夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

大人の工作

2015年04月27日 | クラフト


「Made in Japan」の行方を追うTV番組は興味深い。
遠く欧州の職人たちが日本の職人たちが作った工具を愛用し感謝の言葉を述べる。

日々の製造工程に追われる職人たちが海外のエンドユーザーから生の声を聞くことは先ずないだろう。
モニター画面に映し出された職人の声を聞く職人たちの顔は感動に今にも涙があふれんばかりだ。

少年向けの雑誌の付録から始まる工作キットやパーツは男の子の夢を育んだ。
いやモノを作る伝統は日本古来からあったが、先の大戦後の貧しい環境は大人へも子供へもモノ造りへとさらに駆り立てた。

太陽光を当てて印画紙に形状を映す「日光写真」など、他愛もない子供騙しのような少年雑誌の付録を楽しんだものだ。


2003年から発売されている「大人の科学マガジン」という学研の企画はユニークだ。
まともに勉強したり準備すれば結構な費用や努力を要するであろう「大人向け科学キット」がブックに収められている。
しかも数千円と手ごろな価格でおじさまたちのやり残した夢の世界が買えるのだ。

そして発想が面白い。
エジソンが考えた当時の発明を紙コップなど日常品を利用して再現しようとしたりする。

音楽関係で検索すると

「テルミン」ロシアの物理学者テルミンが1919年発明したあの怪しい楽器だ。
オリジナルは相当高価なモノらしく、過去何回かレプリカが店頭に出回ったものの普及していない。

「円筒レコード式エジソン蓄音機」
レコーディングできるという感動が味わえるのだろう。

「シンセサイザークロニクル」
オリジナル設計のアナログ・シンセサイザーがキットになっているらしい。

「歌うキーボード ポケット・ミク」
YAMAHAの開発した人造合成声の発音キットらしい。

「手回し鳥オルガン」
紙製のロールペーパーにパンチされたカードによってオルガンが奏でられる。
このオルゴール版はつい最近まで市販されていた。
パンチは任意で行われることからオリジナル曲も演奏可能だ。


こうした少年の心をくすぐる商品は案外売り切れてしまう。
出版界が新作を求めては採算性とのジレンマに陥っているのなら温故知新ともいうべき商法に五分の利がある。

少なくともおじさんたちはいつの時代にも目を輝かせてはこうした商品開発を追いかけるものだ。





ミニエレキPV 大人の科学マガジンVol.26

大人の科学マガジンのミニエレキを作ってみる―

エレクトリック・スチールドラム 大人の科学マガジン/お手本演奏05「Cジャム・ブルース」

港が見える丘

2015年04月26日 | 音楽


名曲はいつまでも心に残る。
Iさんからのリクエスト曲「逢いたくて逢いたくて」は宮川泰先生の名作、演奏しようとすると意外に難しい曲ではないだろうか。

一度発表した曲をタイトルと歌詞を書き替え、園まりさんが歌って大ヒットした。
若い園さんへの注文はきっと大変だったのだろう。

さらに遡って「港が見える丘」は、ジャズの香りもする名曲だ。
宮川先生がこの曲をモチーフに「逢いたくて逢いたくて」を作ったという話を最近知った。

音楽において、モチーフとか雰囲気、なんらかの情景は重要だと思う。

演奏するにあたって初心者はいきなり譜面通り弾き始める。
それでいいのだが、聴いていて落ち着かないのは余裕がないからだ。

長く音楽をやっていると、季節の変化や自身の心中やらを演奏に反映することができるようになる。
いや逆にそうした心の表情を表せないと音楽にならないのかもしれない。

先日ウクレレを始めたばかりの方が「(人前で)演奏しようと思う」と言いだした。
「ほう!」
「どうせ聞くのは認知症とかの老人ばかりなのでどうってことないから」と。
まだコード「G7」を押さえるのに時間がかるレベルなのに、だ。

これを聞いて「もし度胸試しという意味でやるのならご主人の前でおやんなさい」と言った。
譜面を凝視しながら演奏するってことはたとえ相手が認知症の方だろうが失礼だ。

「ズーッと譜面を見て演奏している人の演奏をあなたは聴く気がしますか?」
「そうは思わない」

そして譜面を見ないで演奏することに挑戦していただいた。
簡単な曲ではあるものの、できた。
やればできるのだ。

譜面を見ながら演奏する習慣をつけてしまうと「見ないと演奏できない」ことになってしまう。

もうひとつ歌詞の間に「chord name」を書いてないと弾けない歌えない習慣もマイナスだ
一見便利そうだが、「chord name」は書いてあっても小節数が書いてないので独りよがりの演奏になってしまう。
またこれも見ながらでないと演奏できない癖がつく要因となりかねない。

「休符の存在が理解できない」人も多い。
最初に「休符」があって始まる曲は多いものだが、うろ覚えの曲だと無視して歌い始めてしまう。


脱線したが、バラードというのか、情景を語り、思いを切々と訴える佳曲は好きだ。

恋する人に一生懸命思いを伝えようとする、その気持ちがないなら音楽の価値は半減してしまう。
下手でも気持ちがこもっているからこそ伝わる。
伝えようとしない、伝わらない人は不幸だ。

「利のやつこ位のやつこ多き世に 我は我が身のあるじなりけり」
百年も前に読まれた句が心にしみる。



港が見える丘 ちあきなおみ

逢いたくて逢いたくて  園 まり

みんな夢の中 ☆高田恭子(2008)

S君の思い出

2015年04月25日 | 音楽




芸能人の訃報が続くなか、追いかけるように知人の訃報が届いた。
昨秋ハワイから一時帰国した音楽仲間の歓迎会で元気な顔を見せていたS君が昨日他界されたという。

音楽を通じて知り合った人は数多いが、どういう経緯で出会ったのか、鮮明でなくなるくらい時間が経ってきた。
S君は都心でレストラン業を営むお父上の下、調理や経営を学びやがて自らお店をプロデュースしたり、経営を譲渡したりとやり手の事業家だった。

ちょうど彼が結婚する時に披露宴で演奏して欲しいと依頼があり主役のご本人がひな壇で演奏を一人楽しんでいた思い出がある。
茶目っ気があって声が大きくてドライ、社交的だったと思う。

水道橋のイタリアンのお店を経営している時にバンド演奏を要請されて度々パーティライブみたいなことに参加した。
お店の常連なのか、彼の友人なのかよく分からない人たちが集まっては大騒ぎする。

お店は広くないのでカウンターのなかに入って演奏したり、
興に乗った男性がカウンターの上に立ち上がってストリップを始めたこともあった。

そんな彼と近隣のホームセンターで出会ったのはもうだいぶ以前のことになる。
どうやら引っ越してきたのか、新築の庭の植栽の調達に来ていたようだった。

音楽好きが昂じて中古レコードショップを始めた頃何回かお邪魔した。
ハワイのレア物やらお値段も高いが結構マニアックなコレクションを並べていた。

そのうち同好の士でアンサンブルを楽しむ会ができるといつしか12弦ギターを抱えて遠慮深く参加していた。
昨秋の歓迎会でもギターを持ってきていたので数曲弾いたところ
「いいものを聴かせてもらった、ストロークの参考になります。頑張ろう。」
と言っていたのが、彼らしい表現で印象的だった。

その昔は私たちの演奏を聴くばかり、最近は彼らの演奏を見たりしてお互いゆっくり音楽の話をしたこともなかった。
一度病気をしてからは酒を控えていたこともあり歓迎会が彼との最後の会話になってしまった。

連絡してくれたN君の言うよう「人生は、儚い」
いつどうなるかわからない限りある時間を過ごしているのだからこそ、人との触れ合いを大事にしたい。

「No」と言えて「好き」と言えるような時間の使い方をしなければならない。
限りある人生を有意義に過ごすために。

合掌。









Hawaiian Airlines Presents Pau Hana Fridays - Maunalua "Aloha Ia O Waianae"

Hawaiian Airlines Presents Pau Hana Friday - Maunalua "Ka Uluwehi O Ke Kai" LIVE

Hawaiian Airlines' Pau Hana Fridays - Hawaiian Airlines Serenaders - Hilo Hula

12弦ギターの思い出

2015年04月23日 | 音楽


グループサウンズが華やかだった頃、エレクトリックギターに憧れた。
「Guyatone」「Teisco」「Yamaha」など国産メーカーのカタログにあるモデルは垂涎の的だった。

「Fender 」「Gibson」といったアメリカのメーカーのコピーモデルが大量に出回る前は、国産のオリジナルモデルが印象的だった。
グループサウンズ・ブームが去ってこれらの国産オリジナルモデルはいつしか消えてしまったが、かのライ・クーダーが相も変わらず「Teisco」などを好んで使用しているのは嬉しい。

「想い出の渚」は、年配世代の人なら誰もが口ずさむことができるほど知られるヒット曲。
ワイルドワンズという明るいイメージのバンドを率いる加瀬邦彦さんの作品だ。

ギターのコードを覚え始めた頃、「E」というオープンコードから始まって半音で下降するサビのコード進行が良かった。
まさに青春を共有する、今となってはあの時代を懐かしむのにぴったりの名曲だ。

当時加瀬さんが12弦のエレキギターを使っていたのも印象に残っている。
トレモロアームを多用する当時のエレキ、6弦仕様が多かったなかで12弦の響きは楽曲を特徴づけていた。

今やギターイフェクトで「12弦シミュレーター」などという機能もあるが、12弦ギターの響きはやはり12本弦を張ってこそ出てくる音だ。
ジャズギターのオクターブ奏法とは異なった「意外性(?)のあるオクターブ音」が出てくるところに魅力がある。

ブルージーンズや加山雄三といった映像でお目にかかってきた加瀬さんの訃報に接した。
同じ時代を生きた先輩ミュージシャンがまた一人旅立たれてしまった。

12弦ギターと「想い出の渚」は忘れない。

合掌。



貴重映像・加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ ~ 想い出の渚   12/12

加山雄三ヒットメドレー with 加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズ

貴重映像・加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズコンサート~1985年

加瀬邦彦 OnlyOnes オリジナル曲 ~The Moon Of Maduro~

憧れる頃、邂逅と卒業

2015年04月22日 | 音楽


学生時代、銀座「タクト」での珈琲一杯は貴重な時間を過ごすことができた。
老朽化した建物の入り口を入るとリーゼントの従業員が一人、ミュージックチャージ込みの数百円で一杯の珈琲を注文する。

1階席と2階席があって、中二階にステージがある。
往年のライブスポット最盛時代を過ぎた70年代、使われなくなった3階フロアが、ミュージシャンの楽屋代わりだった。

昔風の木造の階段から2階席を上がる観客と中二階のステージへ向かうミュージシャンがすれ違う。
ハワイアン、カントリー、ブルーグラス、など小編成のバンドが一ヶ月のライブスケジュールを埋めていた。

特別なイベントがない限り、日中のライブは若手ミュージシャンが、夜は名の知れたミュージシャンがライブを務めていた。

60年代この中二階のステージをめがけて階段を駆け上がるミュージシャンを見て、高校生だった尾崎さんは「これだ!」と思ったという。
ライブスポットを掛け持ちする売れっ子ミュージシャンが、ステージ衣装のまま階段を駆け上がり演奏を始める姿が「カッコイイ」と思ったに違いない。

以来尾崎さんはハワイアン、カントリーの道を歩むことになった。

学生時代お金もないのにここへ通ったのは当時のミュージシャンへの憧れからだ。
わずかな入場料で現役のミュージシャンと会えるし、どんな機材を使用してどのような演奏をするかが見られるし、勇気を出せば質問しにいくこともできた。

ポス宮崎さんのバンドにいたベーシストの方がGibsonのチャンネルセレクターのついたベースを使ったり、若手のミュージシャンがムスタング・ベースを使ったりと。
機材の情報入手と奏法の研究、演奏曲目やアレンジの勉強をするのに珈琲一杯付きで数百円は安いものだ。

学生時代の後半、中国地方で一ヶ月の「箱」の仕事を受けた。
駆け出しのフォークグループやらカントリーロックのバンドなど様々なミュージシャンが東京から送り込まれてくる。

故大橋節夫さんとお会いしたのはこのライブ施設だった。
バックミュージシャンにかの有名な中村兄弟がいて素晴らしいバッキングを見ることができた。

お兄さんがギターを弾き、時にキーボードを弾いたりしていたようだ。
弟さんが「ELK」のジャズベースを持っていらして素晴らしいグルーヴを繰り出していた。

さて加山雄三の若大将シリーズの映画を見ていたらまさに若かりし頃の大橋節夫とこの中村兄弟が出てきた。
お兄さんがピックギターを弾いて、弟さんがウッドベースを弾いている。

そして中村お兄様が昨年他界されたことを聞いた。

尾崎さんは中村兄弟との接点があったようでTV報道の際に弟さんが出ていらした。
私の住む沿線にいらっしゃるようで一度お会いしたいと思いつつ時間が過ぎてしまった。

お会いして尾崎さんの思い出とベースのお話を伺いたいものだ。

若い頃憧れてお会いして、やがて音楽は少しばかり異なる方向へと遍歴を続ける。
そうして時間を経て、またなんらかの因縁が出てきたりする。


2008年の大橋さんの映像に尾崎さんが出ている。
そういえば、尾崎さんの命日が近づいてきた。

合掌。









大橋節夫ファイナルコンサート/没後7年追悼

赤いレイ/大橋節夫とハニーアイランダース

タヒチの夕陽 Tahitian Sunset 加山雄三