夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

自然エネルギーと固有領土

2015年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム


物心ついた頃から音楽に親しんできた。
それは放課後体育館から流れてくるピアノの音だったり、管球式のラジオから聞こえる世界のポピュラーミュージックだった。

メディアといっても当時はラジオがメインで、音楽に関しては新聞か雑誌、音楽専門誌がこれから発刊されようとする時代。
音楽評論家と言われる人たちの声がラジオから流れて、情報を食い入るように聴いてはその人となりを想像した。

そんなご本人にお会いすると、当時のことを思い返す余裕もなく浮き足立って、ご挨拶に伺う。
先般中村とうようさんのメモリアルコンサートでお会いした湯川れい子さんのこと。

プレスリーは、新作映画と同時に発表されるテーマソングがヒットして、映画とレコードの売り上げが同時進行した。
楽曲は優れているし、アン・マーグレットなど共演者との話題にも事欠かない、そんなビジネスモデルが確立されていた。

当時の常識を覆すように現れたのがビートルズだった。
正確に言えば先に出たトニー・シェリダンとシルバー・ビートルズだったり、マイ・ボニーだったりしたのだが、「Please Please Me」や「Twist and Shout」のサウンドの衝撃は尋常でなかった。

ある音楽イベントに現れた芥川也寸志さんの姿が強く印象に残っている。
500~600人を超えるパーティに遅れて入ってきた彼は長身で一際目立っていた。

オーケストラのリハーサルに登場した彼を見て、あまりにもハンサムなので女性音楽家たちが卒倒したという。
「美形は幸いなるかな、、嗚呼」、、、久米の仙人。



TV報道で銀座を徘徊する中国人観光客と無資格通訳ガイドの存在を報道していた。
外国人観光客の全てがマナーが悪いとは思わない、が、報道が「直撃する」と言いながら彼らの逆ギレに這う這うの体で退散する様は見ていられない。

日本人もかつては欧米の先進国で同じような失態を演じていたかもしれない、が、だから仕方ないという論理はおかしい。
過去に日本が侵略戦争を犯したから、尖閣諸島を武力で占有されても仕方ないとは言えないだろう。

「集団的自衛権」騒動も論理の手順がおかしい。
「同盟国が攻撃されたら援護射撃できるようにしたい」ではなくて、「自国の脅威に対して実際に反撃するために法改正する」でよい。

日本の固有領土を守るための解決手段としての戦いは仕方ない。
日本人を不法拉致している国に対して奪還するために武力行使するのは当然のことだろう。

先の大戦は反省しなければいけないし戦争は反対だ、が、自国を守るために選択しなければならない最終手段として武力行使がある。

エネルギー問題も同様だ。
「地球に還元できるエネルギーを採用すべき」であり、あたかもクリーンであるかのような「論理のすり替え」は拒否すべきだ。

軍艦島の世界遺産登録は、「石炭産業の栄光と衰退の象徴」としての意義がある、だからこそセレクトされたのだろう。
効率を追求した結果としての「原発」には、利権と最終処分できない現実を知っている悪魔の暗躍がうごめいている。

二酸化炭素を排出するというが、自然界のバランスを崩すほど排出するから問題になるのであって、焚き火程度の二酸化炭素は野山のグリーンが吸収する。
少なくとも地球に還元するエネルギーを採用して「恵の大地を汚さない」、そのポリシーが重要だ。

綺麗ごとを言うのでなく、具体的に問題を解決する、そのための議論をしよう。

もともと日本人が住んでいた日本の固有領土を守ろう。
政治はその方法論を議論していただきたい、戦闘準備は方法論の一部であって全部ではない。


脱線したが、音楽に限らず文化はメッセージ性を持っている。
ジョン・レノンしかり明確な主張を持つミュージシャンに、人は惹かれ納得していく。

恋する人の全てが愛おしくなるように、、、






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