き給いて後は、念仏の足代をば切り捨つべきなり。
然るに法華経を説き給いて後、念仏に執着するは、塔をくみ立てて後、
足代に著して塔を用ゐざる人の如し、豈に違背の咎無らんや、」云々、
(念仏無間地獄抄)
 
「阿弥陀仏は十方億のあなた(他土)に有つて此の娑婆世界(此土)には一分も縁なし」云々
(一谷入道御書 日蓮)
 
転載以上
 
 
混乱するのは目に見えているのに、なぜわざわざ方便を説かれたのか?
それは病に譬えられるそうだ。
病気の軽い者にはそれなりに弱い薬でも治癒できる。
しかし重篤な病気の時にはそれ相応の強い薬を処方しなければ治らないのと同様、
人の心の汚れが薄いうちにはそれなりの易しい教えで十分救えるが、
悪世で人の心も僻み歪んでいるときには非常に難解だが最高級の薬となる
教えを用いなければ病は癒えないということだそうだ。
 

 

大難来たりなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし。

火に薪をくわへんに さかんなる事なかるべしや。

大海へ衆流入る、されども大海は河の水を返す事ありや。

法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども、かへす事とがむる事なし。

諸河の水入る事なくば大海あるべからず。

大難なくば法華経の行者にはあらじ。

 

(椎地四郎殿御書 日蓮)

 

 

 


伊勢志摩サミットに寄せて♪

2016-05-26 03:42:23 | 大切なことの為に
 
行者の尊重の事 必ず人の敬ふに依つて法の尊きにあらず・
されば仏は依法不依人と定め給へり、
 
我伝え聞く上古の持律の聖者の振舞は殺を言い収を言うには知浄の語有り
行雲廻雪には死屍の想(おもい)を作(な)す 而るに今の律僧の振舞を見るに
布絹・財宝をたくはへ 利銭・借請を業とす 教行既に相違せり誰か是を信受せん、
 
次に道を作り橋を渡す事 還つて人の歎きなり、
飯嶋の津にて六浦(むつら)の関米(せきまい)を取る諸人の歎き是れ多し
諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい 只此の事に在り
眼前の事なり 汝見ざるや否や。
 
(聖愚問答抄 日蓮)
 
 
 
其の時愚人の云く 実に小を恥じて大を慕ひ 浅を去(すて)て深に就(つく)は
仏教の理のみに非ず世間にも是れ法なり
我早く彼の宗にうつらんと思ふ 委細に彼の旨を語り給へ、
彼の仏の悲願の中に五逆・十悪をも簡(えら)ばずと云へる五逆とは何ぞや
十悪とは如何、
 
智人の云く五逆とは父を殺し母を殺し阿羅漢を殺し仏身の血を出し
和合僧を破す 是を五逆と云うなり、
 
十悪とは 身に三・口に四・意に三なり
 
身に三とは 殺・盗・婬・
口に四とは 妄語・綺語・悪口・両舌・
意に三とは 貪・瞋・癡
 
是を十悪と云うなり、
 
(聖愚問答抄 日蓮)
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
 
(神社信仰について Mr.Mount-hat氏)
 
 
神道は仏教が日本に入ってくる前から、日本に土着の信仰として発生し形作られていました。~
 
最初は神社という社殿・建物はなく、土地土地に住む人たちが共通して感ずる、いわゆる「聖なる地」を祭場として
集まり、神をお招きして祭りが行われました。
 
神社という建造物が設けられたのは、日本に渡来した仏教が全国に寺院を設けたのとほぼ同じ時代と
言われています。
 
自然信仰・先祖崇拝という形で信仰形態を整え始めた神道は、~大陸からの道教やシャーマニズム・
アニミズムなどの様々な文化や信仰との複合を繰り返してきました。
 
六世紀中ごろ(538年)、公式に仏教が朝鮮半島の百済を経由して日本に渡来します。
 
このころ共に渡来した文字文明によって、八世紀初め「古事記」「日本書紀」が編纂され、
神話として神道が初めて登場します。また神道という言葉が登場したのもこのころです。
 
仏教伝来当時、朝廷において最も勢力があったのが蘇我氏と物部氏という二氏の豪族で、
両氏は婚姻関係を結びながらも互いに勢力を競っていました。
 
仏教が伝わり、聖徳太子と共に蘇我氏が「仏教を礼拝すべし」と主張したのに対し、
昔から神祇崇拝を重んじてきた物部氏はこれに反対して議論の衝突が起きます。
 
こうした流れの中で用明天皇が仏教に理解を示した為、群臣は二派に分かれて争うような
状況になり、ついに仏教擁護派の蘇我氏は、聖徳太子と共に神道派の物部氏を滅ぼし、
推古天皇の摂政になった聖徳太子によって仏教が弘められました。
 
701年、大宝律令で神祇令が発せられ、神社行政の大綱が定められました。
 
最初、神道と仏教は別々のものでしたが、日本各地の信仰・更には大陸からの文化や
信仰の融合を繰り返してきた神道は、自然の流れとして、渡来した仏教とも融合していきます。
 
そして神道と仏教はほぼ同じようなものという説に変化し、神社の中に寺院が入り込み、
寺院の中にも神社が取り込まれ、神仏習合・神仏混淆という現象が起きます。
 
例えば日本の神々の名前に仏教の菩薩(仏道修行をし、人々を教化する人)などが重なります。
 
更に神と仏は同体で、神は仏の化現(衆生を救うために姿形を変えて現れる)だという
本地垂迹思想が平安中期に成立します。代表的なものに八幡大菩薩があります。
 
箱根権現・伊豆山権現などの権現は仮に現ずるという意味で、仏や菩薩が仮に
神の姿をもって現れたとしています。徳川家康の死後、家康を東照権現と呼称したのはその最もたるものです。
 
 
こうして神社と寺院との区別がつかなくなる現象は、江戸時代まで続きます。
現在でも鳥居がある寺院などが見られますが、これは永い神仏習合時代の名残です。
 
神仏習合時代は約一千年続きますが、江戸時代後半に入ると神道と仏教とは異種の信仰で、
日本独自の特徴的信仰を回復すべきと主張する本居宣長などの神道学者が次々と登場します。
この主張を復古神道と云います。
 
これは幕末の尊王攘夷思想と共鳴する所となり、結果廃仏毀釈運動がおこり、
明治維新後、神社は仏教からの独立を実現します。
 
また、天照大神の御心のままに、その子孫である天皇が日本を統治するという宣長の提唱した考えは、
明治維新後、富国強兵をスローガンに中央集権国家を目指す政府により帝国憲法に反映されていきました。
 
この天皇を中心とした神道思想を、国体神道・国家神道といいます。
 
国民は天照大神の子孫である天皇の子として奉仕し、天皇もまた天つ神(あまつかみ)の命令
として位置づけられ、神社は国家の手厚い庇護をうけるようになったのです。
 
※天つ神の命令=天皇の御位の永遠と、国家の平和・国民の幸福を体現するもの
 
明治中ごろから昭和の終戦に至るまで続いた「国家神道」は、敗戦後GHQの神道指令に(1945年)によって解体され、神社は国家の祭祀ではなく一宗教法人としての扱いを受けるようになりました。
 
 
 
神道は教祖を持たず、教義・経典・教団・さらには明確な組織をもちません。
ではなぜ神道は成り立つのでしょう。それは人間の感覚に始まります。
 
自然界を構成している空気・光・水・土・風・木・岩・山・海・岬・谷などの森羅万象
の中に神々しさを感じ取る感覚、その感覚によって、漠然とながら自然の中の
神秘的なものを神と崇めました。特に日本に農業が入ってきてからは、
豊作や不作といった自然や生命の営みなど、人間にはどうすることもできない問題、
大きな力に遭遇します。それに対して畏怖の念を持ち、それを慰めよう・
封じ込めようと考えました。また、大きな恵みを与えてくれるものに対して畏敬の念を持って感謝し、
自然現象を神の力として崇めるようになりました。
 
これら畏怖、畏敬、あやかり等から出た行為が神道信仰の基本なのです。
 
祀るという言葉は、儀式をして慰める、崇める、清めるという意味です。
 
また日本の神は八百万の神と云われるように大変多くまつられています。
大別すれば次のような神々に分別されるでしょう。
 
○自然神に対する崇拝から生じた自然神・・・山の神・海の神・火の神等。
 
○先祖を尊ぶ風習から生じた祖先神・・・藤原氏の氏神を祀った春日大社等
 
○個人崇拝から生じた人格神・・・菅原道真・平将門・東郷平八郎等
 
○人間の想像によって作られた観念神・・・天之御中主神・国之常立神・イザナギノミコト・
 イザナミノミコト・スサノオミコト等
 
○戦没英霊・・・靖国神社等
 
○仏教に説かれる神・・・帝釈天・鬼子母神・大黒天等
 
 
以上の様に神道と一言で表されるこの信仰は、大陸渡来のものを含めた全国各地の様々な信仰が融合していった
共同体といえるでしょう。
 
神道は教義や経典を持たず、祭祀・つまりお祭りによって神を慰め崇めます。
 
 
 
前述の通り、神社信仰は教祖・教義・経典などは無く、原始信仰に始まり、
現在その形態は実に内容の無いものになっています。
 
多くの人が「何の力を持った何という神が、何が原因でどのようにして祀られているのか」ということを知りません。
酷い人は、どうして自分が参詣するのかという明確な答えすら持たない人もいます。
 
この内容のない信仰形態こそが日本古来の土俗信仰・原始信仰から受け継がれてきた民間信仰であり、
日本人に根付いている信仰姿勢なのです。
 
 
 
神道では神がこの世の中、つまり人間をはじめとして全てのものを造りだしてきたとしています。
それではその神は、一体どこから来たのか。
 
この世の中が始まった天地開闢という神話には、
高天原という聖なる空間に天之御中主神(あめのみなかぬし)を始めとしてイザナギノミコト・イザナミノミコトに至るまでの神々が「成れる」「成り坐せる」とあります。
 
つまり、神々はおのずと出現したとあるのです。
 
無かったものが自ずと出現した。これがどのようなことか。
そこには理由も原因も何も説かれていません。
 
出現する以前は一体何だったのでしょう。
 
このように神道は、仏教で説かれる因果などは全く無視しています。
 
 
日本に伝わる神は大変多くあります。しかしそれらは果たして全てが本当の神なのでしょうか。
歴史学的に見ると随分と曖昧で、怪しい神が多いようです。
 
例えば古事記、日本書紀、風土記などにおける神々の名称・数はそれぞれ異なっています。
これは当時、神話を編纂するにあたり、製作者の意図がそれぞれで違ったからです。
 
部族や集団によって異なる神話や異なる神が、作者の意志や政治的な意図によって省かれたり、
作られたりしたからなのです。
 
これは神社の御神体にも見られます。
 
例えば有名な八幡神社。
 
総本社とされる宇佐神宮では応神天皇を主祭神として左右に比売神と神功皇后を配祀します。
しかし全国の八幡神社を見渡せば、
仲哀天皇と神功皇后を配祀したり、玉依姫命・住吉神を配祀したり、あるいは応神天皇だけを祀った神社もあり、
全てが一定している訳ではありません。
 
また、大国主命等のように、大和朝廷が滅ぼした民族の怨霊を鎮める為に神に祀り上げている例もあります。
 
神道が根拠とする神話や伝説の多くは古代の政治政策の産物であり、是を信仰の基礎に置くことは
実におかしなことです。
 
 
 
神にも色々あります。
 
○観念神・・・この世の中を作ったとされている出所の解らないこの神は、
 人間の想像上の産物といえるでしょう。
 
○人格神・祖先神・・・日本各地にある天満宮には菅原道真が祀られています。
  神田大明神には平将門といった人間が神として祀られています。
  日本では英雄であると同時に不遇の死を遂げた人は神になれるようです。
 
 ※菅原道真は平安時代前期の人。讒言により配所の大宰府にあること二年で
 没しました。彼の死後間もなく皇室などに災異が続発したため、貴族たちはこれを
 彼の怨霊によるものと考え、彼の例を北野に祀り、これより天神信仰が次第に
 盛んになりました。現在、北野天満宮と太宰府天満宮を根本社として約五千の
 社があります。
 
 ※平将門は平安時代に承平・天慶の乱を引き起こした武将。
 やがて関東の大半を押さえて自ら平新皇と称しましたが、彼が殺した叔父の平国香
 の子・貞盛に倒されました。後世、律令体制に反抗した英雄として民間の信仰を
 集め、神田明神などに祀られました。
 
 
過去の偉人や先祖を偲び敬う行為は当然の心情であり大切なことですが、
これは道徳の領域です。過去の偉人に対してこれを神と崇めて
其の偉業にあやかろう、または祟りを恐れてなぐさめようなどとすることは
後世の人々の勝手な思いです。この神は当に祭り上げられた存在といえるでしょう。
 
 
○自然神・・・自然神の中には仏教に説かれる諸天善神が多くあります。
 しかし仏教に説かれない自然神は如何なものでしょう。例えば山の量感・威厳・
 秀麗雲霧・登山の危険・火山等に対し、山そのものを畏れ人格化したものや、
 単に山を神霊の住所としたものが山岳信仰と呼ばれるものです。
 大きな山・大きな岩・大きな木等の偉容に対して畏怖することにより、そこには
 神が宿っているのではないかというこれら自然発生的な信仰は原始宗教であり、
 教義的根拠はありません。
 
○動物の神・・・動物を祭神にして拝むことは、畜生の生命に感応するということです。
 四悪道(地獄・餓鬼・畜生・修羅)に自ら落ちようとするこの信仰が、御利益
 どころか害をもたらすのは当然の理と言えます。実際に、蛇憑き・狐憑きという現象
 も見られます。
 
○仏教上の神・・・神の中には、日本古来の神道独自のものではなく、実は仏教に
 説かれている神もいます。正法を持つ人を守護する働きを持つといわれる
 諸天善神です。大梵天王・帝釈天王・四天王などの善神です。
 
  ※東方守護の持国天王・南方守護の増長天王・西方守護の広目天王・北方守護の
   多聞・毘沙門天王。
 
 
全国で最も多いとされる八幡神社。実はここに祀られている八幡神は、自らを仏様の弟子と名乗っています。
 
延暦二年(783年)、宇佐八幡宮では神託(神の言葉)が下ります。
神が自らを護国霊験威力神通大自在王菩薩と称するというものですが、
これは八幡神が仏の弟子であることを示したものです。
 
神号に使われている神通や自在の文字は、仏教から来た言葉です。
これにより八幡神は、八幡大菩薩と呼ばれるようになるのです。
 
 
転載ここまで
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
ヤフオクで入手した情報文献全書(文献保存会)によると、
栄光の歴史ある賎民族が実は徳川幕府に於いて突如出現した訳ではなく、
古代・中世から「みやびなる」支配者・貴族と共に協力して
社会の底辺に於いて日本文化を築いてきたそうだ。
 
ではこの嗜虐的日本人狩り・特殊工作集団ストーキングも、
やんごとなき雅なお方との連係プレーということか・・・?ふう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
抑(そもそも)上は悲想の雲の上・下は那落の底までも
生を受けて死をまぬかるる者やはある、
 
然れば外典のいやしきをしえ(教)にも
朝(あした)に紅顔有つて世路に誇るとも 夕には白骨と為つて郊原(こうげん)に朽ちぬと云へり、
雲上に交つて雲のびんづらあざやかに廻雪たもと(袂)・を・ひるがへすとも
其の楽みをおもへば夢の中の夢なり、
 
山のふもと(麓) 蓬(よもぎ)がもと(下)はつゐ(終)の栖(すみか)なり 
玉の台(うてな)・錦(にしき)の帳(とばり)も 後世の道にはなにかせん、
 
小野の小町・衣通姫(そとおりひめ)が花の姿も無常の風に散り、
攀噲(はんかい)・張良が武芸に達せしも 獄卒の杖をかなしむ、
 
されば心ありし古人の云く 
あはれなり 鳥べの山の夕煙(ゆうけむり)をくる人とて・とまるべきかは・
末のつゆ本のしづくや 世の中の・をくれさきたつ ためしなるらん、
 
先亡後滅(せんぼうこうめつ)の理(ことわり) 始めて驚くべきにあらず
願ふても願ふべきは仏道・求めても求むべきは経教なり、
 
抑汝が云うところの法門をきけば 或は小乗・或は大乗・位の高下は且(しば)らく之を置く
還つて悪道の業たるべし。
 
(聖愚問答抄 日蓮)
 
 
 
夫れ三界の教主釈尊は十九歳にして伽耶城を出て檀特山に籠りて難行苦行し
三十成道の刻(きざみ)に三惑頓(とみ)に破し 無明の大夜 爰(ここ)に明しかば
須く本願に任せて一乗妙法蓮華経を宣ぶべしといへども 機縁万差にして其の機仏乗に堪えず、
 
然れば四十余年に所被の機縁を調(ととの)へて後八箇年に至つて出世の本懐たる
妙法蓮華経を説き給へり、
然れば仏の御年七十二歳にして序分無量義経に説き定めて云く
「我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年にして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり、
仏眼を以て一切の諸法を観ずるに宣説す可からず、
所以は何ん 諸の衆生の性慾不同なるを知れり 性慾不同なれば種種に法を説くこと方便の力を以てす
四十余年には未だ真実を顕さず」文、
 
此の文の意は
仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して 仏眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに
衆生成仏の直道たる法華経をば説くべからず、
是を以て空拳を挙げて嬰児をすかすが如く様様のたばかり(方便)を以て四十余年が間は
いまだ真実を顕さずと年紀をさして 青天に日輪の出で 暗夜に満月のかかるが如く説き定めさせ給へり、
 
此の文を見て何ぞ同じ信心を以て仏の虚事(そらごと)と説かるる
法華已前の権教に執著して、めずらしからぬ三界の故宅へ帰るべきや、
 
されば法華経の一の巻 方便品に云く「正直に方便を捨て 但無上道を説く」文、
此の文の意は前四十二年の経経・汝が語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよとなり、
此の文明白なる上 重ねていましめて 第二の巻譬喩品に云く「但楽(ねが)つて大乗経典を受持し
乃至余経の一偈をも受けざれ」文、
此の文の意は 年紀かれこれ煩はし所詮法華経より自余の経をば一偈をも受くべからずとなり、
 
忝なくも善導和尚は弥陀善逝の応化・或は勢至菩薩の化身と云へり、
法然上人も亦然なり善導の後身といへり、
上古の先達たる上・行徳秀発し解了・底を極めたり 何ぞ悪道に堕ち給うと云うや、
 
聖人云く汝が言然(しか)なり 予も仰いで信を取ること此くの如し
但し仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず 只経文を先きとすべし
身の賤しきをもつて其の法を軽んずる事なかれ、
 
有人楽生悪死・有人楽死悪生の十二字を唱へし毘摩大国の狐は
帝釈の師と崇められ諸行無常等の十六字を談ぜし
鬼神は雪山童子に貴まる是れ必ず狐と鬼神との貴きに非ず 只法を重んずる故なり、
 
されば我等が慈父・教主釈尊・そう林最後の御遺言・涅槃経の第六には依法不依人とて
普賢・文殊等の等覚已還の大薩埵・法門を説き給ふとも経文を手に把(と)らずば用ゐざれとなり、
 
天台大師の云く「修多羅と合する者は録して之を用いよ 文無く義無きは信受す可からず」文、
釈の意は経文に明ならんを用いよ 文証無からんをば捨てよとなり、
 
伝教大師の云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文、前の釈と同意なり、
 
竜樹菩薩の云く「修多羅白論に依つて修多羅黒論に依らざれ」と文、
 
意は経の中にも法華已前の権教をすてて此の経につけよとなり、
経文にも論文にも法華に対して諸余の経典を捨てよと云う事分明なり、
 
(聖愚問答抄 日蓮)
 
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
有難うございました。
南無妙法蓮華経
 
 

諸法実相

2016-05-19 23:25:06 | 大切なことの為に
水すめば月うつる 風ふけば木ゆるぐごとく・
みなの御心は水のごとし 信のよはき(弱)はにごるがごとし、
信心のいさぎよきは すめる(澄)がごとし、
 
木は道理のごとし 風のゆるがすは経文をよむがごとしと・をぼしめせ
 
(日厳尼御前御返事 日蓮)
 
 
 

【速報】県警、米軍属男性逮捕へ 

うるま市不明女性の死体遺棄容疑

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-282111.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=facebook 

 

 

パナマ文書はトカゲの尻尾切り

http://ameblo.jp/z777x888/entry-12162025858.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----z777x888_12162025858

 

事訴訟法等改正案 司法取引 冤罪 盗聴 誘導 

吉川晃司政権批判 戦争経済→日露インフラ事業

http://ameblo.jp/z777x888/entry-12162012995.html

 

 

総合医療の医師たちの野外での謎の死!

「癌の治療」は殺人治療(抗癌剤)で最悪だが、
ワクチンにまで癌誘発酵素を入れて、
癌患者増発を狙っていたとは・・・?!

その存在を突き止めた医師たちが謎の死・・・

http://blog.goo.ne.jp/tumuzikaze2/e/bef633d9ad2ee99cbf360017d0d3829b

 

 

 

オーストラリアへの潜水艦売り込みに目をつけた米国

 

「そうりゅう」を米国が推す本当の理由とは?

 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46214

 

 

 

強制交配・出産ループの末、食用犬として出荷……

韓国「子犬製造工場」の実態に怒りの声

http://ameblo.jp/momokohime7/entry-12161731371.html?frm_src=thumb_module

 

 

【中国】衝撃映像

★警官隊1200人が住民に暴力=海南省海口市での強制立ち退き
 
(女性・子供を電撃棒で殴る中国の警官隊=まるで鬼畜!)★

 http://ameblo.jp/ryobalo/entry-12161654898.html

 

 

「『危ないときは守って』はムシがいい」

 

ソマリア沖で海上自衛隊の護衛艦が

 

『海賊対策での海自派遣に反対』のピースボートを護衛

 

http://hosyusokuhou.jp/archives/47579411.html

 

 

アメリカ下院議会で慰安婦決議を主導した

マイク・ホンダ氏の出自を調べてみると。。。 

~ 朝鮮人の祖父母が、日韓併合で

日本国民としてアメリカに渡る 

http://blogs.yahoo.co.jp/takarazuka_syourai/13963648.html

 

 

北朝鮮で主体教育を受けたよど号ハイジャック犯の子孫が

日本の選挙に立候補している事実

http://action-now.jp/archives/11427

 

 

長州こと山口県田布施町の怪

http://nouboua.blog.fc2.com/blog-entry-113.html

 

 

電通の正体=カナダマフィア(ブロンフマン)の手下 

ヤクザの上はマフィアのお話

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2384.html?sp

 

 

電通はCIAの支配下にある事実上の諜報機関
電通は日本のメディアを支配しているのか?

https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=111466

 

 

[東京五輪賄賂]中止の声多数!

電通の裏金関与が報道されない理由がヤバい!

http://zoot.blue/news20160516-2/

 

 

「東京五輪中止、ロンドン開催」の可能性が本格浮上。

もはや 「誰も望まない五輪」への変貌と、

森喜朗会長の「戯言」

http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/bizjournal-22964/1.htm

 

 

「廃棄物利用」の大義名分で汚染土壌の再生利用が利権化。

実証実験は人体実験。

核のゴミ捨て場への道。

http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/73a3312fb2b4f05f6458eb5a664db9da

 

 

ドイツの海岸に打ち上げられたクジラの胃の中は

「プラスチックのゴミで満杯」だった

http://earthreview.net/germany-whales-dead-stomachs-full-of-plastics/

 

 

排毒の仕方

毒の出し方について内海的な考え方を書いておくことにします。

これはこの世でオカルト療法といわれる内容が入ってきます。

しかし残念ながらそれをオカルト療法と呼ぶのは、医学界がもたらした洗脳にすぎません。

まず毒とは何かを定義する必要がありますが、現代においては

そのほとんどが化学物質であり社会毒であるととらえればよいでしょう。

つまり医学の薬、農薬、食品添加物、着色料、建築用溶剤、空気中の汚染物質、その他多くのものが

人体にとって有害であり毒なわけです。しかもそれらの大半は石油精製品であり、

石油産業といえば「彼ら」を思い起こさねばならないわけです。

...

その毒を抜くためには基本的に人体の排出力と解毒能力を考慮に入れなければなりません。

これらの毒はほとんどが脂溶性ですから脂肪内や神経内や脳内、さらにいうと細胞膜などに入り込んでいきます。

これは水溶性の毒と違って容易には排出できません。

当院のクリニックでは栄養療法と低温サウナを使っています。

本来サプリの栄養療法も完全な自然とは言えませんが、依存性物質や毒の暴露状態の場合、

これらの毒の排出のため体の中は栄養素が足りない状態となっています。

様々な栄養素はそれそのものが毒の分解や排出を助けますので、このサプリ自体がいわゆる皆さんのイメージする

「薬」として作用します。だから毒が一定量抜け回復すればサプリもやめたほうが良いでしょう。

低温サウナは汗の排出、脂肪の燃焼、血流促進、免疫力の向上などをもたらします。

特にサウナで特筆すべきは皆さんご存知「汗」であり、低温サウナの汗は毒だけでなく重金属なども排出していきます。

つまりこれは放射能に関しても応用できるのですが、ほとんどの人はそのことを知りません。

低温サウナの汗は、たとえばヘロイン中毒者の場合、汗からヘロインが出てくることも科学的に確認されています。

ただ、これは低温サウナでないといけないわけではありません。栄養療法もこれだけじゃないといけないわけでもありません。

私はほかにも数種のほかの方法を持っています。これはオーソドックスな方法であり、ほかに陶板浴、エステカプセル、

砂風呂その他でも代用はできるわけで、それらの排毒パワーの問題です。

通販ショップではよもぎ蒸しを扱っていますが、これも素晴らしい方法だと思います。

転載以上 

 
 

http://grapee.jp/3834

 

フィリピンで大活躍の「蚊とりボトル」を沖縄で試したらエライことになった

http://tano.blog.jp/archives/mosquito.html

 

 

法華経の一字は大地の如し 万物を出生す、
一字は大海の如し衆流を納む、一字は日月の如し四天下を照す、
 此の一字変じて仏となる、
 
稲変じて草となる・草変じて米となる・米変じて人となる・人変じて仏となる・
女人変じて妙の一字となる
妙の一字変じて台上の釈迦仏となるべし、
 
(王日女殿御返事 日蓮)

谷の池を不浄なりと嫌はば 蓮を取るべからず 日蓮

2016-04-21 22:19:02 | 大切なことの為に

地獄の使者たち

http://ameblo.jp/japangard/entry-12152473694.html

 

 

さすが統一教会自民党 北朝鮮を模範として憲法を改悪する

http://s.ameblo.jp/ruroibrown/entry-12143121255.html

 


家畜やペットに予防法を聞きましょう!「エコノミー症候群」!正座か胡坐だよ!

http://ameblo.jp/issinn-hokumei/entry-12152026000.html

 

 
 
佐渡の国の流人の僧 日蓮弟子等を引率し
悪行を巧(たくら)むの由 其の聞えあり
 
所行の企て 甚だ以て奇怪なり
 
今より以後 彼僧に相い随はん輩に於ては
炳誡(へいかい)を加えしむ可し、
 
猶以て違犯せしめば 交名を注進せらるる可きの由の所に候なり、
仍て執達(しつたつ)件(くだん)の如し。
 
法華行者逢難事 日蓮
 
 
 
 
なきな(名)をながさせ給うにや、
 
三つのつな(綱)は今生に切れぬ
五つのさわり(障)はすで(既)にはれらむ、
 
心の月くもりなく 身のあか(垢)きへはてぬ、
即身成仏のほとけなり・たうとし・たうとし、
 
 
 光日尼御返事 日蓮
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
今日のファンキーな特殊工作。名付けて「放屁」
 
・・・いえ、お下品で本当に申し訳なく思いますが、まんま呼んでみました。
すみません。
 
買い物をしてレジで並んでいる時や各種会計の時などに、
どこからともなく硫黄臭が紛々と漂ってくる訳です。
大抵背後や店内外に潜んだ工作員が、
手のひらに収まるサイズの噴霧器を使用し、
恰も私が「放屁」したかの如き状態に陥れる(笑)訳です。
 
信じられます?でも本当なんですよ(爆笑)!
 
こんな嫌がらせを考案する者も・
嬉々としてこんな嫌がらせに得々と精を出す者も、
いずれも紛う事なき病人です☆
 
この様な者達が特権階級の恩恵を享受し・
或は特権階級のおこぼれを享受している訳です
 
これって、どうなんですか??
 
14歳でカルトを脱会してからは、
実行部隊にこの手の嫌がらせにさんざん翻弄されて来たので
(詳しくは私のプチ被害体験記 URLhttp://blog.livedoor.jp/sakuranokumo/  
をご覧ください。宜しければ。)
 
今ではもう、怒るどころか呆れ笑いしか出ません。ようやるわ。
 
子供だって、大人工作員と同じことやりますよ。
洗脳と教育とは恐ろしいものです。
 
同じく被害者のお知り合いで、同様の嫌がらせを
東急東横線の電車内でやられた方がいました。
 
本当に、気が違っているとしか言えません。
 
やられたら周知活動に役立てましょう!
「ちょっと止めてよ集団ストーキング工作員!こんな嫌がらせなんてサイテー!」
とか大声で呟いてみたりしてね☆
 
まあ、その方は社会的にも非の打ちどころの無いエリートだったので、
そんな手法でしか貶められなかったのかもしれませんね。
 
って、この嫌がらせだって人権侵害・名誉棄損になるんじゃないの(苦笑)??
 
本人たちは「クレべリンゲル」の超強力版の様な消臭剤を所持していて、
私が硫黄臭気で通報ようとしたり、関係のない方が通行したりすると、
すかさず噴霧して瞬時に強烈な臭気を消してしまう。
 
ファ○リーズとかリ○ッシュなんていう子供だましの品しか
市場には出回っていないのに。
 
被害者のみならず、周囲にも大変な迷惑ですよ。
 
え?私たち被害者の存在が迷惑ですって??
 
でもその迷惑千万な工作も、日本国民の税金が支えているんです。
卑劣な犯罪を幇助している訳ですよ、無自覚に。
 
まあどんな手を使っても
ターゲットに矛先を向けさせて孤立させたい訳ですが、
顔つきや雰囲気で、大抵は違和感を感じることができるものです。
マトモな方ならば。
 
兎も角、クレイジーな世界に引きずられたくなければ、
人の悪口や噂話をする人・異様に世話焼きでいい人ぶり~な人・
やたらと徒党を組む人などには深入りしないことです。
 
私がクレージーですって?
 
いえいえ。
 
いつかきっと、どちらがキチガイだったか分かる日が来ますって。
 
でも勘違いなさらないで。
真面目に・普通に生きていらっしゃるBやzの方々がいらっしゃることは
存じ上げております!
 
たとえば10年前、特殊工作の件で相談させて頂いた全解連の方には
本当に真摯に応対して頂きました。
 
「私たちのメンバーがそんな酷いことをしているならば、
直ぐに対処して止めさせますので、いつでも相談してください。」
 
当時孤立無援の状態だった私にとって、どれほど有難い姿勢だったことか。
 
また被差別出身者であっても、運動の方針に納得できずに
解放同盟を去った方が、
 
「もう十分自立できるだけの支援をしてもらった。
これ以上は必要ない。汚ない金は嫌いなので、親は同盟から抜けた。」
 
と告白なさっていらしたり、
仲間内で特殊工作のターゲットにされている方のブログ等に接することで、
組織に汚染されているのは全ての方ではないとも知りました。
 
だから尚更、工作などに手を染めている方々を批判すべきだと思うのです。
 
 やむなき事情のある方もいるのでしょうが、駄目なことはダメ。
そこに小難しい理屈なんていらないでしょ?
判断力の無い方を狙って取り込む組織って、本当に迷惑。
 
・・・・・
 
これほど(私も含めて)地球環境と調和できていない生命体がいるのは、
人間種(じゃないのもいるみたいですが)だけでしょう?恥ずべき事です。
 
この体を御貸し頂いている間は地球に感謝する心を日々忘れず、
去る時には素直に去ることに致しましょう。
 
ですが死ぬ前に、どうしてもこれだけは言っておきたい。
 
もういないでしょうが、
忘れ得ぬザビエル頭のオランダ大使館・ユダヤ側工作員!!
剃るか被るか、どっちかにしなよ!!!
 
 
ということで、まとまりのないツラツラ日記となってしまいました(汗)。
重ねお詫び申し上げます!!
 
 
 
有難うございました!
南無妙法蓮華経