邪恋ほど募るか 燃え上がるか 人は狂うか 何も見えなくなるものか
己が恋の為ならば人を害すも理となるか
ただの邪(よこしま)な醜い欲望と気付けぬものか
自分のモノにしたいとそればかりー
面倒な用事はしたくないお才は菩提寺への挨拶すらおみつに押し付けた
それでもさすがに気が咎めたか
「行き帰りは駕籠をお使い そこは加助に言いつけておくからね
荷物もあることだし
用事が済んだら 早く帰ってくるんだよ」
ずけずけ物を言う住職がお才は苦手であったのだ
おみつには優しい住職だが
亀三の亡き妻のお新の法事についての話も終わり寺を出ると駕籠が居ない
少し先の店で待っていると加助が話し「こちらでございます」と先に立って歩く
どんどん寂しい方へ向かって歩くものだから おみつは少し気持ちが悪くなって立ち止まる
竹林の中へと加助は進んでいくのだ
心なしか早足で
焦れたように加助はぐいっと強くおみつの手首を掴んだ
「ほうれ じきにその店でございます」
おみつは加助の手を振り払おうとするのだが 男の力は強い
「離して!何をするのです!」
唸るような声を上げて加助はおみつを肩に担ぎ上げた
「若旦那はおみつ様の素晴らしさが分からない
あたしはおみつ様が嫁にいらした時から ずうっと恋焦がれて・・・・」
「嫌です 離して おろして!」
おみつが必死に叩こうが暴れようが加助にはこたえない
すっかりのぼせ上っている
「あたしのものに! あんな薄情な若旦那なぞ 」
「何かしようと言うのならー舌を噛んで死にます!」
加助はおみつの体を地面に下ろした
「面白い 本当に死ぬるかどうか 」
ぐいとおみつの着物の衿口を拡げようする
おみつに迫る加助の鼻先に十手が突き出された
「忠七!こやつを捕えろ」
十手を持っているのは同心
加助の体に捕り縄が回された
「お内儀 危ないところであった」
おみつを助けてくれた同心は 夕霧雷之進( ゆうぎり らいのしん)と名乗った
加助は忠七に番屋へ連れて行かせて 自身は仙石屋までおみつを送り 主人の亀三に事情を話した
加助のだいそれた振舞いを驚きつつも亀三はおみつに言う
「可哀想に 恐ろしかったろう 」
「わたしが わたしが付いていかなかったばっかりに」と悔やむお春にも亀三は言う
「お前は足を怪我していたんだ まさか加助がこんな事をしでかすなんて誰にも分かりゃあしないよ
おみつをゆっくり休ませてやりなさい
時に新吉はー」
新吉はまた出かけていないのであった
辞する前 夕霧はもう一度おみつを見舞った
「くれぐれも気を付けられることだ
この店は どうにも事故が多すぎる
鬼でも居ついているのかもしれぬ」
「鬼?」
「ああ・・・鬼は優しい顔をして近づくそうな
安心して気を許すと 取って喰われるのだとか」
意味ありげな言葉を置いて 夕霧は座敷を出て行く
夜遅く帰ってきた新吉はおみつの奇禍に顔色を変える
お才はここでも憎まれ口をたたく
「ふん 普段からおみつが色目を使っていたのかもしれないよ
だから加助ものぼせあがったのだろうよ 加助も可哀想にさ」
お才にはおみつを労わる気持ちなどかけらも無い
「なんだね その目つきは 思ったことも言えないのかね後妻だと
育ててやった恩も忘れて
だから継子(ままこ)は嫌いなのさ」
のそりと座敷に戻ってきた亀三はお才を窘める「お才!」
それから新吉に向き直ると言った
「今夜くらいはついていてやりなさい
たいそう怖い思いをしたんだ
夕霧様が行き合わせなかったら どんな事になっていたか」
夫婦の部屋として与えられている離れの座敷へ新吉が向かうと 廊下にお春が座っていた
「おみつ様は一人でいたいと仰って」
心配で離れられずーお春は怪我をした足で廊下に座っていたのだった
「分かった・・・ 今夜はあたしがついている
もしも何かあれば呼ぶから
お前は休んでいなさい」
お春を下がらせて新吉が部屋に入ると 布団の中にこそ入っているもののおみつは目をぱっちり開けていた
新吉を見て起き上がろうとする「すみません・・・」
それをおしとどめて新吉は言う
「横になっていなさい ここにいるから 少し眠るといい」
おみつは首を振った
「眠れないんです 目を閉じると・・・」
加助の顔が迫ってくると言う
「お才様は あたしがいけないって」
おっかさんと呼ばれるのをお才は嫌がり 「お才様」とおみつに呼ばせていた
「あたしが あたしが いけないんでしょうか
加助があんなことをしようとしたのはー」
「馬鹿な!」と新吉は言った
「お前はなんにも悪くない 椿だの牡丹だの桜だの桃だの 咲く花に罪があると思うか
罪があるなら このあたしだ
お前を守ってやれない
辛い思いばかりさせているー」
「旦那様?」
「あたしはー
俺は出来のいい太助兄さんと違って無茶ばかりをやってきた
ほんの気まぐれで 通りすがりに小さな女の子を店まで送った
有難うーと礼を言われることが嬉しいことだと知った
その女の子がたいそう綺麗になって
傾いた店を助ける持参金付きで女房になりに来るという
俺は自分の親切に たった一つした良い事が
相手に恩を着せたようで
それが汚されるような そんな気持ちになった
綺麗な綺麗な花嫁
こっちが触れると汚すことになる
俺の汚れまで着せるようで
ただ店の者が子供の花嫁に 内儀に何ができるーなんて話すのが耳に入り
せめて誰からも陰口を叩かれない女にーって
俺が悪く言われるのはいい
お前がどうのこうのと悪く言われるのは我慢ならなかった」
ちょっと言葉を切り 驚いた表情のおみつを見て薄く笑う
「お前を嫌ってなど居ないよ
お前を一番の女にしたかった
誰もが憧れて噂をするような
俺みたいな男がー
綺麗な体のまま お前が望む時に香野屋へ帰してやろうと思っていたんだ
そうしてお前に相応しい 似合いの男とってね
ただ傍にいると苦しい
俺は自分が仕掛けた罠にはまっていた
俺も加助と変わりゃあしない けだものだ」
「あたしは!」
おみつが何か言いかけるのを止めて新吉は続ける
「おっかさんは俺を産んで死んだんだ 俺が殺したようなもんだ
もしも本物の夫婦になったらー子供ができたら
お前は死ぬかもしれない
俺は お前が死ぬのは嫌だ」
己が恋の為ならば人を害すも理となるか
ただの邪(よこしま)な醜い欲望と気付けぬものか
自分のモノにしたいとそればかりー
面倒な用事はしたくないお才は菩提寺への挨拶すらおみつに押し付けた
それでもさすがに気が咎めたか
「行き帰りは駕籠をお使い そこは加助に言いつけておくからね
荷物もあることだし
用事が済んだら 早く帰ってくるんだよ」
ずけずけ物を言う住職がお才は苦手であったのだ
おみつには優しい住職だが
亀三の亡き妻のお新の法事についての話も終わり寺を出ると駕籠が居ない
少し先の店で待っていると加助が話し「こちらでございます」と先に立って歩く
どんどん寂しい方へ向かって歩くものだから おみつは少し気持ちが悪くなって立ち止まる
竹林の中へと加助は進んでいくのだ
心なしか早足で
焦れたように加助はぐいっと強くおみつの手首を掴んだ
「ほうれ じきにその店でございます」
おみつは加助の手を振り払おうとするのだが 男の力は強い
「離して!何をするのです!」
唸るような声を上げて加助はおみつを肩に担ぎ上げた
「若旦那はおみつ様の素晴らしさが分からない
あたしはおみつ様が嫁にいらした時から ずうっと恋焦がれて・・・・」
「嫌です 離して おろして!」
おみつが必死に叩こうが暴れようが加助にはこたえない
すっかりのぼせ上っている
「あたしのものに! あんな薄情な若旦那なぞ 」
「何かしようと言うのならー舌を噛んで死にます!」
加助はおみつの体を地面に下ろした
「面白い 本当に死ぬるかどうか 」
ぐいとおみつの着物の衿口を拡げようする
おみつに迫る加助の鼻先に十手が突き出された
「忠七!こやつを捕えろ」
十手を持っているのは同心
加助の体に捕り縄が回された
「お内儀 危ないところであった」
おみつを助けてくれた同心は 夕霧雷之進( ゆうぎり らいのしん)と名乗った
加助は忠七に番屋へ連れて行かせて 自身は仙石屋までおみつを送り 主人の亀三に事情を話した
加助のだいそれた振舞いを驚きつつも亀三はおみつに言う
「可哀想に 恐ろしかったろう 」
「わたしが わたしが付いていかなかったばっかりに」と悔やむお春にも亀三は言う
「お前は足を怪我していたんだ まさか加助がこんな事をしでかすなんて誰にも分かりゃあしないよ
おみつをゆっくり休ませてやりなさい
時に新吉はー」
新吉はまた出かけていないのであった
辞する前 夕霧はもう一度おみつを見舞った
「くれぐれも気を付けられることだ
この店は どうにも事故が多すぎる
鬼でも居ついているのかもしれぬ」
「鬼?」
「ああ・・・鬼は優しい顔をして近づくそうな
安心して気を許すと 取って喰われるのだとか」
意味ありげな言葉を置いて 夕霧は座敷を出て行く
夜遅く帰ってきた新吉はおみつの奇禍に顔色を変える
お才はここでも憎まれ口をたたく
「ふん 普段からおみつが色目を使っていたのかもしれないよ
だから加助ものぼせあがったのだろうよ 加助も可哀想にさ」
お才にはおみつを労わる気持ちなどかけらも無い
「なんだね その目つきは 思ったことも言えないのかね後妻だと
育ててやった恩も忘れて
だから継子(ままこ)は嫌いなのさ」
のそりと座敷に戻ってきた亀三はお才を窘める「お才!」
それから新吉に向き直ると言った
「今夜くらいはついていてやりなさい
たいそう怖い思いをしたんだ
夕霧様が行き合わせなかったら どんな事になっていたか」
夫婦の部屋として与えられている離れの座敷へ新吉が向かうと 廊下にお春が座っていた
「おみつ様は一人でいたいと仰って」
心配で離れられずーお春は怪我をした足で廊下に座っていたのだった
「分かった・・・ 今夜はあたしがついている
もしも何かあれば呼ぶから
お前は休んでいなさい」
お春を下がらせて新吉が部屋に入ると 布団の中にこそ入っているもののおみつは目をぱっちり開けていた
新吉を見て起き上がろうとする「すみません・・・」
それをおしとどめて新吉は言う
「横になっていなさい ここにいるから 少し眠るといい」
おみつは首を振った
「眠れないんです 目を閉じると・・・」
加助の顔が迫ってくると言う
「お才様は あたしがいけないって」
おっかさんと呼ばれるのをお才は嫌がり 「お才様」とおみつに呼ばせていた
「あたしが あたしが いけないんでしょうか
加助があんなことをしようとしたのはー」
「馬鹿な!」と新吉は言った
「お前はなんにも悪くない 椿だの牡丹だの桜だの桃だの 咲く花に罪があると思うか
罪があるなら このあたしだ
お前を守ってやれない
辛い思いばかりさせているー」
「旦那様?」
「あたしはー
俺は出来のいい太助兄さんと違って無茶ばかりをやってきた
ほんの気まぐれで 通りすがりに小さな女の子を店まで送った
有難うーと礼を言われることが嬉しいことだと知った
その女の子がたいそう綺麗になって
傾いた店を助ける持参金付きで女房になりに来るという
俺は自分の親切に たった一つした良い事が
相手に恩を着せたようで
それが汚されるような そんな気持ちになった
綺麗な綺麗な花嫁
こっちが触れると汚すことになる
俺の汚れまで着せるようで
ただ店の者が子供の花嫁に 内儀に何ができるーなんて話すのが耳に入り
せめて誰からも陰口を叩かれない女にーって
俺が悪く言われるのはいい
お前がどうのこうのと悪く言われるのは我慢ならなかった」
ちょっと言葉を切り 驚いた表情のおみつを見て薄く笑う
「お前を嫌ってなど居ないよ
お前を一番の女にしたかった
誰もが憧れて噂をするような
俺みたいな男がー
綺麗な体のまま お前が望む時に香野屋へ帰してやろうと思っていたんだ
そうしてお前に相応しい 似合いの男とってね
ただ傍にいると苦しい
俺は自分が仕掛けた罠にはまっていた
俺も加助と変わりゃあしない けだものだ」
「あたしは!」
おみつが何か言いかけるのを止めて新吉は続ける
「おっかさんは俺を産んで死んだんだ 俺が殺したようなもんだ
もしも本物の夫婦になったらー子供ができたら
お前は死ぬかもしれない
俺は お前が死ぬのは嫌だ」