夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ジョン・ボイズ・レストラン

2015年07月20日 | 音楽


梅雨が明けたら台風、異常な暑さの中雷で交通機関が止まったある日、武蔵野美術大学へ向かう。
中村とうようさんが寄贈したコレクションを展示する美術館にはお昼時から人影がある。

展示スペースにはアジア、アフリカから集められた民族楽器、レコード、CDが並び、モニター画面には関連する映像が映し出される。
午後5時半からのコンサートのための入場整理券は午前10時から配布され、200席あるホールは満席、立ち見と場外のモニターで視聴される方がいた。

「ミュージックマガジン」誌の創刊で知られる中村とうようさんは、洋楽に加えワールド・ミュージックを俯瞰する総帥でもあった。
ソル・フーピーがお好きと伺ったように古いハワイアン・ミュージックに親しみを持っていらしたようだ。

スラックキー・ギターを全面に取り入れた我々のLPレコードのCD化に際して「ボクはよくわからないんだけど」という前置きをされたのが印象的だった。
しかし音楽評論のレジェンドとしての立場と、ワールドミュージック全般を見渡したうえでのハワイ音楽観をお持ちであったように思う。

会場の聴衆の大半はおそらくとうようさんファンと思われる年配の方が目立つ。
トップバッターの我々「The Pineapple Sugar Hawaiian Band」は、お好きであったと言われる「ラ・パロマ」をスラックキー・ギターで演奏した。

控え室には久しぶりにお会いするサンディー、親指オーケストラと言われるカリンバのサカキマンゴー氏、アラブ、ショーロの音楽の皆さんが集う。
5時半から始まったコンサートは9時にサンディーのボーカルで全員がスタンディング、ダンシングでフィナーレを迎えた。


打ち上げ会場へ向かう途中、年配のご夫妻から声をかけられた。
「私たちのお店に来たことがありますか?」と、、、、お店とは?

なんとお店とは早稲田にあった「ジョンボイズ・レストラン」というではないか。
お二人は経営者のMさんご夫妻だった。

アパートの一階を改造したカントリー風パブは、引き戸を開ければ畳敷きの和室が見える。
ここに出入りしていた当時高校生のH君から誘われてバンドメンバー4人が何の予備知識もないまま訪れた。

10人程度の常連さんと思しき人たちが待ち構えてくれてバーボンを飲んでいた。
楽器を持っていかなかった私のために確か大きめのベースアンプとベースを運んできてくれた方がいらした。

フラットマンドリンを抱えたTさんがウクレレとセッションを始める。
スラックキー・ギターをメインにしたダカインサウンドを演奏し始めると、食い入るように聴いている皆さんの心臓の鼓動が伝わってくるようだった。

Mさんによれば、この時聴いたことがない音楽を聴いて鳥肌が立つような時間を過ごしたという。
そして久保田麻琴さんとサンディーに電話したそうだ、
「日本人でこんな音楽を演奏するバンドがある」と。

その次のライブの時にお二人がやってきて、紹介も何もないまま座敷でサンディーがフラを踊りはじめた。
以来「South Linkan Polynesian Revue」と「Pineapple Sugar Hawaiian Band」のセッションは座間や横田などの米軍の基地を中心に行われることになる。

この早稲田での遭遇はご夫妻、常連さんにとっても、我々にとっても衝撃的なことであった。
頼んでもいなかった料理が目の前に出され、美味しくて完食した感じだろうか。

いや演奏した我々にとって地面に水が吸い込まれるような聴衆との一体感は、その後のバンドの音楽観に大きな影響を与えた。
言葉でなく音楽を通じて会話ができた体験ということだろうか。

イベントの実行委員長湯川れい子さんとお会いできご挨拶もできた。
そして古くからのおつきあいOさんとの再会などなど充実した1日だった。

割とお近くに住んでいらっしゃるMさんご夫妻に、また何処かで「ジョン・ボイズ・レストラン」を開業していただけないかと勝手なお願いをした。
当時の常連さんたちからも同じオファーがあるという。

快適な空間とは、求める側と提供する側の価値観が一致していることをいうのだろうか。
板張りの空間でバーボンをいただく、、、懐かしい。。












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