再読です
以前 読んだ時に書いたのはこちら↓
堂場瞬一著「棘の街」 幻冬舎文庫 - 夢見るババアの雑談室 (goo.ne.jp)
この小説をドラマ化したドラマの再放送を観ていて・・・
そうだ 原作はどうだったっけと読んでみたくなったもの
とっても親切なウィキさん↓ドラマ化の情報もあります↓
棘の街 - Wikipedia
ドラマは主演が仲村トオルさん
過去に誘拐事件の身代金受け渡し現場での主人公の刑事の行動で
犯人側から サツがいるなら・・・・・と 誘拐された学生は戻らず
この学生が 主人公の刑事が学生時代に付き合っていた女性の子であったこともあり 主人公には取り戻したい
挽回したい過去のようになって「俺の事件」俺が解決するんだーと
そして事件があったのは 主人公が捨ててきた故郷の街
誘拐された被害者の死体が見つかったことから 主人公は再び強引に事件の捜査に加わります
主人公の亡父の店を引き継いだ 亡父の店の常連
その店の前でぼこぼこにされていた少年を 主人公は救いますが 少年は記憶喪失になっており 自分の名前すらも分からないと・・・・
病院は嫌だ 警察は嫌だーという少年
シャワーを浴びる為に上半身裸になった少年の背中を見た主人公は気づきました
それが出産後間もなく死んだ妻が産んだ子供だと
主人公との結婚にすらいい顔をしなかった 亡き妻の父親は 主人公から赤ん坊を取り上げ 自分の養子にしました
警察官 片親では育てられない・・・
自分の父親ともうまく接することができなかった主人公
彼なりに父親の真似事のようなことを始めます
彼の学生時代の友人の一人は 表向きは健全な会社経営をしていますが 親の跡を継いだ暴力団の組長さん
この組長さんも主人公に情報をくれます
警察内部では自由すぎる主人公の評判はよくありません
犯人側からの襲撃も受ける主人公さん
いわば自分たちを囮にして犯人をおびき寄せ 対決する主人公
彼の息子も 遺体で見つかった誘拐事件にかかわっていました
誘拐ではなく 自分たちの身がやばくなった連中による仲間割れによる殺し
殺すのが好きな人間がグループのリーダーをしていて
殺人をごまかすために 誘拐を装ったものでした
身代金を要求する電話がかけられた時には もう殺されていたのです
ドラマの詳しい感想があるサイトさん↓
土曜ワイド劇場「棘の街~刑事上條元」を見まして。 | お笑いとドラえもんとドラマとゲームを愛する水樹の日記 (ameblo.jp)
ドラマ化されたのは2011年
もう12年前ですね
角川文庫の解説は ドイツ公共放送プロデューサーのマライ・メントラインさん
この解説が なかなかに興味深いものでした
題して「餓鬼道」化する社会、その見立ての的確さこそ暗黒〈ノワール〉の本懐
「棘の街」が発表された2004年はメントラインさんが大学留学で本格的に日本での社会生活を始めた年であること
この頃 読んだ時と2023年に読んだ時とでは感想が違うこと
再読して思ったのはー「これは地方都市にとどまらない 日本の心象風景のリアルだよね」というほかない
2004年から2023年にかけて明確化・先鋭化した社会心理的傾向のひとつに 旧来型の知性・教養が「善であり 好ましい」と見做していた文化的要素をおおかた「偽善」と見做して拒絶する、というアンチテーゼ性がある
この背景には いわゆる90年代型のリベラル言論界の既得権化や そうした知的業界の世代的「逃げ切り」狙いの露骨化といった諸々の問題があるのだが いずれにせよ後続世代の「非リア充」という言葉に象徴される文化的不満層としての色合いを全体的に強めたのが大きなポイントだ
その特徴は精神的な余裕の無さと「生存」への渇望から来る一種の攻撃性であり そもそも精神的な余裕のあるヤツは その余裕こそが「悪」であることの証明だ という主客逆転じみた観点を持つ なんというかまさに高度化した餓鬼道のような!
巷間にこれはネット民的な精神性とよくいわれるが ー
長く日本で生活されている方とはいえ 鋭く日本社会を見ておられる言葉だなーと
昭和や平成の時代と比べて はたして「令和日本」は 昭和や平成時代をバカにできるほど良い社会になっているかいーと 思うことも多いです