夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ジャジー・ノット・ジャズ

2014年12月29日 | 音楽



古い「ミュージック・マガジン」誌に「ジャジー・ノット・ジャズ」という特集記事があった。
「ジャズではないけれどジャズテイスト溢れる」くらいの意味合いだろうか。

引き合いに出されていたのは、今は亡きエイミー・ワインハウス。
トニー・ベネットとのデュエット映像を見ても貫禄十分の歌いっぷりだった。

もう一人は「ノラ・ジョーンズ」
出てきた頃はジャズというイメージはなかったように思うのだが、ブルーノーツ・レーベルの社長さんが彼女の素質を見抜いて契約、デビューだったようだ。

彼女がラビ・シャンカールの娘さんということは有名だ。
3歳の頃、両親が離婚してお母さんが働いていたのでジャズやソウル、カントリーなど母の膨大なLPレコードを愛聴したという。

エルビス・プレスリーやジョニー・キャッシュ、カントリーやボブ・ディランの作品を取り上げて、彼女なりのアレンジを施して別物に仕上げているのは最近始めたことでなくて若い頃から親しんでいた弾き語りなんだろう。

50年代のポップスやカントリーはコード進行がシンプルで明快だ、
「C E7 Am Am7 D G7 C G7」といったわかりやすいコード進行が魅力の大きな要素を成している。
これを完全にジャズ・コードにしないでジャズ・フィーリングで歌うからいいのだろう。

私にジャズの作法や理論を語る資格はないが、ポップスの心地よさとジャズのエッセンスの組み合わせがいい。
今またハワイで起きている「ジャジーな演奏スタイル」は、理論に裏付けされたものではなくハワイアンスタイルの一部のような同化作用だと思うのだ。

ワイキキで活躍しているR氏に「ジャズの勉強をしたの?」と聞いた時、「ちゃんと勉強してないけどね」と返ってきた。
リズム感のいい彼がちょっとしたジャズコードをまぶしただけでそれなりのジャズアレンジに聴こえる。

むしろきちんとしたジャズ理論を持ち込まないほうがリラックスした音楽に仕上がるのかもしれない。
アレンジと実践を考えていくとこの辺りの見極めと整合性がポイントになってくる。

さてどんな曲を取り上げようか。





Norah Jones - What Am I To You?


NORAH JONES LOVE ME


Norah Jones (with Wynton Marsalis) - You Don't Know Me


Norah Jones Forever Young - A Celebration of Steve's Life


Norah Jones Johhny Cash Tribute


A Norah Jones - Are you lonesome (Elvis tribute)

気まぐれ飛行船

2014年12月29日 | 音楽



丸の内のオフィスに電話が鳴った。
「片岡さんからお電話です。」と交換の声。
(はて片岡さんて誰だろう?)

電話に出ると「片岡です。気まぐれ飛行船の・・」
(ああ!) ようやく状況が飲み込めた。

70年代FM東京のラジオ「気まぐれ飛行船」は、深夜1時から3時までの二時間番組、
独身時代に良く聞いたものだ。

作家の片岡義男さんとジャズボーカリストの安田南さんの二人がホスト、ホステスを担当していた頃はほとんど聞いていた。

片岡さんがハワイ音楽のレコードを番組でちょくちょくかけていたので「ハワイがお好きなんだなあ」と認識していた。
当時日本で初めてとなるスラックキーギターを中心としたLPレコーディングに参加していた私は、その片岡さんに手紙を書いた。

「ギャビィパヒヌイに傾倒している4人がこんなレコーディングを行っています」と。
スラックキーメドレーの一曲か二曲をダビングしたカセットテープをFM東京の片岡さん宛送ったのだ。

電話は「聴きましたよ!レナード・クワンですね!」というわずかな一言であった。

(日本でこういうことをやっている人間がいるのか)
と言うちょっぴり興奮を感じられるような片岡さんの低い声が今でも忘れられない。
この幸せな気分を誰かに分けてあげたいような一日だった。

完成したLPを持ってメンバー4人がFM東京のスタジオにお邪魔したのは一年後のこと。

バイクに乗って何枚かのハワイアン・ミュージックのLPを抱えてやって来た片岡さんと細面の安田南さんに初めてお会いした。
スタジオに入ったお二人と我々のメンバー二人で始まった収録は、ハワイとハワイ音楽にとりとめもなく終始して「ハワイ音楽特集」になった。

テーマソングに始まりテーマソングで終わる「気まぐれ飛行船」のエンディング、
明け方の三時前に安田南さんの色っぽい声で
『眠れ!悪い子達よ』
これを聞かないと安心して眠れなかった男性諸氏が多かったのではないだろうか。

お会いすると間違いなくラジオから流れるあの声の持ち主であり、「声にお色気のある方だなあ」との印象を受けた。
最近になってはじめて彼女の歌う「ジャズ」を聴いた。
心に残る素晴らしい作品を残している。

そして西岡恭蔵の「プカプカ」の実在のモデルだったこともわかった。
そんな彼女の音信が定かでないと言うファンの投稿に、また時間の流れと寂寥を感じてしまう。

当時のラジオ放送をリアルタイムで聴いていた高校生が志茂ギターズの志茂さんだった。
「豊島区のSさんからの手紙で・・」という片岡さんが私からの手紙を読む件をリアルタイムで聴いていたそうだ。

「僕はお会いする前から(私のことを)知っていました。」
高校生は大学を卒業しアメリカに行き、ギタービルダーになって、我々の音楽活動を通じて目の前に登場することになる。
まさかあのラジオ放送をリアルタイムで聴いていたその人が、ハワイ音楽を通じてお会いすることになったとは、いや驚いた。

数年後に刊行された片岡さんの小説「波乗りの島」に
「東京からやってきた『ホームシック・アイランド・ボイズ』というバンド」
が登場する。
思い違いかもしれないが、
(こんな片岡さんとの出会いが小説のモティーフになったのかなあ)、
と、小説の登場人物をいちいち実在のギャビィ・パヒヌイや我々メンバーと対比してみたものだ。

片岡さんのソフトな語り口、音楽や世の中の事象についての明確な捉え方とインテリジェンシーは、聴いた人の心を捉えて離さない。

親しくさせていただいた年配のある方から「NHKの深夜ラジオ番組に音楽情報(音源)を提供している片岡義男さんとは一体どういう人か?」と問われたことがあった。
曰く「どんなジャンルでも一家言持っており、しかもそれがとても詳しい、一体どういう経歴の持ち主なんだ?」と。

従兄弟から送ってもらった「ビートルズ詩集」という角川文庫2冊が片岡さんの訳で、この透明感のある訳詞をどこかでまたとりあげたいと思う。


さて2014年の師走、忘年会で遭遇した志茂さん、Iさんと私。
帰り際、Iさんに志茂さんと「気まぐれ飛行船」との話をしたところ「僕もあの番組を聴いていました」という。
片岡さんの「波乗りの島」も愛読されたとのこと、巡り合わせというものは不思議なものだ。

ところで安田南さんの消息が不明のまま時は過ぎた。
北海道生まれの彼女が18歳で勝ち抜きジャズボーカルTV番組で優勝して米軍キャンプで歌ったりしたこと、
俳優座養成所から映画演劇界での活動歴があったこと、などを最近になって知った。
何よりジャズボーカリストとしての評価が高く熱狂的なファンがいることも認識した。

私にとっては、お会いする機会があったこと、一言二言お話しできただけで幸せだ。

嗚呼、「眠れ、悪い子たちよ!」




<2012.2.6.初稿記事>



安田南 in 気まぐれ飛行船 with 片岡義男[1/6]


あかとんぼ 安田南


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ダンシング・ネコウ・レコーズ

2014年12月26日 | 音楽




指が長いのは楽器を演奏するに有利だと思う。
ピアノにしてもオクターブが簡単に押さえられたり、スケールの長いウッドベースやエレキベースにしても然り。

とはいえ指だけを長くするわけにはゆかず、ベースマンはストレッチをしたりしてスムーズなフィンガリングができるよう努力する。
指の長い人は羨ましい。

ジョージ・ウィンストンに初めて会ったのは都心のホテルのロビーでのこと。
約束の時間に現れないのでフロントにたずねると「そういうお客さまはいらっしゃいません」と言う。

さて困った、音楽は聴いていたし名前を知ってはいるものの「顔を見たことがない」ことに気がついた。
そうこうしているうちにそれらしき人物が現れたが、今度は英語が通じない。
ではなくてこちらが聞き取れず、話せない。

見るに見かねた通りがかりの女性が通訳を買って出てくれた。
どうやら「(当時六本木にあった)レコード店に行きたいと言っている」と。

六本木「Wave」から出てきた彼がどっさり抱えていたCDは「Okinawan Music」だった。

さてそれから言葉の不自由な日本人と流暢な英語で話すジョージとの珍道中が始まった。

ことの次第はこうだった。

ジョージはハワイのスラックキー・ギタリストの「アッタ・アイザックス」のアルバムを探していてカイムキにあるレコード店に行った。
ところがそこには数枚のアルバムしか置いてなくアッタの全てのレコードを収集したかった彼はお店のアランに問い合わせた。
アランは「日本に詳しい人がいるから彼を訪ねなさい」と答えたらしい。
そこで世界で3本の指に入ると言われるコレクター大家を訪ねたという訳。

珍道中以来、招かれたコンサートを見てピアノの合間に彼がハーモニカを吹くことを知った。
そしてそれはいつしか7弦ギターによるスラックキー・ギターの演奏に変わっていった。

コンサートの後で「ダンシング・ネコウ・レコーズを作るんだ」と言っていた。
それから数年後「Dancing Cats Records」レーベルからハワイのスラックキー・ギタリスト達のアルバムが次々と発表されることになった。

靴を脱いでピアノに向かう彼の指先は恐ろしく長い。
ストライド奏法というのか、ひょいひょいと振り下ろす鍵盤からは瞑想に誘われるような音が無数に空中を漂う。

ピアノに譜面はおいてなく、心の中にあるモチーフが次々と出てくるのだろう。
あたかも宗教音楽に包み込まれているような錯覚に陥りそうになりながら、コンサートは続く。

彼の弾くパッフェルベルのカノンは素晴らしい。

「環境音楽」と言われていた無味無臭の音楽を演奏しているからこそ、土の香りがする「Hawaiian Slack-key Guitar」に関心があるのだろうと当時思った。
しかし今となって彼のピアノもスラックキー・ギターのサウンドも、リラクゼーションを感じるという意味で共通項を持っていることに気づく。

その後ハワイの「Slack-key Guitar Festival」で再会した時、またもや珍道中の延長みたいなことがあった。

長すぎるような指で弾く彼のスラックキー・ギターが懐かしい。






Johann Pachelbel Canon Piano (George Winston)

George Winston--Guitar--Kane's Tune

George Winston from the Lesher Center for the Arts.

みんな夢の中

2014年12月24日 | 音楽



浜口庫之助の本を読んだことがあった。
J-Popの走りとでもいう傑作を数多く残したシンガーソングライターだ。

まだギターがそんなに普及していなかった頃、おしゃれなコード進行とメロディラインでファンが多かった。

「みんな夢の中」は、高田恭子という女性歌手の歌で知られている。
歌詞とメロディの叙情性が、強烈に「女心」を表現している。

先日FMラジオから流れたのはヒットメーカーの彼が歌っていたものだった。
話を聞いていると「みんな夢の中」というドラマで浜口庫之助役を演じたらしい。

先般「見上げてごらん夜の星を」に触れて以来、日本の名曲が気になる。
名曲というものはあらゆるミュージシャンが取り上げるもの。

ちょっとしたアレンジで曲がガラリと変わって聴こえる。
わずか半小節のコードアレンジで「おや」と感じてしまう。

さて自伝によればさる女性との恋の真っ最中に生まれた曲だそうだ。
奔放な生き方が創作活動を続ける源か。

曲作りに恋は重要な役割を果たす。





玉置浩二×香西かおり

プレゼント

ココナッツブルースバンド

2014年12月23日 | 音楽



縁戚がタヒチ旅行に出かけた際、一人の日本人に出会った。
TV番組の取材で訪れたタヒチに魅了された彼は、仕事をやめてダイビングのインストラクターとして働いていた。

その日本人インストラクターに指導を受けた縁戚は、それ以降年配にしてスキューバダイビングを始めることになった。
現地でお世話になった彼に、日本からカップヌードルなど懐かしい食品を送ったそうだ。

そして旅行のお土産はタオルに包まれた「タヒチアン・バンジョー」だった。

「タヒチアン・バンジョー」はタヒチのウクレレ様の楽器。

厚手の板を加工して釣り糸を張った楽器で、駒の部分がバンジョーのように丸い薄い板の上に乗っている。
2弦づつ4コースに張られた蛍光色の樹脂製釣り糸は同じ太さだし、大体フレットがいい加減に打ってある。
どう見てもチューニングは不完全だと思うのだが、これで良いのだ。

チューニング方法はウクレレと同じなので押さえ方も同じだが、独特の奏法がある。
とにかくリズムストロークが難しい。

もともとタヒチは、通信手段として打楽器を使って来た歴史があり、このリズムが実に複雑だ。

ポリネシアには「文字」文化がなかったので、これらの打楽器で演奏される曲は、口承で伝えられてきた。
一曲をリズムの変化で表現していて一つのストーリーを成している。

以前このポリリズムを譜面に強いKさんに依頼してオタマジャクシのリズム譜に書いてもらったことがある。
私が聴き取って「絵」を描いた譜面らしきもので練習していたのだが、正確に表現した譜面を書いてもらおうとした。

ところが五線譜に書いたリズム譜よりも、絵に描いたスケッチ様のものの方がわかりやすいという評があり笑ってしまった。
ドラムス・パートのリズム譜はとても門外漢には理解できない記号の林立だ。

もちろん現地の彼らは譜面どころかメモも見ないで延々と演奏を続ける。

代々耳から耳へと伝えられてきた楽曲は、かれらのDNAに擦り込まれているのだろう。
打楽器と民族の歴史は、長い時間をかけてポリネシア人の音楽性を高めてきたに違いない。

このタヒチの観光ガイド達の演奏と笑顔を見てご覧なさい。
素晴らしいグルーブを繰り出している。


(2011.10.13.記事)


"The Coconut Blues Band from Tahiti"


Tamariki Poerani - Vahine Dance


Tamariki Poerani - Mono'i Tupuna