日本古代・中世史特講 1 のレポートを提出した。奈良時代の政争について、天皇家・藤原氏の系図をながめながらまとめた。
所縁も知らず入った神宮だったけれども、レポートに淳仁天皇のことを書いたばかりだったので、少し驚く。参拝させていただいた。
天武系の皇位継承にかかる争いのなかで、官位を極めながら生き残った豪族は、藤原不比等と下級官吏から昇った吉備真備と和気清麻呂くらいといえば、言い過ぎだろうか。聖武天皇と光明皇后、孝謙天皇の皇位継承には悲劇性が強くつきまとう。
熟成度イマイチで、レポートでは自分の表現では書ききれなかった。
テキストと指定の参考図書は、次のとおり。
先日(11月29日)、京都観光で今出川通を歩いていて、予定外に入ってみようかと思った白峰神宮。今は、蹴鞠宗家の社地だったことで、スポーツの守護神として有名らしいが、主祭神は、崇徳上皇と淳仁天皇である。
崇徳上皇は保元の乱に敗れて讃岐国に流され、淳仁天皇は藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路国に配流された。そして、それぞれその地で崩御され、都に戻ることはなかった。明治天皇の時代にその霊を慰めるため、白峯宮が創建された。一般庶民の私ながら、手を合わせてお慰めする。
所縁も知らず入った神宮だったけれども、レポートに淳仁天皇のことを書いたばかりだったので、少し驚く。参拝させていただいた。