夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ギター・レッスン

2015年09月14日 | ギター・レッスン


ビギナー向けのアコースティック・ギター教則本は、概ねどれも同じような説明から始まる。
楽器の選び方、ギター各部の名称、手入れや弦の交換方法、調弦の仕方、コードの説明とピッキングの留意点、フィンガーピッキングやアルペジオ(分散和音)の奏法、そして実践する楽曲の譜面などなど、

古い教本では、音叉を使って合わせた弦から他の弦へ合わせていく方法を説明しているが、最近のクリップ・チューナーの普及でここは便利になった。
左手で押さえるコード・ダイヤグラム(押さえ方)は、執筆者によった工夫が見られるところだ。

概ね「F」の押さえ方で綺麗な音が出なくて、ギターそのものを諦めてしまう人が多いからだ。
そこで簡単に押さえる方法を提示したり、カポタストを使ったりと、「諦めないでね」と言う講師の配慮がわかる。

どんな習い事にも言えると思うのが、弾いて楽しいと思うレベルまでのガイド(案内役)は必要だということ。
ところが、楽しいレベルに行き着く前に諦めてしまう人がいるのも現実で、先生方が残念に思うところでもある。

ギターの奏法には、驚くべき種類があって初級を卒業したら、自分に合ったどういったスタイルを追求するか、模索することになる。

さてギター好きなら避けて通れないチェット・アトキンスのビギナー向けレッスン・ビデオがある。

若い生徒さんを前に音階(スケール)の説明から始まって、それにコード(和音)をつけていく。
先生の弾くメロディは音階を上がったり、下がったりしているだけなのだが、生徒さんの弾くコードとともに素晴らしい一曲になっていく。

やがてチェットならではのテクニックもチラリと見せながら次のステップへ進む。
このビデオを見て弾けるようになるかどうかはさておいて、楽しみながらレッスンを行い、それを一曲の楽曲として成立させるところが凄い。

楽しみながら学ぶ、学びながら自己実現をしていく。
どんなミュージシャンも経てきた道を伝えていくことも勉強になる。







Beginner Guitar Lesson with Chet Atkins

Mark Knopfler & Chet Atkins - Instrumental Medley

Chet Atkins plays The Beatles

ザ・グレイト・ミュージック・エクスピアリエンス

2015年05月06日 | ギター・レッスン


当時「そんなニュースが流れていたっけ」と思い出したのは「ザ・グレイト・ミュージック・エクスピアリエンス」、1994年のことだった。
奈良の東大寺大仏殿をバックに行われた野外ステージ「The Great Music Experience - Japan 1994」だ。

ボブ・ディランやライ・クーダー、ジム・ケルトナーなど大物ミュージシャンを集めての壮大な企画は「国連UNESCO」の呼びかけだった。

キリスト教のみならず宗教団体がアートやミュージックなど文化を後押しするのは古今東西あること。
日本では禅宗など積極的に文化活動を行っているし、ご住職自らミュージシャン活動をする例も多い。

1994年のこのイベント、東大寺が企画に賛同して協力したことは「広く世界に何かを発信しよう」という思いがあったに違いない。
そしてその呼びかけに応えるように世界の大物ミュージシャンが集結した。

あたかも世界中から集まった僧侶が一堂に会して読経するかのように、ミュージシャンたちが集まり演奏するのを見るのは心地よい。

一人の、あるいは一つのバンドが日本でのツアーを敢行するだけでも大変なことだろう。
ポールのような巨大ビジネスは、引き連れる数百名のスタッフと受け入れ側の全面的なバックアップがあるからこそ成立する。

「無から有を創り出す」、「ゼロから創出する」ことは何の世界でも大変なことだ。
そこには企画の趣旨についての賛同を得る努力とそのためのきめ細かな配慮、事前準備が必要だ。
そしてなによりクリエイトしようとする発起人の強力な「熱意」がなければ協力は得られない。

ミュージシャンたちは「ただ出たいだけ」ではない。
わずかな聴衆であったとしても最良の環境とコンディションで期待に応えたいと思うのだ。

そして演奏を通じてミュージシャンと聴衆が一体化した時、初めて企画の成功を垣間見る。

この一連のプロセスを知ることとミュージシャンの生き様を研究することがイベント成功の秘訣かもしれない。

それにしても東大寺でのエクスピアリエンスは素晴らしい。
ライ・クーダーが、見事に情景と音を同化している。

美しい日本において洋の東西を問わず歴史的な邂逅が行われる。
いやそれは邂逅ではなくて日本という国に与えられた運命を象徴する必然なのかもしれない。






Shoukichi Kina & Ry Cooder - Subete no Hito no Kokoro ni Hana o


The great music experience - Japan 1994 - Bob Dylan, INXS, Ry Cooder, Jon Bon Jovi, Roger Taylor....

バンドのリズム

2015年03月17日 | ギター・レッスン


バンドのリズムが良くなっていく過程は意外に気づかない。
本人たちはそれほど気にしていないのだから。

ハワイ音楽の魅力は「ゆったり感」であると思う。
だからと言って全てが生あったかいぬるま湯のようかといえばそうでもない。

まだ若い頃ある方が、学生バンドのポジション決めの時、私をベースに推してくれた。
たった1日のライブを見て「リズム感がいいから」という理由からだ。

もともと高校の頃ウッドベースを弾いていた私にとってその評価は嬉しかった。
以来、大学でのレギュラーポジションは「ベース」ということになる。

音楽を始める方にしつこく申し上げるのは「リズムの勉強」だ。

いわゆるアマチュアの方がギターを始めて嫌気がさすのは「自己流で覚えたリズム」に起因している。
最初の8小節くらいは、自己流で自己満足できるのだが、2コーラス目くらいになると嫌になってしまう。

それは弾き始めたテンポを維持できない、走ってくる、リズムパターンの陳腐さに嫌気がさす、そのうち演奏するのが恥ずかしくなってくる、てな按配だ。
つまり一小節をきちんと弾く訓練ができていないこと、数十小節を最後までコンスタントに弾く訓練ができていないことに原因する。

次に「周囲の人の音を聴く訓練ができていない」人もいる。
自分の音に執着して周りの音まで神経が及ばない、初心の頃陥りやすい丁度「アガった時の状態」だ。
余裕がないということかもしれない。

譜面を前に置かないと安心できないという恐怖心を持った方もいる。
ほとんど譜面は見ないで弾けるし歌えるのにもかかわらず、前に置いてないと不安でしょうがないという習性だ。


「マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ」が出てきた頃のアルバムは、牧歌的なリズムで取り立ててシャープさは感じられなかった。
「ウォッシュタブ・ベース」を前にしたアルバムジャケットから鮮烈なリズムは期待できなかった。

ところが年月を重ねた後で聴いたサウンドがとてつもなくパワフルでリズミカルなのに驚いた。
メンバーが変わったことも影響しているとして、ウッドベースの繰り出すグルーヴ、12弦ギターのリズムストローク、同調しているだけの様に聴こえる6弦ギターも実はバンドをコントロールしているし、何よりIZのウクレレが重要な役割を果たしていた。

晩年のIZが抜けて「マカハサンズ」となった時、IZの存在がいかに大きかったか、歴然とした印象を持った方は多いだろう。
声の質もそしてボーカルというものがどれだけ大きいことか、思い知った。

そしてウクレレで創出するリズムもそれなりの存在感があったのかと、再認識した。
それはソロ活動となった彼の演奏が、水を得た魚のようなイメージ、むしろ強化されたようであった。

バンドのリズムとは、一人で創出できるものではなく複数のミュージシャンが織りなす関係性で出来上がるものだ。
ベースが強化されればバンドのリズムが良くなると勘違いされている方が多いが、一人だけ頑張ってもダメなのがバンドの面白さ。

バンドのグルーヴに身を委ねるということができない人は、こと音楽に関しては向いていないのかもしれない。
ここに音楽の面白さがあると思う。





A Hawaiian Like Me - Performed by Israel "IZ" Kamakawiwo'ole


Rusty Old Steampipes

ギタレレ

2015年03月07日 | ギター・レッスン


小ぶりのギターは昔から愛されてきた。
キングストントリオの持っていた4弦のマーチンはギターの小型版だったようだし、ウクレレのバリトンサイズはギターに近い。

ウクレレ風にストロークで弾くにはテナーが限界で、バリトンになるとリズムストロークはあまりしっくりこない。
結局じゃかじゃか弾くか、しっとりと弾くかでウクレレとギターの棲み分けが自ずからできていたように思う。

ヤマハの開発した「ギタレレ」はこの両者をドッキングさせた発想、つまりテナーウクレレサイズのボディを持つ6弦のギター、いや6コースのテナーウクレレ。
ギターで言えば5フレットより上の6コースを使ってウクレレ風に弾くことを前提としたようだ。

どちらが先か知らないが、ハワイのミュージシャンが好んで使ったのもミニサイズのギターだ。
このサイズでジャラジャラとコードを弾いてもいいのだが、5フレットにカポをしたつもりでフィンガーピッキングする方が似合う。

フルサイズのギターとは異なる音色と弾きやすさを楽しみながらポロポロとやる。
ウクレレ感覚で持ち運べるので、車に積んで気軽に出かけられる。
そうした「手軽さ」という市民権は得たようだ。

普及品の欠点はチューニングの精度が落ちることと低音が出ないことか。
そこでオーダーメイドや高級な作りのものが必要になる。

そこまでして小さなものが必要かといえば、楽器メーカーはこぞってこの類の楽器を作っている。
パーラーギターとか、トラベルギターとか、名称は様々だが、要は小さなギターのこと。

薄いボディの「ウスレレ」とか、エレクトリック仕様のソリッドボディのウクレレなど新商品は次々と出てくる。

景気の低迷と楽器業界の販売頭打ちも影響している。
台湾、韓国、中国あたりがギター類の生産国だったが、今やベトナムやインドネシアあたりに生産拠点が移っている。
物作りは精神文化が重要なバックグラウンドになると思われ、コスト追求だけの粗製乱造は客離れを呼ぶ。

量的拡大から質的な変革を遂げない限り生産拠点の移転は続くだろう。

日本人ならよくないものやおいしくないものは売れなくなることを身をもって知っている。
国家が挫折を経験することも重要だと思う。


Corey Fujimoto Original On New Pepe Romero Guilele

Kanile'a GL6P Guitarlele - Sound Sample by Corey Fujimoto

Corey Fujimoto - "Somewhere over the Rainbow" on Kanilea Guitalele

フラガール

2015年02月16日 | ギター・レッスン


ハワイのウクレレショップで働く若者は明るく芸達者だ。
そんな若者たちはミュージシャンを兼ねておりやがて世に出て行く。

2001年えひめ丸という練習船がハワイから帰国する際、急浮上した米国潜水艦と衝突する事故があった。
潜水艦に乗せた民間人を喜ばせるためのパフォーマンスとされる急浮上によって10数人の教官と生徒の死傷者が出て練習船は沈没した。

追悼の曲「えひめ丸」を書いて演奏したのが「ジェイク・シマブクロ」、2001年のことだった。

青年はその後2006年、映画「フラ・ガール」の音楽を担当してヒットした。

福島県いわき市の炭鉱を舞台にした復興へのドラマは昭和41年のことだったようだ。
佐賀県の母方の縁戚T叔父からその話を聞いたのもちょうどその後だった。

T叔父の東大時代の友人Nさんから「福島の炭鉱でこういう事業をやっているからこないかと誘われて行ってきた」という。
炭鉱で働く方たちの娘さんを裸同然にして踊らせることに相当な抵抗があったこと、それを説き伏せて事業化する史実が映画のストーリーになった。

炭鉱が不況の中、坑道に湧き出る温水の処理に数億円かかっていた経費を節減し有効利用するのが、事業化のきっかけだったようだ。
温水熱を利用した「常磐ハワイアンセンター」は、「人工の常夏」環境を実現し、東京から招いた専門家たちがフラと音楽を指導した。

フラを演目にするレジャー施設は全国にあると思うが、学校を設け教育訓練してまでは他に例を見ない。

そんな福島県が東北大震災、原発の事故に見舞われた。
地震や津波は天災だが、原発事故は人災以外の何物でもない。

農産や畜産、豊かな海産資源を有する地で取り返しのつかない大事故に遭遇した県民の悲しみと怒りは収まらないだろう。

そんな中でフラガールたちが立ち上がり、避難施設訪問や「スパ・リゾート・ハワイアンズ」での事業再開を果たしたニュースは光明だった。

ウクレレが派手なパフォーマンスを表現する手段として認識され、その代表格がジェイクとされている。
現象としてはそうかもしれないが、そのジェイクが四国の「えひめ丸」を追悼し、福島の「フラガール」を演奏している。

単に彼が「日系ハワイアンだから」という説明だけではすまされない申し訳なさを、日本人の感性として振り返らなければいけない。






フラガール 予告 


フラガール ~ 虹を ~


Jake & Bruce Shimabukuro Hula Girl


Hula Girl Ukulele


ハワイアンズ 虹を 松本千鶴さん


Ukulele Festival Hawaii 2011 -- Jake Shimabukuro