夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ビートル・レレ・マニア

2017年04月25日 | 音楽


ポール・マッカートニーの来日公演が行われるタイミングに合わせたかのようにハワイから便りが届いた
知己の夫君が参加するビートルズバンドのCDデビューの案内だ

数年前訪れたハワイ、ホノルルから少し離れた多目的イベントスペースのライブイベントに誘われた
四人編成のビートルズバンドを楽しむロコピープルたちの集まりに、観光スポットでないハワイの空間を垣間見た

おそらく今ビートルズバンドは世界中に存在するのだろうが、英語圏に住む人たちは羨ましい
ルックスの違いは仕方ない、諦めるとして、流暢な英語で歌えることの素晴らしさよ

六本木のライブスポットに誘われた時、若いミュージシャンがオールディーズナンバーを演奏し客は年配者が多かった
演奏の基本は「原曲に忠実に」だそうな、アレンジしたりアドリブはご法度ということらしい

そう言えばオールディーズバンドをお手伝いした時、常連さんからベースのフレーズが違うと指摘されたことがあった
マニアという人たちは王道を外れることを嫌い、本物に近いという選択を余儀なくするものか


さてハワイのビートルズバンド、数年前からエレキギターをウクレレに持ちかえて広く活動しているらしい
ギターでカバーしていたのだからしてウクレレでもそつなくこなせるし、アコースティックサウンドはかえって新鮮だ

冒頭の一曲は、新たにプロデューサーを迎えてのレコーディング、プロモーションビデオらしい
ハワイの美しい景色をバックの映像は見て楽しい

そしてデビューにあたり2曲目以降のレコーディング資金を「クラウドファンディング」で集めたい、ということらしい
英語理解力に欠けるので、自信がないが、キャンペーンでは10ドルから数千ドルまでの出資に応じて出張ライブなど楽しい見返りがあるようだ

残念ながら私はファンディングをお願いする立場なので、日本の皆さんに広く紹介することでお許し願いたい
ハワイではジョージ役を演じている夫君とドラマー氏にしか話をしていないが、いつか音楽面で触れ合う機会があれば嬉しい

ハワイはどこの国のどんな音楽も分け隔てなく取り上げるところが素晴らしい
ご本人たちは大真面目でレゲエをやっているつもりなのだが、結果的にハワイ風にアレンジされるところがハワイらしいのだ

ジョージがウクレレとハワイを愛し、そのジョージ役をハワイで担う夫君にエールを送る


クラウドファンディングのリンク:
https://www.indiegogo.com/projects/beatle-lele-mania-debut-album-campaign#/
Beatle-leleMania.jpg


If I Fell (cover) - Beatle-Lele Mania!

眠れ、悪い子たちよ

2017年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム


声は、その人となりを表現する大きな要素だ
見た目はもちろんだが、声を聴きながらその人の内面を想像する

音楽漬けの生活だった独身の頃、今でいえばTVを見るようにFM放送を聴いていた
TVは見なかったし、そもそも持っていなかったか

携帯電話はなかったし、インターネットもなかったあの時代
音楽情報をラジオで仕入れて、中古レコードショップへ探しに行く

片岡義男さんと安田南さんの「気まぐれ飛行船」は愛聴する深夜のFM放送であった
レコードをかけながら世界中を巡る片岡さんの話とお相手の南さんのやりとりがいい

静寂を邪魔しないような低い男声にお茶の間で相槌を打つような南さんの清楚な声
ジェットストリームの後の2時間番組、音楽をかけながら知的な世界が安らぎを与えてくれた

片岡さんはハワイ音楽を、それも当時としてはかなりマニアックな選曲で放送していた
一年がかりでLPレコードを録音していた私は片岡さんに手紙を書いた

レコーディング中の数曲をカセットテープに落としてこんなことをやっています、と
そして番組で私の手紙を読んでくださった

当時高校生だった志茂さんがこの放送を聴いていたそうだ
大学を卒業し渡米してギタービルダーとなった彼にお会いしたのはずっと後のことになる


一年後、メンバーと出来上がったレコードを持ってスタジオに向かった
バイクでやって来た片岡さんと小柄な南さんにそこで初めてお会いした

それから随分時間が経ち、南さんが替わられやがて番組が聴かれなくなった
南さんのジャズボーカルに触れたのは最近のこと、ライブを見にゆけばよかった

エンディングテーマに乗せて語られる南さんのおまじないを聴いて眠りについた諸君は多かったはず

「眠れ、悪い子たちよ」



AKATONBO / Fly me to The Moon Yasuda Minami 1975