夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ライブの魅力

2015年11月30日 | 音楽


昔取った杵柄で音楽を始める方は多い
学生時代の音楽仲間が時を経て再会し、足りないメンバーを補充してバンド活動を始めるというのが「おやじバンド」の大方だろう

しかし壮年になってある日突然音楽活動を始めるというケースは極めて稀だろう
ましてや人前で歌ったり演奏したりするには、レッスンなり経験なりを重ねる訓練期間が必要になる

そのため音楽教室には年配の方のためのコースが用意されたり、若い女性講師に惹かれて通うおじさまたちもいる
そこで新たな人間関係が生まれ、音楽仲間ができて、利害関係のない音楽の世界を楽しむことは素晴らしい

先般お引き受けしたライブは壮年になって、ある日ライブをやろうという方のプロデュースだった
もちろんギターは弾けるし音楽に対するポテンシャルは極めて高い方だが、学生時代にバンド活動をしたわけでも普段から人前で演奏してきたわけではない

このライブ、ご本人がやりたいとおっしゃったわけではなく、私がお誘いしたわけではない
たまたま私の関与するパーティライブの席上で歌い出した彼の歌を聴いたお店の経営者Nさんが言い出したことがきっかけだった

翌日機材を取りに行ったお店で再確認すると酔った勢いでの社交辞令だけではなかった
彼が歌った歌に何らかの「Blues」を感じたNさんは、私のフォローを条件として大真面目にやって欲しい、と

断られるだろうと思ったご本人に確認すると、何と応諾してくれたではないか
お店の都合とご本人、そして私がセレクトしたメンバーの都合を総合して日程が決まった

さてどんな曲をやりたいのか伺うと候補曲が10曲ほど上がってきて驚いた
かれこれ40年近いおつきあいになるミュージシャンのレパートリーを中心のセレクトだったからだ

やり慣れたジャンル、普段一緒にやっているメンバーとならともかく、わずか数週間の準備時間でライブを実践するのは至難の技だ
しかしご本人Sさんから永年私が受けてきた弦楽器に関するプロフェショナル・サービスをここでお返ししなければいけない

数日で候補曲のすべてのコード譜を作ってリハーサルに臨む
スタジオで実際に演奏してみると2テイクでOKになるものもあれば、ボツにするものもある

広いスタジオ中に響き渡る歌声とギター、ベース、ドラムスのサウンドを聴いたSさん「楽しい!」
わずか3時間のスタジオ・リハで音合わせは終了、ライブ前日の打ち合わせだけで本番に臨むことになった


「案ずるより生むが易し」は音楽のためにあるような言葉だが、何もしないでできるという意味ではない
ブランクがあったにせよ40年の音楽仲間との演奏には自信があるし、何より高校生の頃から愛唱してきたという Sさんの曲に対する思いが表現される

さてさてライブ本番は、一曲目から大騒ぎ、声援に会釈するSさんが帽子をとるたび、後ろに立つ私の目がハレーションに悩まされる
招いたギターとドラムスのお二人にスポットがあたったのも嬉しかった、Mさんに至っては女性陣の黄色い声が飛び交い整理券を配りたくなるくらいだった

「ライブの魅力」は「臨場感」だ、同じ空間を共有し手の届く距離でミュージシャンたちの演奏を、肌で体で感じる
名前も知らない者同士が、音楽を通じて共感し連帯する

昨秋他界された天国の奥様のもとにSさんの歌声を届けようとしてお引き受けしたこのプロデュース、敢行して良かった
「あの日、あの場にカミさん来ていました」というSさんの言葉が嬉しかった

招集した「The Homesick Island Band」の皆さん、またやりましょう
そして応援してくれた皆さん、次回もお待ちしております

「心に残るライブ」を目指したい


ヘイ・ポーラ 田辺靖雄・九重佑三子 1996

ボーイハント~ヴァケイション7曲メドレー 伊東ゆかり・中尾ミエ 1996

砂に消えた涙 伊東ゆかり・中尾ミエ1996

自転車の歌

2015年11月26日 | 音楽


レノンシスターズの「花はどこへ行ったの」を愛聴していた頃、グループによるアレンジの違いに気がついた
アレンジと言っても「When will they ever learn ?」を「Oh」とやるか、どうかくらいのことだったが、当時同じ曲を多くのグループがレコーディングし競作していたからだ

そうした洋楽と並行して和製フォークが出てきてユニークな作品を耳にするようになる
当時の学生運動と連動したかのような吉田拓郎の歌は若者の心をつかんだように思う

ワールドミュージックの衰退とロックの台頭は同時進行したかのようで、あながち無関係ではないと思う
ロックというより大雑把にジャンル分けできないくらいの多様な音楽が出てきてとても全部聞く訳には行かない時代が来た

たまたまハワイ音楽を続けていた自分がそうした混沌の中でハワイのムーヴメントに出会ってのめりこむことになった
それから何十年、自分が特別な世界にいたとするなら、同じように一つの世界を楽しんできた人たちがいる

日本語による歌の説得力に驚いたのは最近のことだ
わかりやすいからであるのだが、語りかける口調でメロディに乗ることの新鮮さだった

ひょっとして歌として作るのでなく、印象が、心象風景が詞になって、そこにメロディが乗る
だからこそ共感してしまう

自転車、数え切れないほど乗って、倒れて、今は乗らなくなっているモノ
憧れであったり、財産であったり、道具であって、愛すべき存在

歌を作る、生活を振り返り思いを馳せる
吉祥寺の焼き鳥屋さんで一杯やるミュージシャンにリスペクト、、











佐藤GWAN博 わたしの自転車

ほんのちいさな歌 佐藤GWAN博

高田 渡が「生活の柄」を完唱

自転車にのって / 高田渡&なぎら健壱&坂崎幸之助

アレンジの妙

2015年11月25日 | 音楽


楽曲が優れていればいるほどオリジナルどおりに演奏しなければいけないようなニーズもある
以前お会いしたビートルズバンドの面々はそっくり同じに演奏しなくてはダメで、ライブが終わった後リーダーから事細かに「あそこが間違っていた、、、」という具合にチェックの電話が入るという話を聞いて笑ったことがある

アレンジのやり方は無限にあるのだろう、リズムを変える、コード進行を変える、歌い方を変える、、、
リズムを変えるだけでも立派なアレンジになるので手っ取り早い方法だ

だがリズムを共有することは案外難しいことでもある
同じボサノバだとしてもリズムに対するイメージや感覚が人それぞれだからだ

バンドを編成してライブを行う時に何回もリハーサルをしてなおかつ本番を繰り返さないと安定した演奏にならない
長年同じメンバーで続けているバンドの強みは「息が合っている」から即座に目指すノリが出せることだ

ノリを出そうとして「前のめりに」なってしまうことが多い
平たい言葉で言えば「走る」ということになる

リズムが走ると楽曲に落ち着きがなくなって演奏が面白くなくなる
「ノル」と「走る」では全く異なる結果になる

さてカスケーズの名曲「Rhythm of the Rain」
雷鳴のような効果音から始まって、チェレスタのような音が雨をイメージさせる

ミディアム・テンポのリズムの上に感傷的なボーカルで好きな曲だ
だからアレンジのやりようがないと思っていた

若くして亡くなられたようだが、「Dan Fogelberg」という人のアレンジが素晴らしい
「Fender Rhodes」のピアノサウンドの中で上昇していくベース・ライン、ディミニッシュ・コードが効果的だ

バックのブラスやコーラスが出張っていないのもこのアレンジを引き立てている
結局このゆったりしたグルーヴの上で思いのまま歌うから、まるで別物の楽曲のように聴こえてくる

こういうアレンジができる人は楽器の個性を熟知していて細かいところまで神経が行き届くのだろう
アレンジ次第で楽曲が良くなる、そんな経験は音楽の大きな楽しみの一つだ





Dan Fogelberg - Rhythm Of The Rain

Hard To Say - Dan Fogelberg 2003

Dan Fogelberg - Leader of the Band (Live 2003)

非電化のススメ

2015年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム


TV放送で鹿児島に住む自称ヒッピー、テンダーさんのドキュメント番組があった
横浜出身の彼が音大を出てピースボートに乗ったのが人生の転換をするきっかけになったようだ

ご本人はいたって自然とおっしゃるが、傍目から見たら変わり者に見えて不思議はない
アメリカ先住民の生活を勉強して帰国し、鹿児島の山村で電気、ガス、水道といったインフラに頼らない生活を始めた

水は山からの天然水を引き込んで、燃料はマキ、電気は最低限ソーラーなど自家発電をして、冷蔵庫、洗濯機など最低限必要な電気製品にとどめる
なおかつ非電化の工夫を創造しながら生活する、その実体験から得たノウハウをレクチャーする

一つは既成概念からの脱却であり、よりシンプルなあるべき生活の原点回帰を求めている
恥ずかしいとか、みっともないとか、という心配をはねのけるところがヒッピーである根本か

生い立ちを聞いて驚くのは、彼のご実父が原発の設計に携わるエンジニアであったこと
安全だと聞かされて実際に現地に行った六ケ所村での生活が、彼の疑問を想起した

チェルノブイリにせよ、福島にせよ、危険を冒してまで果たして「原発」は必要だろうか?
原発は、本当に安全なのだろうか?

電気製品を買ってきてコンセントに挿すというルーチンに慣れきっている者には、そもそも電気製品を使わない発想ができない
ましてや非電化の機能を持つ道具なり機械を製作しようとまで思わないのが一般人だろう

栃木県那須で「非電化工房」を運営されている藤村靖之日大教授の発想もユニークだ
国を挙げてのビジネス社会を維持するため、無駄な電力供給の世界を構築しているのが今の日本なのかしら?

確かに自然エネルギーを利用して必要最低限の蓄熱、蓄電を行い自然に寄り添う生活をするのが我が国日本の伝統だ
自然に反する仕掛けのエネルギー装置は必要なく、ローテクであろうが自然に優しい生活手段が望ましい

テンダー氏、藤村教授の言葉に説得力を感じるとすれば、それは「無理をしなくていいよ、自然体で」という思想が根底にあるからだろう
天ぷらなどの廃油を使ってディーゼル車を走らせる試みも、実用化できれば面白い未来が開ける

近代文明は、生活への価値観を少しばかり見直す時期に来ているのかもしれない
少なくとも無駄な生産と消費、余剰をなくすような仕組みづくりの視点で

ピースボートで担っていたバーテンダーからとったというテンダー氏
「Tenderly」という生き方に通じるようで象徴的だ



鹿児島電力テンダーワークショップ

鹿児島電力テンダーワークショップ(その2)

大震災の福島原発 那須の工学博士 藤村氏(撮影)映像作家 安孫子亘

非電化製品 2011 05 13 22 22

あなたに会ってからというもの

2015年11月23日 | 音楽


歌の魅力は声によるところが大きい
素敵な声の持ち主は、それだけでも人の耳を惹きつける

男性であればソフトで太く優しく響き渡るような声は羨ましい
ましてや楽器をスマートに弾きこなして歌えば楽曲の世界へ引き込まれてしまうだろう

ロビンソン一族が守ってきたニイハウ島出身のモエ・ケアレの歌はそんな特別な世界を感じさせてくれる
トラディショナルはもちろんのこと、スタンダード、ビーチボイ・ソングなど、何を歌っても格調高い作品になる

「A Part of Me ,, A Part of You 」

あなたを見るといつも
どうしていいかわからなくなってしまう
あなたを見ると
私の人生にあなたが登場してからというもの
そんな私の心の変わりぶりを
伝えられない私

ある晴れた日 散策していた公園で
あなたに会ってからというもの
初めて会ったその時から それは恋だった
そしてその恋は私の心の深いところに突き刺さった
こんな風に感じることなんてなかった

私の人生のなかにあなたが登場してからというもの
あなたはもはや私の一部になってしまった
そして私は、あなたの一部に


「Queen's Hospital」に23年間勤めていたコンポーザー「Daniel Antone Lopez,Sr 」の実話からできた歌という

闘病中のOさんと奥様に向けてこの歌を思い出した





Moe Keale " A Part of Me, A Part of You