< 法四依 >
依法不依人
依義不依語
依智不依識
依了義経不依不了義経
法に依(よ)って 人に依らざれ
義に依って 語に依らざれ
智によって 識に依らざれ
了義経に依って 不了義経に依らざれ
正しい道理(正法)に依拠して人そのものに靡いては(依拠)してはいけません.
人の発する言葉ではなく、そこにある信義を見つめなさい。
立派な理屈理論であっても、人を惑わすものであったり悪道へ堕とすものなら決して従ってはなりません。
既存の知識に固執せず・智慧に依拠しなさい。
正しい教えに依拠なさい。誤った教えに依拠しては道を誤ります。
Ⅰ
昔、雪山(せっせん)いう山の麓に、一人の修行者が住んでいた。
無常を乗り越えるための悟りを得るため修行している彼をご覧になって、
帝釈天は本当に菩提をもとめているのか ・その道念を試そうと鬼神に姿を変え、
傍らで「諸行無常・是生滅法」と声をかけた。
後の言葉を教えて欲しいと懇願する彼に、「空腹で語れない」と鬼は言う。
聞けば人間の血肉しか口にしないというではないか。
修行者は此の教えの一端でも悟れるなら思い残すことはないと考え、「生滅滅己 寂滅為楽」の句を授かると
その句を咀嚼して後生の人の為に木や石に刻み・大樹に登って身を投げた。
鬼は帝釈天の姿に戻り、修行者を抱きとめ、自分の衣の上に彼を座らせると、
道心を試す為に行ったこと。あなたの心を悩ませた罪をお許し下さいという。
樹から飛び降りた瞬間に あなたは既に成道を遂げられました、と。
此の時諸天が舞い降り、これぞ真の菩薩と誉め称えた。(涅槃経 雪山童子の話より)
Ⅱ
私たちはややもすれば、「世間的に」地位がある人・立派な人から聞いた話ならば
それは有難い話だろうと考えてしまう愚かさをもっています。
ここでは人間以外の鬼の口からt立派な言葉がなされた。真実の法を会得するには、
その人が立派であるかないかということ以前に、その人が話したことがどれだけ真実か否かを判断せよ
と教えているのだと思います。
但し仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず 只経文を先とすべし
身の賤をもって其の法を軽んずる事なかれ (聖愚問答抄 日蓮)
と示されるように、
世間的には優れた人であっても、もし正理・正法からみて外れていたなら、これを用いてはいけない。
反対に、たとえ小さなお子様が口にした言葉であっても、それが真実に適っていたならば、
私たちはそれを尊重しなければならないということです。
雪山童子の話では、恐ろしい鬼の口を以って此の言葉を述べさせたことに意義があり、
そのことの為に帝釈天はわざわざ鬼人に姿を変えて登場されたのです。
依法不依人の故に
いかようにも経説のやうに依る可きなり (真言天台勝劣事)
Ⅰ・Ⅱ Mr.mount-hat(私の仏道の恩師)
「御宮仕えこそ 法華経と思し召せ」。
仏法は、世間法。道理を過てば、心を損なう。
寛厳よろしきを得る。
現状を観照し、正誤を理る。
互いに相角逐し合うのではなく、正邪曲直を明らめ、
将護温練の精神を以って育み合う世の中に向かう為の、今この時。
しばらくの苦こそ候とも、ついには たのしかるべし。(上野殿御返事)
此の経を 一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん(染)人は
生死の大海を渡るべき船なるべし (椎地四郎殿御書)
大難来たりなば強盛の信心 いよいよ悦びをなすべし。
火に薪をくわ(加)へんに さかんなる事なかるべしや
大海へ衆流入る
されども大海は河の水を返す事ありや (椎地四郎殿御書)
しを(潮)のひ(干)るとみつ(満)と、日の出づるとい(入)ると、
夏と秋と 冬と春とのさかひ(境)には 必ず相違する事あり。
凡夫の仏になる 又かくのごとし。 必ず三障四魔と申す障りいできたれば、
賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。(兵衛志殿御返事)
つるぎ(剣)なんどもすすまざる人のためには用ふる事なし。
法華経の剣は 信心のけなげ(勇)なる人こそ用ふる事なれ。
鬼にかなぼうたるべし。
仏の御心は法華経なり。
日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。(経王殿御返事)
経文に我が身 普合せり。
御勘気をかほ(蒙)ればいよいよ悦びをますべし(開目抄)
法華経は 女人の御ためには暗きに・ともしび・ 海に船・
おそろしき所には・まほりと・なるべきよしちかはせ給へり (乙御前御消息)
日蓮
Thank you!
依法不依人
依義不依語
依智不依識
依了義経不依不了義経
法に依(よ)って 人に依らざれ
義に依って 語に依らざれ
智によって 識に依らざれ
了義経に依って 不了義経に依らざれ
正しい道理(正法)に依拠して人そのものに靡いては(依拠)してはいけません.
人の発する言葉ではなく、そこにある信義を見つめなさい。
立派な理屈理論であっても、人を惑わすものであったり悪道へ堕とすものなら決して従ってはなりません。
既存の知識に固執せず・智慧に依拠しなさい。
正しい教えに依拠なさい。誤った教えに依拠しては道を誤ります。
Ⅰ
昔、雪山(せっせん)いう山の麓に、一人の修行者が住んでいた。
無常を乗り越えるための悟りを得るため修行している彼をご覧になって、
帝釈天は本当に菩提をもとめているのか ・その道念を試そうと鬼神に姿を変え、
傍らで「諸行無常・是生滅法」と声をかけた。
後の言葉を教えて欲しいと懇願する彼に、「空腹で語れない」と鬼は言う。
聞けば人間の血肉しか口にしないというではないか。
修行者は此の教えの一端でも悟れるなら思い残すことはないと考え、「生滅滅己 寂滅為楽」の句を授かると
その句を咀嚼して後生の人の為に木や石に刻み・大樹に登って身を投げた。
鬼は帝釈天の姿に戻り、修行者を抱きとめ、自分の衣の上に彼を座らせると、
道心を試す為に行ったこと。あなたの心を悩ませた罪をお許し下さいという。
樹から飛び降りた瞬間に あなたは既に成道を遂げられました、と。
此の時諸天が舞い降り、これぞ真の菩薩と誉め称えた。(涅槃経 雪山童子の話より)
Ⅱ
私たちはややもすれば、「世間的に」地位がある人・立派な人から聞いた話ならば
それは有難い話だろうと考えてしまう愚かさをもっています。
ここでは人間以外の鬼の口からt立派な言葉がなされた。真実の法を会得するには、
その人が立派であるかないかということ以前に、その人が話したことがどれだけ真実か否かを判断せよ
と教えているのだと思います。
但し仏法は強ちに人の貴賤には依るべからず 只経文を先とすべし
身の賤をもって其の法を軽んずる事なかれ (聖愚問答抄 日蓮)
と示されるように、
世間的には優れた人であっても、もし正理・正法からみて外れていたなら、これを用いてはいけない。
反対に、たとえ小さなお子様が口にした言葉であっても、それが真実に適っていたならば、
私たちはそれを尊重しなければならないということです。
雪山童子の話では、恐ろしい鬼の口を以って此の言葉を述べさせたことに意義があり、
そのことの為に帝釈天はわざわざ鬼人に姿を変えて登場されたのです。
依法不依人の故に
いかようにも経説のやうに依る可きなり (真言天台勝劣事)
Ⅰ・Ⅱ Mr.mount-hat(私の仏道の恩師)
「御宮仕えこそ 法華経と思し召せ」。
仏法は、世間法。道理を過てば、心を損なう。
寛厳よろしきを得る。
現状を観照し、正誤を理る。
互いに相角逐し合うのではなく、正邪曲直を明らめ、
将護温練の精神を以って育み合う世の中に向かう為の、今この時。
しばらくの苦こそ候とも、ついには たのしかるべし。(上野殿御返事)
此の経を 一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん(染)人は
生死の大海を渡るべき船なるべし (椎地四郎殿御書)
大難来たりなば強盛の信心 いよいよ悦びをなすべし。
火に薪をくわ(加)へんに さかんなる事なかるべしや
大海へ衆流入る
されども大海は河の水を返す事ありや (椎地四郎殿御書)
しを(潮)のひ(干)るとみつ(満)と、日の出づるとい(入)ると、
夏と秋と 冬と春とのさかひ(境)には 必ず相違する事あり。
凡夫の仏になる 又かくのごとし。 必ず三障四魔と申す障りいできたれば、
賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。(兵衛志殿御返事)
つるぎ(剣)なんどもすすまざる人のためには用ふる事なし。
法華経の剣は 信心のけなげ(勇)なる人こそ用ふる事なれ。
鬼にかなぼうたるべし。
仏の御心は法華経なり。
日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。(経王殿御返事)
経文に我が身 普合せり。
御勘気をかほ(蒙)ればいよいよ悦びをますべし(開目抄)
法華経は 女人の御ためには暗きに・ともしび・ 海に船・
おそろしき所には・まほりと・なるべきよしちかはせ給へり (乙御前御消息)
日蓮
Thank you!