夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

アラモアナの夜

2015年07月29日 | 音楽


あるコンサートで再会したOさんとNさん、顔を見れば30年以上昔のことが瞬時に蘇る。
あの頃は渋谷、銀座、原宿といった輸入レコード、中古レコード屋さんでみんな知り合いになった。

ワールドミュージックというコーナーがあったかどうか、
とにかく「Hawaii」と書いてあるところを探してレコードを品定めする。

そうした人を見て話しかけた我々のバンドのTさん、二言三言話しかけると駅をめがけて立ち去っていった。
これを逃してはいけないとばかり後を追いかけたOさん、連絡先を教えてもらい、我々のところへやってくることになる。

原宿のレコードショップへ「Sandwich Isle. Band」のLPを探しに出かけたNさん、あろうことかそのLPを返しに来たOさんと出会う。
そしてNさんも我々のバンドに出入りする最古参のファンの一人になった。

携帯電話もネットもメールもなかったあの頃、考えてみれば同好の士が確実に出会える方法だった。
経歴も名前も知らない者同士、警戒もしないでついていったのは「出会い」という運命的なものもあったかもしれない。

そのお二人とメールでやりとりしていたら「マーク・ノップラー」の話になった。


Oさんから
ブログ見ました。
アトキンスとノップラーのアルバム、数十年前の会社で、アイルランドの方からお土産で買って来てもらいました。
ノップラーは大大大好きで、枯れてからが特に好きで、アルバムは何枚も買ってしまいました。


Nさんから
昨夜、Oさんが見たブログ、チェットとノップラーの映像を観ました。
チェットのスムーズで無駄の無い唄うようなピッキング、知性を感じる音、確かに飽きの来ない演奏ですね。
ご存知だと思いますがチェット アトキンスはレスポールやマールトラビス等一流ギタリスト達とデュエットアルバムを作成しており、ノップラーとも「 ネック アンド ネック 」というアルバムを出しています。
ノップラーとエミルーハリスのコンサートDVDが有り、楽屋のステージ前のミュージシャン達がハワイアンを演奏している風景があります。
達者な人達は何をやってもサマになりますね。


偶然、ギャビィを始めダカインサウンドで集う者たちがしばらく離れていた間、それぞれがノップラー好きを演じていたことになる。

アラモアナの写真を前に流れる「Stretching Out」を聴いていると、ライ・クーダーのギターの倍音成分に似た心地よさを感じる。
ベースもドラムスも空間を彩る透明感が独特な世界を表している。

さてNさんのいうハワイアンはステージ終了後、BGM代わりにサポートミュージシャンたちが弾いているようだ。
「終わりましたよ、気をつけて帰ってね、」くらいの感じで演奏を楽しむかのように聴こえる。

Oさん、Nさんたちに楽しんでもらえるライブをやらなくては、、、




Night of Ala Moana ♪ Stretching Out / Mark Knopfler - 561022K

Mark Knopfler "Hawaiian Lullaby" 1996 Paris [AUDIO ONLY]

自然エネルギーと固有領土

2015年07月28日 | 日記・エッセイ・コラム


物心ついた頃から音楽に親しんできた。
それは放課後体育館から流れてくるピアノの音だったり、管球式のラジオから聞こえる世界のポピュラーミュージックだった。

メディアといっても当時はラジオがメインで、音楽に関しては新聞か雑誌、音楽専門誌がこれから発刊されようとする時代。
音楽評論家と言われる人たちの声がラジオから流れて、情報を食い入るように聴いてはその人となりを想像した。

そんなご本人にお会いすると、当時のことを思い返す余裕もなく浮き足立って、ご挨拶に伺う。
先般中村とうようさんのメモリアルコンサートでお会いした湯川れい子さんのこと。

プレスリーは、新作映画と同時に発表されるテーマソングがヒットして、映画とレコードの売り上げが同時進行した。
楽曲は優れているし、アン・マーグレットなど共演者との話題にも事欠かない、そんなビジネスモデルが確立されていた。

当時の常識を覆すように現れたのがビートルズだった。
正確に言えば先に出たトニー・シェリダンとシルバー・ビートルズだったり、マイ・ボニーだったりしたのだが、「Please Please Me」や「Twist and Shout」のサウンドの衝撃は尋常でなかった。

ある音楽イベントに現れた芥川也寸志さんの姿が強く印象に残っている。
500~600人を超えるパーティに遅れて入ってきた彼は長身で一際目立っていた。

オーケストラのリハーサルに登場した彼を見て、あまりにもハンサムなので女性音楽家たちが卒倒したという。
「美形は幸いなるかな、、嗚呼」、、、久米の仙人。



TV報道で銀座を徘徊する中国人観光客と無資格通訳ガイドの存在を報道していた。
外国人観光客の全てがマナーが悪いとは思わない、が、報道が「直撃する」と言いながら彼らの逆ギレに這う這うの体で退散する様は見ていられない。

日本人もかつては欧米の先進国で同じような失態を演じていたかもしれない、が、だから仕方ないという論理はおかしい。
過去に日本が侵略戦争を犯したから、尖閣諸島を武力で占有されても仕方ないとは言えないだろう。

「集団的自衛権」騒動も論理の手順がおかしい。
「同盟国が攻撃されたら援護射撃できるようにしたい」ではなくて、「自国の脅威に対して実際に反撃するために法改正する」でよい。

日本の固有領土を守るための解決手段としての戦いは仕方ない。
日本人を不法拉致している国に対して奪還するために武力行使するのは当然のことだろう。

先の大戦は反省しなければいけないし戦争は反対だ、が、自国を守るために選択しなければならない最終手段として武力行使がある。

エネルギー問題も同様だ。
「地球に還元できるエネルギーを採用すべき」であり、あたかもクリーンであるかのような「論理のすり替え」は拒否すべきだ。

軍艦島の世界遺産登録は、「石炭産業の栄光と衰退の象徴」としての意義がある、だからこそセレクトされたのだろう。
効率を追求した結果としての「原発」には、利権と最終処分できない現実を知っている悪魔の暗躍がうごめいている。

二酸化炭素を排出するというが、自然界のバランスを崩すほど排出するから問題になるのであって、焚き火程度の二酸化炭素は野山のグリーンが吸収する。
少なくとも地球に還元するエネルギーを採用して「恵の大地を汚さない」、そのポリシーが重要だ。

綺麗ごとを言うのでなく、具体的に問題を解決する、そのための議論をしよう。

もともと日本人が住んでいた日本の固有領土を守ろう。
政治はその方法論を議論していただきたい、戦闘準備は方法論の一部であって全部ではない。


脱線したが、音楽に限らず文化はメッセージ性を持っている。
ジョン・レノンしかり明確な主張を持つミュージシャンに、人は惹かれ納得していく。

恋する人の全てが愛おしくなるように、、、






発起人・湯川れい子インタビュー

続・青春のゴールデンポップス/湯川れい子スペシャル・トーク~その1

ポール・マッカートニー特集 / NHK 「情報まるごと」

志村けん、ポール・マッカートニーのコンサートを熱~く語る。「夢のような時間だった」【志村けんの夜の虫】

阿波おどり

2015年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム


盆踊りのシーズンがやってきた。
近隣の大きな団地では、櫓の上で太鼓を叩き、踊り手が輪になって踊る。

阿波踊りなら、東京では高円寺が有名だ。
関東では阿波踊りを楽しむ町がたくさんあり、30年、40年以上の実績があるらしい。

400年の歴史があるという阿波踊り、その起源は明らかではないという。
阿波徳島の築城を記念して藩主によって広まったという話が、なんとなく納得性が高い。

編み笠で顔を隠した着物姿の女性陣もいいが、うちわを持った法被姿の女性の踊りが色っぽい。
体を低く抑えて歩きながら踊る様がいい。

盆というささやかなバケーションを迎えた庶民の楽しみとして、また祭りの華やかさに紛れた若者たちの発露の場として機能していたのだろう。
そこでは男も女もコミカルで自制的、自己表現とお色気をお囃子とともに発露できる。

同じような着物姿のひとかたまりのなかに好きな異性をみつける、品定めができる祭りだ。
汗を流したイケメン男子もいれば、いなせなお嬢も見つけられる。

猛暑の東京は申し訳ないような環境だが、そこはそれ、粋に免じて許してくださいな。

商店街のエントリーなら担ぎ出されて始めたお囃子や踊り、明らかにしっくりこない方も見受けられる。
そして安定したリズムを叩きだしている「◯◯連」の方達の踊りに余裕を感じてしまう。

それから笑顔、自然な笑顔を浮かべながら踊れる方は幸いだ。
無表情と言われる我々日本人は、「スマイル」が苦手だ。

フラの世界でも「スマイル」は必須だ。
ひきつるようなお愛想笑いでなく、自然なお色気を感じさせるような笑みを発信できるお嬢に注目が集まる。

阿波踊りの持つ日本的なもの、、
一見控えめでありながら、その実しっかり自己アッピールはできていて、節度が保たれている。

そこには買い手市場も売り手市場もなく、超自然な男女の出会いの場として美しい。
祭りは万国共通かもしれないが、しかし日本的なものに愛着と誇りを持ちたい。

そう、「粋」が日本人の生き様か。




2012.11.28_阿波おどり会館_娯茶平

貞光夏祭り・阿波踊り大会【徳島県美馬郡つるぎ町貞光】(平成25年)

友、遠方より来たる

2015年07月26日 | 音楽


ブルースの一夜が明け、郷里からF君がやってきた。
大学時代の音楽仲間のコンサートまでの時間を作って立ち寄ってくれた。

彼は日本酒が好きだ。
銘酒を並べる安直な蕎麦屋で彼が注文したのは和歌山の酒、ままかりを肴に一合の酒を楽しむ。

楽器店を眺めながら歩くとギタレレが下がっている。
いわゆるトラベルギターとかparlorサイズと言われる6弦のミニギターだ。

フルサイズのギターを持ち運ぶには大義名分が要る。
音楽イベントがない限り車に載せるのも気がひける、ような気がする、ものだ。

ところが、ウクレレや安直なミニギターなら旅のお供になる。
車の中で弾くウクレレは意外に音響効果が良いせいか、一服の清涼剤になる。

彼の別荘にはとても及ばぬ我が夢想庵をご案内する。
野鳥が巣をせっせと作るように、二十数年の歳月が作り上げた果樹とわたしのお休み処。

医科系の大学に進んだ彼と学生時代会うことはなかった。
お金持ちの子女の学生生活はさぞかし優雅だったろうと思っていたが、仕送りが届くと飲み代に回ったという。

医科の専門を担う宿命の彼らは、学業の合間に酒と音楽に親しみ、それは熟年を越えようとする今も続いているようだ。

さて珈琲を飲みながら先ほどのミニギターを引っ張り出してきた。
短いスケールなので、ウクレレ同様に概ねギターの5フレット以上の調弦にするのが妥当だろう。

ナチュラル・チューニングにすれば、1弦から4弦までをウクレレとして、あるいは6コースのギターとして使える。
オープン・チューニングなら、例えばスラックキーにすれば、スラックキー奏法でウクレレサウンドが楽しめる。

ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影(Both side now)」を彼が弾き始めたのでTAB譜を引っ張り出してきた。
いわゆる「ワン・コード」で出来上がったこの楽曲、G、Gメジャーセブン、Cといったコードの繰り返しで取り止めがない、収拾がつかないような印象が「青春」という邦題に賛意を送ることになる。

そしてアーロ・ガスリーの「アリスのレストラン」を彼が弾き始めた。
手慣れたフィンガー・ピッキングで延々と続くコード進行はアメリカン・フォークそのもの。

ヤマハの刊行した「フォークギター特集号」は1974年のライトミュージック誌増刊号。
ギターの説明から、フォークの歴史、コードの説明、TAB譜の見方、そして60曲の譜面が載っている。

もはや経年劣化でボロボロになっているが、捨てきれないのは楽譜があるから。

さてP.P.M.フォロワーズを現在も週一回のペースで続けているF君たち、70年代の回想からなんらかのヒントがないだろうか。
音楽はちょっとしたアレンジでガラッと変わるファッションのような要素をもっている。

わずかな時間で得られた回想から創造につながる何かが得られたら嬉しい。









Arlo Guthrie - Alice's Restaurant (Live at Farm Aid 2005)

Shenandoah - Arlo Guthrie

Arlo Guthrie/ Amazing Grace

Arlo Guthrie : City Of New Orleans (1974)

大衆音楽の殿堂

2015年07月24日 | 音楽


先日いただいたUさんからのお便りを紹介しよう。
作曲家古賀政男さんは代々木上原にお住まいになっていたようで、駅から至近距離の場所に記念する音楽博物館があるそうだ。

そこでは様々な展示やイベントが企画されているようで、今月26日までは平成25年度に選出された「大衆音楽の殿堂入り」のビデオが上映されている。
その中の一人である「尾崎紀世彦」さんの映像をご覧になったというファンの方からのお便りだ。

1979年だったのか、そんなに時間が経ってしまったのか、と感慨深い。
でもあの時の尾崎さんとのやりとりは楽しかったし、打ち合わせでは尾崎さんの人柄を知るのに十分な時間があった。

マネージャー氏に焼き鳥を買いに行かせたり、「僕はカツ丼が好きなんだ」とか。
TV画面で拝見する気難しそうな印象とはまるで正反対の気さくな一面を見て即座にファンになってしまった。

そして何より音楽を愛していること、とりわけ我々との接点である「ハワイ音楽に関しては」ビジネスとしてでなく、「大事にとってある特別なもの」という印象がある。

大阪のTV局スタジオでのサウンドチェックの間の、次から次へと出てくるハワイアン・ナンバー、
「♪ これは知ってるかい?」
「おお、そうか、じゃ、これは?  ♪」

てな調子でオベーションを弾きながら出てくる歌の数々、ついていく我々とスラックキーギターの音の広がりに気を良くしてくれた。
スタジオ中に響き渡るボーカルとギターやウクレレ、ベースによるサウンドは、譜面によるかっちりとしたハウスバンドの演奏とは異なりリラクゼーションを与え創造意欲を掻き立てたのかもしれない。

何回も書くようだが、あの時の尾崎さんの満面の笑みは私にとって一生忘れない最高のプレゼントになった。

お茶目でジョーク好き、攻撃的で曲がったことは嫌い、その実繊細で気がつく、
とりつくしまがないくらい厄介な印象と相反して出てくる男の優しさ、あのルックスと声に女性は参ってしまう。

もうあんな人は出てこないだろう。
「『また逢う日まで』をボクは一生歌い続けます」とおっしゃった当時小学生だった彼のように、ファンの方の心に永遠に残るミュージシャンだ。

そんな尾崎さんとわずかながら音楽を通じて触れる機会があったのは、わたしの人生において幸運な一ページだ。



ブログ楽しく拝読しています。
写真の花や野菜も本当にみずみずしくて鮮やかです。

夢の介さんは古賀政男音楽博物館にお出かけになったことありますか。
移築された古賀邸の一部や作曲活動に使われた楽器・楽譜、などさまざま展示されています。

7/20~7/26と短い期間ですが、3階日本間で「大衆音楽の殿堂 平成25年度顕彰者の記録」のビデオ上映が行われていると知り、
この年顕彰者に選ばれた尾崎紀世彦さんを見るため昨日行ってきました。

顕彰者10人分ということもあり、尾崎さんの功績紹介の時間は「また逢う日まで」を流しながらの1曲分でちょっと残念!!!
でもそのなかでなんと、1979年5月19日新宿文化センターでのハワイアンコンサートのプログラムが紹介されました。

2~3秒でしたが、「演奏・パイナップル・シュガー」の記載もはっきりとらえることができました。
嬉しくて、そばにあったリモコンを使ってその部分だけ繰り返し見ちゃいました^^;

尾崎さんと夢の介さんが一緒に音楽活動をされた記録として残るのですね。

Claudine Longet - I Love How You Love Me

サマーラブ 尾崎紀世彦