終には覚むる 夢の世の中 

組織や団体等には一切所属致しておりませんが、日蓮聖人の法華経信奉者です。日々の所感の記録・備忘録として活用させて頂きます

自制心のない者に自由はない ピタゴラス

2013-10-20 09:08:18 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
私の太陽が沈む 再び上るために

   ブラウニング


いたずらに・くちん身を法華経の御為に
捨てまいらせん事、あに石に金を・かふるにあらずや、
各各なげかせ給べからず

   (佐渡御書)

法華経の一字は大地の如し 万物を出生す
一字は大海の如し 衆流を納む
一字は日月の如し 四天下を照す

此の一字変じて仏となる・稲変じて苗となる・
苗変じて草となる・草変じて米となる・
米変じて人となる・人変じて仏となる・
女人変じて妙の一字となる・
妙の一字変じて台上の釈迦仏となるべし

南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経

   (王日女殿御返事)


      日蓮

  ♪♪♪

 <御義口伝上 日興>

(法華経)勧持品十三箇の大事

・第八悪世中比丘の事

 
御義口伝に云く 悪世比丘の悪世とは末法なり
比丘とは謗法たる弘法等是なり、
法華の正智を捨て権教の邪智を本とせり、
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は
正智の中の大正智なり


・第十二 悪鬼入其身の事

御義口伝に云く 悪鬼とは法然弘法等是なり
入其身とは国王・大臣・万民等の事なり、
今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を
怨むべしと云う事なり、

鬼とは命を奪う者にして奪功徳者と云うなり、
法華経は三世諸仏の命根なり
此の経は一切諸菩薩の功徳を納めたる御経なり


・第一安楽行品の事

御義口伝に云く 妙法蓮華経を安楽に行ぜむ事
末法に於て今日蓮等の類いの修行は
妙法蓮華経を修行するに
難来るを以って安楽と意得可きなり


・第三有所難問不以小乗法答等の事

御義口伝に云く 
対治の時は権教を以って会通す可からず。
一切種智とは南無妙法蓮華経なり
一切は万物なり・種智は万物の種なり・妙法蓮華経是なり

又云く 
一切種智とは我等が一心なり一心とは万法の惣体なり
之を思う可し


・第五有人来欲難問者諸天昼夜等の事

御義口伝に云く
末法に於て法華を行ずる者をば
諸天守護之有るべし

常為法故の法とは 
南無妙法蓮華経是なり


・(法華経)涌出品一箇の大事

御義口伝に云く
涌出の一品は悉く本化の菩薩の事なり
本化の菩薩の所作とは南無妙法蓮華経なり
此れを唱と云うなり
導とは日本国の一切衆生を霊山浄土へ引導する事なり
末法の導師とは本化に限ると云うを
師と云うなり

~此の本法を受持するは信の一字なり
元品の無明を対治する利剣は信の一字なり
無疑日信(むぎわつしん)の釈・之を思ふ可し云々


!?

他人の罪は目の前にあるが、自分の罪は背後にある

  トルストイ



劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を
やすりを以て無量劫が間す(磨)るともつきまじきを、
梵天三銖の衣と申して 
さはめてほそくうつくしき天の羽衣を以て
三年に一度下りてな(撫)づるになでつくしたるを
一劫と申す、
此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも
濁世の法華経の行者を供養したらん功徳は
まさるべきと申す文なり。

此の事信じがたき事なれども 
法華経はこれていにをびただしく、
ことごとき事どもあまた侍(はん)べり、

又信ぜじと思へば多宝仏は証明を加へ、
教主釈尊は正直の金言となのらせ給ふ、
諸仏は長広舌を梵天につけ給いぬ。


此の法華経並びに行者を用ひずして
身をそんじ・家をうしない国をほろぼす人人・
月支・震旦に其の数をしらず・
第一には日天・朝に東に出で給うに大光明を放ち
天眼を開きて南閻浮提を見給うに、

法華経の行者あれば心に歓喜し
行者をにくむ国あれば
天眼をいからして其の国をにらみ給い、
其の国を破るべしと見えて候。

  (松野殿御消息)


鹿をほうる犬は頭われず
師子を吠る犬は腸(はらわた)くさる
日月をのむ修羅は頭七分に割れ
仏を打ちし提婆は大地われて
入りにき、
所対によりて罪の軽重はありけるなり  
    (兄弟抄)


法華経第七巻薬王品に云く
衆星の中に月天子最も為(これ)第一なり
此の法華経も亦復是くの如し、
千万億種の諸の経法の中に於て最も為照明なり
云々、文の意は
虚空の星は
或は半里或は一里或は八里或は十六里なり、
天の満月輪は八百里にてをはします、

華厳経六十巻或は八十巻・般若経六百巻・
法等経六十巻・涅槃経四十巻・三十六巻・
大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観経・阿弥陀経等の
無量無辺の諸経は星の如し、
法華経は月の如しと説かれて候
経文なり。

此れは竜樹菩薩・無著菩薩・天台大師・善無畏三蔵
等の論師・人師の言(ことば)にもあらず、
教主釈尊の金言なり・譬へば天子の一言の如し、
又法華経の薬王品に云く
能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し
一切衆生の中に於て亦為(これ)第一等云々

   (松野殿御消息)




別に個人的な感情で責めているわけじゃない。

この国のために怒っているの。とても怒っている。

今がどんなに大事な時かわかってないのね。

 イングリッド・ベタンクール



四悉檀を以て時に適(かな)ふのみ。

我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は
臨終の時、阿鼻獄の相を現ずべし。

其の時我を恨むべからず

   (顕立正意抄)


     日蓮

    Thank you!


 

立ち止まり・見回し・耳を澄ませ・というモットーは、「予定表を見よ」に勝るのである E.F.シューマッハー

2013-10-17 07:58:41 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
理性は羅針であり、欲望は嵐である

     ポープ




「仏法を壊乱するは 仏法中の怨なり

慈なくして詐(いつわり)親しむは是彼の人の怨なり

能く糾治する者は即ち是れ彼が親なり」等云々、

余は此の釈を見て肝に染むるが故に
身命を捨てて之を糾治するなり

    (太田殿御返事)


設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼
身に入つて 法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり、
何に況や其の巳下の人人にをいてをや、

又第六天の魔王 或いは妻子の身に入つて
親や夫をたぼらかし、
或いは国王の身に入つて法華経の行者ををどし、
或いは父母の身に入つて孝養の子をせむる事あり

    (兄弟抄)


この娑婆世界は第六天の魔王の所領であり、
魔王は人間が仏道を行じて己が手を離れることを
嫌う。よって住人の心をたぼらかし・自身の眷属と成し・
悪道に堕として己が地獄の住人と成さんと励む。

よって、徒に現世を誉めそやし・夢や希望に酔わせ・
現世への執着を煽るような風潮は狂気ともいえる。
現実をありのままに見つめ・受け入れ・其の中で真摯に生きる。
よく生きようとするその心・道を求める心にこそ仏・諸神は
住まわれるのであり、
尊い法を我が身に受け持つ人が貴いからこそ、
その人の住む処も貴いのだと説かれる。
浄土というも穢土というも我が一心にありとはこのことである。

真の法華経信奉者よ、
千変万化する娑婆世界で、一時の安寧の為にその心身を
阿て、後に無駄死にすること莫れ。





法華経は東方の薬師仏の主・南方・西方・北方・上下の
一切の仏の主なり、
釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは
民の王を恐れ星の月を敬ふが如し、


然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者・

地獄・餓鬼・畜生等に押し籠められて

気(いき)もつかず朝夕獄卒を付けて責むる程に、


兎角して法華経に懸り付きぬれば釈迦仏等の十方の仏の
御子とせさせ給へば、梵天・帝釈だにも恐れて寄り付かず、
何に況や第六天の魔王をや、

魔王は前には主なりしかども今は敬ひ畏れて、
あしうせば法華経・十方の諸仏の御見参に
あしうや入らんずらんと恐れ畏みて供養をなすなり、

何にしても六道の一切衆生をば法華経へ・
つけじと・はげむなり、
    
    (浄蔵浄眼御消息)


法華経を怨む人に二あり、

一人は先生(せんじょう)に善根ありて
今生に縁を求めて菩提心を発して仏になるべき者は
或いは口閉ぢ或いは頭破(わ)る、

一人は先生に謗人なり、今生も謗じ先生に無間地獄の
業を成就せる者あり、是はのれども口則ち閉塞せず、
譬へば獄に入つて死罪に定まる者は
獄の中にて何なる僻事あれども死罪を行うまでにて
別の失なし、
ゆりぬ(免)べき者は獄中にて僻事あれば・
これをいましむるが如し、
~涅槃経に云く法華経に云く云々。

    
    (法蓮抄)


人皆口には此の経を信じ・手には経巻をにぎると
いへども、
経の心にそむく間、悪道を免れ難し。

譬へば人に五蔵あり。
一蔵も損ずれば其の蔵より病出来して余の蔵を破り、
終に命を失ふが如し

    (新池御書)


又如何に唱うとも日蓮に怨をなせし人人は
先ず必ず無間地獄に堕ちて
無量劫の後に
日蓮の弟子と成つて成仏す可し

   (経王御前御書)


徴(しるし)先達つて顕れ則ち災必ず後に来る、

去ぬる正嘉元年丁巳八月廿三日戌亥の刻の大地震
是併せながら此の端に非ずや、

法華経に云く如是相と、
天台大師云く「蜘蛛下りて喜事来り・鸛鵲鳴いて行く人来る」と、
易に云く吉凶動に於て生ずと、

此等の本分豈替るべけんや、所詮諸宗の帰依を止めて 
一乗法華経を信受せしむべきの由勘文を捧げ候

   (北条入弥源太への御状)


賢者の役割は
大いなる宇宙の律動を把握して
それに適応すること

  シューマッハー


薬師経に云く

「若し刹帝利・灌頂王等の災難起らん時は、
所謂人衆疾疫の難・他国侵逼の難・
自界叛逆の難・星宿変怪の難・日月薄蝕の難・
非時風雨の難・過時不雨の難あらん」

已上。
   
   (立正安国論)




今は毒身を捨てて後に金身を受ければ

豈歎くべけんや

   (阿仏房御書)


一代に簡われ
諸経に捨てられたる二乗作仏は
法華に限れり

   (真言見聞)


誰もがそれぞれの地獄を背負っている

   ウェルギリウス
  
人は苦悩することによってのみ、
苦悩を忘れる

    プルースト


~酔い覚めの水は甘露の味というではないか。
貪瞋痴の三毒から目覚め・
宇宙の妙なる法に我が身を適さんが為に~


方便品の長行書進(かきまいらせ)候。
先に進せ候し自我偈に相副(そえ)て
読みたまうべし

   (曽谷殿御返事)


法華経は何れの品も
先に申しつる様に愚かならねども、


殊に二十八品の中に勝れてめでたきは

方便品と寿量品にて侍り。


余品は皆枝葉にて候や。

されば常の御所作には、

方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ讀ませ給ひ候へ。


又別に書き出してもあそばし候べく候。

余の二十六品は、
身に影の随ひ、王に財の備はるが如し。

寿量品・方便品をよみ候へば、
自然に余品は
よみ候はねども備はり候なり

   (月水御書)


    日蓮

  Thank you!



人間は みずからの行為には、完全な責を負うのである カント

2013-10-13 07:34:27 | 日蓮聖人・本来の姿に戻ろう!
弘の六に云く、

和光の下、身を現ずるを釈するなり。
四住の塵に同じ、
処処に縁を結び、浄土の因を作し、
利物の始めと為す、

衆生機熟して八相成道す、
身を見、法を聞き、
終に実益に至る文

  (一代五時継図)

     日蓮




10月13日は、日蓮聖人のご命日に当たります。
入滅という相を示され・滅不滅のない仏になられた
喜びの日です。

弘安五年(1282年)、病の療養と御父母のお墓参りの為、
身延山を出立なされた日蓮聖人は、
武蔵の国・池上宗仲邸にて御入滅なされました。
御入滅の折には、時ならぬ桜の花が咲き誇ったと伝えられます。

経文通りの苦難に満ちたご生涯は法華経の真価の証明であり・
その生命は末法に生きる法華経行者の亀鑑として、
今も力強く脈打っているのです。


いかなる人の知識も、
その人の経験を超えるものではない

ジョン・ロック

驚異は全哲学の、探求は進歩の、無視は終わりのはじまり

モンテーニュ

   


日蓮聖人のお心・法華経の深淵から離れ・
抑圧され・苦しみに身を潜める人々の頂を踏みつけにしたまま
花をあしらい、人を集めてどれ程立派な儀式を催したとて、
軽薄さを払拭することはできません。
この善き日に
心を込めた読経・唱題でお祝いさせて頂こうと思います。

  南無妙法蓮華経・合掌


日蓮生まれし時よりいまに
一日片時もこころやすき事はなし。

此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり。 
   
   (上野殿御返事)


仏陀記して云く

「後の五百歳に法華経の行者有りて
 諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・
 流罪死罪せられん」 等云々。

日蓮無くば 釈迦・多宝・十方の諸仏の未来記は
当に大妄語なるべきなり。

   (真言諸宗違目)


経文の如くならば、
末法の法華経の行者は人に悪(にく)まれる程に持つを
実の大乗の僧とす。又、経を弘めて人を利益する法師なり。

人に吉(よ)しと思はれ、人の心に随ひて貴しと思われん僧
をば、法華経のかたき世間の悪知識なりと思ふべし

   (法華初心成仏抄)


利己的でない動機からなされた行為に

尊敬の念を感じるのは、

私心のない動機から行動せよという

要求があるからである

    カント


日蓮を信ずるやうなりし者どもが、日蓮がかくなれば
疑ををこして法華経をすつるのみならず、
かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が、
念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事、
不便とも申す計りなし。 
~日蓮御房は師匠にておはせども余りにこは(剛)し、
我等はやはらかに法華経を弘むべしと云はんは、
蛍火が日月をわらひ、蟻塚が華山をくだし、
井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳を
わらふなるべし、わらふなるべし。

   (佐渡御書)


人間の構想力は、明るい光のもとよりも、

暗がりのうちでしっかりと働くものだからだ

   カント


総じて日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく
水魚の思を成して、
異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を、
生死一大事の血脈とは云ふなり

   (生死一大事血脈抄)


末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は
男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば
唱へがたき題目なり。
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、
二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。
未来も又しかなるべし。
是あに地涌の菩薩の義に非ずや。

   (諸法実相抄)




欲望はせっかちに進むために

足がもつれて躓くので、

道義はやがて欲望に追いつくだろう

   カント



法華経の名号を持つ人は、
一生乃至過去遠遠劫の黒業の漆変じて
白業の大善となる。
いわうや無始の善根変じて金色となり候なり。

   (妙法尼御前御返事)


浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし。
重きあやまちならば
信心をはげまして消滅さすべし

   (阿仏房御前御返事)


法とは 事物の本性に適う不変の秩序

   カント


法華経は四十余年の諸経を一経に収めて
十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、
釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、
一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり。
故に妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大なり。

   (唱法華題目抄)


人生は道路のようなものだ。

一番の近道はたいてい一番悪い道だ

  ベーコン


後生のたのもしさ申すばかりなし、

此れより後も、いかなる事ありとも・少しもたゆむ事なかれ。

  (兵衛志殿御返事)


しばらくの苦こそ候とも、ついには・たのしかるべし

  (上野殿御返事)


    日蓮 

偶然は、
準備のできていない人を助けない
    
  パスツール

 

  南無妙法蓮華経

滄浪の水清まば以て我が纓を濯うべし 時にはビスターリも恐れずに。

2013-10-06 08:33:01 | 大切なことの為に
釣れないときは

魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい

ヘミングウェイ

自己の向上を心がけている者は、

喧嘩などする暇がないはずだ
  
   リンカーン

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

  シラー



人の悦び多多なれば
天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり、

人の悪心盛なれば
天に凶変地に凶妖出来す

瞋恚の大小に随いて天変の大小あり
地妖も又かくのごとし

  (瑞相御書)

いかにいわうや仏教をならはん者の
父母・師匠・国恩をわするべしや。

此の大恩をほうぜんには必ず
仏法をならひきわめ、
智者とならで叶ふべきか

  (報恩抄)
   

   日蓮



徒に現世利益を追求させたり・
仮初めの楽にばかり目をむけさせるような教えや思潮は、

「苦は苦とさとり・楽をば楽とひらき」
「いかなるわづらはしきことも夢となして」
「一心に仏を見奉らんとし」

と日蓮聖人の警句にもあるように、成道からは外れています。

「諸余怨敵・皆悉催滅」の御文。

これは在世に於いて、自身に敵対する者が消え失せる、
ということではなく、
法華経に預けたこの命が、
九識心王真如の都である南無妙法蓮華経の命に感応し・
そこに自身の意識を定めることによって、
自身の認識する概念としての「敵」「侵害者」が消滅する、
という意味ではないかと思います。

常に心・意識を南無妙法蓮華経という宇宙の真理に置く。
自身の内なる仏界にフォーカスして自身の生を取り巻く事象を見つめ・
捉え直すことが出来た時、
「生滅滅己・寂滅為楽」という、生死を超越した永遠の魂としての自我を
認識できる。すると、自身が囚われていた煩悩の炎も鎮まり、
三毒により犯していた愚行を愚行と知り・真の安らぎの境地に
住することができる。

その時には既に、
身体へのあらゆる外的影響を受けながらも心は自由であり、
あらゆる負荷は成仏への試金石・魂の陶冶のための試練に
過ぎなくなるのです。

悟りを得るとは、あらゆる外的作用に侵食されない、
絶対的な安穏の境地に住するということです。
その境地を常に感じて生きることが、一生成仏であり、

「御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。
 
 仏に成る道も此の如し。

 我等は穢土に候へども 心は霊山に住むべし。

 御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。」

    (千日尼御前御返事)

とあるように、

その成道への直道こそが、仏の本懐・日蓮聖人の
「南無妙法蓮華経」を信受するという修行なのです。




主人の曰く、
予少量たりと雖も忝くも大乗を学す。

蒼蠅驥尾に附して万里を渡り、
碧羅松頭に懸かりて千尋を延ぶ。

弟子一仏の子と生れて諸経の王に事(つか)ふ。
何ぞ仏法の衰微を見て
心情の哀惜を起こさざらんや。

  (立正安国論)

至理は名無し、
聖人理を観じて万物に名を付くる時、
因果倶時不思議の一法之れ有り。
之を名けて妙法蓮華と為す。

此の妙法蓮華の一法に
十界三千の諸法を具足して欠減無し。
之を修行する者は
仏因仏果同時に之を得るなり

  (当体義抄)


日蓮




生命を愛すな 憎むな。

生くる限り よく生きよ。

その永き・短きは天に譲れ

  ミルトン

人生の悲劇は、

まだ生きているのに

心が死んでいるということである

  シュバイツアー


人久しといえども百年には過ぎず

其の間の事は但一睡の夢ぞかし
 
   日蓮


理想を持ち・信念に生きよ

   信長


未来に自信を持とう。

未来は必ず、私達人間が

敢然と道を切り拓いてくるのを待っている

  トマス・ベリー




Thanks!

貧寒たる思想 憫然たり愍然たり。国土は王土ではなく仏土なり。

2013-10-02 08:40:22 | 亡国
涙とともにパンを食べた者でなければ
人生の味は わからない

   ゲーテ

 

皆人のをもひて候は、父には子したがひ臣は臣にかなひ
弟子は師にゐすべからずと云々。
かしこき人もいやしき者もしれる事なり、しかれども
貪欲瞋恚愚痴と申すさけ(酒)にえいて
主に敵し親をかろしめ師をあなづる つねにみへて候、

但師と主と親とに随いてあしき(悪)事をば諌めば

孝養となる事は
先の御ふみにかきつけて候いしかばつねに御覧あるべし。

~法華経のかたきになる親に随いて一乗の行者なる兄をすてば 
親の孝養となりなんや、
せんするところ ひとすぢにをもひ切つて兄と同じく仏道をなり(成)給へ。

~昔と今はかはるとも法華経のことわりは・たがうべからず・
当時も武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり、
ましてわづのばらが わづかの事をへつらひて
心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給ふな、
かへすがへす 今度とのは堕つべしとをぼしうるなり

   (兵衛志殿御返事)


澗底(かんてい)の長松未だ知らざるは
良医の誤り、
闇中の錦衣を未だ見ざるは
愚人の失なり 

  (宿屋左衛門光則への御状)



盲冥にして見る所無し
大勢の仏及び断苦の法を求めず
深く諸の邪見に入つて苦を以て苦を捨てんとす、云々、

   (蓮生抄)

謗法と申す罪をば、我もしらず・人も失とも思はず。
但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、
此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も、
無間地獄に堕つる事あり、

  (妙法比丘尼御返事)



今の代は濁世と申して乱れて候なり、
其の上、眼前に世の中乱れて見え候へば、
皆人今生には弓箭の難に値いて修羅道におち
後生には悪道疑なし。
而るに法華経を信ずる人人こそ仏には成るべしと見へ候へ、

御覧ある様にかかる事出来すべしと見へて候、故に
昼夜に人に申し聞かせ候いしを用いらるる事こそなくとも
科(とが)に行わるる事は謂れ無き事なれども、

古も今も
人の損ぜんとては善言(よきこと)を用いぬ習い
なれば終には用いられず世の中亡びんとするなり、

是偏に法華経・釈迦仏の御使を責むる故に
梵天・帝釈・日月・四天等の責を蒙つて候なり、

又世は亡び候とも 

日本国は南無妙法蓮華経と

人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ、


如何に申さじと思うとも毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし、
 
   (経王御前御書)

 

経王御前には・

わざはひも転じて幸となるべし、

あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、
何事か成就せざるべき、

「充満其願・如清涼地・現世安穏・後生善処」疑なからん、

   (経王殿御返事)


花を与えるのは自然であり、

それを編んで花輪にするのが芸術である

   ゲーテ


  南無妙法蓮華経