『障害者は生きる権利があるのか』。
二十歳くらいの頃よく考えていました。
そしてある時ふと、
「ぼくは生きる権利があるんかな?」と思い、
「ゲッ!ないかも!!」と思った。
それ以来ずっとぼくはこう思っています。
『人は皆平等に生きる権利がない』。
これは「生きていてはいけない。」という意味ではなく、
人が生きるという上で、『生きる権利』なんてものは存在しないということ。
生きる権利がある、とか、ないとか考えること自体がナンセンスだということです。
さくらももこの『コジコジ』というマンガにこんなシーンがあります。
自分のことを何一つ覚えていない謎のブルガリア人ジョニーがカエルのトミーに尋ねます。
「・・・あの・・・ちょっと聞くけどキミ達ってなんの役にも立たないだろ?ぼくもそうなんだ。その事についてどう思うかい?」
するとトミーは、
「は?役に立つかどうか?どうでもいいじゃんそんな事。オレ達ただモーレツに生きてるだけさ。」
人はみんなただ生きているだけだと思う。
相模原市の事件の後テレビで「人は皆平等でみんな生きる権利があるんです。」と言う人を何人か見て、
ぼくは違和感がありました。
自分に生きる権利があるかどうかは省みず、
他の人の命の権利をとやかくいうのは、「ある」でも「ない」でも同様に失礼です。
これから年金問題とか、税金の問題とか、個人のちょっとした貧乏とか、
そんな色々な問題が出てくる中で、
「みんな平等に生きる権利がある。」という考え方は、
地盤が弱く、揺れやすいように思うし、
人のこころを救いきれないように思います。
二十歳くらいの頃よく考えていました。
そしてある時ふと、
「ぼくは生きる権利があるんかな?」と思い、
「ゲッ!ないかも!!」と思った。
それ以来ずっとぼくはこう思っています。
『人は皆平等に生きる権利がない』。
これは「生きていてはいけない。」という意味ではなく、
人が生きるという上で、『生きる権利』なんてものは存在しないということ。
生きる権利がある、とか、ないとか考えること自体がナンセンスだということです。
さくらももこの『コジコジ』というマンガにこんなシーンがあります。
自分のことを何一つ覚えていない謎のブルガリア人ジョニーがカエルのトミーに尋ねます。
「・・・あの・・・ちょっと聞くけどキミ達ってなんの役にも立たないだろ?ぼくもそうなんだ。その事についてどう思うかい?」
するとトミーは、
「は?役に立つかどうか?どうでもいいじゃんそんな事。オレ達ただモーレツに生きてるだけさ。」
人はみんなただ生きているだけだと思う。
相模原市の事件の後テレビで「人は皆平等でみんな生きる権利があるんです。」と言う人を何人か見て、
ぼくは違和感がありました。
自分に生きる権利があるかどうかは省みず、
他の人の命の権利をとやかくいうのは、「ある」でも「ない」でも同様に失礼です。
これから年金問題とか、税金の問題とか、個人のちょっとした貧乏とか、
そんな色々な問題が出てくる中で、
「みんな平等に生きる権利がある。」という考え方は、
地盤が弱く、揺れやすいように思うし、
人のこころを救いきれないように思います。