夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

甘酢漬け

2015年08月31日 | 食・レシピ


JAの販売スポットを丹念に見ていると、時折面白いものに出会うことがある。
ちょうど今頃出回る「花オクラ」もその一つ、オクラの実ではなく花をパックに入れて店先に並んでいる。

そのままサラダの彩りに使ってもいいし、「さっと湯がいて甘酢漬けにする」とある。
薄いクリーム色の花は湯がくとしんなりして確かに甘酢と合う、オクラのとろみのある柔らかい食感は「花を食す」珍味だ。

数年前から「茎わさび」の三杯酢漬けが気に入っている。

静岡沼津で売られている「茎わさび」を求めて、2~3センチに切って塩を振り、揉んでアク抜きをする。
熱湯を回しかけ冷水にさらして、袋に入れてひたすらこれを振る、いじめないと辛味が出ないというのだ。

酢と砂糖と少量の醤油で作る三杯酢を火にかける、この火にかけるひと手間が結構重要だ。
これに茎わさびを漬ければ出来上がり、葉の部分も、たまに出回る花の部分も同じレシピでいける。

以前寿司ネタに使われていた「みょうが」も甘酢漬けがいい。

夏の一時期、花をつけたみょうがを縦半分に切って軽く湯がく、熱いうちに甘酢に漬けて冷蔵しておく。
そのままいただいてもいいし、細かく切ってモズクと一緒にいただくのも良い。

梅干しのワイン漬けもトライした。

さる農家の方の推奨通り、完熟梅を使った梅干しを作ってみた。
素人が作ると塩加減が難しく、塩が多すぎる傾向にあることと、せっせと干した結果カチンカチンの塊になってしまう。

塩抜きと柔らかさを取り戻すため、発酵中のワインに漬けてみた。
香りがついて柔らかくなった梅干しはまた珍味だ。

いづれも「酢」の嫌いな方には不向きかもしれない。

店先に並んでいた「みかん酢」の製造工程を見たら、温州みかんを絞って発酵させ、これを数ヶ月寝かせて熟成させるという。
これはワインの製造工程と似ている、いや「みかん酢」なるものを味わってみたいものだ。

イタリアの「バルサミコ酢」もいい。
おそらくワインの製造過程における副産物ではないかと想像しているのだが、独特の酢加減がいい。

そういえば新宿のジャズバーでいただいた和歌山産の酢も美味だった。
一升瓶で和歌山から直送されてくる無名の醸造メーカーのそれは甘く、そのままで野菜サラダのドレッシングに使える。
無理を言って分けてもらったくらい美味しかった。

郷里の生家の近くに醤油の醸造所があり、親しくしていたが、醸造の世界は奥深い。
海外から見た日本の文化を紹介するTV番組が示すように日本古来からの文化を見直すべきだと思う。

高度成長経済は事業として成立する尺度のみを優先してきたが、品質や味を追求した結果事業化がついてくるものではないか。

美味しい文化を残すべき、だ。








みょうがの甘酢漬け

山菜「ハワサビ」

簡単「梅干し」の作り方(ジップロックで漬けて瓶で干す) - How to make Umeboshi

朝の雨

2015年08月29日 | 音楽


「朝の雨」は、P.P.Mことピーターポール&マリーで聴いた人が多いだろう。
ボブ・ディランの歌も印象的だったのでてっきり彼の作品かと思っていたら、カナダのミュージシャンの作だったことを知った。

ゴードン・ライトフットの演奏を聴くと少しばかりイメージが違う。
キー「C」なら「Em」へ行くところがおいしいところとして認識していたが、そこが少しばかり異なるようだ。

キングストン・トリオもカバーしているしモダンフォーク全盛時代に多くのミュージシャンが取り上げた。
P.P.Mのコーラスが美しい、金属弦とガット弦の2台のギターから流れるピッキングをバックに、男性と女性のコーラスに絡むようにもう一人がメロディを重ねる。

プレスリーのカバーを聴くとカントリー色が濃厚でこれはこれで楽しい。
YOUTUBEに「Take11」なんていう音源がUPされているのでプレスリーのリハーサル・レコーディングの音源を持っている人があげたのだろう。

さて高校時代の音楽仲間O君とF君とで飲みながら始めた「朝の雨」、例によって酔っ払いのおじさんの鼻歌と思し召され、
音程やリズム、ときに小節を見失ってしまったりと、散々ではあるものの、齢を重ねた味わいが出ている。

F君のガットギターでのフィンガーピッキングは流石に手馴れたものだ。
スリーフィンガーだろうか、ピッキングは普段から弾き慣れていないと滑らかに弾けないもの、ピッキングしながらグルーヴを出すのが難しい。

O君の声質はもともと低くて太い、少しキーが低かったか、何十年も現役を離れていたので思うように着地しないところがもどかしい。
そこへF君の老獪なカウンターコーラスが入って、、、そこそこ聴けるではないか。

左右のチャンネルにウクレレを配して、ベースを入れてと、うまくはないけれどなんとか聴けるレベルにもってゆく。
「おう、なかなかいいじゃないか」

最近の音楽編集ソフトはこうしたチャレンジを容易にさせてくれる。
スタジオに入って録ったきちんとしたレコーディングでなくとも、むしろリラックスした演奏が録れるのがいい。

音楽は、再会した仲間たちを瞬時に16、7歳の頃に戻してくれる。
あれからずいぶんと時間が経ってしまったが、心は変わっていない。

O君、F君、またやろうではないか、昔のように。



Peter, Paul & Mary: "In The Early Morning Rain" (UK, 1966)

Gordon Lightfoot - Early Morning Rain (Live in Chicago - 1979)

Early Morning Rain- Elvis Presley -Best Version DJF- HQ audio

In the early morning rain by O&F

ヴァイオリン

2015年08月24日 | 映画



映画の演奏シーン、役者が本当に弾いているだろうか、は気になるところ。
楽器をやる人は指先をみて「ああ、やっぱり当て振りか」と、妙なチェックをして納得する。

ピアノなどはちょうど手元が隠れるのだが、弦楽器は両手が気になる。
いや、楽器を持って歩く姿で、持ち方で弾ける人かどうかわかってしまう。

配役が決まってから準備をする、映画俳優は大変だ。
ピアニストを演じるには何ヶ月も特訓をして演技に取り組む例も多いだろう。

さてWOWOWシネマで放送された「パガニーニ愛と狂気のヴァイオリニスト」を見ていて演奏シーンになった。
あれ、ものすごく正確なタッチで運指しているのを見ながら出ている音と弓の動きに引き込まれる。

ピチカートどころか、アルペジオみたいな奏法まで出てくるし、この人は何者だろう。
何より音楽が素晴らしいことと、それを主役がコントロールしている。

指が長いことで知られているパガニーニは数奇な人生を送ったようだ。
国際コンクールが毎年開催されるほどヴァイオリンの世界では難易度の高い奏者として有名だ。

さて演じたのはデイヴィッド・ギャレット、幼い頃からヴァイオリンに親しんだジュリアード音楽院出の音楽家だった。
なんでも5億円のストラディバリを使っているとか、久しぶりにヴァイオリンの可能性をこれでもかと聴かされた感がある。

史実では博打にのめり込んだとか、ガルネリを譲ってもらったとか、ギターも弾いたとか。
もともと病弱な上に水銀など当時の薬投与によって57歳で病没したようだ。

1800年代に現れた天才が英国に出かけてファンたちからもみくちゃにされる。
英国からビートルズが現れて世界中にツアーを行いファンたちからもみくちゃにされる。

「音楽に生きる」ってことは必ずしも幸せな一生を保証されるわけではない。
映画では画家と画商のようなパートナーとの確執がテーマになっていた。

様々な人とのお付き合いの中で要領よく生きてゆくことも必要か。





映画『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』予告編

David Garrett- La Campanella (Paganini)

David Garrett - Caprice No. 24

ロニーとデイトナズ

2015年08月21日 | 音楽


サーフィンが今ほどポピュラーでなかった頃、サーフィン・ミュージックという言葉があった。
深いリバーブをかけたエレキギターが主役で軽快なリズムと明るいサウンドがサーフィンという世界をイメージさせた。

専門家に聞けばサーフィンもホットロッドも音楽ジャンルとしてあるわけではなくレコード各社の「売らんかな商法」の宣伝テーマだったようだ。
1965年あたりからこうしたエレキギターのサウンドがもてはやされ日本へもやってきた。

エレキギターを始めたばかりの少年にとってシャンティーズの「Pipe Line」は練習曲として丁度よかった。
アストロノーツの「太陽の彼方に」はどうやってあのギターサウンドを出しているのか不思議だったが、どうやらリバーブユニットのなせる技だった。

Fender社のギターアンプにはスプリング式リバーブユニットが組み込まれていて「Deluxe Reverb」「Pro Reverb」など多くの機種があった。
アンプの下部に長いスプリングを配したボックスがありこのスプリングを利用して電気的にリバーブ効果を得るアナログ機器だ。

もともと電話会社のベルが遠隔地間の通信における音声到達の遅れを補正するため開発したものを、オルガンのハモンド社がリバーブ、音楽視点で着目したらしい。
レオ・フェンダーはこれをミュージカルアンプに採用してエレキ少年たちが愛用することになる。

こうした発明や開発、商品化までのプロセスは興味深い。
アメリカのガレージから始まる起業のサクセスストーリーは今でも伝統としてあるようだ。

ロニーとデイトナズは60年代後半にヒットを飛ばしたグループ。
ボーカルが印象的で、アルバムの中にホットロッドもサーフィンを冠したタイトルもあるのが当時を思わせる。

それにしても日本のエレキ少年が憧れて聴いていたアメリカのミュージシャンたちはそんなに歳の違わない若者だった。
20歳前後の若者たちがバンドを作りレコーディングしてヒットする、海を越えて日本の少年たちがコピーをする。

そんな時代だった。




Ronny and the Daytonas-I'll Think of Summer

Ronnie And The Daytonas - Little G.T.O

RONNY AND THE DAYTONAS sandy (featuring FARRAH FAWCETT as 'SANDY')

Ronny and The Daytonas-Baby Say No 1966

Ronny & The Daytonas - Come Into My Heart

スラックキー・ギター・フェスティバル 

2015年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム


「スラックキー・ギター」はハワイ生まれのオープン・チューニング・ギター奏法のこと。
30~40年前に比べれば知られるようになったし、FMラジオ、インターネットラジオから毎日流れる時代になった。

しかし「そのギターは、ハワイのどこへ行けば買うことができるの?」といった質問があるように、まだまだ日本では一般的ではない。
チェット・アトキンスのギャロッピング奏法は知られているが、ギャビィ・パヒヌイに代表されるスラックキー・ギター奏法の知名度は低い。

ハワイ音楽評論家の早津敏彦先生のライナーノーツには早くから記述が見られたものの、YOUTUBEもなかったあの頃、何を持ってスラックキーを指すのかわからない時代が長かった。
そしてライ・クーダーの「チキン・スキン・ミュージック」が発売された頃「あのスライド・ギターは誰だろう?」「生ギターの響きが、普通じゃないぞ」となった。

そう、ギャビィ・パヒヌイとアッタ・アイザックスJr.の登場だ。
あの頃ライ・クーダーファンの方が、いち早くハワイアン・ルネサンスの動きをキャッチしたような記憶がある。

レイ・カーネ、サニー・チリングワースに師事して帰国した山内"Alani"雄喜氏が弾いたギターのサウンドが忘れられない。
ギターから行ったこともないハワイの香りがするのだ、、、、驚いた。

そして日本で初となるスラックキー・ギターを全編にとり入れた2枚のアルバムの制作を始め、コンサート活動を行った。
でも聞いてくれる人は少なかったし、レコード会社もハワイアンでなく「アイランド・フォーク」と知恵を絞らなければいけない時代だった。

わずかに我々のサウンドを聴いてくれたのは、やはりライ・クーダーファンの皆さんだった。
米軍の基地周りをしても理解してくれたのはハワイ出身者だけだったのかもしれない。

やがて時が経ちジョージ・ウィンストンがやってきて彼との接点が持て、彼はスラックキーを押し出したレーベル「Dancing Cat Records」を立ち上げる。
ハワイのオアフ島で行われていた「Slack-key Guitar Festival」に協賛したのもその頃だった。

当時のスラックキー・フェスは、ロコが野外で一日中楽しむ地場のイベントであった。
ハワイのローカルTV局が撮影し、ラジオで実況中継するお祭りイベントで「Sons of Hawaii」「Sonny Chillingworth」「Ledward Kaapana 」「Cyril Pahinui」 などなど錚々たるメンバーが出ていた。そうSonnyが少年だったMakanaを見守るように見つめていたのが印象的だった。

丁度ギャビィとアッタのメモリアルフェスに参加した我々は、舞台袖にいたギャビィの奥様「Ma Pahinui」にご挨拶できて感激した。
たった3曲ながら演奏させていただいて、感動とともに本場のレベルの高さ、層の厚さなどに身の引き締まる思いだった。

スラックキー・フェスも「Na Hoku Hanohano Awards」もハワイアンたちのものであり外国人には閉ざされていた感があった。
しかし昨今米本土西海岸のフラ、ウクレレ、スラックキーといったブームもあり、今やフェスはハワイ各島、米本土でも行われているようだ。

そのスラックキー・ギター・フェスティバルが、一ヶ月後の東京大手町で開催される。
長いことフェスを牽引してきた「Milton Lau」率いるハワイの新進気鋭のミュージシャンが大挙して日本にやってくる。
そう、願わくばダカインサウンドをここ日本で再現してほしい。

日本のミュージシャンを育て本場ハワイとの交流を続けスラックキー・ギターの普及に貢献してきた山内"Alani"雄喜が昨年「Na Hoku Hanohano Awards」で表彰された。
長年の夢である「フェス開催を日本で」が実現する運びになったことは40年の歳月をともに活動してきた者として感慨深い。

今年9月18日、フラのイベント「Na Hiwa Hiwa Hawaii」の前夜祭として開催される「Slack-key Guitar Festival in Tokyo」
今年の成功が来年以降の継続につながる重要な第一回イベントだ。

全てへの愛とハワイへのリスペクトを忘れぬギター・フリークよ、集まれ!





Hawaiian Slack Key Music Festival held in Kona

THE GABBY PAHINUI HAWAIIAN BAND - IPO LEI MANU 1974 - YOUTUBE