正月の食べ物は、ごまめ、数の子、カマボコなど海のものが多く、
DHAをたくさん摂取したせいか、
最近また頭の回転がよくなってます。
きのうは『闇』について考えてました。
目の前にたくさんのものがあったとしても、
光がなければ視覚でとらえることはできない。
光はものを照らすものの代表として人々に認知されてるけど、
ほかにも認知されていないだけで、ものを照らす光のようなものがあるとしたら。
光には照らされないものがあるとしたら・・・。
闇と同じように、ただ見えてないだけで、いろんなものが世界に溢れてる可能性あり。
いまある光とは別に、
他の「照らすもの」の存在を認知できた時、
いま見えていないものが見えてくるのではないか。
美輪さんか誰かが、
「死後の世界も現世も場所は同じ。
ただ、単位が違うから普通、人の目には映らない。」
みたいなことを言ってた気がするけど(←すっごい適当)、
その世界は、光とは違うもので照らされていて、
その「違うもの」の存在さえ気づくことができたら、
グワッ!とぜ~んぶ見えるんじゃないかなあ。
我々の世界には、光には照らされないだけで、
まだまだ素敵なものが溢れている気がする。
川のせせらぎの上にかかる虹なんかは、
光と、光とは別の照らすもの、のちょうど間で見えてるような気がする。
「闇が怖い」とかなんとか言っても、
けっこういまも闇なんかもね。
DHAをたくさん摂取したせいか、
最近また頭の回転がよくなってます。
きのうは『闇』について考えてました。
目の前にたくさんのものがあったとしても、
光がなければ視覚でとらえることはできない。
光はものを照らすものの代表として人々に認知されてるけど、
ほかにも認知されていないだけで、ものを照らす光のようなものがあるとしたら。
光には照らされないものがあるとしたら・・・。
闇と同じように、ただ見えてないだけで、いろんなものが世界に溢れてる可能性あり。
いまある光とは別に、
他の「照らすもの」の存在を認知できた時、
いま見えていないものが見えてくるのではないか。
美輪さんか誰かが、
「死後の世界も現世も場所は同じ。
ただ、単位が違うから普通、人の目には映らない。」
みたいなことを言ってた気がするけど(←すっごい適当)、
その世界は、光とは違うもので照らされていて、
その「違うもの」の存在さえ気づくことができたら、
グワッ!とぜ~んぶ見えるんじゃないかなあ。
我々の世界には、光には照らされないだけで、
まだまだ素敵なものが溢れている気がする。
川のせせらぎの上にかかる虹なんかは、
光と、光とは別の照らすもの、のちょうど間で見えてるような気がする。
「闇が怖い」とかなんとか言っても、
けっこういまも闇なんかもね。