男は恐れる様子も無く雪山を ゆったりと歩いていた
我が家の庭を散策でもしているかのように
さして着込んでいるようにも見えないのに 時々降り懸かる雪に凍える様子も見せない
むしろ踏み締める雪の冷たさを楽しんでいるようであった
血の匂いにどうやら敏感に反応するらしく 今も急に早足となった
急な斜面を飛ぶように降りていく
その先の川に近い茂みの中で彼は傷つき倒れている娘を見つけた
傷は刀によるもの
ほうっておいては寒さと出血で危なくなりそうだった
少し離れてもう一人 これは男 こちらもかなりな傷を負っている
彼は両の肩に一人ずつ担ぎ上げ 歩調を変えることなく 歩き出した
昨夜宿とした小屋へと戻り 二人を寝かせると 火を起こし 背負った袋から着替えになりそうな着物を取り出す
別な器から薬を出し それぞれの傷の手当てをすると 着替えさせ 湯を沸かした
前に頼宜から教わった知識 あれば便利と貰ったものが随分役に立つ
飲み薬を煎じ 砕いた米の粉を煮た粥を作る
ひと口ふた口 意識をまだ戻さない二人の口にたらしてやる
干した肉を小さくして混ぜ込んだ粥が出来上がり 少し冷めかけた頃 若い男の方が慌てた様子で起き上がろうとした
そこで彼に気付く
自分と反対側の火の傍に寝かせられている娘にも
「粥は食べられそうか」彼の問いに 若者は何とか座ろうとする
「小菊ちゃんは―」
「熱がひいてきたから大丈夫だろう
わたしは義仁という
一体 何があった?」
男らしい濃く太い眉を寄せ若者は少し考えをまとめるようであった
「助けて頂いて有難うございます
俺らは山向こうの奥の山で暮らしている者(もん)です
この小菊ちゃんのとっつあんは樵をしていて
俺と小菊ちゃんは ガキん頃からの
俺は物を売りに里へ降りたりするものだから
用事頼まれたり頼んだり―みたいな感じで」
ここまでは理解してもらえてるかな―という表情を若者はする
彼は粥をよそってやり 目で話の続きを促した
「金とか言うもんが出たとかで それまで自由に暮らしていた山の者は捕まるか 殺されるかして
小菊ちゃんは綺麗なものだから 酷い目にあわされそうになって 止めようとしたおやじさんは斬られて
小菊ちゃんも怪我して
俺は騒ぎを知らせに小菊ちゃんの家に向かっていたんだけど 間に合わなかった
奴等の隙見て 斬られて倒れてる小菊ちゃん抱えて逃げ出したけど 気付かれて追われて 川に飛び込んで 流れてる木につかまって――― 」
そろそろと粥を口に運んでいた若者は途中から夢中になって食べた
「量はたっぷりある 好きなだけ食べればいい」
彼が声をかけると 少し俯き「すんません」て言いながら おかわりをよそった「俺は源佐(げんざ)と言います」
あれだけ食べられれば回復も早いだろうと義仁は思う
源佐は頑健そうな体つきをしていた
自らも斬られ手負いながら 傷ついた娘を庇い何とか逃げたのだ
山の生活は過酷だし―
時々義仁は何故自分にその知識があるのか不思議に思う事がある
瞬間的に甦る何かの場面
自分の中に溢れる兇暴なもの
何かの魔のようなものが自分の中で息を潜めているような
山を治める身分の者達が 金が採れる山だということを周囲に知られまいと
その山の者を金を出すのに使おうと―
殺したり捕らえたのは その為だろう
となれば この二人は 暮らしていた山には戻れない
この辺りに置いていては 追っ手に見つかる心配がある
彼は何かの気配に小屋の外に出た
小屋の入り口に毛皮と きちんと皮をはいだ肉が置いてある
小屋の前の木の枝に身軽に腰かけている女がいた
豊かな長い髪を寒風に靡かせて ・・・ 」われは白雪 まだ思い出せぬのか」とからかうように問い掛け にっと笑うと 彼が瞬きする間に姿を消した
そこに毛皮と肉が置いてなかったら幻を見たかと思うだろう
その女の事を考えるのは先送りにして 彼は届いた毛皮をさっと火に当て温めてから 源佐と小菊にかけてやる
生肉は火で丁寧に焙っていく
小菊は口に何かあてられて 半分夢を見ている気分で目を開けた
分厚い胸板持つ男の腕の中にいるのだった
「さあ飲みこめ 薬だ」男の深いまなざし 静かな表情は 小菊を安心させた
思案していたらしい義仁は 源佐と小菊に 瑠衣子のいる寺を教え 頼宜を頼るように言う
家族のいない頼宜なら この二人の親代わりとして身の立つようにしてくれるだろう
昨夜と同じ わざとこちらに気付かせる気配に義仁が小屋を出ると 白雪と名乗った女が瓶を提げて立っていた
「蜂蜜が入っている」
渡されたものを受け取りながら 「一体どうして助けてくれる?」
一瞬だけ女の黒々とした瞳が 義仁を射た
ふっと柔らかく笑い「われの事は気にするな それより追っ手が明日はここにも来る
あの娘には別な事情がありそうだ」
急にいたずらっぽい表情になると「目を閉じよ」
義仁の頬に指を添え 柔らかな唇が触れてきた
蜂蜜の味見をしたのか 甘い味のする唇
離し際に彼の唇の内側を軽く舌で触れ・・・
また女は姿を消した
翻弄されっ放しだと義仁は思う
間違なく 白雪と言う女は義仁が誰であるのか知っている
今の唇をよく知っている―彼はその心騒がせる感触を消すかのように 自分の唇を強く噛んだ
気が付けば誰かを保護し守ろうとする立場に身を置いている
小屋に入り 中の二人に蜂蜜を渡す
「心当たりは無いのか?」
追っ手のしつこさに触れると 源佐の方が答えた
「樵の親父さんは小菊ちゃんの本当の親でないです
今この山から向こうで力持ち支配しているのは もとは山賊
京の偉い人からの治めてよい印の書き付けと品物持って 小菊ちゃん守って ずっと昔に逃げた
お館様の他のご一族は皆殺しに」
源佐は親から何があろうと小菊様を守れと言われて
「義仁様 俺に何かあっても小菊様をお願いします」
山育ちだが この源佐にも何処か品があった
何を思いついたか義仁は 小屋に積んであるモノから器用に組み立て作り上げていく
それが出来上がると 綱をつけ丈夫さを確かめた
背負いカゴのようにも見えるが 人を乗せて引っ張ることもできる道具なのだった
カゴの上の二本の棒は そのカゴを橇のように使う時に利用できる
弱っている小菊を一人歩かせるより 男二人でひっぱったほうが距離が稼げる
山を登りきることが出来れば あとは下るだけだ
それに棒は武器にもなった
源佐の傷が開かぬようきつめに布を巻き 必要な用心をして小屋を出る
目指すは京・・・・・
ー俺はよくよく戦うことが好きらしいーそんな自嘲が義仁の中にある